13歳頃のミアのお話のラルフ視点+16歳頃のラルフのお話
※殺人や虐待などの要素を含みますので苦手な方は読まないでください。
最後の方に現在の話も少しあります。
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こんな生活はクソだ。
生きる為には仕方がなかった。
汚物にまみれながら盗みをやって、そして親父に殴られる。
親父は俺が10歳の頃から酒に溺れて、母さんと俺に暴力を振るうようになった。
それは次第にエスカレートしていき、今では、いつ殺されるかって怯えて暮らさなくてはいけなかった。
母さんは何も言わず、反撃することも無く、ただただ親父に殴られて泣いているだけ。
それを見るのはもうウンザリだ。
愛する母さんを痛めつけて傷つける親父が大嫌いだった。
なんで逃げないのか、母さんに一度だけ聞いてみたことがある。
母さんは涙を浮かべながら、「お父さんを愛しなさい」と言った。
すごく腹が立った。
こんなクソ親父、愛せるはずがなかった。
そして今日もまた、罵声と騒音が家の中から聞こえていた。
盗んだ食料や金目のものが入ったカバンを玄関に投げ置いて、慌てて家に入る。
「ふざけるな!誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」
親父の声がいつものように薄暗いボロ屋に響く。
俺が帰ってくると、必ずと言っていいほど母さんが親父に殴られている。
そしてそれは必ず俺にもまわってくる。
「薄汚い小僧が帰ってきたぞ…」
酒瓶をドンッとテーブルの上に置き、おもむろに椅子にズシンッと腰を掛ける親父。
俺は母さんに駆け寄り、傷の具合を見る。
母さんの綺麗な顔に、大きな痣が出来ていた。
これは今日つけられたものだ。
ほかの傷跡や痣は昔のやつだ。
「小僧、荷物はどうした?」
俺は親父を睨みつけながら玄関に置いたカバンを取りに行き、それを親父に渡す。
カバンを逆さまにして乱暴に中身を床に撒き散らかした親父は、空になったカバンを俺に投げつけてきた。
「これだけか!?こんな時間まで何して遊んでた!?」
町や村をあちこちまわって盗んできたというのに、これだけじゃ足りないらしい。
俺は黙って親父を睨み続けた。
「なんだその目は」
案の定、俺は親父に胸ぐらを掴まれ、床に投げ飛ばされた。
床に転がった俺の髪の毛を鷲掴みにし、顔を殴られた。
母さんの悲痛な叫び声が聞こえる。
「くそガキがッ!」
親父は、床に横になっている俺の腹を蹴り飛ばした。
その勢いで、母さんの足元に転がった俺は、母さんのブツブツと呪文でも唱えるかのような独り言を聞いた。
「あぁどうか私達をお救い下さい…」
神なんて存在しないのに。
いつもこうやって神に祈ることしか出来ない母さんを見るのも腹が立つ。
そして何より、母さんの為だと自分に言い聞かせながら、何もしない自分に一番腹が立つ。
俺がこのクソ野郎に刃向かったら、母さんは殺されるんじゃないかと思って、何も出来なかった。
親父の罵声と共に、殴る蹴るが繰り返され、母さんと俺はまた新しい傷や痣を作った。
殴り疲れた親父が寝室に入り、いびきをかいた時が、地獄のような一日が終わりを意味する時だった。
酒が抜けると、親父は俺に謝ってくる。
すまない、ごめんな、とか言いながら仕事に出て行き、酒臭い体で帰ってきて、また殴られる。
こんな日常を、同じように毎日繰り返す。
まだ小さい頃は、俺は悲しみに溢れていた。
成長していくにつれ、悲しみよりも、怒りが勝っていった。
毎日絶望的で、俺に母さんは救えないと思った。
いつしか悲しみや怒りは虚無へと変わっていった。
何年か前に盗みにいった村の教会に居た先生とその弟に、優しくしてもらった事がある。
時々何度か盗みに行くと、先生はあれこれ聞いてきて、俺を助けたいと言ってくれた。
先生は、俺の盗みにはとっくに気付いていたのに、何も咎めなかった。
それでも俺は何も話さなかった。
クソ親父のことも、愛する母さんのことも、自分のことも、なにひとつ話さなかった。
いや、話せなかったんだ。
心の中で、何かが俺を縛り付けていて、身動きがとれないでいる。
いつしか俺は、何も感じなくなっていた。
殴られることは痛かったけど、もう慣れた。
自分も、母さんも、親父も、どうなってもいいと思っていた。
そんな時、俺は一人の少女と出会った。
どこにでもいる、普通の女の子だったけど、その子の暮らす環境が異様で…納屋で鎖に繋がれていて、まるで犬みたいだったんだ。
その子は、良い服を着ていて、髪が長くて、育ちが良いんだなって見てすぐにわかったけど、何日も風呂に入っていないのか、顔も服も汚れていた。
なぜだか俺は、その日から少女が気になって仕方がなかった。
毎日盗みに行く村のひとつで、一際目立つ紫色のスカーフを身につけ、大きめの黒い帽子を深く被る女性を見つけた。
その人の身につけていた装飾品が高価そうだったから、俺は家までついて行くことにした。
この女性をこっそり尾行して辿り着いたのが、あの少女のいる家だ。
少女は納屋で繋がれていたけど、女性の方は家で暮らしていて、時間になると、食べ物を持って納屋に来る。
何日間か様子を伺っていたけど、殴られたり叩かれたりはされていないようだった。
気がついたら俺はその少女の目の前に姿を現して、盗んだパンや果物を少女にあげていた。
最初は怯えた様子だったが、俺が敵じゃないと認識したのか、次に会う時にはもう怯えた様子は無かった。
繋がれた鎖はガッチリと少女の足を締め付けていて、どうやっても外すことは出来なかった。
なんでこの子は、こんな薄暗い納屋で繋がれて、動物のような生活をさせられているのだろうか。
気になって、納屋の周りや隣の家を調べてみることにした。
元々、この家には盗みに来たので、気づかれないように家の中に忍び込む。
今までずっと、何年も盗みをやってきたが、侵入に気づかれたことは殆ど無かった。
今回も、いつもと同じようにこっそり窓から侵入する。
幸い、鍵がかかっておらず、容易に忍び込むことができた。
家の中は綺麗で、敷いてある絨毯が柔らかく、足音を消してくれていた。
どうやらここは寝室らしく、ベッドが部屋の中心にあり、脇にはサイドテーブルがあった。
サイドテーブルの上に、聖書が置いてある。
聖書を見ると、吐き気がする。
キリストとか、神とか、どうでもいい。
そんなもんに縋る奴らは、ただの弱虫だ。
サイドテーブルには引き出しが付いており、真ん中に鍵穴がある。
人の家の鍵を何度も開けてきた俺にとって、鍵開けは得意分野だ。
常に持ち歩いている針金を折り曲げたものをカバンから取り出して、引き出しの鍵穴に差し込む。
鍵がついているということは、きっと大事なものが入っているに違いない。
いつものように、針金を器用に動かし、鍵が開くのを待つ。
鍵穴からカチャっと音が聞こえた。
開いた音だ。
引き出しに手をかけて、ゆっくりと中を確認する。
指輪とか、金目のものを期待していた俺は、中身を手に取ってガッカリした。
中に入っていたのは、古い本と、注射器と、小さな小瓶。
手にした古い本をパラパラっと開いてみた。
そこには、臓物や血が出ている動物や人間の残酷な絵と、訳の分からない言葉ばかりが書いてあった。
どうやらこの家の主は、おかしなカルトや儀式に興味があるようだ。
趣味の悪い本を引き出しに戻そうとした時、本の中から何かが落ちた。
床に落ちたのは、紙切れのようなものだ。
拾ってみるとそれは、綺麗な茶髪をなびかせ、草むらで振り返った瞬間の女の子の写真だった。
邪悪な本にはそぐわない女の子の幸せそうな写真を、じっと見つめる。
納屋に居た少女にそっくりだ。
写真と違って少女は薄汚れていたが、間違いなく同一人物だ。
部屋の奥から物音が聞こえてきて、俺は慌てて写真をポケットにしまった。
本を元に場所に戻して、少しばかり服や装飾品などをカバンに詰め込み、入ってきた窓からその場を後にした。
ーーー
家に帰ると、いつものように、当たり前に、親父が母さんを怒鳴りつけていた。
母さんの目は虚ろで、涙で濡れた顔は赤く腫れ上がっていた。
俺は床に座り込む母さんに駆け寄り、全身で覆うように母さんを抱きしめた。
俺が母さんを守ろうとすると、親父は逆上して俺にターゲットを移すということを知っていた。
思い通り、親父の重たい平手打ちをくらう。
口の中が切れて、口から血を流しながら俺は、そばにあった包丁を手に取った。
こんなやつ、さっさと殺すべきだ。
殺られる前に、殺らなきゃ。
殺意全開の俺を見て、親父は挑発してきたが、後ろにいた母さんに突き飛ばされて、俺は包丁を床に落としてしまった。
母さんは俺を人殺しにしたくないのだろう、ああだこうだ言いながら泣いていた。
親父は俺を壁に叩きつけ、怒鳴り散らしながら寝室へと歩いて行き、扉を思い切り閉めた。
今日の地獄がようやく終わった。
毎日この終わりの時までの時間が、まるで永遠みたいに長く感じる。
俺は親父に殴られた顔や体の痛みに耐えながら、眠りについた。
ーーー
次の日、眠っている親父を静かに見下ろしながら、今親父を殺しておくべきか、なんて考えていた。
起きたらまた思ってもいない戯れ言を言いながら俺と母さんに泣きながら謝ってくるんだ。
それも嫌だったし、殴られることもうんざりだ。
いっそのこと、今ここで―。
そう思っても、母さんの親父を愛する気持ちを考えたら、出来なかった。
俺に失望して、自ら命を絶とうとする母さんを容易に想像できた。
眠る親父と母さんを家に残し、俺は外に出た。
市場や漁村をまわって盗んだ果物や貝などで食事を済ませてから、遠くの町まで行き、盗みを働いた。
いつの間にか、俺は気になっていた少女の元へと向かっていた。
少女の家は山の中にポツンとあり、辿り着くまでには何時間かかかった。
ようやく辿り着いた頃には夕方前で、少女の家の中を物色している間に、辺りは暗くなってきていた。
家の中には少女の母親らしい女性の姿は無く、納屋に近づいてみると、見知らぬ男性が二人、外を彷徨いていた。
これじゃ中に入れない…。
草陰からしばらく様子を伺って、男たちが居なくなるのを待った。
数分後、二人の男性が納屋の中に入って行くのを確認して、こっそりと納屋に近づく。
少女が居た場所は、納屋の壁にあいていた小さな隙間から覗けた。
だが少女はそこには居なかった。
俺は帰ろうと納屋に背中を向けた。
その時だった。
納屋の中から女の子の悲鳴が聞こえてきた。
恐怖や痛みを思わせるような、そんな悲鳴。
異常な叫び声に、俺はもう一度納屋の中を確認する為、納屋のまわりを歩いた。
少女が居た場所とは反対側へ向かうと、納屋の中に小さな部屋のようなものが見えた。
そこには窓があり、ほんのり揺らめくロウソクの明かりが部屋の壁に影となってうっすらと見えた。
微かに聞こえる人の声。
背が小さかった俺は、窓の縁に手をかけて背伸びをした。
窓の向こう側が見えた時、俺は目を見開いた。
少女は汚れたベッドに縛り付けられていて、か細い腕から血を流していた。
そばには紫色のストールを巻いた女性が、ブツブツと何かを喋っていて、先程まで外を彷徨いていた男性二人も近くに立っていた。
少女の顔は涙で汚れていて、意識が朦朧としている様子だった。
それを見た俺は、自分が親父に殴られている時に感じている、不安や怒りと似たような、嫌な感じがして、どうにかして少女を助けようと思った。
何か武器が必要だと思った俺は、納屋の隣の家の中に再び戻った。
女性が納屋にいたので、家の中は無人だ。
俺は堂々と家の中を物色して、小さなナイフを手にした。
これで納屋にいる女と男たちを殺せる。
急いで納屋に戻ろうと思ったその時、机の上で揺らめくロウソクが目に入った。
これで家に火をつければ、アイツらの気を引けるかもしれない。
俺はロウソクを手に取り、それを絨毯の上に投げ捨てた。
火はゆっくりと絨毯を焦がしていく。
去り際に、近所の酒店から盗んでいた酒瓶をあけて、燃える絨毯を目掛けて投げ込んだ。
すぐさま外に出て振り返ると、窓の中では火が燃え盛っていた。
家の中で踊るように燃え広がる炎は、何だかとても、美しかった。
少し眺めている間に火はあっという間に燃え広がり、バチバチと音を立てながら家を包み込んでいった。
納屋に戻り、様子を伺うと、男二人組が慌てた様子で納屋の外に出ていた。
二人は井戸の水を必死に汲んで、消火作業をしていたが、炎は勢いを増すばかりだ。
今のうちに納屋の中に入り、その中の小さな部屋に入った。
小さな部屋には扉はなく、ベッドに縛られ気を失っている少女と、窓の外を呆然と眺める紫スカーフの女が居た。
俺は後ろからこっそり近づいて、女の背中に飛びかかり、持っていたナイフで女の首を掻っ切った。
一瞬の出来事だった為、女は抵抗する間もなく、声を出すこともなく倒れ込んだ。
女の口と首は溢れ出す血でいっぱいになり、薄茶色の床は一瞬のうちに血の海へと変わった。
女はしばらく全身を震わせていたが、程なくして動きは止まり、俺の手は女の血で真っ赤に染まっていた。
人を殺したのに、何も感じなかった。
こんなにも簡単に、人は死ぬんだ。
気を失っている少女の腕からはポタポタと血が滴っていた。
まだ10歳くらいだろうか、自分よりも若い小さな女の子が、こんな扱いを受けるなんて。
俺は、足元で目を見開いたまま動かない女を見下ろし、睨みつけた。
こいつは俺のクソ親父と同じだ。
死んで当然のヤツだ。
まだ生きているか確認する為に、少女の頬を軽く叩いた。
少女は少しだけ唸ったが、目を開けなかった。
少女の細い手足を縛る縄を解いてやった。
ベッドに縛られていた手首や足首は、長い間圧迫されていたんだろう、紫色の痕になっていた。
目を覚ました少女。
叫び声をあげながら暴れだし、突き飛ばされた俺は床に尻もちをついた。
服が血だらけだ…。
少女は俺の顔を見て嬉しそうだった。
行くべき場所は、決まっていた。
彼女をおぶって納屋を出て、燃え盛る家を背中に俺は走った。
あまり食事を与えられていなかったのか、少女は軽かった。
外に男二人の姿は無かった。
追っ手も来ないと安心した俺は、燃える家が見えなくなる頃に足を弛めていた。
お互いにしばらく何も言わず、長い道のりを歩いた。
彼女は俺の背中に顔を埋めていた。
後ろから寝息も聞こえていた。
恐らく眠っているんだろう。
時間はわからなかったけど、辺りは真っ暗で、山道を下っている間は誰ともすれ違うことは無かった。
しばらくしてから、ようやく山を下りきった。
拓けた分かれ道に、ボロボロの一軒家があった。
少し休みたかった俺は、誰も住んでいないことを確認してから中に入った。
家の中に入ると、独特な匂いに一瞬噎せそうになった。
おばあちゃんおじいちゃんの家の匂いみたいな、古い家の匂い。
砂やホコリがあちらこちらに散らばって、至る所にクモの巣が張り巡らされていて、この家が長いこと無人だったことを物語っていた。
俺は背中の少女を床にゆっくりとおろした。
疲れきった顔で、静かに眠ったままの彼女を、しばらく眺めていた。
俺はこの時、母さんのことを考えていた。
いつもだったら、今頃は俺と母さんが家でクソ親父に殴られている頃だろうな…
考えたらゾッとした。
だが今は少女と一緒にボロ屋にいる。
親父に殴られない夜は何年ぶりだろうか、小さなガキだった頃以来かな。
でも母さんは今、親父の暴力を一人で耐えているはず。
俺がそばにいなくちゃいけないのに…
ーーー
壁に寄りかかる形で、いつの間にか俺は座ったまま、まるで気を失ったかのように眠っていた。
柔らかい手の感触で目を覚ましたが、反射的にその手を強く握ってしまった。
柔らかい手の主は、そばで眠っていたはずの少女だった。
びっくりした様子で腕の痛みを訴える彼女に、俺は謝りながら手を離した。
破れたカーテンの隙間から射し込む太陽の日差しが眩しい。
彼女の腕の傷の様子を確認してから、俺たちはボロ屋を後にした。
その後は、何も無い道を二人でひたすら歩いて、町が見えてきた頃には、足が限界だった。
隣の彼女は、久しぶりに見たのか、初めて見たのかは分からないが、町の人々の様子を嬉しそうに眺めていた。
俺はこの子を、誰に対しても優しい教会の先生に預けようと思っていた。
初めてこの町に来た時、みすぼらしい俺を見て、色々と詮索してくる先生をウザいと思った。
俺は何も話さなかったけど、先生は俺に教会に住むよう勧めてくれた。
この教会ならきっと快適で、食べるものにも困らないんだろう。
親父の暴力に怯えることの無い、幸せな生活…。
だけど、俺には母さんがいる。
だから俺は先生の誘いは断った。
教会から良さそうな物をたくさん盗んだ。
何度も教会を訪れては盗みを働いた。
先生は、気づいていた。
俺がいくら物を盗んでも、一切咎めることはなく、いつも温かい食事を与えてくれた。
だから俺はここに来た。
少女の手を取り、俺は足早に教会に向かった。
何かを言おうとしていたみたいだったが、俺が手を引っ張って遮ってしまった。
俺は特に気にせず、町を歩く人々の群れをかき分けていく。
辿り着いた教会の外には、子供たちが楽しそうに遊んでいた。
俺は、こんな風に笑って遊んだことなんて無かったな…。
唯一覚えているのは、糞尿の混じった泥で転んだ時に、近所の子供に笑われたことくらいだった。
楽しかった思い出なんて無い。
過去を思い出そうとしても、親父の顔ばかりが浮かんできて、虫唾が走る。
大きな扉を開けて、教会の中に入り、俺は少女を置いて、先生の部屋に真っ先に向かって行った。
部屋に入ると、薄緑色の髪を揺らしながら笑顔で子供達と話す先生がいた。
先生の名前はソフィア。
何故かは分からないが、誰に対してもソフィと呼んで欲しいと自分で言っている。
先生(以後ソフィ)が話していた子供達の傍には弟のノアが居た。
ソフィは、ノアは本当の姉弟ではないけど本当に弟だと思ってる、と言っていた。
内気で色白で声が小さいノアだが、背が高くて、ちょっと羨ましかった。
自分はもう16歳だったから、これ以上身長が伸びるとは思えない。
20歳くらいまで背が伸びるのだとしたら話は別だけど。
ソフィとノアは俺の姿を見て嬉しそうに微笑みかけてくれた。
もう乾いていたけど、全身を血で汚した俺を改めて確認すると、ソフィはノアに子供達を任せ、ノアと子供達はソフィと俺を残し部屋から出て行った。
俺に怪我がないか全身チェックを始めたソフィ。
体を見られたくなくて、咄嗟に手を払いのけてしまったけど、切れた服の隙間から親父につけられた傷や痣が丸見えだった。
そもそも、ソフィは既に俺が虐待を受けていることを知っていた。
痣や傷について聞かれても、転んだとしか言わなかった俺に、「いつでも頼って」と親身になってくれていた。
「時には逃げることも大切」と言われたこともある。
いつも俺を頑なに帰らせようとしなかったのは、きっとそういうことだろう。
少女のことをソフィに伝えると、ソフィは部屋の外に居たノアに俺を任せて、早々と彼女の元へと歩いていった。
ノアが教会の大広間の端のガラス扉の棚から色々と取り出している隙に、俺はその場を離れようとした。
「ちょっと…!待って…だめだよ」
ノアは慌てて俺の腕を掴み、傷の手当てをしようとしていた。
体の傷や痣を見られるのが嫌だった俺は、ノアの手を無理やり払い除け、教会を飛び出した。
正直、全身の痛みで本当は休みたかったけど、人に甘えるなんてことは絶対にしたくなかった。
それよりも、母さんのそばに居たい。
早く帰りたい。
なんだかんだしているうちに辺りは暗くなっていたし、足の裏の皮が所々剥げ落ちていて歩きたくなかったから、俺は静かな海辺で休む事にした。
教会の中や周りは子供達が元気いっぱいで騒がしかった。
ここなら、誰にも邪魔されずに、ゆっくりできる。
波の音を聞きながら、盗んだ果物を頬張る。
静かな夜って、いいな…。
そんなふうに感じていると、砂浜の入口の方から足音が聞こえてきた。
足音の方を確認すると、それは彼女だった。
汚れた体は綺麗になっていて、服も新しかった。
俺の姿を捉えた彼女は真っ先に俺に向かって抱きついてきた。
結構、痛かった。
その後は、色々話したり、一緒に果物を食べたりした。
誰と居ても、愛する母でさえ、心が落ち着く瞬間が無い俺が、不思議と、この子と居る時だけは、安らぎを感じていた。
何故だかは分からないけど。
ーーー
ソフィやノアに足止めを食らうのが面倒だから、その日の朝、まだ真っ暗なうちに、荷造りをして俺は町を出ようとしていた。
同じ部屋で隣のベッドで彼女は、疲れきってぐっすり眠っているようだった。
このまま何も言わずに出て行ったら、もう二度と会えないような、そんな気がした。
だから俺は、眠る彼女の傍に寄り添い、しばらくその顔を眺めていた。
初めて会った時は、バサついて傷んだ髪だった(俺が言えることじゃないけど)のに、綺麗にされた長い髪は、まるでサラサラだった。
まだ親父が前の安定した仕事をしていた時の、母さんの髪のように。
「…ミア」
つい、名前を呼んでしまった。
彼女から名前を聞いたことは無かったが、納屋に監禁されていた時、あのスカーフの女が彼女を「ミア」と呼んでいたのを覚えていた。
古い本から出てきた写真の裏にも名前が書いてあったから、きっとミアで間違いないはずだ。
いつも母さんがそうしてくれた様に、眠るミアの額に口づけをして、俺はその場を去った。
ーーー
教会の町から1時間ほど歩いた頃、ようやくいつもの見慣れた港が見えてきた。
町を出た時は暗かったが、朝日が昇り、港には漁師や商人が何人か居た。
商人の近くには、魚がたくさん入った箱が置いてある。
周りに居る人の動きや視線を確認してから、俺は箱の中の魚に手を伸ばした。
サッと手早くそいつをカバンに押し込み、足早に港を抜けていった。
港を抜けて少しした所に、俺の家がある。
港が近いからか、家の周りの土はいつもぬかるんでいて、生臭い。
泥をぴちゃぴちゃ言わせながら歩き、自宅の前までやってきた。
薄い木で出来た壁は、家の中の声や音が外まで丸聞こえで、中で何かが暴れている音がした。
瓶が割れる音に、泣き叫ぶような声。
その声は俺の嫌いな声だ。
親父がまた母さんを痛めつけている音に違いない。
俺は怒りで拳を固く握り締めていた。
もう終わりにしよう。
こんなこと、うんざりだ。
母さんと二人で、どこか遠くへ行こう。
玄関の扉を開け、勢いよく中へ入ったその時、俺はその場で凍りついた。
「…ひっく…ちくしょう…ちくしょうがァ…ひっ」
親父が泣いていたのだ。
膝をつき、嗚咽を混じえながら泣く親父の手には酒瓶が握りしめられている。
ゆっくりと歩き、親父の背中に近づいた時、向こうに見えたのは、横たわった母さんだった。
「…母さん?」
もっと近づいて母さんの顔を確認した。
その顔は青白く、まるで静かに眠っているようだったが、俺はすぐに悟った。
これは死体だ。
母さんが、死んでいる。
状況を整理するよりも、混乱で俺は頭が真っ白になっていた。
声で振り返った親父は、俺を見るやいなや強引に掴みかかってきた。
「クソガキが…!どこをほっつき歩いていたんだッ!?お前がっ…」
涙を流しながら激怒する親父の瞳は、真っ暗で、なにもない。ただ深く、暗闇だ。
「お前が居なかったから!俺の愛する妻は!死んだ!死んだんだッ!」
掴まれた状態で、俺は二度三度と顔を殴られた。
ボタボタと鼻血を垂らしながら俺はもがき、親父の腕を振り払った。
「アァ…」
ガクッと地べたに崩れ落ちる親父。
俺は母さんのそばに行き、横たわる体を抱きしめた。
「母さん、ただいま」
いつも優しく抱きしめてくれていた時の温かさは無く、その体は冷たくなっていた。
ふと、後ろから気配を感じて振り返った瞬間、親父が俺の首に手をかけてきた。
馬乗りにされて身動きが取れない。
床に押し付けるように物凄い力で首を絞められて、息もできない。
「母さんの元へ、一緒に行こうな」
俺を殺して、自分も死ぬつもりだ。
「…くっ…あっ…」
何がなんでも、クソ親父に殺されるのは、ごめんだ。
こんな奴に、殺されてたまるか。
そばに転がっていた瓶に向かって必死に手を伸ばした。
視界がぶれて、意識を失いそうになる。
もう限界だった。
伸ばした手が、ようやく瓶に辿り着いた時、俺は思い切りそいつを親父の頭へと叩きつけた。
「うがぁっ!」
首を締めていた親父の手が緩んだ瞬間、転がるようにそこから逃げ出した。
キッチンへと駆け込み、引き出しから包丁を取り出した。
それを握り締めて再び親父の居る居間まで戻り、ふらつく親父に向かって走っていく。
手にはトマトを刺した時のような感触がして、目の前の親父が、体を震わせていた。
「くそが…き…」
その体からは赤い血がダラダラと流れ落ちていた。
親父の腹に包丁を刺していたのだ。
よろよろと一歩二歩と後退りをしながら、床に倒れ込む親父を俺は睨みつけていた。
仰向けになり、自分の腹を手で押える親父に近づいた。
親父の血がべっとりと付着した包丁を握りしめ、仰向けの親父に跨った。
一瞬、親父とピタッと目が合う。
俺の顔を見た親父は、涙を流していたが、その顔に感情は無く、絶望しか感じられなかった。
それが、最期に見た親父の姿だ。
何度も、何度も、親父の体に包丁を突き刺しながら俺は、叫んでいた。
「アァアアァッ!クソ親父ッ!クソ親父ッ!お前なんかッ!死んで当然だッ!」
まるで血のシャワーを浴びたみたいに、俺の体は親父の血で全身真っ赤に染まっていた。
最初は声を出しながら口から血を吐いていた親父は、後半は目を見開いたまま人形の様にただただ揺れていただけだった。
穴だらけになった親父の横に包丁を投げ捨てて、俺は家を飛び出した。
道行く人々に怪訝な顔で見られながら、ひたすら走った。
時々、「ちょっと君…!」と呼び止められたけど、無視してずっとずっと走った。
村を出て、田畑や林を越えて、草むらで足が絡まって転んだ。
辺りは風でなびく木々の音だけで、人気はなく、静かだった。
30秒くらいだろうか、転んだまま動かずにじっとしていた。
真っ白だった頭の中が、霧が晴れていく様に少しずつ、正気を取り戻していった。
アイツの血でベタベタだ。気持ち悪い。
俺は体をゆっくりと起こし、その場に座った。
しんとした草原で、遠くに見える山々を見ながら、途端に感情が込み上げてきて、次から次へと涙が零れ落ちてきた。
とめどなく溢れ出る涙をボタボタと草の上に落としながら、母さんの笑顔や声を思い出していた。
もう二度と、見ることも無く、聞くこともない。
大好きだった母さんに、もう、会えないんだ。
座り込んでいた俺は、そのまま草の上に横になり、うずくまった。
静まり返った草原に、ラルフの声だけが、残された。
ーーー
今でも思い出す。あの時のことを。
忌まわしい5年前の出来事。
母さんを殺した親父を自らの手で殺したあの日から5年、俺は今、村人を悩ませているというイタズラネズミを探していた。
行く宛てもなく家族も居なかった俺は、盗みを働きながら放浪していた。
そして数年前にようやく見つけた良い仕事があった。
それが今俺がやっている、アサシンだ。
魔女や怪物、時には人間もだが、そういった類の奴らを殺すのが俺の仕事だ。
安い依頼は断るが、大金を出してくれる奴からの依頼は必ず引き受ける。
まぁ、賞金稼ぎみたいなもんか。
イタズラネズミっつーのは、イタズラが好きな喋るネズミのことだ。
二足歩行で身長は俺の半分くらい、小さい目に、鼻からはヒゲが生えていて、口には2本の歯が見えている。
おまけにクソデブだ。
村人が言うには、夜な夜な民家に忍び込み、食いもんや金品を盗んでいくそうで、そいつを始末して欲しいとの事…だが、そいつと同じことをしてきた俺は、正直気が乗らなかった。
いつもなら断るところだが、村の金持ち連中がかなりの額を支払ってくれるそうで、断れなかった。
たかがイタズラネズミに大金を出す理由は知らない、知りたくもない。
デブネズミを始末することは至って簡単だが、どうするか…。
…To be continued.




