111.崇高な正義のもとに
「は――?」
予想外の言葉だったのだろう。驚きに目を見開くアンリに構わず、テオドアは続けた。
「確かに、貴方は魔力を手に入れた。強大で使い勝手の良い力です。貴方の復讐心も理解できます。今まで威張っていた人間たちを蹂躙するのは、さぞ気持ちが良いでしょう」
投げ出すように、テーブルに剣を置く。テオドアは左腕を傾けて、もう片方の手でエイレネの頭を撫でた。
彼女は心地良さそうに手に懐いてくる。それが微笑ましかった。
「ですが、その人が本当に、善意で魔石を作っていたとは――どうしても思えません。そもそも、その人は貴方を止めなかった。人を傷つけるような蛮行は、善人であればいちばん厭う行為のはずです」
「それは! それは、あの人が俺たちの無念を分かってくださったからですよ! 俺たちの復讐を、正当なものだと分かっているんです! だから止めなかった!!」
「僕は、魔眼を持っています」
厳密にはそうではないが、魔眼と言ったほうが通りが良いだろうと口に出した。案の定、アンリは開きかけた口をぐっと閉じて押し黙る。「魔眼」が何かを知っているらしい。
「あの三人組に絡まれていた時の貴方は――普通の人間に見えました。魔力が有る無しではないですよ、他人と様子が何ら変わりないという意味での〝普通〟です」
それが今や、彼は重苦しい魔力を、全身から発している。
体内に納めきれなかった魔力が、外へ漏れ出しているのだろう。後付けで得たそれは、近付くだけで息が詰まりそうな、肌がぴりつくような攻撃性を持っている。
それは、ここ数週間の、魔法の使い過ぎによる――
「おそらく、魔石が劣化しています。貴方の体を確実に蝕んでいるでしょう。このような危険性を、貴方に説明していなかったんです。充分不誠実だと思いませんか?」
「うるさいっ! 嘘をつくな、そんなわけがない! あ、あ、あの人を馬鹿にするな!!」
「……まあ、その人にも分からなかったのかもしれません。未知の実験だったんですから。しかも、死者を十数人単位で出すほどの……」
椅子を蹴倒して立ち上がったアンリに、譲歩する姿勢を見せつつ、テオドアは目を逸らさずにいた。
ランタンの光に照らされて、怒りで真っ赤に染まったアンリの顔がよく見える。
ここで踏みとどまってくれれば、あるいは。
「やっぱりアンタも他のクソみたいな連中と――」
「いえ。僕はただ、知りたいだけです。その答え次第では、貴方に協力することもやぶさかではありません」
「……は?」
再び呆けるアンリに、テオドアは外行きの微笑みを浮かべた。テーブルの上の剣を押しやって、向こう側の、アンリの足元に落とす。
これで、テオドアは、剣を失った。
「時に、アンリさん。貴方が殺した三人組は、悪い人間でしたね?」
「そ、それは、もちろん。俺も被害に遭ったし、あ、貴方だって見たでしょう!?」
「ええ。貴方が復讐しても、人々に納得を以て受け入れられるでしょう。――次に、魔術学院の生徒は?」
「アイツらだって、同類です。魔力を持っているだけで罪なんです! 魔術学院にいるすべての人間が、俺たちを馬鹿にした罪を背負って死ぬべきなんですよ!!」
「貴方のお兄さんも?」
当然だ、と言おうとしたのだろう。
だが、彼は大声を発することなく、動きを止めた。ただ頷けば良いだけなのに、それもしない。ひゅうひゅうと、熱を帯びた呼吸だけが響く。
テオドアはその様子を、微笑みを保ちながらも、冷めた瞳で見据えた。
「……ルイスに怪我をさせたのも、貴方ですよね。もちろん、彼よりも貴方のほうが強かった。始末するだけなら簡単にできたはず……それなのに、両腕だけで見逃し、あまつさえ従姉妹に怪我の事実を伝えた。何故ですか?」
「それはッ……!」
「矛盾しているんですよ。魔力を持つ人間は全員クズで、殺すべきだと息巻いているのに、実際は例外をたくさん作っている。ルイス、従姉妹、僕。あるいは、貴方の恩人も当て嵌まるでしょうね」
「うるさい! うるさいうるさい!! 黙れよっっ!!」
彼は、テオドアの声を振り払うように首を振り、頭を掻きむしって叫ぶ。自己矛盾に苛まれているのか、テオドアが冷静に話を進めてくるのがただ腹立たしいだけなのかは、分からない。
しかし、どんな拒絶を示されても、話は最後まで続けなくてはならないのだ。
テオドアは、なんでもない普通の素振りで言った。
「アンリさん。僕がついて行きますから、ルイスと従姉妹さんを殺しましょう」
「――え……?」
「そうしたら、僕は貴方に心から賛同します。魔力を持っている人間が全員悪なら、ルイスも従姉妹さんも当然、悪ですよね?」
「……そ、それ……は、あ、アイツも……?」
テオドアは軽く首を傾げた。〝アイツ〟がどちらを指すか、本当に分からなかったからだ。
しかし何故か、アンリは気押されたように、一歩下がった。心底から恐れおののき、化け物と相対したかのような表情をして。
「二人の居場所をご存知ですよね? 今なら、学院の人間にも襲撃犯の素性が知れていませんから、簡単に殺せます。行きましょう、さあ」
「……ち、違う、俺は、俺はそんな……」
「何が違うんです? まさか、あの三人組は、貴方が個人的に気に入らないから殺したとでも言うんですか?」
テオドアは立ち上がった。エイレネを宙に放し、テーブルに手をついて、勢いよく身を乗り出す。
瞬きを忘れ、目を見開いている自覚はあった。怖気付いた彼を叱咤し、責め立てるように、叫ぶ。
「まさかね! 貴方は正義の味方なんですから! 『魔力無し』の希望の星です! さあ殺しましょう! ルイスたちを焼いて、学院を滅ぼしたら、次は街を焼きましょう! アイツらは魔力こそ無いですが、魔力のあるヤツらにおもねる醜い人間たちです!!」
「……や、やめ……」
「その次はどうしますか!!? 王家ですね、全員殺しましょう!! 憎い貴族もすべて、赤子から年寄りまで例外なく殺します!! 使用人も焼き殺します!! すべての国を焼き払って、世界を滅ぼして、それから天界も冥界も乗り込んで――!!」
「やめ、て……やめてください……」
アンリは耳を塞ぎ、とうとうへたり込んだ。だが、テオドアはテーブルを踏んで渡り、アンリの目の前に立ちはだかって凄んだ。
「貴方が望んだことじゃないですか? どうして嫌がるんですか?」
「違う、俺はただ――」
「ただ?」
「お、俺を、馬鹿にしたヤツらを……やっつけてやりたくて……」
「……そうですね」
テオドアは、ふと肩の力を抜き、口調をいつも通りに戻す。たくさん叫んだせいで、喉が乾き切っていた。
そうですね、と、もう一度繰り返す。
「――所詮、貴方は自分のためだけに、あの三人を殺したんです。他の『魔力無し』のためだとか言って、結局、自分の鬱憤を晴らすことしか考えていなかった」
彼は、自分の欲望のために動いていた。
それ自体は良い。欲望のない人間なんていない。酷いことをやられたら、やり返したくなるのが普通だ。そして、優位に立った時、歯止めが利かなくなることも、往々にしてあることだろう。
――テオドアだって、魔力が有ることを自覚してから、考えなかったわけではない。
公爵家の人間を全員、復讐の名の下に、身の毛もよだつ方法で害することを。
けれど、やり方を一度でも間違えてしまえば、あとは転がり落ちるだけ。そこを見極めて踏みとどまるのは、とても難しい。
テオドアには――幸いなことに、あちら側に行ってしまわないだけの立場があった。こちら側に引き留めてくれる存在が、たくさんいた。
アンリには――誰もいなかったのだろうか。『魔力無し』ではない、『実験対象』でもない、彼自身を見てくれる存在が。
いないわけがない。ルイスたちを殺すのを躊躇ったのが、その証拠だと、テオドアは強く確信している。
テオドアは、しゃがみ込んで彼と目線を合わせた。
揺らいだ瞳がこちらを向いた。頬は乾いているものの、ともすれば泣き出してしまいそうなほどに、アンリは途方に暮れていた。
「貴方にどんな罰が下るかは分かりません。でも、最後まで突き進んでしまうよりは、ここで立ち止まるほうがずっと良い。……そうでしょう?」
彼に救いはないだろう。三人殺した。三人害した。みな、貴族の中でも、期待を大いにかけられた少年たちだった。
被害者の家族は、アンリを許さない。おそらく――彼の実家すらも。
だが、テオドアは右手を差し出した。震えるアンリを安心させるように、今度こそ本心からの笑みを浮かべながら。
「街に戻りましょう。貴方の持つ人の心が、再び失われないうちに」