138.不毛な言い争い
「お前もお前だ。なぜあの女に黙って付いてきた? 天界はお前に優しいだけの世界ではない。それはよく知っているだろう」
「それは……」
「断るだけなら簡単だというのに。弱味でも握られたか」
『秩序の女神』が「用事ができたから」と出て行き、二柱と一人が部屋に残される。
『光の女神』は、険しい顔で腕を組み、テオドアを問い詰めた。
テオドアは視線を逸らして俯く。彼女の言う通りだったからだ。
セラからもさんざん、「テオドアを排除しようとする危険な一派がいる」と聞いていた。実際に、命を狙う少年神にも出会った。
天界が危険なのは――その通り。断れば良かったのだろう。来るにしても、セラと共にであれば、まだ心配をかけなかった。
特別居住地の裁判所より、天界のほうが見応えがあるからということで、のこのこと呑気に付いてきたのはテオドアの落ち度である。
だが……。
「……」
いつもならばすぐに非を認めて謝罪をするのだが、今はなぜかその気になれなかった。釈然としない思いが胸に湧き、どうしても口が重くなる。
先ほどまで『秩序の女神』に怒っていた『知恵と魔法の女神』は、黙って成り行きを見守っている。彼女だって言いたいことはあるだろうに、二人で一人を責め立ててはいけないと思っているのだろうか。
その姿に申し訳なく思うが……テオドアは、見苦しく言い訳を並べ立てた。
「せっかく……時間を割いてくださっているので。少しくらいなら大丈夫だろうと……『秩序の女神』さまは、裁判で公平な判断をされる立場とおっしゃっていましたし……」
「公平? 本気で言っているのか? あの女は私情を重視する女だぞ」
「それは……お付き合いの長いルクサリネさまだから、ご存じのことかと……」
往生際の悪いテオドアに、ルクサリネはますます眉を寄せる。かなり怒らせてしまったようだ。
完全に謝る機会を逸してしまった。テオドアは唇を噛み、少しでも耳触りの良い言葉を探すが、一向に見つからない。焦りとともに、じわじわと苛立ちまで湧き上がってくる始末だ。
それが何に対してなのか――自分に対してか、女神に対してか、別の何かへか――まったく分からなかった。
ルクサリネは、大きく溜め息を吐く。
「いつもそうだな、お前は。考えなしにさっさと動く。それが周囲に心配をかけているのだと、何度――」
「ルクサリネさまは、あの『秩序の女神』さまと、なにかお有りなんでしょうか?」
「……なに?」
女神の怪訝そうな目を受け、テオドアはさらに息を吸う。もはや、ひと言でもぶち撒けてしまえば、止まらない。
「先ほどから、貴女さまの雰囲気もお言葉も、いつもとまったく違うように思います。苛立っていらっしゃるんですか? 『秩序の女神』さまに?」
「――苛立ちもする。あの女がふざけているのはいつも通りだが、お前の呑気さにも腹が立っている。どうして事前に、誰かに知らせなかった? セラをつけていたはずだ。別行動を取るな」
「セラさまは、特別居住地でお茶会のご用事があるようです。あのお方ご自身が、『秩序の女神』さまにお任せされたんですよ。それとも、居住地から天界へご連絡できる手段があったのですか? 無知で申し訳ございません」
「減らず口を――どうしても非を認めたくないようだな」
「そういうわけではありませんよ。ただ、お伺いしているだけです。貴女さまは秘密主義でいらっしゃるようですから、聞かないと分かるものも分からないんです」
互いに一歩も譲らず、声がだんだんと大きくなる。ルクサリネの厳しい表情はもとより、自分の顔も強張っているのが、見えずとも分かった。
とうとう、ルクサリネは怒り震え、こちらへ指を突き付けて叫ぶ。
「私があの女とどう因縁があろうが、お前には関係がない! 今は、お前の不注意を問題にしている!」
「はい。関係はありませんよね。所詮、僕は神々の道具に過ぎませんから!」
は、と息を呑む音が、こちらにも伝わってきた。
酷いことを言ってしまった――と分かりつつも、止められない。腹の底に溜まっていた澱みを吐き出すかのように、言葉を続ける。
「僕に選択肢はあるんですか? 『光の女神』に見出され、〝依代〟になったのも、僕の意思ではありません。代替わりのときに殺すか殺さないか争っているのも、僕のためとは言いながら、結局は神さまの勢力争いになっているじゃないですか!」
「……それは、」
「天界が危険なのは分かっていますよ、ご存知かもしれませんが、過激派の神さまが待ち伏せていましたからね! でも、僕にどうしろとおっしゃるんですか? 『秩序の女神』さまを頑なに拒否しろと? 神々に逆らうな、尊敬しろ、丁重に扱え! それを人間に求めているのは貴女がただというのに!」
こんなもの、ただの八つ当たりだ。内容の矛盾も多くて、めちゃくちゃな主張と主観が入り混じっている。
ここまで言っても、目の前の女神はきっとテオドアを罰しない。彼女は――彼女たち四柱は、テオドアに一度も尊敬を強要してこなかった。そのご厚意に甘え切っているのだ。
ああ、なんて、愚かな生き物だろう。自分というものは、どこまでも利己的だ。表では彼らを敬いへりくだるふりをしながらも、内心はこんなものだったのだから。
ルクサリネは、今にも倒れそうなほど真っ青な顔色をして佇んでいる。寸前までの怒りに満ちた彼女とは、別人のようだった。
目を見開き、呆然とこちらを見る姿が、ひどく痛々しい。そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに。
だが、テオドアの言葉は止まらない。
――心底止めようとはしていない、のかもしれないが。
「僕の命なんて、神さまの気まぐれでどうとでもなるんです。なってしまうんです。人間なんてそれこそ、替えのきく量産品ですから。どんな理不尽でも、不条理でも、神さまの成すことは、すべて絶対なんです」
「……」
「少なくとも、僕は、そういう価値観で地界を生きてきました。……しかし、『秩序の女神』さまに付いてきてしまったのは、確かに軽率でした。謝罪いたします」
あれほど難しかった謝罪が、いろいろと吐き捨てた今は、すんなりとできた。頭を下げ、すぐに上げて、二柱の顔を見ないように目を背ける。
「……頭を、冷やしてきます。失礼いたします」
「て、テオドアさん」
「申し訳ありません。今は、一人にさせてください」
ペレミアナの呼び掛けを、固い声で振り切る。足早に扉へ向かい、そのまま廊下に飛び出した。
人影のない見知らぬ廊下を、当てもなく突き進む。やがて突き当たりの壁に差し掛かり、右手に階下への階段が見えた途端に、ふと力が抜けた。
壁に手を置いて、しゃがみ込む。頭に上っていた熱い血がゆっくりと冷めていくうち、自己嫌悪の念がふつふつと湧き上がってきた。
「どうして……あんな……」
あんなに言うつもりはなかった。
が、いくら「そんなつもりはなかった」と取り繕おうとも、言ってしまった事実は変わらない。
傷つけてしまった。
酷いことを言った。
〝依代〟候補に選ばれたことで、人生が好転した。大変なことももちろんあったし、神々の理不尽に悩まされたことがないとは言わないが――それでも、感謝していたのに。
押し切られた形とはいえ、結婚も納得して受け入れているというのに。
あんな言い方では、まるで、今までのすべてが自分の意思ではないような。いや、そうとしか聞こえないだろう。責任をすべて女神さまたちに押し付ける、最悪な物言いだ。
テオドアは、壁に頭をつけ、深く息を吐きながら目を閉じた。
この先、女神さまたちに、どんな顔を引っ提げてお会いすれば良いのか。
そもそも、お会いする権利など、与えられるのだろうか。