104.すべては繋がる
とは言え、怪しい人間をそのまま放置しておくわけにもいかない。
あの路地裏で素直に引き下がったのは、少女がいたためだ。振る舞いからして、彼女は危害を加えられないだろうと思ったのもあるが――万が一刺激し過ぎて、なりふり構わずに人質にでも取られたら、目も当てられない。
いったんその場はやり過ごす。もしかしたら、アンリも「怪しまれていない」と油断してくれているかもしれない。
走って自分の寮に帰り、玄関から駆け込む。
すると、入ってすぐの広間に、誰かが佇んでいるのが見えた。
「テオドア、邪魔しているぞ」
「ルチアノ!」
前回、慌てて王宮に戻っていってから、何の音沙汰もなかったルチアノだ。彼は、「勝手に入ってすまない。あまり目立つわけにもいかなくてな」と、申し訳なさそうに眉を下げた。
なんでも、テオドアに会いに学院へやって来て、ジュディッタから「ルイスの見舞いに行っている」と聞いたらしい。
王子が、式典でもないのに学院内をうろつくのは、何かがあると喧伝しているようなものだ。
ゆえに、ジュディッタから許可を取り、特別に寮の中で待たせてもらっていたとか。
――ほんの一瞬、王族ならこの寮に入り放題なのか、とも思ったが。そういうわけではなさそうなので、安心する。
テオドアは、咄嗟に抱いた警戒心を解き、ルチアノのほうへ歩み寄った。
「何か分かった? それとも、この前忘れていったあの石を取りに来たのかな」
「ああ……あの魔石か。すまない、あの時は周りが見えていなかった」
「僕は別に良いんだけど、君のほうは大丈夫なの? その、結構疲れているように見えるよ」
連れ立って応接間に行くが、廊下を明るく照らす日差しのもとで見ても、ルチアノの顔色は以前よりずっと悪くなっていた。
目の下にくっきりとクマが浮き出ている。寝不足なのだろうか。
ルチアノは終始無言のまま、窓の外をぼんやりと眺めながら歩いている。足取りも、目に見えてふらついていた。
「……ルチアノ」
「ん? あ、ああ。すまない、なんだ?」
反応も遅い。いつもだったら、食い気味に暑苦しく返答してくると言うのに。
テオドアは溜め息を吐き、ルチアノの首根っこを掴んだ。
驚いたのか首が締まったのか、奇妙な声が聞こえた気がしたが、頭から窓ガラスに突っ込むよりはマシだろう。
「いろいろ報告したかったけど、後にする。とにかく客室で休んでて。短時間でも横になれば、ちょっとは回復するから」
「くく、首が! 首が締ま……!」
「引きずらないだけ温情だよ」
とは言え、半ば強引に客室へ放り込んだので、引きずっていったようなものかもしれない。
テオドアは、ほとんど使われていない寮の厨房へ向かい、常備されていた葉を適当に選んで、お茶を淹れた。初めてきちんとお茶を作ったため、勝手が分かっておらず、おそらくあまり美味しくないだろう。
自分は飲む気がしなかったが、とりあえずカップを二つ携えていく。
客室に戻り、ノックも無しに開いた。
寝てはいないものの、膝を床について、頭だけ寝台に突っ伏しているルチアノを横目に。テオドアは近くのテーブルにお茶の盆を置き、言った。
「君が何を悩んでいるのかは知らないけど、そんなに疲れてるんだったら、王宮で黙って待っていてくれて良いんだよ」
「……」
「足手まといとまでは言わない。でも、連携に支障をきたすくらいなら、僕に情報だけ渡して、丸投げするほうが効率が良いはずだ」
「……そうだな……」
怒っているわけではないが、自然と、口調が厳しくなる。
――ルチアノの体調不良は心配だ。けれど、それより何より、今倒れられるのは、彼が多くの情報を抱えて戦線を離脱することと同義だった。
疲れている理由も分からない。王宮の事情も聞いていない。彼がここまで、『魔力無し』の絡む事件に肩入れする訳も知らない。
もちろん、踏み込んで事情を聞かなかったテオドアにも、責はあるだろう。しかし、今回の彼は、依頼者にあるまじきほどの秘密主義だった。
ルチアノは、のろのろと寝台から顔を上げた。
「……公務と調査の両立くらい、できると思ったんだがな……」
「出来ないくらいのことがあった?」
「何も……無いとは言い切れないな。君なら勘付いているかも知れないが、父と私は、昔から折り合いが悪い……」
先ほども、妙な事件に拘う暇があるなら見合いでもしろと言われた。――ルチアノはそう言って、力無く笑った。
元〝依代〟候補は、〝依代〟には至らないまでも、政治的な道具として狙われ易いと聞く。それが王族であれば、なおさらだろう。
しかし、ルチアノが引っかかっているのは、そこではないらしい。
「昔からそうだ。父は……兄もそういう傾向にあるが……上流階級の人間相手にしか政治を行わない。それも、魔力のある、普通の人間相手に……」
「……」
「――零れ落ちた人間のことなど気にも留めない! それが、私には我慢ならんのだ! 血統問わず魔力が無い人間、それを、惨く見捨てて……挙げ句の果てには――」
そこまで言ってから、ルチアノは大きく息を吸った。
大声を出すのか、と咄嗟に身構えたが、そんなこともなく。彼は細く長く息を吐き、頭を抱えて項垂れた。
それから、血を吐くような、苦しげな声で呟いた。
「……テオドア。私は双子だった」
「え?」
「妹だ。……今は、それしか言えない」
沈黙が降りる。
テオドアは、項垂れたまま動かない王子に目をやり、次いで冷めかけたお茶を見下ろした。
双子だった、と言うことは……その妹は既に、冥界へ下っているのだろう。
それが、彼が父王と対立する理由なのだろうか。それとも、この事件にこだわる理由なのだろうか。
さすがにこの雰囲気で、ずけずけと聞く気にもなれず、テオドアは話題を変えることにした。
どちらにしろ、重要であることに変わりはない。咳払いをして、口を開く。
「襲撃事件の犯人、おおよその目星はついたよ」
「! ……本当か!」
今までの沈みようはどこへやら。ルチアノは跳ねるように身を起こした。血の気のない顔に、喜色が宿っている。
テオドアは、襲撃事件の犯人と目される――「ルイスの弟」に辿り着いた経緯を、詳らかに話した。
ルイスが大怪我を負い、その犯人が弟であることは、ルイスの態度からほぼ確定しているということも。
「どうしてそう言える?」
「誰かを庇うなら、家族である弟、って考えたのもそうだけど……ルイス自身が言ってたんだ。俺たちには〝依代〟さまのような奇跡は起きなかった、って」
おそらく、『奇跡』とは、「魔力無しと思われていた貴族の少年が、実は魔力を持っていた」ということだろう。
彼の弟には、それが起こらなかった。ゆえに、ルイスを火傷させるまでの何か――未知の力を手に入れてしまった。
こう考えれば、アンリが怪しげな魔力をまとっていたのも、辻褄が合う。
ひと通り、テオドアの意見を聞いたルチアノは、顎に手を当てて考えた。
「……となると、事はそう単純ではないな。その男が魔力を手に入れた方法を探らねばならん」
「それは、彼を追いかけないことにはどうにもならないよ」
「そうだな。第三の被害者を生まないよう、どうにか穏便に確保できないものか……」
「魔石も、行方不明事件も残ってるし、並行して――」
言いかけて、テオドアはぴたりと動きを止めた。
脳裏に走った、一瞬のひらめき。仮説にしては、あまりにも筋が通り過ぎている。
かと言って、正解かどうかは分からない。
けれど。
「……貴族学校に行こう。事前に許可は取らないほうがいい。たぶん、下手をしたら一人、口封じに殺されるかもしれない」
「何か思いついたのか?」
唐突に意見を翻したためか、ルチアノは怪訝そうにこちらを見上げる。
その視線を受けながら、慎重に言葉を選んで、言う。
「全部、繋がってるんだと思う。行方不明事件も、死体から出てきた魔石も、今回の襲撃事件も。目的までは分からないけど……」
「――まさか」
いち早く話の行き先を悟ったのか、ルチアノは大きく目を見開いた。
対するテオドアは、小さく頷く。
「そう。一連の事件は――おそらく、大規模な人体実験の成果だ」