136.天界裁判、今と昔
『秩序の女神』は、簡単に裁判の説明をしてくれた。
期間は三日。初めに裁判所へ申し入れた者――ここでは『光の女神』たちを指す――が、改めて自分の意思を宣言する。関係者にも事実の聞き取りを行い、矛盾がないと判断された時点で、初日は終わる。
二日目は、『光の女神』たちに異議のある者が訴え出る。三日目、その意見を参考に、中立の立場にある神々が成否を下す。
「難しくはないでしょう? お前がやることは、聞かれたことに正直に答えるだけだもの。わたくしたちのほうが、よほどたくさん動き回るわ」
役目を終えたら、裁判の行く末を見るのも、外出して街を観光するのも自由よ。
『秩序の女神』は、そう言って手をひらひらと振った。
動き回る、というのは、こうしてテオドアに説明をする役目も含まれているのだろう。テオドアは、深々と頭を下げた。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「言ったでしょう、〝仕事〟って。わたくしの権能は、秩序を保つこと。お前のためではないから安心しなさい」
「はい」
顔を上げて、再び彼女の尊顔を拝見する。
不躾な視線も咎めず、『秩序の女神』は麗しく微笑む。肩にかかった萌黄の髪を払い、セラのほうへ視線をやった。
「セラ。このあと、〝依代〟を裁判所まで案内しようと思うのだけど。お前もついてくる?」
「わるいが、このあとは、すこし用事がある」
セラは、己の着ているドレスを指差して言う。
「百年ほどまえから、養わせてくれと言ってくる男がいる。おまえには、いちど話したことがあると思うが」
テオドアは、ぎょっとしてセラの方を向いた。
それは――養わせてくれと言ってはいるが、たぶん、裏の意図があるだろう。本人は「女として見られたことがない」と言っていたが、めちゃくちゃ見られてるじゃないか。
しかし、どうやって口を挟んだものか。テオドアが黙っている間にも話は進む。『秩序の女神』は、顎に指を添えて、記憶を思い出すような素振りをした。
「ああ……確か、言ってたわね。そんなこと。亡き『鍛治の神』の子孫だったかしら。地界の貴族ごっこをしている一族の、長」
「そうだ。そいつの家の茶会にまねかれている。ちょっと顔をだして、かえってくるだけだが」
「珍しい。お前、人間の養女になるの? そういう誘いは、何回もあったでしょう」
(何回もあったんだ……)
そういう輩は一人ではない、ということか。一人くらいは純粋に養女に取るつもりだったのかも……でも、下手をしたら自分の一族より長く生きている女性を? 精神は立派な大人なのに?
ダメだ。やっぱり、やましい誘いにしか思えない。
考え込むテオドアには気付かず。セラはあっさりと首を振る。
「いや、もうすぐ身を固めるから、もう言ってこないでくれ、とたのむつもりでいる」
「身を固める――? つまり、結婚? お前も?」
「そうだ。そこのテオドアの、第六夫人になるからな」
『秩序の女神』の目が、すぐさまこちらへ向けられる。
それに呼応するように、テオドアはさっと目を逸らす。ほとんど無意識の反応だった。
「第一夫人は怪鳥だと聞いていたのだけど……」
静かな声が、テオドアの耳に届く。『秩序の女神』がどのような感情でいるかは分からない。だからこそ、身が竦むような恐ろしさが湧いてくる。
「今代の〝依代〟は、種族も外見もさまざまな妻を迎えるのが好きなようね?」
「は……ははは……」
テオドアは、引きつった笑顔で返答を誤魔化した。
そうするしかなかった。
セラと別れた二人は、そのまま通りに出て、裁判所までの道を並んで歩いた。
すれ違う人々が、隣の女神を見掛けるたびにお辞儀をし、道を開けて去っていく。当たり前だが、セラとペガサスに乗っていたときとは、彼らの反応はまったく違っていた。
(地界では、みんな『光の女神』さまのお顔を知らなかった。だから、僕に付く精霊として振る舞ってても、バレようがなかったんだけど……)
ここは違う。天界にほど近い生活区域であるからか、皆、神々がどういった姿かたちをしているかを知っている。
――神が身近にいた神話時代なら、地界もこんな感じだったんだろうか。
堂々と歩く『秩序の女神』を横目で見ながら、テオドアはそんなことを思った。
「セラのことだけど」
「! はい!」
急に声をかけられ、自然と背筋が伸びる。
その態度が面白かったのか。『秩序の女神』は、くすくす笑いながら、「そこまで緊張しないで良いわ」とテオドアを流し見た。
「別に、あの子が誰と婚姻しようが、わたくしには関係ないもの。昔馴染みというだけね。立派な大人なのだから、あの子の意思が尊重されるべきでしょう」
「そ、うですね……」
「先ほど、セラを養女にしたがっている男がいる――という話になったわね。お前はどう思って?」
「えーと」
本当の所感を述べて良いのか、少しためらう。
だが、そんなところまでお見通しらしい。「どんな意見でも怒ったりしないわ」と穏やかに付け加えられた。
「……その、遠回しな求婚だな、と」
「ええ。わたくしも――と言うより、あの話を聞いたほとんどの者がそう思うでしょうね」
『秩序の女神』は、真剣な顔で前に向き直った。
「セラは、自分が恋愛対象になるはずがないと、端からそう思い込んでいるの。幼子の姿だから。そもそも、母親に似ず、男女の関係に興味がなかったのもあるけれど」
「母親……」
「あの子の母親よ。とんだあばずれ……口が過ぎたわ。そう、男に目がない女精霊。セラの出生は知っている?」
テオドアが頷くと、彼女は心持ち、声を潜めて続ける。
「話が早いわね。その女精霊を裁くときも、天界の裁判が開かれた。『最高神』をお飾りの最高責任者に据え、『正義の神』がすべての裁判を取り仕切る。もう、どちらも失われた神よ」
もともと、天界裁判所は、『正義の神』の管轄だったという。
冥界・地界・天界、ひっくるめて三界。そのすべてにおける「神がらみ」のいざこざを判じるために、『正義の神』が奔走していたのである。
彼は、罪の重さを測るための、絶対に狂いのない天秤を持っていた。例え神であろうが――『最高神』であろうが、判決から逃れることは許されなかった。
「それがわたくしたちの秩序だったわ。『最高神』であろうが、咎はきちんと責められる。今は……少し変わってしまったけれど」
そこで、ふと、違和感に気付いたテオドアが、思わず疑問を口にした。
「『戦と正義の女神』さまがいらっしゃいますよね。あのお方も、その……罰を受ける前は、裁判を取り仕切っていらしたんですか?」
「いいえ。あの子は『併せ名』持ちでしょう。『大戦』後に生まれた神は、ほとんどが、わたくしたちに比べて力が弱いの。権能が二つあるせいでしょうね。身体はひとつなのに、無理やり二つ継いだものだから……」
だから、『正義の神』が消えたあとは、わたくしのような『正義』に似た権能の神が、複数で裁判所を受け持っているの。
と、『秩序の女神』は言って、話を終わらせた。
しばらく黙々と歩いていると、突き当たりの景色が開け、見上げるほど大きな建物が視界いっぱいに広がった。
地界の神殿に良く似ている。白亜の大理石で作られているのだろう。大きく開いた出入り口から、古代風の衣服をまとった方々が行き来しているのが、遠目からも見えた。
テオドアが、道の端に立って出張裁判所を見上げていると――隣の女神が、不意に言った。
「ここを紹介するだけじゃ、つまらないわね。お前、わたくしに付いて天界に来なさい」
「……えっ?」