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164.迫る危機と課題

 死の精霊も、一瞬だけ遅れて、己が下敷きにしている者に気がついた。

 声のない悲鳴を上げて飛び退り、自らの心臓の辺りに手を当てて息を整える。合間に「お嬢さま」と呟いたのは、『知恵と魔法の女神』が冥界の主の娘だからか。


 女神に目立った外傷はなく、服に乱れもない。手足に擦り傷があるくらいだったが、明らかに意識を失っていて、具合が悪そうだ。転んだのだろう、歪んだ眼鏡が近くに転がっている。

 テオドアは、一も二もなく彼女を抱き上げようとした。

 だが、なぜか彼女には触れられず、手が透けて擦り抜ける。何度試しても同じだ。

 困惑するテオドアに、死の精霊は慄きながらも言った。


「た、魂の状態だと、地上では、触れるものに限りがあります。ぼ、ぼくみたいな存在でなければ、植物とか無機物とかがせいぜいで、それもできない人がほとんどで……」

「そんな、」


 テオドアは、もどかしさから唇を噛んだ。

 ――それも一瞬のこと。すぐに気持ちを切り替え、死の精霊を振り向く。


「すみません、では、女神さまをお任せします。このまま冥界へお運びしますか?」

「そ……それが良いですね。天界の方々は、き、気軽に冥界へは降りられませんが、お嬢さまなら……」


 死の精霊は頷き、真剣な眼差しで右腕を差し上げ、虚空から大鎌を掴み取る。

 いつかと同じように振るったが……虚空を切るばかりで、一向に入り口は現れない。

 少女の顔にも、隠しきれない焦燥が現れる。テオドアは女神のそばにしゃがみ込み、彼女の容態を確認した。

 生きている。が、だんだんと息がか細くなっている。予断は許されない状況だった。

 自然、再び少女を振り仰いだテオドアの声も、鬼気迫ったものになる。


「冥界には入れないのでしょうか?」

「い、いえっ、や、やってみてる、んですが……どうしてか、ぜんぜん、開かなくて……!」

「分かりました。しかし、ここは危険です。どこか安全な場所へ――」


 と、テオドアが立ち上がりかけた、その時だ。

 周囲の木々が震えるほどの咆哮が、『境界の森』に響き渡った。

 テオドアは素早く飛び出して、声のほうへ向かう。自分は魂だけの存在である。魔物にさえ感知されない、と少女が言っていたのを、覚えていたのだ。


 『知恵と魔法』が倒れているところから、さほど遠くない場所。先が崖となっている丘へ駆け上り、周囲を見渡したテオドアは、労もなく「それ」を見た。

 息を呑み、気圧される。肉体は無いはずだが、恐怖するには身体も魂も関係がないらしい。


「なんだ……あれ……」


 眼下に広がる深い森、その向こうに山々がそびえ立つ。人間の手が入らない『境界の森』は、どんなに時が経っても変わらない。奥深い自然、そればかりがある。

 そのはずだ。

 今、テオドアが見ているのは、『境界の森』の無惨な姿だった。あちらこちらに穴が開き、山は割れ、木は根こそぎ薙ぎ倒されて、わずかながら小火(ぼや)も起きている。遠目だが、巨大な魔物の亡骸もいくつか確認できた。


 単純な死に方ではない。

 あれは、()()()()だろう。


 今しも、「それ」が、崩れかけた山の割れ目の中から身を乗り出した。

 黒々とした毛が全身を覆い尽くす、山と同じほどの大きさの巨人である。胴体が長いのか、腕を使って這い出してきても、未だに足までは見えない。

 顔にあたる部分に口も鼻もなく、巨大な一つ目が嵌め込まれている。不気味な挙動でぎょろぎょろと周囲を見渡し、長く伸びた手で遠くの魔獣を鷲掴みにした。

 何をするかと思えば――人間で言えば、喉の辺りから腹の下辺りだろうか。そこへ縦に切れ目が走ったかと思うと、鋭い牙がびっしりと生えた「口」が開いた。

 掴まれた魔獣は暴れるが、なす術もなく喰われる。それも、いちばん柔らかいであろう腹の部分だけ食いちぎって、残りの上半身は軽く打ち捨てる。

 生きるための捕食ではなく、愉しむための捕食。そんな雰囲気をまざまざと感じた。


 巨人が、喜びからか手を打ち鳴らし、再び咆哮を上げるのを聞きながら、テオドアはようやく踵を返した。

 二人の元へ戻り、死の精霊へ、手短かに状況を説明する。テオドアがいないときにも、何度か冥界へ降りられないか試したのだろう、少女は疲れたように鎌を消した。

 

「一刻も早く、ここを離れましょう。山から離れれば、ひとまずは巨人に潰されずに済みます」

「は、はい。じゃあ、えっと……お嬢さま、失礼します」


 意識のない女神に声を掛け、死の精霊は彼女を抱え上げる。やはり、見た目とは裏腹に、力強かった。

 テオドアはそんな二人を、無言のうちにまとめて持ち上げると、山とは逆の方向へ駆け出す。死の精霊が驚く声が聞こえたが、なるべく揺らさずに走ることに必死で、取り繕うこともできなかった。


 ――女神に直接触れられないなら、彼女を抱えた死の精霊を抱えれば良いだけの話だ。

 少女に、女神を抱えたまま走ってもらっても良かったが、それではあまりにもこちらの立つ瀬がなさ過ぎる。

 男としての矜持と――『境界の森』の地形は自分の方がよく知っているという判断から、二人をまとめて連れて行くという行動に出たのであった。


 ああ……僕が冥界で実感がどうとか言っている間に、地上はこんなにも大変なことになっていたんだ……。


 テオドアは、内心で自らの呑気さを呪いながら、周辺の地形を素早く探る。なるべく目立たず、巨人の出現で半狂乱になっているであろう魔物たちから姿を隠せる場所。

 無いはずの心臓が逸り、必要のない呼吸で抑えつけつつ、木々のわずかな変化も見逃さずに探す。魔獣がそばを駆け抜けるときは、木や草の陰にしゃがんでやり過ごし、と、気の休まる瞬間は少しもない。

 何かに追われているような感覚が、全身を支配する。

 焦るな、焦るな、と自分に言い聞かせて、長い数分間の末。


 ようやくテオドアは、枯れた川の跡を辿り、入り口の小さな洞窟を見つけることができたのだった。




-------




「お、お嬢さまは、おそらく、受肉をしていないんだと思います」


 狭い洞窟の奥。女神を平らに寝かせられる場所を確保し、草を集めて間に合わせの寝床を作ったあと。

 『知恵と魔法』を注意深く観察した精霊は、自身なさげに言った。

 受肉を? と、テオドアは眉を寄せる。死の精霊が作ってくれた松明の火が、揺らめきながら洞窟の壁を照らした。


「はい……天界の方々は、どうしても、そのままのお姿で地界に留まり続けると……具合が悪くなってしまいます。ぎ、儀式をして、地界に合わせた身体にならないと……」

「神気を余分に消費し続けて、命に関わってしまう、ですね」

「受肉をなさっていないから……よ、余計に、あなたも触れられなかったんだと思います」


 おそらく、「受肉」とは、神を作り物の人の身に押し込む行為なのだろう。

 地界は、肉体を持つ者が生きる場所。遥か昔に肉の身体を捨て、神気のみの存在として天に昇った神々とは、根本的に合わない。

 テオドアは、か弱い息を繰り返す女神を、じっと見つめた。

 天界にいるはずの彼女が、どうして受肉をしないまま、地上にいるのか。あんな巨人が出現しているのを見る限り、天界も地界も碌なことが起きていないのは確かである。


 ――ペレミアナさまの不調は、地上用の肉体を得なければ、解決しないのだろう。


 だとすれば、いくら看病しても無駄だ。頭を切り替えろ。考えを巡らせながら、テオドアは、ふ、と深く息を吐いた。

 そして、死の精霊へ向き直る。


「ご存じでしたら、教えていただきたいのですが……神々が受肉する儀式には、何が必要なのでしょうか?」

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