第5話 記念となる日なので
茹でダコ妻……いえ、お飾り妻となる予定の私が旦那様(予定)の領地に身を移してから、早いもので一週間が経とうとしていた。
ようやく、伯爵家の人々は嫁イビリなど考えておらず本気で歓迎されているという事を実感し、あれやこれやも落ち着いたので、とうとう私達の婚姻誓約書を提出する事になった。
(ついに旦那様(予定)が、旦那様(仮)になる時が来たわ!)
お飾りの妻とはいえ、結婚は結婚。ちょっとした興奮状態でその日の朝は目が覚めた。
「おはようございます、旦那様(予定)!」
「あぁ、アリス……おはよう」
この一週間で知ったのだけど、旦那様(予定)は、どうやら寝起きがあまりよろしくないらしく、今朝も眠そうな顔で目を擦りながら食堂へとやって来た。
私は目覚めのコーヒーと、朝食を旦那様(予定)の前のテーブルに並べる。
自分の目の前のテーブルに並べられたお皿を見た彼は、眠そうだった目を大きく見開くと、その後、お皿を三度見した。
「……!?」
三度見して、これは自分が寝ぼけている訳では無いらしいと理解したようで顔を上げて真っ直ぐ私を見つめて来た。
そんな旦那様(予定)に見つめられて、私は胸がドキッとした。
トキメキのドキッではなく、後ろめたい事がある時のドキッだった。
(あら、やっぱりこの反応!)
「……アリス。これは何だ?」
「…………えっと、私が作った朝ご飯になり損ねたもの……でしょうか」
「アリスが作った……朝ご飯になり損ねた…………もの?」
そう呟いた旦那様(予定)はもう一度お皿に目を落とす。
「……」
「……」
あぁ、今、私の心臓は盛大にバクバク鳴っているわ!
(ここはやっぱり“こんな不味そうなもん食えるかぁぁ”って怒られてしまうのかしら?)
決してこれは旦那様(予定)への嫌がらせなんかでは無いのよ。
今日は特別な日だから、新妻(予定)らしく、旦那様の朝食の用意をしてみようとしただけ。
そうしたら、ちょっと焦げ焦げの料理が出来上がってしまっただけ。これでも私は一生懸命作ったわ。
(そう。ただただ、残念な事に私が壊滅的に不器用だっただけなのよ!)
「何故、朝食……に、なり損ねたものが私の皿にある?」
「旦那様(予定)の分だからです…………一応」
「……」
沈黙。
やっぱり怒るわよね……
使用人に無理言って手を出したんだろ、何やってるんだーーって。
お飾り妻はお飾り妻らしく大人しくしてろーーって。
そんな風に怒られる覚悟を決めていたのに、何故か旦那様(予定)の関心は別の方に向いてしまった。
(あれ?)
旦那様(予定)は、私の前に並んでいるお皿をじっと見る。
「なぁ。アリスの皿の方には、もはや、単なる炭にしか見えない塊があるのだが?」
「え? あ、そうですね。こっちはもっと酷い事になりまして。ですから、私の分にしましたの」
「酷い事って……アリス……」
(あぁ、今度こそ、怒られる!)
そう思ったのに。
……ポンッ
何故か頭に手を置かれた。
「……? えっと?」
「いや……アリスは、何でも出来そうな顔をしてるのに、実はすごく不器用だったんだな、と思ってな」
「……」
「そのギャップが何だか妙に、か…………いと…………コホッ! と、とにかくだ。私の皿の焦げ焦げ作品の方はまだ食べれる所はあるが、アリスの分の皿に乗っている炭は食べたらダメだ。絶対にお腹を壊す」
「!」
なんと!
怒るのではなく、私のお腹の心配を始めた旦那様(予定)。お飾り妻に対してなんて優しいのかしら。
ですが、心配ご無用でしてよ!
好き嫌いを言っている場合では無い没落寸前の貧乏令嬢のお腹は、毒以外ならお腹を壊さずに食べられるようになりましたのよ! ホホホ!
「あ、ありがとうございます……ですが、ご安心くださいませ! 自慢ではありませんが、これでも私のお腹はとてもとても強いのです!」
私は自信満々に堂々と胸を張って答える。
「なっ……」
旦那様(予定)は絶句した後、「そういう問題じゃない!」と、頭を抱えた。
そして深いため息を吐きながら私を見る。
「いやいやいや、アリス。だが、これはどこからどう見ても炭だ。お腹が強いから平気とかそういう話ではないだろう?」
「いいえ! 実は男爵家でも、たまに私が失敗してこういった炭を何度か作り上げておりましたの。その時は仕方なく……」
「た、食べていたのか!?」
旦那様(予定)が青ざめている。
「さすがに全部は無理でしたわ。食べられそうな所だけ……です」
「……アリス」
貧乏なので、そんな我儘は言えないのです。
……まぁ、炭料理は私が食材に触れなければ起こらない事なので、何度目かの炭作成、お父様にはキッチンへの接近禁止令を出されてしまいましたけれども。
(環境が変われば、私でも上手く出来るのでは? なんて思ってしまったけれど、現実は甘く無かったわ……残念)
「ところで何で、苦手だと自覚のある料理をしようと思ったんだ?」
「…………」
「アリス」
こういう時の旦那様(予定)は逃がしてくれない。
(改まって聞かれると恥ずかしいのに)
「……き、今日は……その、私達の婚約誓約書を出しに行く……予定、じゃないですか」
「? あぁ、そうだな」
「せっかくなので、な、何か記念になる事を……したかったんです!!」
「!?」
私が恥ずかしさを堪えてそう言うと、旦那様(予定)は何故か固まった。一方の私も私であまりの恥ずかしさに顔が上げられない。
「……」
「……」
「アリス……」
「……はい」
そっと顔を上げると、ずいっと目の前に差し出されたのは、私が作った焦げ焦げした旦那様(予定)の朝ごはん。
「……えっと?」
もしかして、無言で“こんなもん要らん! 食えるかぁぁ!” と言っているの?
と、少しだけ悲しく思う。
だけど、違った。
「口を開けろ。一緒に食べるぞ!」
「え?」
(一緒に!?)
私がポカンとしている内に、旦那様(予定)は、私の口に焦げ焦げした物体Xを放り込んで来た。
「味はどうだ?」
「…………ちょっと苦いです」
「そうか。どれどれ……どれほどなんだ?」
そう言って旦那様(予定)も、物体Xを口に運ぶ。
「ふむ。確かに苦いし香ばしいな……」
「うぅ……」
「アリス」
私が申し訳ない気持ちでいっぱいになり俯いていると、旦那様(予定)が優しい声で私を呼んだ。
そろっと顔を上げると何故かまた、微笑んでいた。
「どうだ? これでちょっとは記念になったか?」
「……っ!」
その言葉に私が驚いていると、旦那様(予定)はしてやったりという顔をして、もう一度私の口に物体Xを放り込む。
「ほら、もう一口だ」
「~~~!!」
何だか胸の奥が擽ったくなって、それでいて焦げ焦げで苦いはずの物体Xの味までもが、よく分からなくなってしまい、私は大いに戸惑ってしまった。
こうして、私の白い結婚生活が本格的に始まったのだけど────