135.秩序の女神
「あの……僕、殺されると思う? それとも、すごく歓迎されると思う?」
「……」
「あ、ごめんね、食事中に。でも話だけ聞いてもらいたいんだ……」
ペガサスは、一度テオドアを見遣ってから、また飼い葉桶の中に顔を突っ込んだ。
美しい羽はすっかり畳まれ、馬体は狭い馬屋になんとか収められているが、窮屈そうには見えない。つくづく、凛とした佇まいの神獣だと思う。
テオドアは、飼い葉桶の前にしゃがみ、口を動かすペガサスの様子を見ながら言った。
「五日だよ。五日間、僕は、セラさまと同じ寝台で寝ているんだ」
その言葉に、ペガサスはちらりと目を上げた。が、さして驚いた様子はない。最悪は蹴り殺されると思ったのだが、どうやらそこまで過保護ではないらしい。
いや、彼女と付き合いの長いペガサスのことだ。『セラならやりかねないだろ』と思っただけかもしれない。
適度に無関心な態度に勇気づけられ、テオドアは小さな声で先を続けた。
「たぶん、住居を用意してくれた方々も、僕が一人で滞在すると思ってたんだろうね。家具が全部、一人用だったんだ。それは別に良いんだけど……」
問題は、セラの寝床である。
テオドアは始め、自分が床で寝ると主張した。セラがこの家で寝泊まりする理由は、『テオドアを過激な思想の神々から守る』ためなのだから――彼女に不自由な想いをさせてはいけないと思ったのだ。
だが、彼女は、なんてことのない調子で言った。
「その寝台は、そこまでせまくないだろう。我々ふたりが共にねむれるくらい、上等なものだとおもうが」
「いっ……しょに眠る、ということでしょうか?」
「さきほどから、そう言っている」
「いや、あの……それは流石にちょっと……」
確かに、寝台は小さくない。テオドアが両手足を伸ばして寝転がっても、まだ充分な余裕がある。
かと言って、セラと二人で眠るというのは、流石にまずい。
どうにかして断ろうとしたが、セラは本気で、同じ寝台に眠っても問題ないと思っているらしい。邪気のない瞳でこちらを見返し、言った。
「おまえが床にねて、けっきょく疲れてしまっては、こまる。有用な家具や空間があるなら、よく活用すべきだ」
「う……そう、かもしれませんが……」
その後も足掻きに足掻いたけれど、結局は押し負け、テオドアはセラと同じ寝具で眠っている。緊張して、別の意味で疲れてしまうものの、寝台で眠ることで体力が温存されるのもまた確かだった。
そこまで説明して、テオドアは、食事を楽しむペガサスを見上げた。
「セラさまは、僕をいちばん近くで警護しようっていうお考えだったから、ああいう提案をなさったんだ思うよ。思うんだけど、このことが『光の女神』さまたちにバレたら、どうなるか分からなくて」
「……」
「天に誓ってやましいことはしていない。けど、まず、同じ寝台に寝ること自体が不健全だよね!?」
ペガサスは首を上げ、黒々とした瞳で、テオドアを見下ろした。右前足の蹄で床を掻き、ふーっと深く鼻息を吐く。
それはまるで、テオドアの狼狽に呆れているような――『五日間も逃げずに一緒に眠っときながら、今さら何言ってんだテメエ』とでも言いそうな雰囲気だった。
しかし、ごもっともである。テオドアは頭を抱えた。
「わ、分かってる。断り切れなかった僕が悪い! でも、セラさまは『光の女神』さまと親交がお有りだし、三女神さまはどのようにお思いになるかすら分からないし! 不貞の罪で一回殺されて一生監禁される、みたいなことになったら――」
限りなく失礼な想定だが、テオドアにとって三女神は〝思い切ったら何をしでかすか分からない方々〟だ。まずもって第六夫人になる気満々のセラを、そう簡単に受け入れてくださるだろうか。
不貞認定で殺される、というのは大袈裟にしても。なにか、ひと悶着起きそうな気がしていた。
「ペガサス……セラさまって、昔からああいった、自由奔放なお方なの?」
「……」
「言葉は分からないけど、肯定されてる気がする……」
ペガサスは心なしか肩を落とした様子で、遠い目をした。長い付き合いの彼が疲れるということは、昔からああいうふうらしい。
千歳以上の女性を、無邪気と形容するにはためらいが勝つが。長きを生きているゆえ物事に頓着がなく、達観していて、そのせいで逆に無邪気な印象を受けてしまう。
まあ、彼女は少年神より強かったので――必然に巡ってきた危険も、そのまま跳ね除けてきたのだろう。
だが、危なっかしいのは確かだ。今までが大丈夫だったからと言って、この先も大丈夫だという保証はない。
もし、セラより強い存在が、彼女の隙に付け込んで悪さをしたとしたら……?
「うーん、僕になにができるかは分からないけど、第六夫人になっていただくのは良い選択なのかもなあ……」
少なくとも、セラが無茶をする前に、引き留める権利は得られる。基本は妻の意見を尊重するが、危険なことは見過ごさない。
それに、第二夫人になるらしい『光の女神』も、事によっては一緒に止めてくださるかもしれない。
テオドアが本来の目的を忘れて、真剣に考え込み始めた、その時である。
「おい、客がきたぞ」
馬屋の入り口から、金の髪の少女が、ひょっこりと顔を覗かせた。
今日はペガサスに乗る用がないのか、いつもよりも動きにくそうな格好をしていた。涼しげな色のドレスを身にまとい、髪も綺麗に結い上げている。
朝、同じ寝台から起き出した時は、そんな服は着ていなかった。大人びた姿に、少し見惚れる。
(いやいやいや。まずいまずいまずい!)
打ち消すように、首を大きく振る。このまま進んでしまったらまずい気がする。なにが、とは具体的には分からないが、そちらの扉を開いてはならない。
「どうした。あたまに埃でもついたか」
セラが首を傾げる。
ただ『可愛いらしいな』と思っただけなのに、この罪悪感はなんだろう。そこにはなんの他意もなかったはず。第六夫人になると言われて、同じ寝台で寝起きしているから、思考も妙な方向へ寄ってしまうのか。
どうにもいたたまれなくなり、テオドアは額に手を当て、「大丈夫です……」と絞り出した。
そうして、背にペガサスの呆れた視線を感じながら、セラと共に馬屋を後にしたのだった。
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テオドアの仮宿に、その女性は背筋を伸ばして座っていた。
家は二部屋あり、炊事をするための炉がある部屋と、寝台がある部屋に分かれている。女性は、小さな木のテーブルの前に腰掛けながら、鍋でスープが煮えていくのを興味深げに眺めていた。
「またせたな。おまえも忙しいというのに」
「いいえ。これが仕事だもの。時間は取ってあるわ」
女性は振り返り、完璧な微笑みを見せた。
テオドアは、一瞬、背筋に冷えたものが走った気がして、足を止めかける。だが、セラがずんずんと女性に近付くので、また歩を進めた。
「この男がテオドアだ。おまえは、『選定の儀式』をみていたな。みおぼえはあるだろう」
「ええ、それはもう。赤い髪の候補者は、よく目立っていたもの。――周りは〝依代〟の話題で持ち切りよ。四人の女神を同時に娶ろうとする、畏れ知らずの男だって」
そう言いながら、女性は立ち上がり、テオドアたちに向き直った。セラが彼女を手のひらで示して、言う。
「紹介する。『秩序の女神』だ。こんかいの裁判で、おまえの結婚の成否をきめる神のひとりだ」
「よろしくね」
女性はくすくすと笑って、右手を差し出してきた。
明るい女神さまだ。テオドアは緊張を少し解き、ためらいつつも手を握り返した。
「ふふ、わたくしの手を握った男なんて、数えるほどしかいないのよ。名誉に思いなさい」
「は、はい」
テオドアは、恐縮しながら、改めて『秩序の女神』のお姿を見る。
萌黄色の髪が美しい、魅力的な女性だった。