119.すべて平等に愛せるか
マリレーヌの焼けた研究室からは、『魔力無し』を用いた実験の成果、その一部の記録が見つかった。
わざわざ床材の下に隙間を作り、そこに隠していたので、あの一瞬の炎に焼かれなかったのだ。
それを奇跡だと捉える者もいるだろうが、テオドアはなんとなく、わざと見つけさせるために残したのだろうと思っている。
彼女を殺さずに見逃した対価――呪いを刺激せずにいた報酬。正体を現したマリレーヌは、そういうことを好みそうな人だった。
テオドアは、その情報を、秘密裏にルチアノ王子へ渡した。
下手に公開をすれば、かの学院生徒襲撃事件と繋げる者も出てくるだろう。そうなると、せっかく他の『魔力無し』を気遣って真実を揉み消したルチアノの努力が、すべて水の泡になりかねない。
――結局、ルチアノは、情報公開をしなかった。
マリレーヌには別の罪を作って着せて「指名手配」とした。真実は学院の上層部と、友であったジュディッタにのみ知らされた。
逃亡中のマリレーヌが、何かしら接触してきそうな人間に絞って伝えた、と、ルチアノから返ってきた手紙には記されていた。
公務もこなしながらの後始末だ。大変だろうけれど、部外者に過ぎないテオドアには、これ以上手出しができない。
ただ、手紙の文面に書かれていない多忙さを、想像することしかできないのである。
「――で、だ。学院には残るのか?」
光の女神は、目を細めてこちらを見遣った。
ここは女神たちの居住地。テオドアの寝所より、オアシスの森を挟んで正反対にある、広々とした豪邸。近くを流れる川を下れば、例の水浴び場の湖に辿り着くという。
大きな窓が川辺に繋がる開放的な応接間を中心として、女神一柱一柱に、豪華な私室が割り当てられている。
そしてもちろん、やっと到着できたらしいネフェクシオスの巣も、近くの大木に再現してあるそうだ。
――そう。テオドアはそもそも、ネフェクシオスに会いにここへ来たのだが……。
「あの……その前に、ルクサリネさま」
「うん? どうした?」
「……どうして僕、縛られてるんですか?」
テオドアは、この近くに来るなり三女神に拘束され、ペレミアナの私室に運び込まれていた。
寝台に転がされ、しかしそれ以上は何をするでもなく、ただそばに侍ってくる三柱に、疑問が尽きない。
後から部屋に入ってきたルクサリネは、縛られて芋虫状態になっているテオドアを見ても、眉ひとつ動かさなかった。テオドアをここへ引きずり込むことは、既に知っていたようである。
当たり前のような顔で長椅子を占拠し、話を続けようとしていた彼女は、「そうだな」と考える素振りを見せた。
「逆に問うが、お前には心当たりがないのか? そこの三人がそうするだけの理由が」
「えっ……と……、勝手に一人で突っ走ったから……?」
「分かっているくせに、答えを避けたな」
テオドアは目を泳がせた。
その通り、分かっている。分かっているが、自分で口にすると、ものすごく自意識過剰のような気がしてならなかったのだ。
何としてでも縄ぐらいは解きたいと、無駄な抵抗をしてみる。先ほどから試しているが、どうも魔法、ないしは魔力があまり効かないようで……頑張ればいけなくもないけれど、縄だけではなく、この屋敷の崩壊も免れないだろう。
すると、そんなテオドアの頬を撫でる、細い手があった。
「ふふ、ダメですよ。抵抗しちゃ……『光』とのお話が終わったら、わたしたちと三日三晩ここで過ごしていただきますから」
「三日三晩!? 僕の意思は!?」
「そんなもの、貴方にあるはずがないでしょう? ――あの女と対峙した時は、私、あまりにも活躍できなかったもの。そのぶん、こちらでは頑張ろうかしら」
ペレミアナは、仰向けに転がるテオドアの頬へ、慈しむように触れる。レネーヴがそっと隣に寝そべって、テオドアの胸に手を添える。するすると撫でる手つきには、別の意味もこもっているような気がした。
唯一、少し離れたところ、寝台の端に座るティアディケは、こちらを振り返って静かに見下ろしていた。
「……諦めろ。吾らは、例え演技だとしても、あのような女と子を成そうとした汝を許せそうに無い。そも、吾らが三日三晩侍ることは、ルクサリネに許可は取ってある」
「はは、私も混ぜるという条件付きだがな」
「ルクサリネさま……っ!」
知らぬ間に、テオドアの初体験が譲り渡されそうになっている。思わず抗議の声を上げると、ルクサリネは悪びれもなく肩をすくめた。
「いや、大変だったんだぞ。お前に加護をつけたは良いが、絶対に使われないだろうと思っていれば――アレだ。三人の怒りたるや、この空間が丸ごと消し飛ぶかと思ったほどだったな」
「えっと……で、でも! あれはルクサリネさまのご加護を使わせていただくための、演技のようなもので……! 以前、ご説明させていただいた通りに……」
「だから、そこのティアディケが言っただろう。演技でも許せそうにないと」
テオドアは、二の句を継げずに黙り込んだ。
そう。手前勝手に危険に飛び込んでおきながら、女神さまの加護に頼ろうとして、彼女たち以外の女性を押し倒すというとんでもない方法に至った。
あれしか打開策が思い浮かばなかったとは言え、女神さまたちの好意を利用するような暴挙。ああすれば絶対に来てくれるだろうと――言葉は悪いが、誘き寄せるためにマリレーヌを押し倒した。
本当に、どうしようもない。本来なら申し開きの時間もなく、処罰されて然るべきだ。
だが、ルクサリネは、肘掛けに頬杖をつき、呆れたように眉を寄せて言う。
「――少しズレたことを考えているな。別に、加護を利用して呼び出したことに怒っているわけではない。そうだろう?」
「そうですよ!」
ルクサリネに同意したペレミアナは、そっとテオドアの肩に頭を乗せながら、拳を握る。
「わたしたちが怒っているのは、他でもありません。よりにもよってあんな人に、……演技でも! テオドアさんが積極的になったのが許せないんです!」
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくても大丈夫よ。すぐに私たちと〝分かり合う〟ことになるんだから」
これは、逃がしてくれそうもない。
いつにない本気の気配を感じ取り、テオドアは抵抗を諦めた。このまま抜け出そうともがいても、拘束がキツくなるばかりだろうと悟ったからである。
そんなテオドアの様子を見て、ルクサリネはふと溜め息を吐き、ゆっくり身を起こした。
「……許可を出しておいて何だが。私は、基本的に、お前の意思を尊重したいと思っている。が、それにも限度はある。何がお前を足踏みさせているのか、まずは聞かせてくれ」
「……」
「付き合う女を一人に絞りたいからか? それとも、迫ってくる女には食指が動かないからか?」
「……違い、ます。その、僕は……」
優柔不断で、甲斐性がない。複数の女性をまとめて愛し切ることができるのか、自信がない。
ここ一ヶ月ほど。事件の調査の合間を縫い、よくよく考えてみたけれど――ためらっているのは結局、そんな情けない理由からだった。
三女神のことが好きだ。だが、これが前世から引きずる親愛なのか、その上で育まれた愛なのか、分からない。
光の女神のことが好きだ。けれど、彼女の愛を受け取る資格があるのかどうか、分からない。
……単に、一歩を踏み出す覚悟がない、とも言えよう。
「それに……僕は人間です。そもそも、一人です。一度に愛せる人数には、どうしても限りがあります。どなたかを愛するとき、どなたかを蔑ろにしてしまうかもしれない。それが、平等じゃない気がして……」
〝依代〟と言えど、神ならぬ身では、どうしても複数の存在を平等に愛することができない。
逢瀬の回数にもムラが生じるだろう。現に、複数の妻を娶った貴族たちは、そのような問題に頭を悩ませることもあると聞く。
複数の妻と上手くやるためには、巧みな気配りと采配が必要だ。なんとなれば、妻同士の揉めごとも収めなければならない。
いくら相性の良い者同士でも、生活を共にして喧嘩ひとつしないなんて、奇跡に近いのだから。
「だから、僕にそんな資格はあるのかなと――ルクサリネさま……?」
テオドアは、訝しんで名を呼んだ。
ルクサリネが、ぽかんと呆けたような顔で、こちらを見返していたのだ。
静かな周囲を見渡すと、三女神たちもまた、一様に同じような顔で――ティアディケは無表情だが雰囲気は同じだ――こちらを見ている。
そうして、戸惑うテオドアを取り残した、一瞬のあと。
部屋中に、ルクサリネの大笑いが響き渡った。




