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間話.相応しくないひと――光の女神

 納得できません、と叫ぶ声に、ルクサリネは億劫ながらも目をやった。


 天界へ帰還した女神は、目的である結婚申立てを早々に済ませた。侍女としてペレミアナたち三人を引き連れ、裁判の日取りが決まるまで、久しぶりの我が城でのんびりと過ごす。

 が、娯楽の少ない天界では、あっという間に噂が広がる。早くも申立ての次の日の朝から、異議を持った神々が、ひっきりなしにやって来た。

 目の前の男神も、その一人である。

 ルクサリネは、ソファにゆったりと腰掛け、右手の爪をレネーヴに整えてもらいながら、口を開いた。


「どこがどう納得できない? 『自由と勝利の神』、お前は私の夫か何かか?」

「いえ、そういうつもりではありません! しかし、考え直してください!」

「……話だけは聞いてやろう」


 精悍な顔つきの『自由と勝利の神』は、生真面目に直立したまま、滔々と意見を述べた。


「貴女ほどのお方が、なぜ人間如きと結婚なさりたがるのか! しかも大罪を犯した三人までお許しになって!」

「恋愛は自由だろう? お前たちは常々、そう言っているじゃないか。どの神も、誰かが相手を取っ替え引っ替えしようが、精霊を愛そうが動物を愛そうが、寛大な心とやらで優しく見守っている。だというのに、人間はいけないと?」

「自分は、そんなふしだらな者たちとは違います!」


 それはそうだろうな、と、ルクサリネはうんざりした気持ちを隠さずに言う。

 目の前の神は、生まれてこの方、浮ついた話を何ひとつ聞いたことがない。親神の進めに従って結婚をしたあと、浮気や戯れの誘いにも一切手をつけないという。ルクサリネや三女神とは別の意味で「硬派」な男だった。

 では、意見が合うかというと――ご覧の有り様だ。

 彼には、確固たる基準があるらしい。神が神らしく威厳を保ったまま、格の釣り合った婚姻をすることを、絶対だと信じ切っている。


 ルクサリネは視線を移した。彼の背後には、彼の妻である『酒と享楽の女神』が、にこにこ笑って控えている。頬が赤いのは、また朝から酒を飲んできたのだろう。

 彼女は、夫を援護しようとでも思ったのか、朗らかに言った。


「うちは一回止めたんですけど、やっぱり許せないって飛び出しちゃって。こういう()()()()()()()には、他より何倍も目ざといので」

「お前も、人間と婚姻するのは有り得ないと?」

「ですねえ。やっぱ、人間ってうちらの下位互換でしょ? なんでわざわざ、できそこないの生命体と結婚するんだろうなーとは思います。愛人で良いじゃないですか?」

「それはいけないっ!」


 『自由と勝利の神』は、自らの妻を振り返って睨みつけた。

 当の妻は堪えた様子もなく、大袈裟に肩を竦めて、おどけたように舌を出す。おちゃらけた女だが、真面目過ぎる男にはちょうど良いのかもしれない。

 ルクサリネは軽く息を吐き、「だとしても、お前たちに口出しをする権利はない」と告げた。


「そもそも、私は可否を判断してもらうために裁判所へ行った。あれは偏見なく、平等に判決を下すからな。それをなんだ、この前からごちゃごちゃと徒党を組んでやって来て……」

「自分の他にも、大勢の神が同じ意見だということです! 天界をこれ以上、乱れさせるわけにはいきません!」


 『自由と勝利の神』は、言うなり、ルクサリネの爪を磨いているレネーヴを睨みつけた。本人に自覚があるかは分からないが、侮蔑の色もこもっている。

 レネーヴは、おそらく視線には気付いているものの、まったく無視を貫いていた。どう思おうが勝手にしろ、という態度だ。

 それが気に食わないのだろう。『自由と勝利』は、小さく悪態をつく。そして、自らの懐を探り、折り畳んだ紙を取り出して、胸を張って突きつけてきた。


「『光の女神』に相応しい男神の名前を、ここに書き出しております! みな、貴女と同じくらいの長きを生きている同格の神です! これを見て、どうぞ目をお覚ましになってください!」

「相応しい男神とやらが、私と同じくらい生きているなら、私のほうがそいつらのことを良く分かっているだろうな。なんせ、千年以上変わらない顔ぶれだ……くだらない」


 ルクサリネは、レネーヴに預けていた手をそっと引いた。意思を悟ったか、レネーヴは立ち上がり、無言のまま一礼をして部屋を出ていった。

 その背を見送ってから、ルクサリネも立ち上がる。

 微笑みを浮かべて、一歩一歩、踏みしめるように『自由と勝利』へと近づく。


「――何様だ、お前たちは? 他者の婚姻事情に首を突っ込んでいる場合か? 文句があるなら法廷で言え。どうせ押し掛けてくるつもりだろうが」

「自分は貴女のためを思っています! このままでは、貴女の格が落ちてしまいます!」

「そんなあやふやなものなど、どうでも良い。私はあの男と結婚をしたい。あの男以外なら結婚したくない。それだけだ」


 きっぱりと言い切り、差し出されていた紙を引ったくると、中身も見ずに破り捨てた。

 こちらが意見を翻さないと、やっと分かったらしい。『自由と勝利』は、細切れになって床に落ちた紙を、仇のごとく睨みつけた。眉根を寄せ、唸るように「後悔しますよ」と言う。

 しかし、ルクサリネには効かない。


「私の後悔が、お前に関係あるのか? ――悪かったな、思い通りにならなくて」

「どうしてそこまで、その人間にこだわるのですかっ!? 〝依代〟とは言え、切り刻んで置いておくだけの消耗品だというのに! どこがそんなに気に入られたんですか!」

「好きになるのに、理由は必要か? 理由を述べたとしても、お前は絶対に納得しないだろう? 既に、お前の中には結論があるのだから」


 『自由と勝利』は、ぐっと言葉に詰まった。そして、そんな自分を恥じたのか否か、悔しげに言葉を絞り出す。

 

「ッ……所詮は()()()()()女神か。どうせ、『大戦』前の不祥事を隠したいがために経歴ごと入れ替えたのだろう! 消された記録の中で、どんなふしだらなことをやってきたのやら――」


 すると、『酒と享楽の女神』が、へらへらとした笑顔を保ったまま、夫の手を引いた。


「あんたさあ、また悪い癖出てるよ。没頭するとすーぐ暴言吐いて敵作んだから。酒あげるから、飲んで落ち着きな?」

「ぐっ……し、しかし、彼女が、」

「はい、指差さない。だいたい、いくら人間と結婚するのが有り得なくても、この人がふしだらだってことにはならなくない? 論理とかが飛躍してるよね。良くないよ決めつけんのは」


 とうとう言い返す言葉を失ったか。『自由と勝利』は顔を真っ赤にして、もごもごと言い訳を繰り返す。『酒と享楽』は彼を引っ張りながら、「じゃ、お邪魔しました〜」と軽く手を振った。


「これから夫婦水入らずで酒盛りするので、まー、ひと晩はコイツ抑えておけると思います。これからも厄介なのが来ると思いますけど、ほどほどに頑張ってくださいね」

「……お前たち、わりと似合いだな」

「やだもー。うちの最愛はお酒だけですってえ」


 彼女はからりと言う。そうして、すっかり黙り込んだ『自由と勝利』を伴い、今度こそ部屋を後にした。

 足音が去っていく。それが完全に聞こえなくなるのを見計らって、ルクサリネはそっとしゃがみ込んだ。

 散らばった紙切れのひとつをつまみ上げる。

 何か名前らしき文字が書いてあるが、解読はしない。ルクサリネは再び立ち上がり、紙切れを、天井の照明にかざして透かし見た。


「……相応しい男、か」


 打って変わって静けさを取り戻した部屋に、ルクサリネの呟きが落ちる。

 ――その言葉は、千年を超える時の中で、幾度となく吐きかけられた。神も、人間も、精霊も。男はみな、自分こそは相応しいと名乗り出て、ルクサリネを身も心も征服しようとした。

 だからこそ、三女神の気持ちがよく分かる。みな、「女神としてではなく、権威の道具ではなく、自分自身を見てほしい」と足掻いていた。

 彼女たちは、その望みをほとんど達成しかけた。天界の誰にも悟られず、自分たちだけの夫を手に入れる手前まで行った。


 ――世界を滅ぼしかけた、自分と違って。


「……」


 千年経とうが、一万年経とうが、罪悪感は消えない。ルクサリネは失敗した。我を通そうとして、大勢を傷つけた。

 だからこそ、世界を安定させるために、〝依代〟制度に関わっていたのだ。失われた命は戻らずとも、この先に生まれるものは、どんな命でさえ健やかに生きていて欲しいと。

 だが……またここで、我を貫こうとしている。たった一人の男を生かすために、あらゆる決まりを捻じ曲げようとしている。

 どこまで行っても、自分勝手な女だ。ルクサリネはふと、自嘲の笑みを浮かべた。


「テオドア。……私のほうが、お前に相応しくないかもしれないな」


 紙切れを放り捨て、呟く。

 それでも――愚かなことに。ルクサリネは、どうしようもなく、彼を愛しているのだった。

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