第12話 怪しくて軽そうな人
「……格好良い方ですね」
リエナが、うっとりとした顔でその見知らぬ男性……もといサティさんと名乗った彼に見惚れながら呟いた。
(格好良い……?)
そう思ってサティさんの顔をチラッと見ると、私と目が合った彼は再びニッコリと笑った。
「……」
(やっぱり“軽そうな人”にしか見えないわ)
格好良い……格好良いとは?
私はうーんと考える。
確かに女性にモテそうな甘いマスクをしているわ。
背も高いし、盗人を追いかけて行った速さを思うと運動神経もとても良さそう。
(でも、何かしら? さっきからすごく何かが引っかかっているの)
「えぇと、貴女がそちらの財布を盗られてしまった女性の主人なのかな?」
「……」
何が引っかかっているのかしら? 知り合いだから……ではないわね。
こんな目立つ髪色の方は、一度会ったら中々忘れられないもの。だとすると、他に何があるかしら?
───今、私の頭の中は“この人、知り合いかしら”と“何が自分の胸に引っかかっているのかしら”いう事でいっぱいになってしまっている。
「……コホンッ……美しい人、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「……」
ん? 名前……?
(今、どこからか“名前”って言葉が聞こえて来た?)
そうよ! “名前”に心当たりがあるのかも! そう思って今度は記憶の糸を辿る。
(サティ……サティねぇ……)
うーん、残念。
名前に覚えも心当たりも無いわ。では、何がさっきから私の心に引っかかっているのかしら?
「あの? …………レ、レディ?」
「お、奥様……?」
「……」
落ち着くのよ、アリス!
こういう時は、遡って一つ一つ考えてみましょう! 焦っても答えは出ないもの!
(まずはこの、サティさんと出会ったきっかけは……)
お店の入口で男性とぶつかってしまう……そして、その隙に財布を盗られてしまう。
そして、困っているとそこに颯爽と男性が現れて代わりに……
(……ん?)
「……えっと、何でさっきから、レディは黙り込んでいるのかな……」
「……」
「レ、レディ。応えてくれないか? ぼ、僕が何かしたかな?」
(あらら? ちょっと待ってこれ……え、でも……)
「レディ。せっかくこうした縁で君と出会ったんだ。よければもっと僕と……」
───そうよ。
その颯爽と現れた男性は財布を盗んだ男を追いかけてくれて、見事に財布を取り返してくれる。
しかし、その男性はフードを被っていて、少し胡散臭い。だから警戒する。
でも、取り返した後にそのフードを脱いで素顔を見せてくれる。
そして、その男性の正体は……
「そう……よ! 王子様ですわーー!!」
ハッと閃いたので私は思わず、叫んでガバッと勢いよく顔を上げた。
「間違いないですわ! 王子様です!!」
「おっ、おう、じ……だと!?」
「奥様? 突然、何を? どうされました?」
顔を上げたらサティさんもリエナも驚いた顔をして私の事を見ていた。
特にサティさん。さっきまで無駄にニコニコ微笑んでいたのに何故か顔色が悪くなっている。
「……? あら、サティさんにリエナ。二人共、そんなポカンとした顔をしてどうかしましたの?」
(何をそんなに二人仲良く揃って驚いて私を見ているのかしら?)
私はうーんと首を傾げた。
「あの、サティさん? 突然、お顔の色が悪くなってますけれど大丈夫ですの?」
「う……ぅえっ!? あ、い、いや……な、何で……お、おう……」
サティさんの様子がおかしい。
いけない! これは、相当具合が悪いのかもしれないわ!
「もしかして、盗人を追いかけたせいで具合が悪くなってしまいましたか?」
「ち、違う……それより何で、王子……が、王子……」
サティさんは青白い顔のまま、うわ言のように“王子”という言葉を繰り返していた。
「王子?」
(あぁ、私が“王子様ですわー”と、はしたなくも大声を上げてしまったから驚いてしまったのね)
突然、大声をあげるなんて淑女として失格でしたものね。驚くのも無理がないわ。
ふっふっふ! ですが、これには理由があるんですのよ!
私は笑顔で答えた。
「ええ、王子様です! 思い出せましたのよ! そうしたらついつい興奮してしまいましたの……ごめんなさいね」
「なっ!? お、思い出した?(僕の事を)まさか、君はし、知っていたのか!」
「当然ですわ!(その本の事なら)よーーく知っていましたわよ」
「んなっ!! そ、そんな!」
あらら? 気の所為かしら? サティさんの顔色が悪化した気がします。
それにしても、助けてくれた、彼にそっくりなサティさん自身も知ってくれていたなんて! すごい偶然!
(だって、こんな展開の王道のラブストーリーの本を書いたのがまさに! ここにいる“私”なんですもの!)
そうそう! フードを取ると、その下からは澄んだ青い空のような髪の毛が現れ、素顔も見せてくれた男性、実は王子様でした!
という王道のストーリーよ!
偶然出会った所から恋に落ちる定番の話。
この彼が語ったセリフも私が書いたセリフと殆ど同じ!
だから、ずっと何かが胸に引っかかっていたのね!
「私も、まさか……と思っていますわ」
「くっ! 何で……だ……」
「ええ。ですから、これは(出版社に)報告しないといけないと思いますの」
(偶然、私の書いた本のような出来事が現実に起きて、しかも登場人物に似ている雰囲気のある読者さんだったのでセリフも使ってくれてましたーーって!)
きっとそれは凄い偶然ですね、と喜んでくれるわ!
「ほ、報告!? まさか……(夫の伯爵にか? ……それはまずい……)」
「ええ! 当然ですわ! ふふ、反応が楽しみですわよね」
「!!」
そう言って私がこの後の事を想像しながら笑うと、何故かサティさんの顔色はもっともっと悪くなった。
(あらあらますます酷い顔色に……大丈夫なのかしら?)
心配になったものの何もしてあげられないし……などと悩んでいたら、サティさんは青白い顔のままの引き攣った笑顔で私達に向ける。
何故かその身体は震えている。
(あら? サティさん……何かに脅えているみたい。本当にどうしたのかしら?)
「……っ! す、すまない。僕は緊急の用事を思い出してしまった……よ。実はも、もう行かないといけないんだ……は、ははは」
「あら、そうなのですか! では、この度は本当にありがとうございました」
「…………い、いや。気にしないでくれ………………そ、それでは、さようなら!」
「サティさんもお気を付けて」
「………………で、では!」
そう言ってサティさんは、別れの挨拶を済ませると、まるで逃げるかのように走って行ってしまった。
やっぱり運動神経は良さそうですわ。
しかし……
「…………そんなにお急ぎの用事があったのね。なのに申し訳ない事をしてしまったわ。遅刻されないと良いのだけど」
(きっとあんなに脅えてしまうくらい相手は時間に関して厳しい方に違いないわ)
凄い勢いで遠ざかって行くサティさんの背中を見ながら私はそう思った。
───もちろん、この時の私は、サティさんが誰かなんて知らない。
ただただ、かつて自分が書いた本のストーリーのような出来事が起き、自分の書いたセリフが飛び出していた事にも気付いて更に驚き、ひたすら興奮していただけ……