151.悪循環は断ち切れ
言い切るなり、地面を踏み抜く勢いで右足を振り下ろす。
すると、テオドアの周囲を中心として亀裂が走り、そこから凶悪な岩の棘が生え出た。あっという間の出来事だったため、躊躇して飛びかかって来れなかった神を幾人か串刺しにする。
鎧を貫通するくらいの強さにしたが、致命傷は避けている。長く放置しない限り死ぬことはないだろう。
『身体強化』で近くの神を殴りつけ、防具の上から気絶をさせる。
ようやっと状況に追いついたのか、弱々しい槍がいくつか投げられたが、テオドアはほとんどを素手で振り払い、最後のひとつは近くで気絶していた神を引き寄せて盾とした。
少しでも怖気付いている者や、動きの鈍い者を見つけ出しては叩き、確実に数を減らしていく。戦闘を放棄して逃げた者もいるため、『反対派』の数は、開始前よりも半分以下に落ち込んでいた。
「ッ……焼き払えっ!!」
「!」
倒れた敵の大剣を奪い、今まさに少女の姿をした神を殴りつけようとしたところで、左手側に灼熱を感じた。
咄嗟に仰け反って後方へ跳び、間一髪で回避する。少女神は逃げ遅れ、業火に焼き尽くされて丸焦げになっていた。
悲惨な姿だ。早く治療しなければ、手遅れになってしまうかもしれない。
「うわあ……味方を焼くのはどうかと思いますよ」
「うるさいわねっ!! このクソ男っ!!」
『理性と規律の女神』は、怒りに身を震わせながら、少し離れたところで魔法陣を展開している。どこから取り出したのか、彼女の身の丈ほどもありそうな杖を両手で握り締め、ひたすらに攻撃魔法を放っていた。
テオドアは、弱腰で切り掛かってくる有象無象を大剣で薙ぎ払い、最小限の動きで炎の玉や雷撃を避けた。
と、避けたところへ、見計らったかのように剣が閃く。
「おっと」
こちらもぎりぎりで避けたが、前髪が少し掠め、何本か切られた。憎しみで燃えたぎった様子の『自由と勝利の神』は、しかし、あくまでも冷酷に言い切る。
「天界の秩序を乱す下等生物め。貴様だけは生かして帰さん」
「殺すな、というのが、この戦いの決まりだったはずでは?」
跳び退って距離を取りながら、テオドアは口を挟む。それが気に入らなかったのだろう、『自由と勝利』は顔を歪め、「どうとでもなる」と吐き捨てた。
「殺しはしない。が……傷を負わせた後、貴様が自然に死ねば、殺さずに殺せる」
「ああ、やっぱりそう来るんですね……」
要は、失血死や衝撃による発作での死など、間接的な殺害を狙うということ。
テオドアは重い大剣を捨て、考える。
――正直に言って、『反対派』の中でいちばん危険なのは、彼だ。
他の神々は、どんなに口を極めて罵っていようと、小さなことをあげつらって侮辱しようと、まだ理性の残る振る舞いをしていた。心の奥底では、自分たちの言っていることがただの難癖だと、分かっているのだろう。
こうしている間にも、氷の礫やら何やらを飛ばしてくる『理性と規律』が、その良い例だ。
だが――目の前の彼は違う。
本気で、自分の行いが「善」だと思っている。たかが人間が少し暴れたくらいで逃げ出すほど〝衰退〟している神々であるのに、世界で最も尊く強い存在だと、本気で信じ込んでいる。
客観視の欠如。それに気付いてすらいない。
この分だと、息子を殴り続けたのも「善」だと思っていそうだ。あの少年神のことはあまり好きではないが、それが日常であるなら、少々同情してしまう。
『自由と勝利』は、物も言わずに踏み込んできた。確実に首や心臓を狙って剣を振るうので、軌道は読みやすい。
が……『理性と規律』の攻撃が地味に場を掻き乱してくるので、テオドアは、彼女を倒さずに残しておいたことを少し後悔した。
(さっきみたいに、味方を減らしてくれないかなと思ったけど……やめておいたほうが良さそうだ)
少女神を焼き尽くしたように、自滅へ導いてくれたら良い。と思っていたが、そう上手くはいかないようだ。
テオドアは頭を切り替えた。無心で切り掛かってくる『自由と勝利』のほうへ、避けずに踏み込む。当然、首元に剣が食い込んだが――相手も身動きができないのを逆手に取って、彼の首を掴んだ。
ひゅぐ、と濁った音が、『自由と勝利』の喉を通る。そのまま窒息させんばかりに力を込めたが、あえなく振り払われてしまった。
彼は転がるように退がると、喉を押さえて咳き込む。昨日から、『自由と勝利』の振る舞いには並ならぬ違和感――無機質な圧力と言おうか――を感じていたが、「咳き込みはするんだ」と何故か安心してしまう。
『自由と勝利』が動きを止めた僅かな隙に、テオドアは『理性と規律』のほうへ向き直った。
「……お疲れさまです。もうおしまいですか?」
「っ……う、うる、さい……! ま、まだ……あんたなん、かに――!」
彼女は既に、肩で息をしている。疲れてしまったのだろう。地面に展開された魔法陣は、光の線がところどろ途切れ、今にも消えかかっていた。
……やはり、『大戦』後に生まれた神は、あまり戦いが得意ではないのだ。
衰えているというのもそうだが、平和な千年の中で生きていたためか、自分の力の使い方を理解し切れていない節がある。
もちろん、彼らより体力や魔法を使う力が遥かに劣るであろう自分に、彼らの衰退を指摘する権利はない。だが――同じ『大戦』後の神でも、三女神のほうが確実に「魔法」が上手かった。
『魔法』を司る女神がいるからだろうか。しかし結局、上達の明暗を分けるのは、使う機会があるかないかだと思う。
三女神は、百年の狂気の中で、ある意味では研鑽を積んでいたと言えよう。
テオドアは目をすがめ、がむしゃらに打ち出される炎の玉を観察した。初めの頃よりも精彩を欠き、ふらふらとおぼつかない挙動で飛んでくるものがほとんどだ。
そのうちのひとつを、右腕を突き出し、燃えるのも構わず掴み取った。
首から流れる血を左手で掬い取ると、燃えた右手と手を合わせ、炎に血を混ぜる。それから、息を強く吹きかけた。
あっという間に延焼した炎は、テオドアの周囲のみならず、隙と見て飛びかかってくる敵をも焼く。
縦横無尽に燃え上がったあと、ひとつの大きな鳥の形を成し、テオドアの手を飛び立って一直線に『理性と規律』のもとへ。
「いゃ、ぎゃあああああああああああっ!!」
避けることもできず、水を発生させることもままならず。『理性と規律』は炎に飲まれた。
血を混ぜた炎を操り、焼けていく女神から杖を引き剥がす。死なない程度に燃える彼女を尻目に、テオドアは、炎の鳥が持ってきた杖を受け取った。
軽く振り回してみて、手に馴染ませる。
それから、またもや突っ込んできた『自由と勝利』の刃を、真正面から受け止めた。
少し疲れているようだが、彼はまだ元気そうだ。魔法もそこまで使わない戦法のようだし、このまま力尽くで押し切っても良い――
だが、懸念はある。
本気で殺しに来る相手を、致命傷も与えずに撃退するのは難しい。実力がどうでも、少しでも動ければ喰らい付いてくるような気迫を感じる。
何より、今ここで「善」への執着を弱めなければ、彼は何度でも突っかかってくるだろう。テオドアが女神たちから完全に縁を切らない限り、どこまでも付きまとって殺そうとしてくる予感がする。
激しく打ち合いながらも、テオドアは考えをまとめた。
そして、隙を見て木の杖で横殴りにしたあと、頭を打ってふらつく『自由と勝利』へ、こう問い掛ける。
「もしかして……貴方さまは、僕が妻にしようとしている女神さまのことを、愛しているのですか?」