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156.死の精霊と下る

 意識を取り戻したとき、テオドアは、寂れた小屋の前で立ち尽くしていた。

 ついさっき飛び出した小屋と同じだが、外見が異なる。風雨に晒され、経年劣化もあり、屋根から崩れ落ちないのが奇跡といった風体だった。

 『番人』の消えた百年は、短くない。セラとともに訪れたこともあり、小屋の現状を知ってはいたけれど、今改めてそう思う。


 自分を見下ろすと、肉体はなく、薄く透けた輪郭だけの足が見えた。胴体も手も同じだ。木々の合間から日が差し込んでいるのに、足元には影がない。

 覗き込んだガラスに自分が映らないのは、なんだか不思議な気分になる。

 テオドアは腕を組み、「これからどうしようか」としばらく考え込んだ。

 しかし、状況は、テオドアが何かせずとも動いた。


「……あ、あの……」


 背後からか細い声が掛かり、テオドアは驚いて振り向く。まったく気配が無かったからだ。

 そこには、大鎌を持った少女が立っていた。動きにくそうに黒いドレスの裾を引きずり、地面に突き立てた鎌の柄に縋っている。手入れのされていなさそうな、伸び放題の髪の隙間から、焦点があやふやな瞳が覗いていた。


「昨日、死んだ人……ですよね。ふ、普通に理性があるの、感謝です。いつもは、無理やり、連れて行かなくちゃいけないので……」


 どうやら、死んだ人間の魂は、理性がないことが多いらしい。先ほどのような夢に囚われ、自意識を失うのかもしれないな、とぼんやり思った。

 流れで返答をしようと、口を開きかける。

 だが、ふと警告が脳裏に蘇り、慌てて言葉を飲み込んだ。


 ――誰に声を掛けられても、返答してはいけない。


 あの『不和の女神』が、どこまで真実を話していたかは分からない。けれど、警告から十日後に死んだ以上、ある程度は信用して良いだろう。

 せめて、警告通り〝門を潜るまで〟――死の精霊の手を取らず、振り返らず、決して答えないことを徹底する価値はある。

 振り返ったテオドアが固く押し黙っているのを見て、少女はみるみるうちに泣きそうな顔になった。


「わ、分かってますよ……ぼくなんか、喋る価値も無いって言うんでしょう。ぼくが、醜くて不吉な〝死の精霊〟だから……」


 テオドアからは、見た目で〝死の精霊〟などと判別できなかったが――彼女の中では、「自分は見るからに不吉な存在だ」となっているらしい。

 とてつもなく傷つけてしまった気がして、心が痛む。だが、冥界へ降りるまでの辛抱だと、テオドアは気持ちを強く持って黙り続けた。

 しばらく俯き、ぶつぶつと自分を卑下する言葉を呟いていた精霊は、ようやく気を取り直してこちらを見上げた。


「じゃあ、その……冥界へ送るので、ぼ、ぼくと手を……はぐれないように……」

「……」

「あ、こ、これもダメ……や、や、やっぱり、ぼくが薄汚い精霊だから……!?」


 彼女の卑下が数十分伸びたのは、言うまでもないだろう。




-------




 なんとかまた気を取り直した精霊は、悲しげな表情のまま、何もない空間に大鎌を振るう。

 てっきり、命を刈り取るためのものだと思ったのだが、冥界への道を作るための道具だったらしい。彼女が斬ったところから、周囲の空間が歪み、黒く渦巻いて昏い穴を開く。

 大人が屈んで通れるくらいの大きさだ。少女がこちらを振り返りつつ、重そうに鎌を持って潜る。テオドアも、無言ながらそれに従った。


 穴の先は、舗装されていない土の、下り坂になっている。

 周囲の壁も土で、じめじめと湿った質感がある。足元も同様に湿りきっているため、テオドアは実体がないのにも拘らず、何度も滑って転びかけた。

 死の精霊は、手元に明かりもないのに、迷いのない足取りで下っていく。重い大鎌を担ぎながら、だ。少女の見た目をしていても、曲がりなりにも死者の案内を請け負った精霊なのだ。

 ――その姿に、セラを重ねた。

 彼女は……いや、彼女だけではない。女神たちはどうしているのか。天界の状況は。ロムナを含む精霊たちは、無事なのか。

 何より、ルチアノが、自分を殺した訳を知りたい。


 少女の後を追って、坂を下り続ける。

 進むうちに、壁が岩肌に変わり、等間隔で手彫りの燭台が置かれるようになった。ほんのりと周囲を照らすだけだが、それでも真っ暗闇よりは安心できる。

 そのうちに、燭台もランプに変わり、壁は古びたレンガになる。格段に歩きやすくなったのに気がつき、足元を窺うと、いつの間にか道も舗装され、石畳に変化していた。

 気になったのは、両側の壁に、鉄格子のようなものが嵌められていること。

 進むたびに、通り過ぎる鉄格子の数が増えていく。なぜか、その向こうを覗くことが心底恐ろしく思えて、なるべく直視しないように前だけを見ていたのだが――

 ふと、死の精霊が足を止めて、振り返った。


「ぼ、ぼくなんかの話、聞きたくないでしょうけど……ここはいちばん危険なので、気をつけて。う、う、うっかり、すると、()()()()()()()……」


 どういうことだろう。と、テオドアが自然に眉を寄せた、その時である。


「テオドア。お帰りなさい」


 柔らかく心地の良い声が、すぐ後ろから聞こえてきた。

 耳に届いた瞬間、ぞっと背筋が粟立つ。それが紛れもない、母親の――リーザ・ヴィンテリオの声だったからだ。


「疲れたでしょう。さあ、早くこっちに来て。私に、貴方の冒険の話を聞かせてね」


 かと思えば、ハンナの声で、悲痛な絶叫が響く。


「痛い! 痛い痛いっ! 助けて! 助けてくださいっ、テオドアさまああああ!!」


 彼女たちだけではない。ありとあらゆる、テオドアが憎からず思う人々の声で――時に優しく誘い、時に怒りのまま(なじ)り、時に真に迫った悲鳴を上げて――テオドアの気を引こうとしてくる。声の状況に合わせた音も立てるのだから、大したものだ。

 ……おそらく、『不和の女神』の警告は、このことなのだろう。一度でも気を惹かれて振り返ったり声を上げたりすれば、後戻りできないところまで引きずり込まれてしまう。

 具体的にどうなるかは分からないけれど、少なくとも、テオドアとして生き返ることは出来なさそうである。


 死の精霊は、テオドアの顔色が悪くなったのを察したか、慌てて前を向いて再び歩き始める。少し早足になっているのは、こちらを気遣ってのことだろう。

 つくづく、死の精霊らしくないと思う。こういった魂の回収は、冷酷であればこそやり易いと思うのだが。

 だが、今はありがたい。偽物だと分かっていても、あまりにも似通っているために、「ひょっとしたら」という思いが拭えない。彼女の様子を見て、偽物なのだと再確認できるのが良かった。


 それでも……歩みを進めるたびに、声はいっそうテオドアを苛んだ。

 いちばん堪えたのは、やはり、人々の苦痛の叫びである。母が、リュカが、ハンナが、クレイグが、セラが、妻となるはずだった四人の女神が――どんな拷問を受けているのか、息も絶え絶えに叫ぶのだ。

 耳を塞いでも、まったく意味がなかった。

 思わず振り返りそうになるのを堪えるのに、ずいぶんと苦労した。

 ただ、歯を食いしばって、握った手のひらに爪を食い込ませ、痛みで正気を保つ。先導する少女の後頭部を睨みつけながら進む。


 ようやっと声が止んだのは、かなり後。

 死の精霊が『冥界の門』と呼称した、おどろおどろしい装飾の門の前に立ったときである。

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