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134.不和の忠告

 テオドアは、扉から手を離し、一歩下がった。

 黒い布の人物は、不気味なほど静かに佇んでいる。小柄な体格からして、女性だろうか。布の他に身に纏う黒いドレスのせいで、露わになっている口元だけが闇に浮かんで見えた。

 紅の差された唇が、動く。


「十日後に、世界は動乱を迎える」


 一度も聞いたことのない(たぐ)いの声だった。低くもなく高くもない。柔らかい響きと硬い響きが重なり合っているような、無機質な声。

 テオドアは、不思議と恐怖せず、しかしただならぬ緊張を肌で感じながら、固唾を飲んで女性を見ていた。


「我は予言者に(あら)ず。されど、秩序が破壊されるを見るに忍びず。千年の時を経て、あらゆる生命が息を吹き返した。もう一度壊すは、余りにも惜しい」


 彼女は、つと腕を上げる。口元の若々しさとは裏腹に、腕は老婆のようにしわがれ……こちらを向いた指の鋭い爪が、小屋の明かりにきらめいていた。


「十日後。冥府へ降りる時、門を抜けるまで、死の精霊の手を取るな。後ろを振り返るな。誰に問われても言葉を返すな。沈黙し、前を向き、歩け。さすれば帰路が開く」

「十日後――」


 テオドアの呟きに、女性は小さく顎を引いた。頷いたのかもしれない。

 そうして、ゆっくりと後退る。初めて気付いたが、彼女は靴を履いていなかった。

 彼女の姿は、夜闇に溶け消えようとしている。


「待っ……!」


 テオドアは思わず身を乗り出し、腕を掴もうとした。だが、手は虚しく空を掴んで、体勢が崩れる。

 わずかに視線が下を向き、前を向き直したときには既に、女性の姿は無かった。

 ただ、星々の瞬く夜空と、薄雲に隠れた月が、小屋の前の地面を照らすだけ。周囲を見渡してみても、女性どころか、生き物の気配ひとつしない。


「……」


 テオドアは、そっと外に出て、ほのかに冷たい夜風の中で深く息を吸った。

 夢だったのだろうか。いや、夢にしては質感があり過ぎる。敵対する意思も、撹乱(かくらん)する意思も感じられなかった。単に〝忠告するためだけ〟に来た、という雰囲気だった。

 いったい、誰が?

 テオドアたちが冥界に行くことは、神々の間で周知の事実なのだろうか? その答えによって、『彼女』の正体はだいぶ絞られる。ましてや、テオドアに忠告してくれるお方となると。


 ――冥界へ降りる時。


 十日後に、いったい何があるのだろう。

 テオドアは、不穏な予感を覚えながらも、女性の言葉をしばらく頭の中で反芻し続けていた。




-------




「ああ。それは、『不和の女神』だな」


 次の日。身軽になった二人と一頭と二羽の旅路の中で、セラはあっさりと答えをくれた。

 姿が特徴的だったので、セラならば分かると思って問うたが。簡単に答えが出たことに拍子抜けしつつ、テオドアは努めて冷静に疑問をぶつける。


「『不和の女神』さまには、予言の力がお有りで?」

「いや、そんなはなしは、きいたことがない。あの女神は、ただそこにいるだけで『不和』を引きおこす」


 なんでも、『不和の女神』は、最高神とほぼ同時期に生まれた神の一柱。最古参であり、『大戦』で死を免れた数少ない神なのだという。

 有史以前であれ、生き物が存在する限り『不和』は起こる。その象徴としてお生まれになった女神らしい。


「……なにをいわれたかは、しらないが。早急にわすれることだな。あの女神がくちをひらくと、ろくなことにならない」

「そうなんですか?」

「気ままに天界をまわっては、適当なことをしゃべって、不和を生むことをたのしんでいる。まあ、権能が権能だからな。そうするのは、しかたのないことだろう」


 セラは、そう言って前を向き、ペガサスの手綱を握り直した。この話はここで終わり、ということか。

 だが……どうも釈然としない。

 昨晩の様子を思い出して、首を捻る。不和のために適当なことを喋っていたようには、どうしても思えなかった。


(あの態度が、でたらめなことを信じさせるための〝嘘〟の可能性もある。でも……)


 でも、彼女の言葉には、感情がこもっていなかった。

 限りなく平坦な声。よくよく思い返してみれば、あれは、「誰かの言葉を伝えるための声」にも聞こえる。

 つまりは、伝言。自分以外の言葉をそのまま言うだけなら、不和を生まず、『権能』は邪魔をしない。余計なことを話さずに、さっさといなくなってしまったのも、変ないざこざを起こさないため。


(いや……まさか。僕たちが特別居住地に降り立ってから、ずっと近くにいた、なんてことも?)


 現れる頃合いが完璧だった。あれはすぐ近くにいなければ、成し得ないことだと思う。

 ――深く考え過ぎだろうか。

 ただ単に現状を掻き回したい女神の戯れに、踊らされているだけなのだろうか……?


 思考を巡らせながら、ペガサスの走りに伴って流れていく景色を眺める。

 飛んで行けば早いのだが、たかが人間が空を飛ぶことを、良く思わない者たちもいるらしい。急進派の神はもちろん、貴族気取りの半神や神の子孫にも。

 裁判以外で、特に揉め事を起こしたいわけではない。テオドアは遅めの旅程を甘んじて受け入れていた。


 周囲の畑は次第に減り、民家が増えてくる。だんだんと立派な家が目立ち始め、土の道から石畳に変わる。

 その頃には、人通りも格段に増えていた。みな、ペガサスとセラを見慣れているのか、当たり前のように受け入れている。たまに手を振ってくる人もいた。

 セラが軽く振り返すと、彼らは笑い、そして決まって後ろのテオドアに目をやった。


(たぶん、あの人たちにも、僕のことが知られているんだろうなあ)


 郊外で農業を営む女性でさえ、知っていたのだ。簡易裁判所があるらしい街の人が、知らないはずがない。

 テオドアは、少し居心地の悪い思いをしながら、街を駆ける振動に身を任せていた。


 そして、ペガサスは、ある建物の前で止まる。


 大通りに面した家だ。今まで滞在した、どの屋敷よりも格段に小さい。だが、傾いているわけでも、ひどく劣化しているわけでもない。

 生まれてから、つい数年前までボロ屋で暮らしていたテオドアにとっては、上等な家のように思えた。


「ここから裁判所は、目とはなのさきだ」


 馬上に跨ったまま、セラは通りの先を指差す。

 なるほど。突き当たりに大きな建物がある。神殿を彷彿とさせる造りの、厳かなものだ。テオドアは「分かりました」と言って、ペガサスから降りた。

 すかさず、雛たちが近くに集まってくる。くるくると旋回して飛び、ペガサスの金の鞍の上に、セラが降りた後を見計って留まる。

 ペガサスは、やはり気にするふうもなく前を向いていた。


「おまえの子どもだと、りかいしたんだろう。〝依代〟の子は、最高神の関係者にちがいない」


 セラは、自然な仕草でテオドアの横に並び、宿らしき建物を見上げた。


「まずは、にもつを置いて、くつろいでおけ。じきに、裁判の説明をしに、だれかがたずねてくる」

「ありがとうございます。セラさまがいらっしゃらなければ、無事に辿り着けたかどうか……」

「かまわない。『光の女神』も、そのつもりで頼んできたのだろう」


 そうして、彼女はペガサスを振り向いた。

 ここでお別れか。彼女には、特別居住地の立派な家がある。テオドアは頭を下げ、「お気をつけて」と言った。


「? なにをいっている?」


 だが、セラは、不思議そうにこちらを見た。頭を下げたテオドアの顔を、まじまじと覗き込む。


「我々もここに滞在するぞ。あたりまえだ。おまえは、へたをすると、さらわれてぶつ切りになるかもしれないからな」

「はい……はい?」

「まあ、第六夫人としてのつとめだ。なんとしても、ぶじに裁判をひらかせてやる」


 なにやら、使命を感じているらしい。

 気合いを入れた様子のセラが、握った右拳をこちらへ突きつける。テオドアは思わず頭を上げて、それを見た。


 セラさまと、同じ家に滞在する?


 もちろん、間違いなど起ころうはずもない。だが、しかし、その……お相手は千年以上を生きる女性なわけで。昨晩、同じ小屋で眠ったのは仕方のないことだったけれど、今は――


「ええ……?」


 戸惑うテオドアの視界の端で、ペガサスが哀れむような目を向けてきているのが――辛うじて分かった。

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