131.特別居住地の麦畑
特別居住地は、天界と繋がっている。
正確には、二つの地区を隔てる「門」があり、神々が自由に出入りしているという。ゆえに、ぎりぎり天界ではない『居住地』と言えど、そう簡単に辿り着かれては困るのだ。
そのための、「正しい道を外れたら地界へ落ちる」という仕掛け。羽を持っていようがいなかろうが、遥か遠い地面に真っ逆さまだ。身体を守る術があるなら、まだ生き残れるが、たいていは叩きつけられて死ぬ。
セラがそう説明してくれている間、テオドアはそわそわと頭上の二羽を見て、またセラの後頭部へ視線を戻す、ということを繰り返していた。
だが、父親の心配をよそに、雛たちはすぐ順応した。的確にペガサスの上を飛び、なんなら道先案内人のように少し先も行く。
ピィピィと盛り上がる声を聞くに、『目を凝らしたら、なんかピカピカした道が見えてきた!』らしい。
テオドアがどんなに目を凝らしても、「ピカピカした道」は見えなかった。きっと、怪鳥や神獣には見える、特殊な素材で作られた道なのだろう。
しばらく進むと、辺りの空がだんだんと暗くなってきた。
太陽が沈んだ……わけではない。空の上部から黒い幕が降りてくるかのように、青空から、無数の星が瞬く黒い空へと塗り変わっていく。その中でも、太陽は未だ、燦然とした輝きを放っていた。
テオドアが後ろを振り返ると、ずいぶんと丸くなった地平線と、海の上をさまざまに渦巻いて流れていく白い雲が、遠くに見えた。
「ゆれるぞ、しっかりつかまっていろ」
セラが注意を促し、テオドアは素直に聞き入れ、手綱に掴まる手へ力を込める。
刹那のあと、ペガサスが大きく前足を上げ、宙へと跳ね上がった。まるで、階段を二段飛ばしで駆け上がるかのように、垂直に疾走する。
そうして走るうち、周囲がまばゆい光に包まれ――
光が収まると、二人を乗せたペガサスは、のどかな農地の真ん中に立っていた。
少し遅れて、二羽の雛が、ぱっと目の前に現れる。彼らは、口々に歓声を上げながら、ペガサスの隣の地面に降り立った。
「ここは……?」
「『特別居住地』のはずれにある、農地だな。たべものをつくらずとも、とくに問題はないのだが……退屈はひとをころす。しゅみでやっている者もおおい」
なんでも、『特別居住地』に住む者たちは、ほとんど何も食べずとも生きていけるという。
曲がりなりにも神に召し上げられ、天に近い場所に住むのを許されている人々だ。寿命が延びると同時に、極端に食が細くなり、数ヶ月に一度催される饗宴だけで、事足りる者が多いのだとか。
だが、必要最低限で生きていくだけでは、長い人生に彩りがない。美食を追求する者もおり、畜産や農業を営む者もいる。
趣味、というのも、あながち間違いではないのだろう。
テオドアは、穏やかに歩むペガサスに乗りながら、左右に広がる景色を眺めた。黄金に輝く麦畑は、地平の向こうのどこまでも続きそうな広さである。
青空のもとで光を浴び、あちこちで擦れ合う音が聞こえる。
そのうち、行く先々に、質素な家が現れるようになってきた。どれも、街の家とは異なり、木を組み合わせただけの小屋という様相である。
想像していた景色と、少し違う。テオドアは、我が胸に飛び込んできた二羽を気合いで抱えつつ、麦畑と家を見つめた。
「……予想がはずれたか? もっときらびやかなものだと思っていたんだろう」
「えっと……はい。天界に近い場所だと伺ったので……」
テオドアを含む地界の人間は、天界や神、それに属する存在を異様に特別視している。もちろん、神々は神聖なものだから、それ自体は正しいことだ。
だが人間たちは、「尊いものは煌びやかである、贅沢である」という価値観のもと、生きている節があった。
例え、神々の本当の価値観から、かけ離れていたとしても。
「ロムナから、『天界はそこまで豪華ではない』とは聞いていたのですが――やっぱり、こうも長閑だと、驚きますね」
「天界は、もっとのどかだぞ。百年にいちど覗くくらいだが、いまだに千年以上まえの生活をたもっている」
「百年に一度……ああ。セラさまは、〝依代〟選定に関わっていますもんね」
「すこしくらいなら、天界にも滞在できるからな」
それは、覗く機会もあるだろう。半神ゆえ、天界の環境にも対応できる……受肉の手間がなくとも、地界と天界を行き来できる貴重な存在として、「〝依代〟選定」に関わっているのかもしれない。
あるいは、今は亡き『最高神』の娘だから、というのもあるだろう。
「『光の女神』が、ひまならばと、さそってくれた。あの女神は、〝依代〟をつくるぎしきに、ふかくかかわっていた」
「『光の女神』さまが?」
「ああ。かの女神は、当時、名をかえたばかりの――」
ここで、セラは不自然に口をつぐんだ。
もしかして、またなにか、口を滑らせてしまったのだろうか。「気を抜いたときに、ひと言余計なことを言ってしまう」のは、彼女の癖であるらしい。
テオドアは、一瞬だけ考え、聞かなかったことにした。代わりに『光の女神』について、聞きたかったことを問うてみる。
「……そういえば、『光の女神』さまは、どうやって五人の候補者をお選びになるんですか?」
ずっと気になっていたが、知る機会がなかった疑問である。
その国で、魔力をいちばん持っているものを選び出す――というわけでもなさそうだ。かと言って、一定以上の魔力を持つ少年から、無作為に選び出したというふうでもない。
セラは、小さく頷き、「それは――」と口を開きかけた。
その時。
「あれ! まあまあ、セラちゃん! 帰ってきたのね!」
近くの麦畑から、農婦らしい格好をした女性が、ひょっこりと姿を現した。
歳のころは、四十代くらいだろうか。目元に柔和な皺のある女性である。なぜか麦畑に大きな鍬を持ち込んでいるのが、特に目を惹いた。
セラはペガサスを止め、そちらを向く。
「裁判のために、地界から〝依代〟をつれてきた」
「へえー! その後ろの美丈夫が、女神さまを四人も落としたっていう〝依代〟さん!?」
テオドアたちの事情は、『特別居住地』にまで広まっているらしい。ちらちらと探るような視線が来たが、不思議なことに、不快感は一切感じなかった。
「……おまえのほうは、なにをしている? 収穫にくわなんて、つかうのか?」
セラが怪訝そうな声音で問う。すると、女性は明るく笑った。
「使わないさ! 少なくとも、アタシのとこはね。これは武器だよ、武器」
「武器?」
「ぶき?」
テオドアとセラは、揃って首を傾げた。
こんなに平和そうな場所なのに、武器を持つことなんてあるんだろうか。二人の疑念は、おそらくひとつになりかけた。
そんな二人に構わず、女性は後ろを振り向いて、何かのかたまりを引きずり出した。
小道に放られたそれは、後ろ手に縛られた少年である。
「なんか、さっき、アタシの畑に潜んでてさ。たぶん、百歳くらいの神さまだと思うんだけど」
「むぐー!」
丁寧に轡を噛まされているためか、少年は芋虫のように身体をくねらせ、呻き声を上げる。よく見ると確かに、服装が古代風だ。何らかの権能を持つ神なのだろう。
少年は、馬上のテオドアを見咎めると、より一層暴れた。
その顔の横へ、女性は容赦なく、鍬を打ち下ろす。
寸前の土が綺麗に抉れ、少年が怯えて固まったのを確認してから。彼女は、こちらを見上げて、からっとした笑顔を見せた。
「もしかして、このガキんちょ、〝依代〟さんを狙ってたんじゃないかい? ホラ、最近、物騒だからさあ……」