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間話.魔女は嘲笑う

 その広場は、市民の憩いの場であった。

 

 ノクスハヴン帝国――若き皇帝の膝元で繁栄をするこの国は、もちろん皇都に近づくほど活気付いている。

 マリレーヌ・トッカフォンディは、つい先ほど不法入国を果たしたことなどまったく気取られず、近くの市場で花を買った。にこやかに店主と会話を交わし、まるで何年もこの国に居着いているかのように、馴染んだ振る舞いを見せる。

 そうして、わざわざ包んでもらった花を抱えて、広場の噴水の端に座った。行き交う人々を微笑ましそうに眺め、時折、晴れた空を見上げて風を感じる。


 マリレーヌは、少女ではないが、美しい女である。

 そんな女が一人で広場にいる。誰かを待っているのだろう。たまに向けられる、通りすがりの男たちからの視線にはまるで頓着しない様子で、彼女は噴水のそばに座り続けていた。

 そのうち、人波の中に目当ての人物を見つけ、マリレーヌは嬉しそうに立ち上がった。


「おばあさま!」


 おばあさま――と呼ばれた老婆は、市場の混み合った通りからやってきた。

 腰が曲がっているため、周りよりひと回り小さく見える。だが、その萌黄色の髪は、他の誰よりも瑞々しく目立って見えた。

 上品な色のドレスを着た老婆は、杖をつきながら、ゆっくりとマリレーヌの前にやって来る。マリレーヌは身を屈め、目線を合わせて笑う。


「おばあさま、お加減はいかがですか?」

「そこそこね――待たせてしまったかしら」

「ぜんぜん待ってませんよ〜。さあ、行きましょう。先方も、おばあさまに会うのを楽しみにしているでしょうから」


 マリレーヌは老婆と肩を並べ、周囲よりも少し遅い足取りで広場を歩く。市場へ向かう人々とは正反対に、緑の多い街外れへ向かった。

 木々が増えるにつれ、人影がだんだんと減る。ほとんど周囲に誰もいなくなったのを見計らって、マリレーヌは口を開いた。


「ヴェルタでは、良い実験ができました。やっぱり、『魔力無し』が集まってる場所は、あそこくらいですから」

「――遊んでいたわけではないでしょうね?」


 老婆が、鋭い目線でマリレーヌを見上げる。マリレーヌは怯える様子もなく、花を抱えていない方の手を、おっとりと頬に当てた。


「まあ! おばあさまもご存知でしょう? あたしはやりたいこと以外はやらない主義だって。遊びと言えば遊びですし、実験と言えば実験ですよー」

「そうね。お前はそういう女。愛も情も手段としか思っていない女よ」

「ひどいです。あたしだって、この前、恋に落ちてみたんですから!」


 マリレーヌの主張を、老婆は一笑に付す。


「どうせ、偽物の恋でしょう。とんだお笑いだわ」

「前から思っていましたけどー……貴女って、ご自分の気持ちだけが絶対だと思っている節がありますよねえ。真実の愛とか、恋とか、そういう神話を優先してたくさん教えていただきましたし」

「殺されたいの?」


 限りなく冷えた声が隣から突き刺さっても、マリレーヌは意に介さない。軽い足取りで、老婆の一歩先を行く。


「別に今、殺しても構いませんよ。あたし、自分が死んだらどういうふうに呪いが飛び散るのかなーって、楽しみなんです。冥界へ行く前にひと目見られたら嬉しいんですけどねえ」

「……おぞましい女。わたくしには理解し難いわ」

「ふふふ。でも、あたしを殺しちゃったら、困るのは貴女でしょう? あたしみたいな、使い勝手が良くて禁忌にためらいのない女が、貴女の目的には必要なんですから」


 老婆は黙り込んだ。図星であったのだろう。しばらく黙々と前を向いて歩き、ややあってぽつりと、殺意のこもった口調で言う。


「覚えていなさい。目的を達したら、初めに死ぬのはお前。その次に、あの胡散臭い大神官」

「あら、大神官さま、そんなに嫌われてるんですねー。てっきり、皇帝を先に殺しちゃうんだとばかり思っていました」

「それはいちばん最後。……もっとも、わたくしの意思に関係なく、()()()()のご意志が優先されるけれど」


 二人の歩く道の先へ、不意に豪奢な馬車が現れた。

 一本道の先に停まっているため、このままではかち合ってしまうだろう。しかし、二人は気にせず歩を進め、三頭立ての馬車の前で立ち止まった。

 馬車のそばに佇んで待機していた御者が、当然のように扉を開き、二人を促す。

 マリレーヌは老婆を先に乗せ、ぱっと後から乗り込んだ。


 鮮やかな赤と金のお仕着せの御者は、台に乗って、馬の手綱を引く。滑るように動き出した馬車の車窓に目を遣りながら、マリレーヌは歌うように言った。


「皇帝さま、どんな御用なんでしょうか。あたし、お会いするのは初めてなので〜」

「碌な男じゃないわ。なんでも自分の思い通りに行く、と思っているような、不遜な男よ」


 向かいに座っていた老婆は、一瞬のうちに姿を変えていた。

 曲がっていた腰がしゃんと伸び、皺だらけだった肌には張りが戻っている。老婦人に相応しいドレスは、古代風の衣装になっていた。

 唯一、変わらないのは、萌黄色の美しい髪だ。

 若い女は、窓辺に肘をついて目を細め、マリレーヌを見る。


「言っておくけれど、あの男の周りには、お前より遥かに優れた魔術師がいる。少しでも実験を続けたいなら、〝遊び〟は避けることね」

「わあ、さすが皇帝さまですね〜。ふふふ、あたしの好奇心が暴走しないよう、頑張ります」


 マリレーヌは花を膝に置き、花びらを指で突きながら笑った。


「――さっきはああ言いましたけど、今すぐ死んでしまうと、残念なのも事実なんです。あたし、貴女の計画がよく進むように、ヴェルタにお土産を置いてきましたから」

「それ、道中の暇潰しになる話かしら」

「そうだと思いますよ! あたしの所業と王家への恨み、たぶん彼の中では五分五分です。どっちを取るかは彼次第ですねえ――」


 満開に咲いた花の一つを、無造作に握ってもぎ取る。

 開いた手のひらの上では、ぐしゃぐしゃに潰れた花が、無惨な姿を晒していた。


「壊すか、壊さないか――揺れているときにつけ込むも良し。取り返しのつかないことをしてから、こっち側に引き込むも良し」

「お前――そんなことを言って焦らすけれど、もう結末が読めているんでしょう」


 女が呆れたように、小さく溜め息を吐く。

 マリレーヌは、笑みを深めた。ともすれば、それは何かを――誰かを嘲笑っているようにも見えた。


「ええ! だってあの子は、()()()()()()()()()()が、本当の本当に憎いみたいですから!」

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