101.ジュディッタ先生の調査結果
次の日の朝。マリレーヌの研究室で出迎えてくれたのは、またしてもジュディッタだった。
昨日と違うのは、部屋の主人の姿がなく、ジュディッタが一人で待っていたことだ。
「マリーは留守だ。卒業課題を王宮に届ける、と言っていたかな」
「あ、あの床に放置されていた……」
「……帰ったら説教をしなければなるまい」
ジュディッタはわずかに肩を落とし、「急に思い立ったりすると、ほかの何をも振り切ってしまう性質なのだよ」と、疲れの滲む声で言った。
前年度の卒業課題を放置したのも、生徒に事前の知らせもなく王宮へ行ってしまうのも、マリレーヌの性質によるものなのだろう。
「きみに待ちぼうけを喰らわせるわけにもいかない。だから、わたしが代わりにここで待っていた。本日の授業は休みだ」
「分かりました。ジュディッタ先生もお忙しいのに、わざわざありがとうございます」
「いいや、実はわたしも、本日は休みだった。調べたいことがあってな――」
彼女の顔色は、記憶と比較するまでもなく悪かった。以前、学院内ではそれなりに強い権限がある、というようなことを言っていたが、その立場上から襲撃事件解明に駆け回っているのだろう。
隠し事があり、彼女に表立って協力することができないテオドアは、罪悪感を押し殺しつつ尋ねる。
「……進展は、どうですか? 僕が知っても良いことなら、お伺いしたいです」
「ああ。きみは関係者だ。おおまかなことは伝えておこう」
ジュディッタは、比較的、物の少ない壁際に立って寄りかかる。テオドアもそちらへ視線を向け、あれ、と思った。
確か、その近くの壁には、模造品の大剣が飾られていたはずだが――ぽっかりと抜けたように何もない。
研究のために持ち出したのだろうか。マリレーヌが?
何のために?
「――きみも知っているだろう。疑惑のあった、例の不良三人の件についてだ」
沈みかけた思考を、ジュディッタが引き戻す。
テオドアは慌てて雑念を振り払い、彼女の言葉に耳を傾けた。
「昨日、ディシマノの証言を受け、重要な参考人として彼らを探した。三人は寮に戻らず、街外れの宿屋を年単位で借り切って暮らしていた。その宿屋へ行った」
「はい。彼らはどんな様子だったんですか?」
「行方不明だ」
そのひと言は、重く部屋に響いた。
テオドアは思わず、一歩後ろへ退がる。
「行方不明――? それは、その、どこかに隠れているとかではなく……?」
「あるいは、そうかもしれない。だが、昨日、それなりの人員を割いて捜索した結果だ」
ジュディッタは淡々と事実を述べた。
三人が滞在していた、宿屋の主人曰く。彼らは、少なくとも二週間ほど、宿に帰ってきていないという。
街中での目撃情報もなく、事件の前後に消えた。何かがあると踏んだジュディッタは、学院で手隙の先生たちに声を掛け、壁向こうの街を含めて徹底的に探し回った。
しかし、見つからない。どこの門番も「在学生が出入りした記録はない」と言う。外へ出るには、複数ある門のいずれかを通らなければならないのだが。
「宿の部屋の中も検めさせてもらったよ。逃げたというには、残された荷物が多過ぎた。――袋いっぱいに宝石でも詰めれば、着の身着のままで飛び出しても、三人分の路銀には困らないだろうがね」
「先生たちは、彼らが犯人だと?」
「そう主張する者もちらほら出始めたな。やましいことが無ければ逃げない、と」
テオドアは、自らの足元の床をじっと睨んだ。
やはり、犯人は彼らなのだろうか。昨夜、テオドアがルイスに言った通り――罪を犯してしまったがために、怯えて隠れているというのだろうか?
(……それなら、どこに隠れているんだろう)
学院街にも、近くの街にも見当たらない。どの門の門番も、三人組らしき生徒が出入りした記録はないと言う。
それが間違っていないとすれば、未だどこかに隠れ潜んでいるか、あるいは高い壁を秘密裏に突破して脱出したかのどちらかだ。
前者の可能性を考える。……学院の先生たちの目を掻い潜るだけの技を、あの三人が持っているかは不明だが、無いとは言えない。
後者はどうだろう。ルイスの証言を借りるなら、隣街の壁には『境界の森』へ繋がる穴があった。森へ逃亡しようとした三人組にかち合って、不意打ちでルイスが襲われた――考えられなくもない。
けれど、それ以前に、学院街の壁も突破しなければいけない。夜中にこっそりよじ登って……? いやいや……。
「……釈然としない顔をしている」
「!」
驚いて顔を上げると、ジュディッタは薄く笑みを浮かべ、テオドアを見返した。
そんなに分かりやすかっただろうか。テオドアが弁明をする前に、ジュディッタは「気にせずとも良い」と軽く手を振り、ふと力を抜いて虚空を見上げた。
「実は、わたしもきみと同じ意見だ。問題児の三人組が、事件が起こった辺りで忽然と行方不明になった。素行も悪く、犯人にはうってつけだ。身代わりとして、これ以上の存在は無い」
身代わり、という部分を、かなり強調して言う。
ジュディッタもまた、この現状に納得できていないのだろう。
「それに、これは魔術担当のわたしだから言えることだが――彼らには、他者を半殺しに追い詰めるだけの度胸がない。それを隠すためだけに群れていたようなものだ」
確かに、彼らは威勢だけが良く、暴れると言っても格下認定した後輩や魔力無しに暴力を振るうくらい――いや、それでも充分問題だけれど。
他者を生命の危機に陥らせるまで、嬲り甚振り愉しむような残虐性があったとは思えない。
「でも仮に、三人に故意がなくて、事故で取り返しのつかないことになった可能性も……」
テオドアが恐る恐る進言すると、彼女は「そうだな」といったん頷く。
「だが、突発的な犯行なら、もっと証拠が残っていても良いはずだ。人を殺めたかもしれない瀬戸際、ぎりぎりの状態で逃げ出したとき、まったく証拠を残さず完璧に消え失せるなど……どうにも違和感がある」
「つまり、先生は、あの三人組に罪を被せたい真犯人がいるとお思いに?」
「ああ。……これ以上は憶測の域だ、言及は差し控える」
この後も街を駆けずり回る予定だな、と、ジュディッタは深く溜め息を吐いた。
学院がどのような体制で調査に当たっているのか、詳しいことは知らない。だが、あの三人組が見つかれば、事態は大きく動くだろう。
やはり、その前に、急いでルイスから話を聞き出さなければ。
いや、今ここで粘って、ジュディッタに聞きたいことを聞いておいた方が良いか。
テオドアは、さもたった今思いついたかのように、話題を切り替えた。
「そういえば、ルチアノ殿下のことで、お伺いしたいことが」
「何だ?」
「先生は殿下に、『きみも悪童だった』と言っていましたが、あれはどういうことなんでしょうか?」
架空の設定として、テオ・カヴァルロの家とヴェルタ王国の王家は、遠い親戚関係にある。だからこそ第二王子と交流を持てて、学院にも推薦してもらえたという筋書きだ。
学院時代のルチアノを、『テオ』としてどこまで知っているべきか、という問題はあるが。より詳しいことを知りたいという体でごり押そう。
「他国民のきみは、あまり知らないか。学院に入学したばかりの第二王子は、絵に描いたような傲慢ぶりだった」
幸いにも、特に疑念を抱いた様子もなく、ジュディッタはすんなりと答えてくれた。
「それこそ、相手が少しでも自分より劣っていると、全力で馬鹿にするような。己の実力に圧倒的な自信を持ち、あらゆるものを見下してかかっていた」
「……それは……今の王子からは、想像できませんね……」
むしろ今は、そんな己の気質を恥入るような振る舞いだ。
その頃の王子を想像してみたが、あまりピンと来ない。要は、パウロベルトやセブラシトのような態度だった、と推測できる。
唸って考え込むテオドアに、ジュディッタは笑う。
「学年に拘らず、あらゆる人間と揉め事を起こしていてな。なまじ強いものだから、最上級生にも負け無しだった。それでますます敬遠されていき、傍若無人な態度はますます増していった」
例えば、自分に因縁をつけてきた相手は、どんな爵位の子息であろうと容赦なく叩きのめし、退学させた上で実家に送り返したり。
教室の照明が気に入らないからと、広い学院内を、授業があるにも関わらず改装させたり。
――群れて他者をいじめる、無辜の人間を傷つける、ということ以外は、ほとんどやり尽くしていたらしい。
「それでは……言い方はおかしいですが、人が変わったのはいつからですか?」
「ちょうど、入学して一年が経った頃だろう。品行方正な態度を心掛けるようになったのは。当初は、洗脳か、王宮の無理な教育の賜物かと、講師の間で囁かれたものだ」
「そのきっかけ、って、伺っても……?」
すると、ジュディッタは、ぴたりと口を閉じた。
先ほどまでの笑みが滑り落ち、険しい表情で、窓の外と扉の方へと視線を巡らせる。
まるで、何かを警戒するかのように。
「……今から話すことは、他言無用で頼みたい。第二王子と――マリーの名誉にも関わることだ」
「マリレーヌ先生の……?」
無関係だったはずの名前がいきなり挙げられて、戸惑う。誰にも言いません、と頷いたものの、まったく話が読めてこない。
そんなテオドアの様子を、半ば無視して、ジュディッタは続けた。
「マリーの夫と、第二王子ルチアノは、マリーを通して面識があった。傲慢な王子も、あの二人にはずいぶん懐いていたよ。――魔力無しだったその夫が、不審な死を遂げるまでは」