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155.悪い夢の中で

 ふと、目を開けた。

 瞼が妙に重い。ぼんやりと天井を見上げ、ここが()()()()小屋の中であることを理解する。

 ――なにか、忘れているような。

 肌触りの悪い粗目の布を被り、板張りの寝台に転がったまま、暫しの後。寝起きの頭が冴えてくると、「あ!」と叫んで起き上がる。


「そうだ! 今日は見回りの日だ!!」


 『境界の森』は広大ゆえ、日取りと範囲を決めて見回りをする。魔物は比較的、陽の出る時間帯に活動が鈍る個体が多い。なんの対抗手段も持ち得ない人間は、少しでも危険を減らすことに注力するのだ。

 汚れた窓の外を見るに、太陽は既に昇っている。朝焼けとともに出発するのがいちばん良かったのに。

 簡単に身支度を整えて、継ぎ接ぎの服に腕を通す。くたびれたマントを引っ掴み、外へ飛び出ると、小屋の前で眠っていた「それ」がのっそりと身を起こした。


「おはよう。よく眠れた?」

「ぎゃぅ……」

「僕は寝過ごしたよ。まあ、ものすごくよく眠ってたとか、言えなくもないけど……」


 魔力を持つ、少し長毛な巨大猫。成人男性の自分をして見上げるほどの大きさで、しかしまだ成獣ではなさそうなのが驚きだ。

 それでも魔獣には変わりないのだが、どうしても普通の動物のような感覚で接してしまう。

 「彼」が幼い仔のときに拾って育てているから、だろうか。

 軽く毛繕いをしている「彼」に触れ、見回りの同行を打診する。「彼」は嬉しげにひと声鳴いた。


「いつもありがとう、オルユメイ――」


 名前を呼びかけて、はたと口ごもる。

 今のは、なんだ? 聞き覚えのない名前だった。この魔獣に明確な名は付いていない。一人と一匹の生活は、名を呼び合わなくても成立するからだ。

 なにか、重要なことを思い出せそうな気がした。喉の奥までやってきた違和感が、ごわついた毛を撫でる手を鈍らせる。


(……いや。なにもない……はず)


 どうも釈然としない。

 物心ついたときから、この『境界の森』で生きている。変わり映えのしない日々。起伏のない生活。おそらく、死ぬまでそうだろう。魔獣に襲われて死ぬときは、一瞬なのだから。

 被りを振って、心配そうに見下ろしてくる「彼」に向かって笑顔を見せる。細々とした荷物を持ち、「彼」を伴って歩き出した。


 相変わらず、息が詰まる場所だ。

 自分が安心できるところは、あの小屋周辺しかないのだと、見回りのたびに思い知らされる。陰鬱な木々の間を淡々と進みながら、たまに現れるこちらを見張るような気配に、極力気付かぬふりをする。

 それでも、「彼」を拾ってからは、危険が格段に減ったのだ。前は命からがら逃げ出すことも珍しくなかったからなあ……と思いを馳せる。なぜか小屋の近くは魔物が寄り付かないので、危険とは逃げ足の勝負でもあった。

 遠巻きに警戒する魔物や魔獣たちに、「彼」が威嚇を振り撒く。それを適度に宥めつつ、森を進み――不意に、視界が開けた。


 こんなところに、木のないところなんてあったのか?


 一瞬、怪訝に思ったが、すぐに理由が分かる。

 そこには、白亜の城――今までの人生で見たことのない、豪奢な建物がそびえ立っていた。

 思わず目が眩み、瞼を閉じる。久しく聞いたことのない人の声がした。賑やかな男女の笑い声が、風に乗ってここまで届いているのだ。

 初めて見た。こんな煌びやかなものがあるのか。あの城にいるのは、どんな人々なのだろう――


「……」


 胸の奥底に湧き上がってきた衝動を、ぐっと抑える。()()()()()()()()()()()()()()()

 黙ったまま後退り、踵を返す。城は巨大だが、迂回できないことはない。薄く目を開けて、視線を地面に固定し、邪念を振り切るように歩き続ける。

 だが、途中で、隣に気配がないことに気がついた。


「……あれ?」


 見渡してみても、あの巨体はどこにもない。仕方がなく来た道を戻ると、「彼」は城の前に座り込んだまま、戻り来た人間――こちらをじっと見つめていた。


「どうしたの? 早く行こう」

「……」


 三角の耳をぴくつかせ、長細い尾で地面を叩く。「彼」はあくまで平静だった。ただ、大きな金色の目で見下ろすだけ。

 どんなに催促しても、梃子でも動く気配がない。

 「彼」を置いていくわけにはいかない。自力で帰ってきそうだが、どちらかと言うと、自分一人で帰ることに懸念がある。

 途方に暮れていると、「彼」は素早く背後に回り、鼻先で背中を押してきた。

 城に行け、ということだろうか?

 どうして?


「ダメだよ。あのお城の人たちと僕は、住む世界が違うんだ」

「……」

「早く、見回りに戻ろう」


 ぐるると不服そうに唸る声がする。

 無理に突き飛ばしはしないが、城に行かないことは許せないらしい。何度も背を(つつ)かれる。

 初めは宥めていたものの、だんだんと苛立ちが募ってきた。眉をひそめ、もどかしさを抱えながら、「だからダメだって」とぶっきらぼうに言い放つ。


「僕にはこの生活がお似合いなんだ。多くを求めたらいけない人間なんだよ。死ぬまでこの森で生きるべきなんだ!」


 なぜ、そう思ったのかは分からない。

 そんな経験もないのに、自分には不相応な地位に上り詰めたという自覚があった。調子に乗って、有頂天になって、あらゆるものを手にする前に転がり落ちた感覚が。

 ――()()()()()()()()()()()()()、同じ失敗を繰り返したのだから。

 無意識のうちに、喉の辺りへ手をやっていた。背後を振り返り、無言の魔獣を睨みつける。

 

「失敗するのはもう嫌だ。悪意のある人とも、好意のある人とも、接するのは疲れた。何も考えたくない。静かに、波風立てずに、終わりたい」


 ここには何もないが、だからこそ、何も考えなくて済む。目まぐるしく変わる状況や、裏切り裏切られる日々に戻らなくて済む。ただ淡々と、日々を積み重ねれば良いだけ。

 しかし、魔獣は、全く動じることなくこちらを覗き込む。

 金色に輝く目が――〝本当にそれで良いのか〟と、真意を問うている気がした。

 初めの勢いが削がれ、冷静な思考がゆっくりと戻ってくる。息を深く吸って、身体ごと振り返る。そうして、座り込む魔獣に歩み寄り、身を寄せた。


「……君を……置いていってしまった。百日通うと息巻いて、自分の欲に目が眩んで……」


 三柱の女神に求婚して、果たせずに死んだ。

 置いていったのは、自分の罪だ。無責任だった。「彼」はまだ若く、成体になっていない。独りでも生きていけるほど強いとは言え――放り出して良いわけではない。

 ごめん、と、絞り出すように謝る。「彼」は怒っていない。それにまた、罪悪感を煽られた。


 ――ああ。大人しく『番人』として、身の丈に合った生活を享受していれば良かった。

 浮き沈みはないけれど、もしかしたら、自分なりの幸せが得られたかもしれないのに。


 もしくは、あの時、〝依代〟候補の選定を見に行かなければ。

 母とともに公爵家に残り、惨めさを噛み締めていただろうが……こんなところまで来ることも、なかった。いずれは家を飛び出していたかもしれない。身分を偽って平民として、平凡な家庭を築けたかもしれない。

 もう過ぎたことだ。百年前と数年前に、戻る術はない。

 

 いくら自分が――『番人』が――()()()()が、前世と今世を掛け持ちしていたとしても。


「……ごめん。励ましに来てくれたんだね」


 『番人』の姿をしたテオドアは、なにもかもをすっかり思い出していた。

 そっと身体を離し、懐かしい魔獣の姿を見上げる。若き魔猫は、「やっと思い出したか」と言わんばかり、呆れ顔で鳴いた。

 これは、死んだテオドアの魂が見る、夢のようなものなのだろう。原理は分からないが、『番人』に回帰して「テオドア」を忘れかけていたところを、魔獣の仔が助けに来てくれたのだ。

 言い伝えでは、魔獣が冥界へ行くことはない。

 死んだらそれっきり。だが、その魂は、目に見えないだけで、ずっとどこかにいるのかもしれない。


「ありがとう。僕、もう行くよ」

「にゃーお」

「君のようになるのは、まだまだ先のことになりそうだ。僕は大丈夫だから……君も、好きなところに行っておいで」


 『番人』亡き後、「彼」がどんなふうに生きて、死んだのかは知らない。

 テオドアに恨みをぶつけてこない辺り、満足していたら良いな、と思う。


 涙が滲んだ目を擦り、「彼」に背を向ける。

 白亜の城からは、未だに楽しげな声が聞こえてくる。テオドアは、勢いをつけて、女神たちがいるはずの庭まで駆け出した。



 ――そして、再び、現世で目を覚ます。

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