146.一夜は明ける
「僕は、『大戦』は、貴女さまお一人の責任ではないと思います。きっと、複雑な要因が絡み合っていて、何かひとつでも違っていれば最悪には至らなかった」
ルクサリネが結婚を拒んだことは、最後のひと押しに過ぎなかったのだろう。
傲慢に振る舞っていたくせに、表立って『最高神』に抗議をしない神々。『最高神』を堕落させた『秩序の女神』。まんまと易きに流れ、愚かな男へと堕した『最高神』にも、充分な責任がある。
ルクサリネに、責任がないとは言わない。だが、彼女だけが罪を背負い、償い続けるつもりであるのは、理解できなかった。
「でも……これは、当事者じゃないから言えることです。貴女さまには、いくつもの後悔があるのでしょう。まったく同じ体験をしなければ分からない。いや、同じ体験をしても、貴女さまでなければ理解できない」
「……」
「僕が言えるのは、たったひとつです。貴女さまが、僕に罪悪感を覚える必要はありません」
テオドアが言い切ると、彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
虚ろに揺らめく瞳が、こちらを捉える。ルクサリネは唇を引き結び、しばらくテオドアの顔を眺めていた。
ややあって、小さな声が静寂に落ちる。
「……お前を一目見たとき。似ていると思った」
「ご兄弟と、ですか?」
「……」
沈黙は肯定だろう。しばらくの後、また口を開く。
「姿かたちは似ていない。少しも。だが、物の考えや、仕草……端々が似ていた。変わってしまう前のあいつに。初めは、そうだ、その程度の興味だった」
テオドアは、その言葉を、さして驚きもなく受け止めた。
妙だとは思っていたのだ。彼女は初めから、テオドアに親切だった。あのときの『光の女神』にとっては、ただの候補者の一人に過ぎなかったはずなのに。
だから、そういった理由があったと知って、むしろ腑に落ちたくらいである。
「貴女さまも、三女神さまを笑えませんね。一介の人間に、喪った兄弟を重ねて、親身になるなんて」
「……そう、だな」
「今はどうなんですか? 僕がご兄弟に似ているから、罪悪感を解消するために結婚を進めているんですか?」
「違う!」
ルクサリネは、先ほどまでの様子が嘘のように、表情を険しくした。瞳にも力強さが戻り、手を握るテオドアを強く睨みつけた。
「違う。きっかけは確かにそうだが、今は違う。私はお前を、本当に――本気で愛している!」
「ええ、そうですね。恋をしたがらなかった貴女さまが、結婚まで推し進めようとする。生半可な覚悟ではないことくらい、分かります」
「ならば!」
「ですが――その『愛』を、いちばん信じていないのも、貴女さまなのでしょう」
テオドアに罪悪感を抱くのも、きっと、それが原因だ。
喪った兄弟の欠落を埋めるため、愛していると錯覚しているだけではないか。誰よりも女神自身がそれを疑い、自分の気持ちを信じられないでいる。見ていると、そんな印象を受けるのだ。
しばらく、言葉を探した。なにか、彼女の不安と罪悪感を軽くする言い方があるのではないかと。
そして、覚悟を決め、握った手を離して立ち上がった。
「テオド――」
ルクサリネが声を上げるのと、テオドアが彼女を押し倒したのは、同時だった。
寝台の端に座っていたルクサリネの肩を押し、柔らかなシーツに沈ませる。彼女の両手をしっかりと掴んで押し付け、覆い被さった。
美しい銀の髪が、寝台に広がる。呆然とした目がこちらを見上げた。
「今から、僕は、貴女さまの純潔を奪います」
言いながら、片手で彼女の服に触れる。神の普段着である古代風の服は、ただの魔法を弾くようにはできていないらしい。いとも簡単に布切れとなって、シミひとつない完璧な肢体を露わにした。
布の切れ端を取り除くと、すべて見える。いつか、湖畔で彼女がすべてを晒したときと、同じように。
「本当に嫌なら、僕を殺してでも抵抗してください。少しでも慈悲で抱かれようという気持ちが湧いたなら、そう言ってください。どんなに進んでいても、絶対に中断します――してみせます」
経験がないから想像でしかないが、ある程度までコトが進んでから中断するのは、ものすごく難しくて苦痛なことだろう。
だが、そうまでしないと、彼女は罪悪感ゆえに身を明け渡しそうな気がした。――それでは意味がないのに。
テオドアは、服を切り刻んだその手で、彼女の胸に優しく触れた。少し反応が返ってきたが、暴れる様子はない。
ただ、緑がかった瞳が――こちらを見上げる瞳が、期待に揺れているように見えた。テオドアの願望が、そう見せただけだろうか。
「愛しています、ルクサリネさま」
顔を寄せて、唇を合わせる。
どんなに彼女の身体を弄っても――最後まで、抵抗はされなかった。
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一夜明け、窓の向こうで朝日が昇るのを、気怠い雰囲気の中で眺める。
疲れているのに、妙にすっきりとした気分だった。テオドアは、裸のまま寝台に寝そべり、昨晩書き置きをしておいたことをぼんやりと思い出す。
セラはもう、あれを読んだだろう。ルクサリネがいるとはいえ、命を狙われている身だというのに、夜分に外出するなど迂闊が過ぎる。
怒られるかもしれないな……と思いながら、寝返りを打って半身を起こした。
隣では、同じく一糸纏わぬ姿のルクサリネが、小さく寝息を立てて眠っていた。
始まりは強引だったが……進んでみれば、予想外に盛り上がった。一度目は、お互いに「初めて」ということもあり、手探りの感覚が拭えなかったけれど。二度目、三度目を続けていくうちに、だんだんと大胆になっていったのだ。
部屋に案内されたときは、「女神さまの前で裸になるのは」と遠慮したのが、嘘のようである。
おそらく、この部屋の中で、彼女を押し倒していない場所のほうが少ない。水浴び場は、大いに盛り上がった場所のひとつである。
昨晩の彼女は――もちろん、普段も美しいが――格別な魅力を備えていた。
汗ばんだ身体はより艶やかに色香を発し、甘い声を響かせ、恥じらいと貪欲さを兼ね備えた動きをする。明け方、さんざんやりあったあと、最後だとばかり乗り上げてきて自ら腰――いや、あまり浸りきるのはよそう。
思い返すだけで、再び意欲が湧き上がってしまう。箍が外れるとこういうことになるのか、と、テオドアは深く息を吐き、熾りそうな熱を落ち着かせた。
「……ん……」
寝顔を眺めているうち、女神の瞼が震え、ゆっくりと持ち上がる。
寝ぼけ眼で虚空を見上げ、ふと視界の端のテオドアに気付いたのか、急速に目覚めていく。テオドアの腰に両腕を絡めて、甘えるように擦り寄ってきた。
「起きていたなら起こせ。そんなに面白いか、寝ている女の顔は」
「ルクサリネさまだからこそです」
「ふふ……悪い気はしない。閨での振る舞いも合格だな」
ルクサリネは身を起こすと、自らの急所をさりげなく隠しつつ、替えの服を探しに寝台を降りた。関係を持つ前は、むしろ見せつけたり触れさせたりしてきたものだが、一線を越えると心境も変わるのだろうか。
テオドアも、寝台の下に散らばる服を掻き集め、身につけた。
しばらくして戻ってきた彼女は、昨日とまったく同じ服を着ていた。が、何かが決定的に変わっているように見える。
満足げに息を吐きつつ、ルクサリネは再び寝転がった。
「……昨晩は悪かった。だが、良い経験をした。『愛』を確かめ合うのは、こんなにも満たされるものなのか」
「あの……」
「もし謝ろうとしているなら、必要ない」
テオドアは口をつぐんだ。図星だったからである。
ルクサリネは体勢を変え、寝台に頬杖をついてこちらを見た。薄っすらと笑みを湛えているが、やはり、昨日までの彼女とは雰囲気が異なっていた。
創世から変わらず在り続けていた彼女を変えたのは自分だ、という高揚が、密かに湧き上がる。
「――こんな話を知っているか? 交わりに満足した神や女神は、相手の人間に祝福を授けることができると」
「聞いたことはあります」
「ささやかだが、昨晩、私も真似てみた。なに、たいそうなものではない」
ルクサリネはくすくすと悪戯っぽく笑い、片目を瞑った。
「どんなことがあっても、生きて私のもとへ帰るように願った。ただの、まじないのようなものだがな」