??.依代
力を失って頽れたテオドアを、ルチアノはしばらく眺めていた。
生き返る気配は――ない。当然だ。首を切った。いくら彼が治癒魔法に長けているとは言え、頭を飛ばされてはどうすることもできない。
転がった胴体の断面から、血が流れる。最初は勢いがあったが、だんだんと衰え、ついには止まった。
死んだ。
死んだのか。
ルチアノは、自らが振るった大剣を見た。血と脂に塗れた剣が、嫌でも現実を突きつける。
彼に罪があったわけではない。ただ、邪魔になったから殺した。正確には、邪魔に思っていたのは『彼女』だが……その誘いに乗り、納得して実行したのは自分である。
重く沈んだ胃の辺りをさすり、ルチアノは唇を噛んだ。どっと溢れる冷や汗。罪悪感と未知の恐怖で、頭がどうにかなりそうだった。
殺してしまったのだ、友を!
恩のある友を、身勝手な理由で、この手で!
彼の首は虚ろに目を開いていた。その目が自分を詰っているような気がして、顔を背ける。
――その先に、『彼女』はいた。
「死んだのね」
美しく微笑む彼女は、死体を見てもまるで動じなかった。飛び散る血も厭わず近寄ってきて、テオドアの死体を覗き込む。
そして、すぐにルチアノを見た。
「気にすることはないわ。この男の魂も、いずれ冥界へ送られる。消滅したわけではないの。〝依代〟として死ぬよりよほど温情よ?」
「……」
「そんなに気になるなら、転生を待てば良いじゃない。記憶は消えているけれど、見つけるのは容易いでしょう」
ルチアノは、黙って『彼女』を見返した。
萌黄の髪が、陽の光を浴びて、まるで輝いているように見える。
『彼女』がルチアノに、恋人の如く身を擦り寄せてきても……やはりルチアノの身体は強張ったまま、握った大剣を辛うじて遠ざけることしかできなかった。
女の声が、耳元に吹き込まれる。
「精霊たちは?」
「……道理を説いて、こちら側へ。ほとんど従いましたが、ごく一部……反抗した者は生捕りにしました」
「あら。精霊なんて、強きに流れるだけの生物だと思っていたのだけど。忠実な精霊もいたのね」
わずかに侮蔑を滲ませながら、『彼女』は言う。ルチアノの首に細い腕が回り、二人はさらに密着した。
柔らかな身体の感触と、体温、息遣い、鼓動の音。人を殺した現場とはとても思えない。すぐそこに、物言わぬ亡骸が転がっているというのに。
この期に及んで現実逃避か。
――ルチアノは、静かに言った。
「……昔のことを……思い出しました。今日のように晴れて……私は、妹がいるはずのところへ走っていた……」
妹を捜している、と言えば、ある程度の人間は協力してくれた。
荒れた国土で生きている者たちだ。同じ境遇であると思い、わずかな憐憫をくれたのだろう。
宮廷を黙って抜け出していたため、ほとんど時間がなかった。追手がかかればすぐに連れ戻されてしまう。そうなると二度目はない。
探す時間を確保するためにも、国家で管理されている『空間移動』の魔法陣を使って、気付かれぬうちに帰るつもりでいた。
だが……もう、その必要はなくなった。
街外れの荒廃した庭園で、見つけてしまったから。
「私は……聞いたことのない、妹の断末魔を、今でも夢で聞きます。彼女は死の間際、私を恨んだのか。それとも……」
「『魔力無し』を許さなかった、貴族社会を恨んだのか?」
「……はい」
『彼女』は息だけで笑った。少し身を離して顔を合わせ、すっと目を細める。
「だからこそ、お前は選んだのでしょう。依代への道を。変えると決めたのでしょう。すべてを」
「……はい」
「大丈夫よ、お前の願いはもうすぐ叶うわ」
ルチアノは、今一度、大剣を持ち直した。
それから、自分の意思で踵を返す。『彼女』は気分を害した様子もなく、振り解かれた腕を軽く振り、ルチアノと肩を並べて歩き出す。
「そうだ――哀れな死者に、餞をやりましょうか」
言葉とともに、背後で火の手が上がる気配。
肉の焼ける臭いを感じながらも、ルチアノは一度も振り返らなかった。
後戻りはもうできないのだと、知っていた。