95 好きだよ
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いつも誤字脱字報告ありがとうございます。
私は、レアリスさんに玄武さんを任せて、一人でふらりといなくなったリュシーお母さまを捜した。
お母さまは、お父さんが張ってくれた結界のお陰で、迷わなくなった森の範囲ギリギリの所にいた。木の幹に寄り掛かって、ぼんやりと木陰から覗き見える夕方に差し掛かった青空を見ているようだったけど、遠目でもその目には何も映っていないのが、何となく分かった。
声を掛けようとして、木の根っこを跨いだら、見事に引っ掛かって転んだ。この運動神経の無さには、自分でもほとほと呆れ果てる。
鼻の頭を摩りながら起き上がろうとしたら、すぐ目の前にお母さまが立っていて、私をきょとんと見下ろすと、スッと手を出してくれた。私はそれを掴むと、お母さまが引っ張り起してくれようとしたんだけど、何故かお母さまを巻き込んで、また倒れてしまった。
「……鈍くさくて、ごめんなさい」
お母さまを下敷きにしたまま謝ると、急に「あははは」と笑い声がした。そして、いきなりギュッと抱き付かれた。
「やっぱり女の子って柔らかいわ。たまにこうしたいのに、オーリィちゃんは五歳までしか抱っこさせてくれなかったし、すぐに筋っぽくて可愛くなくなっちゃったから」
成人男性が日常的に母親に抱っこされるのはあまり良い習慣ではないので、王子は一般的な感覚を持って育ったようで良かった。
お母さまは、私を抱っこしたまま「よいしょ」と起き上がって、私の背中に回した手で、ポンポンと何回かあやすように軽く叩いた。
「ごめんね、ハルちゃん。私のことを捜してくれたのね」
体を離してお母さまを見たら、まだ目の縁は赤かったけど、その目は随分と元に戻っていた。不安とか悲しみとか、この短時間でねじ伏せたと言った方が正しいと思うけど。
この方に、これを言うのはどうしようか迷ったけど、その目を見たら、不確かな情報だったとしても、お母さまなら受け入れてくれると思った。
「はい。私、お母さまにお伝えしたいことがあって」
私は、お母さまに私のスキルで、玄武のメイさんが言った〝万能の霊薬〟が作れる可能性があることを伝えた。
「メイさんもどんな素材が必要か分からないと言ったし、多分、素材は想像もできない程、手に入れることが困難かもしれませんが、可能性はゼロではないです」
勇者綾人君の手記にも、この世界エルセのどんな神話にも載っていないけど、確かにメイさんが「神が作りし」って言ったから、絶対にあるはずだった。
私のこじつけと言ってもいい理論に、それでもお母さまは耳を傾けてくれた。
「私が王子を治してみせます。だから、お母さま、私に少し賭けてみてください」
可能性はゼロではないけど、限りなくゼロに近い話だ。だけど、私は絶対に叶えてみせる。
「あなたって子は、本当に……」
そう言ったきり、言葉を詰まらせたけど、でもすぐに、お母さまは王子そっくりでハッとするほど綺麗な笑顔を見せてくれた。
「ねえ、ハルちゃん。あなたには、知っていて欲しいことがあるの。オーレリアンのこと」
お母さまは私の手を握ってそう言った。
私たちは、少し平らな場所に出ると、いつも使っている野外用の三人掛けソファを出すと、お母さまと並んで座った。いつだったか、王子やレアリスさんと一緒に座ったことを思い出した。
「ハルちゃんにとっては、辛いことを言うかもしれないけど聞いてね」
慎重に話し出すお母さまに、私は頷いた。
「たしかに、オーレリアンは命を削っても聖女召喚を実行した。でもそれはね、前回の召喚時には十人を超える魔術師たちが召喚のために命を落としてしまったけど、今回の召喚では、召喚した聖女に罪悪感を植え付けないために、絶対に死なない方法を模索して臨んだの」
私の胸は、命を削ったというフレーズに痛みを覚えたけど、何とか表情を崩さずに堪えた。
王子は、やって来る聖女に、命の犠牲を盾にするようなことはしたくないと、誰の命も損なわずに召喚を成功させた。
「だから、あの子が目を覚ましたら、知らないふりをしてほしいの」
自分が命を危険に晒したと知ってほしくないと思っているだろうとお母さまが言ったけど、私は静かに首を振った。
それにお母さまが寂しく笑って、「そうよね。嫌よね」と呟いたから、私はもう一度首を振った。
「違います。私は王子を褒めてあげたいです」
王子は確かに、自分が払った犠牲を私や有紗ちゃんに知られたくないと思うけど、でも、少なくとも私は知らないふりをしたくはなかった。
そう伝えたら、お母さまは私を黙ってギュッと抱きしめた。そして、少し考える様子を見せてから、「もう一つ伝えてもいいかしら」と言って、そっと話してくれた。
「オーレリアンが、とても眠りが浅いのは知っている?」
お母さまが言っていることは、前にガルが教えてくれたので知っていたから、私は頷いた。だから、たまにここに来た時は、ウトウトしていたり、遅くまで起きてこないこともある。
「そう。ここではそんな風にしているのね」
そう言ったお母さまが、どこか嬉しそうな表情のような気がする。
「あの子はね、王宮に来たすぐ後から、いろいろな魔物の討伐に駆り出されていたの」
その馬鹿みたいな魔力量を遊ばせておくのは王族としてどうかと、リュシーお母さまと王子の存在を良く思わない人たちから、そんな難癖をつけられていたらしい。
王子は、お母さまの故郷の「黒の森」にも繋がりがあったから、早くからいろいろな魔術を使えたんだって。お母さまが「あのばばぁたちが面白半分に教えていたから初級魔術だと思っていたら、最高難易度のヤツだった」と、黒の森の魔女さんたちのことを口汚く罵っていた。どうやらお母さまに内緒で王子に魔術を教えていたらしい。試しに使わせてみたら、森の一角を燃やしてしまったので、後から魔女さんたちをこってりと絞ったらしいけど。
あの、聖女夕奈さんが残した「流星」と「劫火」の魔術は、人類の魔術の中でも最高難易度で、当時三人ほどしか使えなかったようだ。その王子の能力に目を付けた貴族の人たちが、王子を何度も死地に送ったそうだ。平民出なのに、誰よりも王族らしい容姿の王子が余程気に食わなかったのだろう。
だからたかだか十二歳の少年でしかなかった王子が、ユーシスさんが遭遇した精鋭部隊が全滅するような魔物を前にしても、逃げ出すことなく戦えたんだ。
どういう考え方で、どんな良識を持っていたら、そんな小さな子が恐怖に慣れてしまえるほど、戦場に送ることができるのだろう。
私は、その顔も知らない貴族の人たちが嫌いになった。
でも、王位継承権を王子は持ってないから、そんなに気にすることじゃなかったんじゃ。
王位が継承できない王子を、そこまで目の仇にする理由が分からなかった。
「オーレリアンが言ったことがあったかもしれないけど、私の故郷の〝黒の森〟というのは、とても特殊な一族なの」
確か、王子もそんなことを言っていたような。みんな偏屈だけど、権力に興味がなくて、凄い力を持っていて国防にも一役買っているって。そして、この国の建国よりもずっと古くからある一族だと。
「身分は平民でも、由緒正しい一族だから、王家とだって結婚できるわ。歴代の魔女たちは、むしろ請われても断ってきたくらいだもの」
私がその伝統を壊してしまったけど、とお母さまは苦笑した。
そう言えば、現国王陛下であるアルセイド様の三つ子の妹姫が預けられるくらいだから、元々王国の貴族が太刀打ちできないくらいの血筋なんだね。
そうか。だから、レイセリク殿下やイリアス殿下を押しのけて、王子を担ぎ出そうとする人間がいてもおかしくないのか。お母さまがいくら愛妾と公言して、王子に王位継承権がなくても、王子の存在は常に危うい権力バランスに左右される可能性があったんだ。
「でも最近は、あのイリアスがオーレリアンを認めるようになったから、少なくとも二人の不仲を理由にオーレリアンを排斥する動きはなくなったの。これはハルちゃんのお陰よ」
そんな大層なことをした覚えはないけど、確かにセリカへの旅で二人の関係は劇的に変わったと思う。多分、そうなるきっかけは、イリアス殿下が国王陛下が実の父親ではなかったことを知ったことだったと思う。
それでも、王子の能力がもっと平凡であったら、ここまで身体を酷使することはなかったとお母さまが言った。
「オーレリアンは、戦場を渡り歩く中で、四つ目のスキル『魔力譲渡』を開花させてしまった」
魔力譲渡はかなり珍しいスキルみたいだ。
本来魔力は、自然回復が望ましいらしい。魔力ポーションか魔石から補充することができるけど、ドーピングと一緒だから、できるだけ頼らないのがいいって。それに、普通は他人の魔力を自分の魔力として使うことはできないらしいから、自分の意思で魔力を補充できない状況にあっては、「魔力譲渡」はかなり有用なものみたいだ。
でも、それは、他人に分けられるだけの魔力量があればの話だ。
古代の魔術にはそういったものもあったようだけど、なくなれば命に関わる魔力を他人から搾取するのは人道に悖るものとして、その手の魔術は禁忌とされて廃止されたらしい。
だけど、不幸にも王子は、大魔術を使用したとしても、他者に分け与えられるだけの魔力量があったから、そのスキルを惜しみなく使っていたようだ。
王子が参加する戦闘は、それだけで飛躍的に生存率が上がり、一時期王子は、年にひと月ほど王宮に帰る以外は、ほぼ魔物との戦いに明け暮れていたそうだ。
「そんな生活であの子の心は疲弊していて、ここ数年、ずっと不眠を患っていたの。そして、魔力の巡りも悪くなって、ずっと悪循環が繰り返されてきたわ」
その不調を、王子はただその強靭な精神力で押さえつけてきたらしい。
それを聞いて、どうしようもなく胸が締め付けられた。
「だから、あの子があなたの側でなら眠れるのなら、何にも代えがたい存在なのだと思うわ」
お母さまは、私の肩にそっと寄り掛かってきた。
「ありがとう。あなたがこの世界に来てくれて、本当に良かった」
いつだったか王子が言ったのと、同じような言葉をお母さまが言った。あの時の王子も、お母さまと同じように思っていてくれたのかな?
私は、鼻の奥がつんとするのを我慢して、肩に顔を埋めたお母さまの髪を撫でた。お母さまも、ずっと耐えて来たんだもの。今ぐらいは、誰かに寄り掛かってもいいでしょ。
王子は、こうして誰かに寄り掛かったことがあるのかな?
私はこれまで守られてばかりだったけど、今は守ってあげたい。みんなを救おうとする王子の、その重圧を少しでも減らしたい。
もっと、笑顔が見られるように。
不意に、スッと胸に落ちる感覚があった。
ああ、そうか。私は、王子のことが好きなんだ。
あれが初恋だったなと覚えている学生の頃に感じた、どこか気恥ずかしくてソワソワするような、相手の姿が見えるだけで嬉しくなるような感覚じゃないけど、それよりもずっとしっかりと根を下ろしたような感覚だった。
召喚されてここに来てから今まで、この世界にいる人たちに認められることに、私は召喚された意味を求めていた。
でも、今ははっきりと言える。
私がここで生きる意味は、私自身が決めていいんだって。
「お母さま。私、この世界に残ります」
お母さまが顔を上げて私を見て、驚いたように目を大きくした。
「……ハルちゃん。それって……」
「王子に対する罪悪感とかじゃないので、誤解しないでくださいね」
リウィアさんの時もそうだったけど、私が出会った人たちは簡単に自分の命を天秤に掛けてしまう。王子に生きたくない理由が無い限り、私はその天秤を生きる方へ傾けたい。
「王子が諦めても、私がその分諦めませんから」
そう宣言したら、お母さまが最後に一粒だけ涙を零し、そして綺麗に笑ってくれた。
私たちは何となく手を繋いでログハウスに向かった。
王子が目覚めたのは、二日後の昼過ぎだった。
その間、王子の側を離れたがらなくて、一晩寝ずの番をしたユーシスさんを説得した。私やお母さまの雰囲気が変わったのを察して、少し緊張を解いたらしく、私が強引に王子の側に出したソファに寝かしつけて、しばらくいい子いい子していると、ようやく眠りに就いた。
それから、玄武さんが二回くらい王子の胸の上に乗ってあの治療をしたら、王子が目を覚ました。
ユーシスさんは目を覚ました王子を見て、目元を赤くしたけど、すぐに深く一礼をして足早に階下に降りてしまった。涙を隠す意地を、少し微笑ましい気持ちで見送った。
「どうやら、迷惑を掛けたみたいだな」
レアリスさんが起こすのを手伝ってくれて、今は大きなクッションを背に当てて、ベッドに半身を起して座った姿勢だ。
そして、少し重たい口調で、一番最初に王子が言ったのはそんな言葉だった。
私はみんなにお願いして、王子と少し話をしたくて、二人にしてもらった。
王子の枕元に椅子を置いて、薄めのスポーツドリンクを飲むのを待った。メイさんがいろいろとコントロールしてくれたようで、それほどの不調は感じられなかった。
「……それで?お前にはバレたみたいだな」
自分が二日寝ていたと聞いて、諦めたような重い溜息を吐いて、王子はそう言った。
私は素直に頷く。それに王子は少し驚いたような顔を見せた。
「お前は、もっと自分を責めたり、俺に怒ったりするのかと思った」
王子の決意を汚すようなことはしたくないから、私は今度はただ首を振った。
「……そうか」
ボソッと呟いて、王子はそれきり沈黙した。やっぱり倒れた余韻があるのか、いつもより会話に力もキレもなかった。
王子は愚痴は言っても、決して弱音を吐かない人だ。多分、王子の本音が聞けるのは、ぼんやりとした今しかないと思った。
「ねえ。王子はどうしてそんなに頑張るの?」
私が「もう十分じゃない?」と尋ねると、王子は閉じていた目を一度私に向け、ふいと窓の外に移してしまった。
「俺は、中途半端な王族なのに、あいつらは、俺の号令一つで、簡単に死にに行くんだよ」
言葉は少なかったけど、多分〝あいつら〟って、一緒に前線で戦った騎士や兵士の人たちのことだろう。でも、きっとその人たちは、王子が王族だからというだけで、従った訳じゃないと思うよ。王子になら、命を預けられると思っているんじゃないかな。
ああ、でももしかしたら、その人たちへの罪悪感が、王子を不眠にしている原因の一つかもしれない。だからあれほど、私たち異世界人に犠牲を隠したがっていたのかも。
「それに、俺に助けられたからって、守り切れなかったのに『ありがとう』って言うんだ」
それは兵士だけじゃなくて、ふつうの町や村の人もいたかもしれない。財産や家族を失って罵る人もいただろうけど、きっと王子はそれを超える人たちを助けてきたんだろうと思う。
だからこそ、そんな言葉が王子にも届いたんだ。
そしておそらくそれが、王子が犠牲を厭わない大きな理由なんだろう。
「だから、俺は、やれることがあるなら、出し惜しみしたくない」
王子の中では、ヒロイックな自己満足を満たす自己犠牲なんて安易なものはなかった。
ぼんやりとした口調だけど、かえってそれが取り繕わない王子の本心だと思った。
本当に仕方のない人だと、思った。
私は、片膝を王子のベッドに乗せると、王子の頭をそっと包むように抱き寄せた。
もういいよ。王子がやりたいことをやれるように、私が側にいるよ。
「……???」
王子が珍しく状況を把握できていないみたいで、硬直している。その隙に、私は王子の髪を撫でて、そこにそっと頬を預けた。
「な、お、おま……!俺、二日風呂入ってないんだぞ」
慌てて言ったことがそんなことで、私は余計にギュッとしてみた。
「王子、お疲れさま。よく頑張ったね」
少しジタバタしていたけど、そう言ったら大人しくなった。
「これからは、私も一緒に頑張るからね」
王子には、ユーシスさんもレアリスさんも、お母さまもいる。だから、もう一人で頑張らないでいいからね。
言葉にはしなかったけど、そう思った部分がきっと王子に伝わった。
それまで私から離れようとしていたけど、恐る恐る腕が私の体に回って、痛くないくらいの力で引き寄せられた。そして、軽く、私の胸に頭を預けてくる感触がした。
ガルやお父さんたちに感じる親愛や、ユーシスさんやレアリスさんたちに感じる信頼とも違う感情が、胸いっぱいに溢れた。
やっぱりね。私は王子のことが好きみたいだよ。
王子の不眠の理由と主人公の気持ちをようやく公開できました。
前回も書きましたが、ここまで長かった。
本業が最盛期となるので、もしかすると二週空いてしまうかもしれませんが、コツコツと書いていきますので、更新の際は次回も閲覧よろしくお願いします。




