141.波乱の裁判初日・前編
「……あのお方は、いつもああいう振る舞いをなさるのですか?」
ひと通り演説をし終えた『真実の神』が、足取りも軽く立ち去ったあと。
のどかな野原の真ん中で、テオドアは隣のセラに問い掛けた。目線は、今しがた神が出て行った扉に向いている。椅子と同様、扉も、この自然の中に馴染んではいなかった。
セラは、自らの鼻先に留まろうとする蝶を手で払いながら、答えた。
「ああ。ほんのちょっと立ち話をするだけでも、魔法をみせびらかしておどろかせる。もちろん、ふだん接する神々にたいしては、あまり効果はないが」
「いたずらがお好きなんでしょうか」
「全体てきに『軽い』男だからだろう。いつもふらふら遊びまわり、てきとうに酒をのんで騒ぎ、女とみれば老若をとわずに声をかける。これがいい例だ」
と言って、彼女は自らを指差す。
自分が幼い見た目ゆえに、世の男性の恋愛対象にはなり得ない――と思い込んでいる――ため、『真実の神』の軽薄さがちょっと受け入れ難いのだろう。
彼のことを話すときには、隠し切れない棘があった。
「だが、まあ、陰湿ではないだけましだな。よくもわるくも、永きをいきる神だ。ものごとを中立のたちばで見ることができる」
「なるほど、それで『正義の神』さまの代わりを……」
テオドアがそこへ言及したのが意外だったのだろう。セラはちょっと眉を上げ、少し考えたあとに、「ああ」と得心した。
「……『秩序の女神』か。天界へきたあとに、裁判所のなりたちをせつめいされたのか」
「あ、はい。そうです」
「そうか。まあ、事情をしっているなら話がはやい。そう、性格はさまざまにしろ、裁判をすすめる側の神は、だれもが中立だ。おまえが人間だということは、ほとんど障害にならないだろう」
その話を聞いて、テオドアは少し、引っ掛かりを覚えた。
――喧嘩別れする直前の、『光の女神』の言葉である。あのときはテオドアも激していたため、まったく触れなかったが、彼女は『秩序の女神』のことをこう評していた。
〝私情を重視する女〟と。
……それが真実だとしても、公平を期するのが重要な裁判で、まさか私情を挟むことはないだろう。そう信じたい。
だが、『真実の神』が言っていた〝煽動者〟が、もし……。
(いや、いやいや。何を考えてるんだ。発想が飛躍するのは悪い癖だぞ……)
そもそも、『真実の神』の言う「裁判所側の煽動者」が、神や女神である保証はないのだ。それこそ、場を整えるために集められた精霊かもしれない。
テオドアは、膝の上に乗せた手を握り締め、妙な考えを散らそうとする。
だが――ところどころで、『秩序の女神』に感じた違和。背筋がわずかに冷えるような、あの感覚を、どうしても思い起こさずにはいられなかった。
「――テオドア?」
異変に気付いたのか、セラが身を乗り出して、こちらの顔を覗き込んできた。表情の変化に乏しい彼女だが、気遣わしげであることは分かる。
テオドアは、背に汗の存在を感じつつ、努めて明るく笑顔を返した。
「どうしましたか、セラさま」
「いや……おまえ、すこし顔いろがわるいぞ。まさか、さきほどの言葉をきにしているのか?」
「先ほど?」
「『真実の神』の言葉だ。煽動者がどうだと……いっていたが、あれはあまり、きにしなくていい」
気にしなくて良い?
テオドアが首を傾げると、セラは焦ったそうに付け加えた。
「あいつは、『真実』をつかさどってはいるが、べつに本当のことしか話さないわけではない。へいきで嘘をつくし、つける。とはいえ、先ほどは本当のことを言っているようだったが――」
「はい」
「仮に、裁判をすすめるがわに〝内通者〟がいたとして。われわれにできることは、ここから逃げだすか、立ちむかうか、どちらかしかない」
セラは真剣な眼差しで、右手を挙げ、人差し指を立てた。
「逃げる気がないのなら、裁判でどうどうと勝利をつかんで、『光の女神』にあやまる。それがいちばんだ。そうだろう」
「……まったく、その通りです……はい……」
テオドアは、反論もできずに、ただ頷いた。
『光の女神』に謝罪する。たとえ許してはもらえなくても、きちんと謝る。
必要なことだとは分かっているし、誰に言われずともそうするつもりだったが――どうにも気持ちが重く、気まずさが蘇り、どこへも進めないように思ってしまう。
それに比べれば、たとえ魔物の口へ飛び込むような裁判だとしても、楽々とこなせるような気がした。
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どれくらいの間、待たされただろう。
案内係であろう精霊が、ノックもそこそこに扉を開いて覗き込んできた。「神々がお呼びですよ!」と、半ば投げやりに叫ぶ。
そのとき、テオドアは、セラとともに小川の魚を捕まえていた。
いちおう、濡れないように袖と裾をまくり、靴も靴下も脱いでいたが、飛沫は存分に掛かっているだろう。
テオドアは、声に振り向いて、精霊が嫌そうに顔を歪めているさまを見た。
それが〝川遊びをしていたから〟なのか、〝テオドアが人間だから〟なのかは、分からなかったが。
「ああ、ええと、すみません。すぐ行きます」
「すぐですね! お願いしますよ!」
「はい。セラさ――あ、はい。行きます」
セラは、特に目線をくれるわけでもなく、川に浸かったまま片手を振ってきた。
万が一にもテオドアが怪我を負わないよう、すぐに部屋を抜け出して待機してくれるらしい。先ほど打ち合わせた通りにするなら、だが。
テオドアは、急いで手足の水気を拭き、慌ただしく身なりを整えた。胡乱な視線を向けてくる精霊について、部屋を出る。
廊下は静けさに満ちていた。
右手に部屋の扉、左手に窓が並ぶ廊下だ。ここに来る前の外の騒ぎを鑑みれば、窓の外に大勢集まって怒号や石を投げてくる、という事態に陥りそうなものだが。
まるで何事もなかったかのように、平和な森の風景が広がっている。
あれほどいた神や精霊も、一人もいない。
テオドアは、不穏なものを感じて、窓の外から視線を戻した。案内係の背中を見ながら、黙って歩いていく。
しばらく歩くと、重厚な扉が、廊下の突き当たりに現れた。
「……ここから先は、一人で入ってください。どうぞ」
「はい。ありがとうございました」
案内係の精霊は、雑に扉を示したあと、最後まで嫌そうな顔をしたまま、去っていった。
……一人残された扉の前で、息を吐く。
ここから先には、味方はほとんどいない。勝手も分からないし、何を聞かれるのかも不明だ。それを、甲斐甲斐しく教えてもらえるとは限らない。
緊張で固まりそうな身体を奮い立たせ、テオドアは自らの頬を叩き、思い切って扉を叩いた。
「入りなさい」
『秩序の女神』とはまた違う、柔らかな女性の声が応える。
テオドアは、ほとんどひっくり返りそうな声音で「失礼します!」と叫び、頭を下げて中へと入った。
絨毯が見える。机の足が見える。大勢の気配がする。
――いつまでも頭を下げているわけにもいかない。顔を上げるんだ。今。今すぐ!
テオドアは、勇気を出して背を伸ばし、頭とともに身体を起こす。
眼前に、鋭い剣の切先が飛び込んできた。