第9話 自覚する夫(仮)
「……分かっていた。こういう事だろうと分かっていたのに……いったい私は何を期待して……」
「旦那様(仮)? どうかしましたか?」
「…………何でもない」
「??」
様子のおかしな旦那様(仮)に私は首を傾げた。
───
旦那様(仮)は、突然訪ねて来た私を追い返したりはせずに、真っ赤な顔のまま部屋に入れてくれた。
「アリス……その、私を癒すと言うのはどういう……意味だ?」
戸惑いの表情でそう訊ねてくる旦那様(仮)に向かって私はにっこり笑ってこう言った。
「ベッドにうつ伏せになって下さいませ」
───と。
旦那様(仮)は表情こそ戸惑っていたけれど「分かった」と即答してベッドに向かうと、そのまま素直にうつ伏せになってくれた。
そこで、ようやく私は説明をする。
「旦那様(仮)! 私は今夜はマッサージをしに来ましたの!」
「マッ……!?」
───────
メイドの助言を受けて私がこれから旦那様(仮)にしようとしている“マッサージ”
癒しと言ったらこれしかありません! とメイドは自信満々に言っていた。
「それでは、マッサージをされたいご希望の箇所があったら遠慮なく仰って下さいね?」
「……あ、あぁ!」
「あの、旦那様(仮)! 私、初心者ですけど、旦那様(仮)の為に頑張りますから」
「しょっ!?」
そう言って私はがんばるぞ~と、腕を捲る。
だけど、私の発した“初心者”という言葉に旦那様(仮)が大きく反応して、ベッドから勢いよく起き上がると慌ててこちらに顔を向けた。
(あら? 赤かった顔が今度は青くなっているわ?)
「ま、ま、待て、待つんだ。待ってくれ! アリス……しょ、初心者だと!?」
「ええ、練習以外でマッサージするのは全くもって人生で初めての事ですわ!」
「しかも、初めてか!」
「はい! ですから今、とてもドキドキしていますわ!」
私は安心して欲しくてにっこり笑顔で答える。
「ご安心下さいませ! メイドからしっかり教わりましたから。バッチリでしてよ!」
「安心……しろ、だと? (か、壊滅的に不器用なアリスだぞ?)」
「はい! 旦那様(仮)の為に、たくさん練習しましたの。ですから、さぁ! もう一度ベッドにうつ伏せになってくださいませ!」
「うっ! わ……私のため……にわざわざアリスが……練習……」
ポソポソと何かを呟いた旦那様(仮)は、少しだけ躊躇う様子は見せたものの大人しくもう一度ベッドにうつ伏せになってくれた。
(……よしよし、いい感じよ!)
「それでは、旦那様(仮)! 行きますわよ、覚悟なさいませ!」
「覚悟っっ!? ちょっと、やっぱり待っ……アリス!!」
えいっ! という掛け声と共に私は、まず旦那様(仮)の肩に手を置いた。
───ゴリッ
(あ、硬い! これはもっと、力が必要ね……!)
「えいやっ!」
「うわぁぁぁーーーー」
その瞬間の旦那様(仮)の叫び声は屋敷内にとてもよく響いた。
───
「全く! てっきり、刺客か何かの襲来かと思えば……まさかのマッサージ!」
「「……」」
「何処までお騒がせ新婚夫婦なのですか! 癒しの時間を持つ事はいい事ですし、お二人が仲良しなのはよーーく分かりましたから、周囲がびっくりするので少しは自重してください」
「「……はい」」
旦那様(仮)の叫び声を聞いて何事かと駆け付けてきた老執事(73歳)に怒られてしまったわ。
私達は二人揃ってこってり絞られてしまった。
全く坊っちゃまは……! と特に旦那様(仮)の方が責められてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
(あまりにも硬すぎて、ついつい力が入り過ぎてしまったわ……)
「ごめんなさい。力加減って難しいのですね……メイドは女性だけど、旦那様(仮)は男性なのでもっと力を入れるべき! と張り切ってしまいましたわ」
「アリス……(淑女とは程遠い力だったぞ……)」
「でも、旦那様(仮)は、とても硬かったです。やっぱりお疲れなのですね」
私がそう言うと、そこは旦那様(仮)も自覚はあるようで……
「そうだな。何かやらかさないだろうかと、いつでもどこでも気になって気になって……おかげで毎日の眠りも浅くなっている自覚はある。疲れてはいるな」
「まぁ!」
(やっぱり、王女様の事を考えて……そして、睡眠までもが犠牲に!)
「(王女様って)そんなにお転婆なのですね……」
「あぁ……(君は)無自覚のようだがな」
「それですと、付き合う旦那様(仮)は大変じゃないですか……」
(それは疲れも溜まるはずだわ……)
「いや? 私はそこが(君の)良い所だと思っているよ」
「!」
(どんなに自分が振り回されても、それを相手の長所だと捉えているというの……?)
「お転婆でもいいじゃないか。立場上、周りは咎めようとするかもしれないが、楽しそうに笑っている姿を見ると私の胸は、こう……ポカポカと温かくなるからな」
「まぁ!」
そうなのね……旦那様(仮)は、きっと王女様のそういう、お転婆な所もお好きだったというわけね。
私は旦那様(仮)の王女様への愛の深さを知る。
(一途……一途だわ! 素敵! 私はこういうのを求めていたのよ!!)
「……愛、ですね」
「愛?」
私が微笑みながらそう呟くと、何故か旦那様(仮)は驚いた反応をする。
そして、少し呆然としたように呟く。
「これが…………愛、なのか?」
(あらら?)
「私は愛だと思ったのですが。違うのですか??」
「いやこれが愛……つまり、私は……(君を)愛して……いる?」
(もしかして、旦那様(仮)……王女様の事は“好き”だったけれど、それが“愛”だとは思っていなかったのかしら?)
私はそっと目を伏せる。
だって残念ながら今更、その気持ちを自覚しても遅い。
王女様の婚約は国同士の関係も絡んでくる話だと聞いている。
今更、無かった事にはならないもの。
────そう……“余程の事”がない限り。
(あぁ! 今更、そんな深い気持ちを自覚してしまうなんて! 旦那様(仮)ったら、お気の毒すぎるわ……)
「そういう事に……なるのかもしれませんね」
「そうか……そうだったのか。これが愛……愛だったのか」
「ええ。愛ですわ」
私がキッパリ答えると旦那様(仮)は「だが……(好きな)相手もいるようだし、私の気持ちは今更、迷惑だろう?」などと悲しそうに言った。
(あぁ、またしょぼくれたワンコ旦那様(仮)に戻ってしまったわ!!)
「今更だなんて! 想うのは旦那様(仮)の自由ですわ」
「!」
「そういう愛もあっていいと思いますのよ」
「アリス……! では、私は無理に(君を)諦めなくても……いいのか?」
「もちろんですわ!! ───って、えぇえ!?」
何故か、旦那様(仮)が私の腰を抱き寄せたと思ったらまた抱きしめてくる。
(何でまた!?)
「アリス……」
「!?」
(どうして、ここで私の名前を呼ぶの!? 違うでしょーー)
「なぁ、アリス……今夜は隣りで眠ってくれないか?」
「!?」
ここで旦那様(仮)の爆弾発言が降って来た。
「な、な、何を!? 私達は……白い……結婚!」
「あぁ。誓って(今はまだ)手は出さない。だが……(愛しい)君が隣にいてくれたらぐっすり眠れる気がするんだ」
「っ!」
「それに、今夜は私を“癒し”に来てくれたんだろう───アリス?」
「うっ!」
(そ、それを言われると!!)
「アリス」
「……」
「アリス」
「~~~!!」
こうして、この夜。
確かに、手は出されなかったけれど、私は旦那様(仮)の隣で眠る事になった。
(……お飾りの妻とは??)
心臓がバクバクして、なかなか眠れなくてたくさんぐるぐる悩んだけれど、その答えは出なかった。
ちなみに、旦那様(仮)は、相当の寝不足だったらしく、こっちの気も知らずに本当に直ぐにスヤスヤと寝入ってしまう。
「何でよ! …………もう! ギルバート様のバカ!」
何だか負けた気持ちになったので、スヤスヤ気持ち良さそうに眠っている旦那様(仮)のほっぺたをこっそりつねってあげた。
ようやく自覚した夫と、無自覚・勘違い妻のすれ違いは続く……




