168.普通だからこそ異様
「それにしても、少しお話は伺っていましたが……『最高神』は、普通の人間のような感性をお持ちなんですね」
テオドアは、少し話題を逸らすように言った。
いきなり本題を突きつけても、女神の混乱は収まらないだろう。まずは雑談から始めて、僅かでも彼女の落ち着く時間を作らなければ。
黙って俯いているペレミアナに構わず、テオドアは続けた。
「やっていることの規模は大きいですが、それを成したあとは、美しい女神さまたちと子どもをたくさん作るつもりでいる。何というか……行動が理解でき過ぎて、逆に恐ろしいです」
大々的に復活した割には、願望が俗っぽい。
話を聞いていて、テオドアが『最高神』に抱いた印象がそれである。
世界を一度壊す、と、やることは壮大なものの、行動原理はなんとなく想像がつく。自分の思い通りにならず、彼を必要とせずになんとか回っていた世界が気に入らなくてたまらないのだ。
すべてまっさらにして、自分だけの楽園を創る。野望が大きいだけの人間でも考えつきそうな夢物語である。――規模は劣るだろうが。
しかも、すべてを消すのではなく、気に入った女だけは新しい世界へ連れ出そうとしている。彼の理想とする世界がどんなものかは知らないが、従順な女性など、いくらでも創り出せそうなのに。
なんでも言うことを聞くだけの女も、嫌なのかもしれない。
「もしかすると、僕に対する当てつけも入っているのでしょう」
「……どういうことですか?」
ようやく、ペレミアナが少しこちらを見た。上目遣いにドキッとしつつも、テオドアは努めて平静に説明をした。
「男の嫉妬ですよ。『光の女神』さまが、原初から生きておられることはご存知ですか?」
「いいえ……」
「『最高神』は、『光の女神』さまのご兄弟だったんです」
掻い摘んで、知っている限りのことを明かす。『光の女神』に許可を得ていないが、今は緊急事態だ。許していただきたい。
話が『大戦』のところまで差し掛かると、ペレミアナは完全に顔を上げ、残った涙を拭くのも忘れた様子で、聞き入っていた。
やはり、彼女の本質は『知恵』であり、『魔法』なのだろう。自身の知らない知識を吸収しようとするのは、かの女神の「本能」なのだ。
「……確かに、そうなると、『最高神』が他の二人も捕らえたのも、納得できます。まだ『光』に未練があって連れて行くにしても……『戦と正義』たちは、殺してしまって構わない存在のはずですし」
ペレミアナは壁から背を離し、真剣な眼差しを洞窟の外のほうへ向けた。頬にある涙の跡を軽く手で拭い、独り言のように呟き続ける。
「恐らく、テオドアさんと『光』の関係も、彼が気に入らないことのひとつでしょう。そこで、もう死んでいるテオドアさんへの腹いせに、『戦と正義』、『夢と眠り』……そして、わたしを手篭めにしようとした」
「僕もそう思います。もちろん、皆さまが特別美しく、『最高神』の好みに合致する聡明な方々であったから、という理由もあると思いますが」
女神たちの美貌か、テオドアへの当てつけか。恐らくは両方とも、だろう。
『最高神』は、衰退した神々を嫌っているようだった。その中で、努力を怠らずに自分を貫く女神たちは、彼にとっては「新しい神話時代の神を産むにふさわしい女神」である。
――怖気が走る、実にありふれた思考だ。『秩序の女神』が許容しているというのが、また恐ろしい。
私情を重視する女神、か……。
テオドアは、以前ルクサリネから頂いた忠告を頭の中で反芻しつつ、再び口を開いた。
「あとは……ルチアノがどうして、『最高神』の器となったのか。彼の意思なのか、それとも何かと引き換えに無理やり協力をさせられているのか……生きているのか、消滅しているのかも分かりませんね」
「そうですね……彼が正真正銘の『最高神の〝依代〟』となった経緯には、並ならぬ事情があったはず、ということは分かるんですけど……」
その事情が分からずに困っているのだと、ペレミアナも、よく承知しているのだろう。言葉は曖昧に途切れ、彼女は口籠る。
二人が揃って考え込んでいると、テオドアの隣で成り行きを見守っていたミシェが、恐る恐る手を挙げた。
「あ、あの……全部は理解し切っていませんが、発言……良いでしょうか」
「良いですよ、ミシェ。どんな意見でも聞きたいです」
ミシェは、おずおずと言う。
「『最高神』が復活したとか……細かいことは分かりませんが、赤の他人の身体を使っているのなら、まだ反撃の望みはあるかもしれません」
「……と言うと?」
「魂って、そんなに気軽に入れ換えられるものじゃないです。魂と肉体は、本来、生まれたときから不可分なもの……なので。……た、例え、ものすごく相性が合う肉体でも、どんなに肉体の持ち主が許容しても、必ず拒絶反応が出ます」
テオドアは、なんとなく、ミシェの話の行方を察し始めた。
拒絶反応。意思とは関係なく、肉体に備わる本能が「異物」を排除する。人が病気や怪我をして回復をする時にも、病原体に対してこのような機能が働いていると聞く。
とすれば――
「……『最高神』の魂は、拒絶反応に耐えられない? まだ、上手く肉体に馴染んでいない、ということですか?」
テオドアが思わず声を上げると、ミシェは深く頷いた。
「た、たぶん、『居住地』を襲ったときに取り巻きがいたのも、それが理由だと思います。『最高神』が極力、消耗しないように、代わりに力を使って周囲を虐殺するのが、その人たちの役目だったかと……」
「なるほど……」
「あとは、その……あくまで推測ですけど……『最高神』の魂は、不完全なんじゃないかなって」
「不完全?」
怪訝な声で問い返してしまったが、ミシェは珍しく力強く、「不完全です」と繰り返した。
「ええと……消えた魂を一から作り直すって、相当、無茶苦茶なことです。例え、女神さまが千年かけても……人間ならまだしも、『最高神』の魂ですから……」
その視点はなかった、と、テオドアとペレミアナは顔を見合わせた。
確かに、女神が千年も掛ければ、魂の復活くらいはできるだろう――と思ってしまっていたが。相手はただの人間ではない。すべての神の頂点に君臨していた、『最高神』の魂である。
逆に、一介の女神が、たった千年で完璧に復活させられるわけがない。
テオドアは再びミシェに視線を戻し、話を聞きながら、ゆっくりと理解を深めていく。
魂は、言わば肉体を操るための要である。
縁もゆかりもない他者を乗っ取るならば尚更、慎重に行動しなければならない。
ミシェが知る限り、いちばん確実な方法は――事前にルチアノの魂を抜き取って、抜け殻の肉体を『最高神』に差し出すことだ。
かつて、ペレミアナたちが計画したような、魂の入れ替えである。
しかし、『最高神』が、必要最低限の形しか保てない魂で蘇っていたとしたら?
拒絶反応も相俟って、下手に乗っ取れば再び消滅しかねない。せっかく適合する肉体なのだから、上手く使わなければ……と、『最高神』陣営は考えることだろう。
「……これは、肉体の持ち主が、完璧に協力しなければできないことですが……」
と前置きをして、ミシェは言う。
「『最高神』は、元の魂を追い出して乗っ取った、のではなく……欠けた自分の魂の補填として、融合するつもりなんだと思います」