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160.前世の記憶があった理由

 百年前、『森の番人』が、三女神の神獣に殺された後のこと。

 正式な手順に則り、彼は死の精霊に手を引かれて、冥界へ降り立った。誰にも邪魔をされることなく、他の亡者と同じように川を渡り、記録を受け、「忘却の泉」まで辿り着く。

 ごく普通に泉の水を飲んだ彼は、生前の細かな記憶を忘れて、裁きの時まで『安寧の女神』のもとで働いていた。

 なにも問題はなかった。彼自身には。


 ある日、『魂の女神』がやってきて、例のごとくよく分からないことを捲し立てた。冥界ができてから数千年、長い付き合いの『安寧』には、彼女がなにを言っているかをなんとなく理解した。

 つまり――「ここにいる元『番人』の魂を、地上に帰せないか」と。


「え、それって、大丈夫なんですか?」


 テオドアは思わず声を上げた。

 ごく平凡な農家風の家に、四人がぎゅうぎゅう詰めになってテーブルについているのは、あまりよく見る光景ではない。

 特に、『冥界の神』は体格も良く、『予言の神』は縦に長い。テオドアだって――魂だけの状態だが――ごく平均的な青年の体格である。

 そんなむさ苦しい面々を見ても、『安寧』は眉ひとつしかめず、微笑みながら話を続ける。それでいて、合間に人数分の木のカップに温めたミルクを用意するのだから、恐れ入る。


「大丈夫ではないわ。あなたの思う通り、死者の魂を地上に帰すのは、とんでもなく不自然な行為よ。冥界の掟に照らしても、まず認められない」

「そ、そうですよね……」

「でも、彼女は引き下がらなかったの。普段はあれだけあちこち飛び回ってて、意見がころころ変わる人なのに、あの時だけは頑なだった」


 彼女は、その足で「裁きの間」へ行き、『冥界の神』に直談判をした。子を成した関係とは言え、彼らは夫婦ではない。そこをよく理解しているからこそ、いつもは『魂』も易々と「裁きの間」へ踏み込んだりはしなかった。

 しかし、『魂』はいつにない頑固さで主張を続けた。途中で死の精霊の翻訳を挟みつつではあったが、概ねこのようなことを言ったのだ。


 ――今すぐに、彼を地上に帰す。それが今後の世界にとって、かけがえのない切り札となる。彼の記憶をすべて消してはならない。()()()()()()()()()()、早く帰さなくては。


 ずいぶんと長い押し問答の末、女神の主張は、折衷案で受け入れられた。『番人』を地上へ戻す代わり、再び彷徨うことになった彼の魂を、死の精霊を遣わして監視する、と。

 そうして、記憶をほとんど保持したままの『番人』の魂が、地上へ放たれることとなった。


「……初めはね。わたしたち、自分の娘のためだったのかなって思ったのよ」

「ああ……あのお方は、『知恵と魔法の女神』さまのお母さまですしね……」

「そう。あの子たちの事情が伝わってきたのは、天界や地界よりもだいぶ早いわ。だって、女神が三人も、誰かの魂を探し回っているんですもの。『知恵と魔法』ちゃんが、こっそり冥界に降りてきて、自分のお父さんに相談しているのも見たわ。魂の見分けをつけたい――って」


 『安寧』は、一瞬だけ『冥界』のほうに目を向けて、すぐに戻した。


「事情が分かるにつれて、わたしたちは、彼女は娘のためにひと肌脱いだんだと結論づけた。でも、あの人はもっともっと大局を見ていたわ」


 そもそも、地上へ帰した『番人』へ、『魂』はまったく何もしなかった。

 ほぼ放置と言ってもいい。監視のために精霊を遣わしてはいたものの、百年の放浪と摩耗を経て、遂に『番人』の魂が魔物に変じようとしても、彼女は変わらず冥界のあちこちを歩き回っていた。

 当然、娘に魂のことを仄めかした様子もない。たまの里帰りで娘がそれとなく尋ねてきても、いつも通りの態度を取って煙に巻いていた。

 そうこうしているうちに、『番人』の魂はとある善意の者に捕まって、母胎に入ることとなり――冥界を経ずに前世の記憶を保持した赤ん坊が誕生したのである。


 と、このようなことを話した『安寧』は、そこでいったん言葉を切った。

 冷めかけたミルクをひと口飲んでから、近くに置いていた布巾で口元を拭いて、再び喋り始める。


「――生まれ変わってからのあなたを、わたしたちは追わなかった。もう魂じゃないから。冥界のものは生者と関わってはいけないの。でも」

「変化が生じたというのは、分かった。先ほども『予言』が言っていた通り、お前は少しずつ予言の未来を変えていった」


 『冥界』が、カップを片手に持ったまま言う。

 本来なら、テオドアも他の人間と同じように、記憶を消されてまっさらになってから生まれ変わるはずだった。だが、それでは予定された未来に突き進むだけで、四女神と婚約にすら至らなかった。

 ――前世の記憶があることで、テオドアは決まった人生をだいたいなぞりつつ、少しずつ違う動きをして、さまざまなことを変えていったのだ。

 その変化は、人生の分だけ積み重なり、遂には約二年という「『最高神』復活計画」のズレを生み出した。

 それを、『魂の女神』は、見越していたのだろう。


「あ、あいつ、み、み、未来が見えてるわけじゃなさそう、なんだけどさ。で、でも、偶然ってわけでも、なさそう、だし」


 小さく呟きながら、『予言』はカップの縁に口をつけ、ちびちびとミルクを飲んだ。「パンが欲しい」と、ぼそっと付け加えていたが、誰も反応はしなかった。

 代わりに、『冥界』が髭に触れつつ言う。


「『魂』がどのように変容するか、ある程度は見通せるのかも知れんな。娘を産むと決めた時も、どのような神が生まれるか、大まかなことを事前に知っていたようだった」


 神さまの魂が、人間と同じかどうかは、テオドアにはわからない。

 だが、他でもない自分が産むと立候補し、生まれてくる神がどんなものかを知っていたのだとしたら。神さまの魂の行く末みたいなものも、見通せるのかもしれない。

 もしそうなら、人間の魂など、簡単に予測できるのだろう。

 テオドアは、腕を組んで唸った。


(そうまでして、僕を生かした意味はなんだろう?)


 悲しいことに、二年の猶予があっても、ルチアノに殺される未来は覆せなかった。

 こうして魂だけになっているのが証拠だ。いくら「かけがえのない切り札」でも、死んだ者は『最高神』に立ち向かえないだろう。


 そも、テオドアは、『最高神』のことをよく知らない。

 天井を睨みつけて唸るテオドアを見かねたか、『予言』はぼそぼそと言う。


「お、おれの知り合いが……おまえの死体の残骸を、持ってくる手筈に、な、な、なってる。『冥界の神』の娘と、その友人の、お、おかげで、肉体を復活させることが、できるようになった」

「『番人』を復活させる騒動のあと、技術が持ち込まれたのよ!」


 と、『安寧』が笑いながら合いの手を入れた。

 急に朗らかな声が差し込まれたために驚いたのか、『予言』は喉から引き攣ったような声を上げたが、辛うじて話を続けた。


「で、でも、地上の存在が、ここ、ここに降りてくるのに、早くても、十日は、かかる。そのあと、ふ、ふ、復活させるには、もっと時間がかかる」

「その間、お前には特別に、冥界と地界を見て回る許可を与えよう。何もせずに寝ているのも退屈だろう?」


 監視は一人くらい付けさせてもらうが、と、『冥界』は穏やかに付け加える。

 願ったり叶ったりだ。テオドアは何度も頷いた。

 早く動けないのはもどかしいが、本来なら許されない蘇生をしてもらえるだけでありがたい。それだけ、彼らも『最高神』を止める人材を欲しているのだろう。


 そして、地上の状況を思い、テオドアは暗澹たる気持ちになる。

 ――『光の女神』が、『最高神』に無理やり娶られそうになって拒否したこと。三人の女神が清らかな乙女であること。いや、それだけに留まらない。半神の少女も、精霊たちも、怪鳥も雛たちも。


 横暴だという『最高神』に、丁重に扱われる未来がまったく見えなかった。

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