120.平等にならなくても
「――いやいや、悪い。そうだな、お前は真剣に悩んでいるんだものな」
ひとしきり笑い終わったあと、ルクサリネは目尻の涙を拭いつつ、再び長椅子に腰を下ろす。
そうして、真面目な表情に切り替えた。
「そもそも、だ。お前は目の前にいる存在をなんだと思っている?」
「……えっと、女神さま、です」
「そうだ。お前の数十から数百倍は生きている。人生経験の濃度は――たった数十年で生を終える人間より薄いかもしれないが、自我というものは誰よりも確立している」
つまり――どういうことだろう。
テオドアは、息を詰めて、ルクサリネをじっと見つめ続けた。
彼女もしっかりと視線を返してくれる。
「私たちの執着を見くびるな。仮に、お前が誰か一人に掛かり切りになった時は、全力で付きまとって自己を主張する。無理にでも振り向かせる。――お前が嫌だと泣き喚いても、辞めてはやれない」
お前は嘆く立場でもあるんだぞ、と、溜め息混じりに続ける。
「完璧な平等など有り得ない。私たちの不満は止まることを知らない。要求は常に四方八方から出され続ける。それでも……お前に拒否権はない。神が人を愛するとは、そういうことだ」
同意を求めるように、ルクサリネは三女神の顔を一柱ずつ見た。視線を追って、テオドアも彼女たちの顔を見たが、意を唱えている女神は誰もいなかった。
どころか、「よくぞ言った」とばかりに、各々頷いている。
「……お前の懸念はすべて杞憂だ、ということだな。心配せずとも、私たちはお前を求め続ける。例え平等に愛を与えられても、満足はしないだろう」
「基本的に、わたしたちは、自分さえ良ければそれで良いですから」
ペレミアナが同調して言う。
曰く。自分たち三人がつるんでいるのも――もちろん同じ男を愛し求めた共通意識がある、というのもそうだが――抜け駆けをさせないため、という部分も大いにあるという。
彼女たちは、許容することはあれど、完全に譲り合うことはない。もしも『番人』が三人のうち一人だけを選んでいたら、残る二人は敵になっていただろう、と。
「友情が無いとは言いません。でも、それを上回るのが、自己の利益のための欲です。……自分でも、厄介な性質だなとは思いますが」
「幸運だったわね、私たち。愛した殿方は二人とも、全員を愛してくれる心づもりのようだもの」
どっちが愛されてるかを小競り合いするだけで済むわ、と、レネーヴがテオドアの首元に手を回した。
残るティアディケは、その様子を眺めつつ、淡々と――しかし僅かに明るい口調で言う。
「吾らには何の問題も無い。後は汝の気持ち一つ。観念するか、否か」
(ずっと僕を愛し続けるのは、皆さまの中で、もう確定してるんだ……)
それなら、後は、根比べになるだけだろう。
愛を求め、どんどん自己主張をして押し続ける女神たち。対して、誰か一人に絞ることもできず、すべてを拒絶することもできず、ずるずると結論を先延ばし続けるテオドア。
どちらかが諦めるまで、現状は続く。だが、何もテオドアは、彼女たちが嫌で迷っていたわけではない。
引き延ばす必要など、本来はどこにもないはずなのだ。
――覚悟を、決める時か。
テオドアは、ふと息を吐き、腹筋を使って起き上がった。
「まず、縄を外してください。……絶対にこの場から逃げないことをお約束します」
「……まあ、外してやっても良いんじゃないか?」
真剣な声音を悟ったか、ルクサリネは三女神に促す。三柱は顔を見合わせて是非を探っていたが、ややあってティアディケが動き、テオドアの縄を短剣で切った。
自由の身になったテオドアは、寝台から降りて窓際へ行き、女神たちに向かって膝をついた。
それは――いつぞやの『〝依代〟候補者のお披露目会』のとき、五人揃って光の女神に跪いたときと、同じように。
「短命の身ではありますが、それでも良いのなら。このテオドア・ヴィンテリオ、謹んで皆さまの愛をお受けし、同じくらいの愛をお返しします」
「……その言葉に、偽りはないな?」
「はい」
ルクサリネの念押しに、しっかりと頷く。
言ってしまった。断言してしまった。
もう、後には引けない。戻れない。神の愛を裏切った者は、例外なく悲惨な死が待っている。
もとより、五年先延ばしで生かされているだけの身だ。「愛が重過ぎるからやっぱり止めます!」と飛び出しでもすれば、容赦なく世界の礎として殺されることだろう。
――恐ろしくないかと言えば、嘘になる。
が、彼女たちを待たせ、焦らし続けているという罪悪感がなくなり、安堵したのも、また確かだった。
しばらくの沈黙が、部屋を支配する。
ややあって、寝台の上のペレミアナとレネーヴが動く。互いにそろそろと身を寄せ合って、それから、感極まったように抱き合った。
「レネーヴさん、夢を見せたなら言ってください。わたし、あなたの魔法に惑わされているんですか?」
「いいえ、ペレミアナ。私も同じ言葉を聞いたわ。小細工なんてするはずないじゃない。それに、魔法に関しては、貴女がいちばんよく知っているはずよ!」
少し遅れて、二柱の表情にみるみる喜色が宿っていく。歓喜の声を上げて抱きしめ合う彼女たちと比して、ティアディケもルクサリネも平静だった。
「ルクサリネ。吾らと同じように、テオドアを好いている者は?」
「まずはロムナだな。だが、人間の女から、テオドアを巡って宣戦布告されたことがある。その女と――以前に『試練』で関わった女も候補だ。とは言え、学院関係者を引っ掛けていないとも限らない」
「成る程。把握はし切れないか。どちらにせよ、吾らが愛を育む拠点を作らねば。彼を好くすべての女が住まう居城を――」
前言撤回。こちらも浮かれているようだ。
とんでもない会話が飛び交う中で、テオドアは立ち上がる機会を逸していた。手持ち無沙汰に周囲を見渡し、窓の外に不意に現れた巨大な影に驚いて仰け反った。
大きなくちばしを横に向け、片目でこちらを覗き込んでいたのは――何を隠そう、怪鳥ネフェクシオス。雛たちの母鳥である。
きっと、テオドアがいつまでも来ないことに痺れを切らし、自らやって来たのだろう。長いまつ毛に彩られた大きな瞳が、非難がましくこちらを見ていることに気付き、テオドアは慌てて窓を開けた。
「ごめんね、オルユメイア! もっと早く行くはずだったんだけど――」
オルユメイア、と名を得ている怪鳥は、長い首を逸らし、屋敷近くの川辺にどっしりと座り込んだ。代わりに、二羽の雛たち、エイレネとペルレスが飛んでくる。
『ママ、だいぶ怒ってる!』
『ボクたちの弟と妹が、パパが来るの、楽しみにして待ってたのに!』
「ほ、本当にごめん。手離せない事情があって――」
『エ、なになに? ……〝我が夫のことを好く女が、ヒカリのメガミの他にもいるなら、まず第一夫人である私に話を通しなさい〟……だって!』
「もしかしてちょっと前から話を聞いてたの……!?」
怒ってるってそっち!? と問うも、二羽の雛も首を傾げるばかり。肝心のオルユメイアは、完全に機嫌を損ねてそっぽを向いている。
ティアディケとの話し合いを切り上げ、テオドアの隣に並んだルクサリネが、楽しげに笑う。
「私は地道に、〝第一夫人〟との交流を行ってきたからな。ほぼ認められている。あの三人が〝第一夫人〟の審議を通るか、見ものだぞ」
――そこから数日間、三女神はあの手この手で、オルユメイアに認められようと奮闘した。
テオドアはそれを、怪鳥の巣の中で、雛と〝第一夫人〟に囲まれながら、観戦することになったのである。