第21話 失敗した王女様と王子様
旦那様(仮)の黒い笑顔に二人が顔を青くしてガタガタと震え出した。
これでは、明らかに何か疚しい事がある、と言っているようにしか見えない。
(えっと? ……これって、つまり王女様とサティアン殿下が何かしらの悪事を企んでいた……という事でいいのかしら?)
私は火照る頬を手で押さえながらそう考える。
それにしても、旦那様(仮)はとても耳がいいみたい。
私には二人が何かコソコソ喋っている事くらいしか分からなかったのに。
「それで? 二人は私のアリスに何をしようとしていたのですか?」
「「……」」
二人は答えない。
互いに顔を見合せ「あなたが答えなさい!」「嫌だっ!」などといがみ合っている。
そんな様子に旦那様は、はぁ……とため息を吐きつつ訊ねた。
「誘惑する……とか手篭めに……とか聞こえたのは私の気の所為でしょうか?」
「「……っ!!」」
(ええっ! て、手篭め!?)
「い、嫌ですわ! そ、そんなの、ギルバートの空耳でしてよ!」
「いいえ、王女殿下。私は、愛する妻アリスに関する事なら、どんなに小さな声による些細な話でも聞こえて来るようになりまして」
「は?」
「騎士の頃からそれなりに耳がいいのは自覚していましたが、今、この耳は妻の事に関してのみ特化したようです」
「……は?」
王女様の反論を旦那様(仮)はあっさりと退けた。
しかも言っている事がおかしい……気がするわ。
(わ、私に関する事に耳が特化した? わ、私をあ、愛してる……から?)
ボンッ!
色々と自覚してしまったせいなのか、もう何を言われても恥ずかしい。
「ば、馬鹿な事を言わないで頂戴!」
「いえ、本当に聞こえるんですよ、愛するって不思議ですね。あなたに仕えている時にはそんな事は全くこれっぽっちも無かったのですが」
「ギっっっ!!」
王女様の顔が盛大に引き攣った。
そんな様子の王女様を気にかける事もなく、次に旦那様(仮)は、サティアン殿下の方に視線を向ける。
「……サティアン殿下。あなたがアリスを誘惑する予定……だったと」
「んぐっ!」
サティアン殿下が変な声を上げた。
「王子ともあろうお方がアリスを無理やり襲う計画を……」
「ち、違っ……いや、それは……その……」
「何が違うのでしょう? 隣国の王子でもあるあなたが……他国で伯爵夫人に手荒な真似の計画するなんて」
旦那様(仮)に睨まれて殿下は大きく怯んだ。
「け、計画したのは王女だ! 王女殿下の方だ! ぼ、僕は従っただけだ!」
「なっ! ちょっ……クズ王子! 何言っているんですのよ!」
「煩い! 嘘つき王女!」
「嘘つきですってぇ!?」
しどろもどろになり、遂には互いに罵り合う殿下と王女様。
それでも旦那様(仮)は更に二人を追い詰めていく。
「なるほど。その計画を立てたのが、王女殿下……というわけですか」
「うっ!」
王女様は悔しそうに目を逸らした。
(王女様の計画? ゆ、誘惑? サティアン殿下が私を?)
「でも、その様子。残念ながらアリスに誘惑は効かなかったようですね? いや、おそらく誘惑する所にまで辿り着かなかったのではありませんか?」
「ぐはっ!」
サティアン殿下が、またしても変な声を上げ大きなダメージを受けていた。
でも、否定しないという事はきっと旦那様(仮)の言う通りなのだわ、と思う。
(まさか、サティアン殿下があの軽薄そうな薄っぺらい笑顔の裏でそんな下衆な事を考えていただなんて!)
女の敵ですわ!
私がそんな軽蔑の眼差しを向けると、その視線に気付いたサティアン殿下と目が合う。
「あ、ランドゥルフ伯爵夫人……」
「……(最低ですわ)」
「ふ、夫人。そんな軽蔑した目で……僕を……見るのか」
「……(当然ですわ!)」
「く……口も聞いてくれない、のか」
サティアン殿下はますますがっくりと項垂れていく。
(びっくり! 睨んだだけなのに。思っていたよりも打たれ弱い方なのね……)
「王女殿下」
「な、何ですのよ!」
「アリスに何か仕掛けようとしてもきっと無駄ですよ」
「はぁ? どうしてですの!」
王女様に向かって旦那様(仮)は、淡々と言う。
「……アリスだからです。持ち前の明るさと思い込みの深さで、アリスはいつだって予測不可能な行動をしますから」
「なっ……!?」
何だか凄い言われようなんですけれど!
ちょっと私も黙っていられず、旦那様(仮)の服の袖を引っ張りながら訊ねた。
「旦那様(仮)? 私の予測不可能な行動ってなんです? 心当たりがありませんわ」
「……」
私が訊ねると旦那様(仮)は、何故か無言。答えてくれない。どうして!
「旦那様(仮)!」
「……炭とか刺繍とか……マッサージも……あれもこれも凄かったじゃないか……」
「凄かった? どれも普通ですわよ?」
私が首を傾げながらそう答えたら、旦那様(仮)はフッと笑って、またまた私を抱き寄せる。
「だっ! く、苦しいですわ!」
「アリス」
「な、何ですの?」
「君がいい。君でなければダメだ」
(何の話?)
旦那様(仮)はまたしても私の顔を見て笑うと耳元でそっと囁く。
「────アリス。これからも、ずっとずっと私の隣にいてくれ……いや、いて欲しい」
「っ!!」
(そ、それは……まるで、プ、プロ……!)
「君が頷くまで……そうだな。毎日言い続けようか。こんな風に抱きしめてキスをしながら」
「!!」
旦那様(仮)はそう言いながら私の顔にたくさん優しいキスをする。
「……アリスは私の事を好きか?」
「え!?」
突然の直球な質問には心の底から驚いた。
目が合うと旦那様(仮)はコホンッと照れくさそうに咳払いを一つした。
「私は学んだのだ! “ここで、私の事をどう思っている?”なんて曖昧な質問をしてみろ。アリスの事だから……」
「……」
「“旦那様だと思っていますわ”と、笑顔で返してくるに違いない!」
「……!!」
「そう答えるアリスも楽しくて好きだが……今は君の気持ちが知りたい」
(旦那様(仮)……)
ドクンッ!
私は今にも飛び出しそうな心臓を必死に抑えて答える。
「そんなの! す……好きに、決まって……いますわ」
「……それは“ドキドキ”する好き、か?」
「……は、はい。勿論です」
私はそっと頷く。
だって、今だって胸はもうドキドキを通り越してバクバクしていますもの!
「……なら、そんな気持ちをあそこで大きなダメージを受けて項垂れている王子にも感じた事は?」
旦那様(仮)は、がっくりしているサティアン殿下の方を見ながらそんな事を聞いて来る。
何故? と思いつつも私は答える。
「え? 全くありませんが?」
「なら、私は“特別”か?」
「とく、べつ……」
サティアン殿下の「ぐはぁ!」って、言う奇声が聞こえた気がしたけれど、今はそれ所では無い私は旦那様(仮)のこの真剣な瞳から目が逸らせない。
「……アリス」
「は、はい」
「嫌だったら……そうだな、後から遠回しに言ってくれ」
(───え?)
そう言った旦那様(仮)は、私の顎に手をかけて上を向かせると、そのまま顔を近づけて来る。
(瞳……綺麗な色……)
そんな風に近付いてくる旦那様(仮)の瞳に思わず見惚れていたら、程なくして柔らかいものが私の唇にそっと触れた。
(……!)
それは、お飾りの妻には縁の無い事とばかり思っていた唇へのキスだった───




