94 奇跡は起こすもの
3月18日、少し加筆しました。
王子をログハウスの二階の王子の部屋へ連れて行ってもらい、玄武さんも一緒に来てもらうのに、私では抱っこして二階に上がれないから、ガルが玄武さんを背中に乗せて運んでくれた。
その玄武さんの指示で、ユーシスさんに王子の服を寛がせてベッドに寝かせてもらい、体温を下げないようにと冬用の毛布を掛けた。
ユーシスさんは、自分の体温を分けようとするみたいに、王子の頬を手で包んだ。ユーシスさんの大きな手は、王子の顔をすっぽりと覆ったけど、それでも王子は目覚めない。
そこに、玄武さんがガルの背中からベッドに乗り移り、容態を診るために王子の隣に陣取る。
ガルは入り口近くにいる私の所に来て、ぴったりと寄り添ってくれた。
私は、怖くて王子に近づけなかったからだ。
「玄武。何故、殿下はこんなに冷たいのですか?」
頼りなげに尋ねるユーシスさんの腕を、クロさんが宥めるようにトントンと口で突いて、メイさんが王子を見ながら言った。
『今こいつは、一時的に魔力が流れない状態になっている』
「……それは、血も身体に廻らないではないですか!」
この世界の人は、常に魔力が身体を巡っている。それは血液の流れも補助しているらしい。
リウィアさんの弟さんが一番の例で、魔力を留められずに身体に流せない状態だった。それがなくてはこの世界の人たちは呼吸をすることすらままならないという。だから、私たち異世界の人間が思うよりもずっと、魔力は命の根幹に関わるもののようだ。
ただ、王子の状態は、またそれとは違うみたいで、魔力自体は身体にあるけど、それが動かない状態のようだ。
『そんな顔するな。今すぐどうこうなる訳じゃねぇよ』
そうクロさんが優しくユーシスさんに言うけど、ユーシスさんの強張りは取れなかった。
『安心しろ、私たちがその流れを正してやることができる』
その言葉に、ユーシスさんの目元が揺れる。
「私に出来ることなら何でもします。だから、殿下を……」
王子の枕元に置いた手の甲に自分の額を付けて、祈るように玄武のお二人に懇願するユーシスさんに、メイさんは無言で毛布を剥がすと、王子の胸に乗っかって、心臓の上あたりに伏せた。ちょっと王子が苦しそうにした。
まさか、ショック療法じゃないよね。
私とユーシスさんがちょっと慌てたけど、そのままメイさんが目を瞑ってしまったので、私たちは玄武さんと王子を見守るしかなかった。
すぐに、玄武さんの体が白く光って、何かが行われているのが分かった。
「あ、……殿下」
一番近くにいるユーシスさんが、すぐに王子の変化に気付いた。蒼白だった王子の顔色が、少し色を取り戻してきたように見えた。
『他でもない、〝霊薬の宿主〟と呼ばれ、水を司る私がいて良かったな』
何かで滞っていた王子の魔力を、メイさんがその四獣の力で流してくれたようだった。
クロさんが言うのには、人間の治癒の魔術やポーションでは治らなかったようだ。流れないものをいくら外部から押し付けても、魔力が干渉し合って余計悪化するそうだ。本当にここに玄武さんがいて良かった。
朱雀さんが火を、白虎さんが風を操るように、玄武さんは魔力ではなくて体内にある流体に干渉できる力があるからできたことだった。
『分かっていると思うが、これは応急処置だ。完治した訳ではないことは覚えておけ』
その言葉が重く圧し掛かった。メイさんは、滞ったものを流しただけで、その原因が解決した訳ではないそうだ。
それに言葉を失った私とユーシスさんに、メイさんが『私たちがいる間は安心しろ』と加えて、少しだけど息が吐けるようになったと感じた。それはユーシスさんも同じのようで、小さな息を吐き出した。
『恐らく数時間は目を覚まさないだろう。少し休め』
メイさんが私とユーシスさんに言うけど、ユーシスさんは残ると言った。休めと言うから取りあえず廊下に出たけれど、私はどうしたらいいか分からなかった。
私の脳裏には、冷たくなった両親と対面したあの時のことが浮かんでいた。頬も、唇にすらも、一切の血の気を感じなかった両親の遺体が、一瞬王子と重なってしまった。
足の力が抜けて廊下の壁にもたれかかってしゃがみ込んだ。
『大丈夫。大丈夫だ、ハル』
ガルがずっと、そう耳元で言ってくれた。これでは立場が逆だね。
『ハル。一度一階に下りて休もう。ここは人間の騎士に任せておけ』
ガルが、私の体を押すようにして、小さな声で促した。私は頷くと、ふらつく体を引きずって、子供たちが待機しているリビングに下りた。
『ハル。王子は?』
ソファに倒れ込むように座った私に、ハティが心配そうに尋ねる。
「ん、大丈夫だよ。今、玄武さんが治療してくれて、まだ目は覚まさないけど、顔色はよくなったから」
『良かった。王子、早く元気になるといいね』
「……そうだね。本当に、そうだね」
私は、隣に寄り添ったハティをギュッと抱きしめて、身体が震えるのをなんとか止めた。
どれぐらいそうしていただろう。少し庭が騒がしくなった。
バン、と少し乱暴にドアが開いて、リュシーお母さまがいた。私は立って出迎える。
「オーレリアンは?」
「……二階に。今、ユーシスさんと玄武さんがついていてくれています」
『俺が案内する』
「ありがとう。ハルちゃんも」
私の頭を撫でると、ガルの後について二階に上がるお母さまは、とても落ち着いて見えた。
二階に消えた背中を見送ると、今度はレアリスさんが入って来た。どうやらお母さまは、自分で転移して一足先にここに来たみたいだ。レアリスさんはお母さまに真っ先に知らせると、すぐに取って返し、再びお父さんと帰ってきたそうだ。
レアリスさんは、私の顔を見て少し顔を顰めた。そして、私をゆっくりとソファに座らせると、キッチンへ行って、ハチミツを入れたホットミルクを作ってくれた。そのカップを受け取って、この夏の日に私の手は氷のように冷たくなっていたことに気付く。
レアリスさんは、震える手をそっと支えてくれて、飲むのを助けてくれた。
温かさが身に落ちて、私はようやく息を吐けたような気がした。
しばらく、沈黙が下りる。子供たちもレアリスさんも何も言わずに、私に寄り添ってくれた。それが、今はありがたいと思う。
そのうち、二階のドアが開く音がして、背中に玄武さんを乗せたガルとお母さまが下りてきた。
「心配かけたわね。顔色も呼吸も正常だし、スヤスヤ寝ているわ」
『あれは、一種の過労だ。ハル、起きたらお前からも休めと言っておけ』
クロさんが私に言った。やっぱり王子は働きすぎみたいだ。私は神妙に頷いた。
もう、こんな想いをするのは嫌だから、イリアス殿下にも掛けあって休みを取ってもらおう。
「はぁ、心配したらおなか空いちゃった。ハルちゃん、あの子はユーシスくんに任せて、何かおやつを食べさせて。パンケーキがいい。あのアイスっていうのが乗ったヤツ」
お母さまがそんな風にリクエストなさったので、私の肩の力がどっと抜けた。
「はい。たくさん作りますね。レジェンドの皆さんの分も作って」
「ああ、そうだ。竜たちもいたわね。じゃあその間、お外のみんなにもお礼言ってくる」
『私たちも行こう』
「あら、じゃあ、ご一緒に」
メイさんがお母さまにそう言ったので、お母さまは玄武さんを抱っこした。ガルくらいの重さだけど、結構軽々と持って、さすがお母さまだと思った。
少し浮上した気分になって、私はレアリスさんと子供たちにお礼を言ってパンケーキを作ることにした。レアリスさんが手伝ってくれたよ。
でも、ログハウスの中だと、フライパンとホットプレートを使っても、あまり数が焼けない。久しぶりに野外の調理場の大きな鉄板を使おう。
さっそく、生地やトッピングを抱えて外に出ると、レジェンドたちは広いお庭で日光浴をしていた。あれ?お母さまと玄武さんがいないや。
私が尋ねると、お父さんがくぁっとあくびしながら、『散歩だと言ってあっちにいったぞ』と鼻先で指して教えてくれた。ちょうど小さいログハウスの向こう側の森に向かうのが見えた。
あ、あっちには確か、自生してる木苺があるってハティが言ってた。季節は終わりかけだけど、摘んで食べるのもいいかも。
私は、調理場にあった籠を持って三人を追いかけた。
森に入ると、すぐ浅い場所でお母さまがいらっしゃるのを見つけた。そこは少し開けていて、小さい玄武さんにお母さまが跪いているのが見えた。
「……と、聞き……ください」
途切れがちだけど、お母さまの声が聞こえた。でもその声は、どこか切羽詰まったものだ。
私は不穏なものを感じて、気配を潜めて近付く。ちょうど茂みがあって、隠れられた。
『私の見立てでは、あと五年、長くて七、八年といったところか。だが、今のまま魔力を使い続ければ、いくらでも短くなるだろう』
メイさんがそう言うと、お母さまは目を瞑った。
なんの話?
その雰囲気があまりにも重くて、私は胸騒ぎのあまり、胸が苦しくなった。
「やはり、霊獣である玄武から見ても、オーレリアンに残された時間はそうなのですね」
……え?
いま、なんて……?
『あの者は二十一だと聞いた。だが、あの魔力器官の損耗は、数百年を経たかのようだ』
『ああ、俺の見立てでも、あれは生命力まで使って酷使している状態だ』
『魔力を使わず、最大限の注意を払っても、長くても三十までは生きられまい。それは、そなたも知っていたようだな』
お母さまは、静かに頷いた。
「玄武、お願いがございます。あなたは〝霊薬の宿主〟と呼ばれる生命の象徴と伺いました。また、ファビウス公家の後継者を難病から救ったと。なれば、あの子を、オーレリアンを救う手立てをお教えください。叶うなら、私がすべて、望むものを捧げますから」
お母さまが、地面に付くほど深く、玄武さんに額づいた。
『黒の森の魔女よ。魔術の理を知る、彼の地で育ったそなたなら分かろう。失った魔力ならばポーションでも補えるが、生命力を使えばもう元には戻らぬと。酷なことを言うが、それこそ、神が作りし〝万能の霊薬〟という奇跡でも無い限りな』
顔を上げたお母さまは、静かに涙しながら「存じております」と言って微笑んだ。
「それでも、一縷の望みに縋らずにはおれない。……それが「母」という生き物です」
覚悟など、何度も何度もしたと言った。それでもなお、道を探らずにはおれない、と。
『あれほどの魔力量を持ちながら、あれだけの命数の酷使。本人も覚悟の上で使ったのだろうが……〝聖女召喚〟か』
メイさんの小さな声が聞こえた。
頭を、強烈な力で殴られたようだった。目の前が暗くなった。
ガサッと音がして、みんながこちらを見た。
気付けば、持っていた籠を落とし、私はその場に立ち尽くしていた。
「ハル!なぜ、ここに!?」
お母さまの狼狽えた声が聞こえた。けど、私の頭には言葉が入って来なかった。
「あ、……わ、私が……王子を……?」
呼吸が、上手く出来ない。苦しいよ。
「違う、違うわ!あなたのせいではない。それだけは絶対に違うの!」
そんな息をしようと喘ぐ私を、お母さまがそう言って強く抱きしめた。
「……でも、私が、ここに、来たから……」
「そんなこと、言わないで」
背中がしなる程に抱きしめられて、その痛みに、少しだけ言葉が形をなした気がした。
「あなたが、どれだけ私たちを救ってくれたか。オーレリアンもそうよ。だから、あなたがここにいることは、私たちにとっては女神が与えた奇跡なのよ」
お母さまが埋めた私の肩に、温かいものが広がった。
あのリュシーお母さまが泣いている。
「だからお願いよ、ハル。あなたを否定しないで」
「…………ぅ………」
お母さまの言葉と同時に、何かが胸に競り上がってきて、言葉も息も涙も、すべてが行き場を失ってしまった。
でも、それで私がやるべきことが急に分かった気がする。
聞こえないふりをして、自分の感情だけを振りかざせば、この胸に凝ったものを少しは軽くできるかもしれない。でも、それはやってはいけないことだと思った。
王子が何を想って命を削ったか。
それは王族としての義務感かもしれないし、その他の何かかもしれない。
私が自分のせいだと泣いて喚いて否定することは、その想いも否定することだ。
それに王子は、これまでやってきたことを、何も誇らないし、驕らない。お母さまも、そんな王子を止めない。どれだけ心の中で慟哭したとしても。
だから、私は、二人を黙って受け止めなければならない。そう思った。
私は、お母さまの華奢な背中に手を回し、いっぱいいっぱい色んなことを背負ったそこをそっと撫でた。声を上げて泣いていい人が自分なんだと、それを知ってほしかった。
お母さまの体が強張って、そして、その腕がもっと強く私を抱き締めた。
この世界にいて、レンダール王家に加護を与えた女神様。
お母さまが言うように、私が奇跡だというのなら、どうかこの人たちのために、その奇跡を
起こす力をください。
私は初めてこの世界で、神様に祈ることの意味を知った。
少しして、お母さまは私から離れた。瑠璃色の目が溶けそうなほど涙を浮かべていたけど。
「こんなんじゃ、オーリィちゃんが目覚めた時、顔を合わせられないわね。ちょっと頭と一緒に冷やしてくるわ。ありがとうございました、玄武様、ハルちゃん。じゃ、あとはよろしくね、レアリスくん」
そう言って、お母さまは転移でどこかに行ってしまった。
いつものように振る舞える、その強さが今は少し悲しかった。
お母さまの言葉に驚いて後ろを見ると、そこにはレアリスさんが立っていた。いつからいたのか分からなかったけど、その静かな表情から、多分全部分かっているんだと思った。
「……王子のこと、知っていましたか?」
「……」
無言だけど、それが肯定だと分かった。
「有紗ちゃんは、このことを知っていますか?」
「いや。知っているのは、殿下ご自身の他は、私とリュシー様、それと国王陛下だけだ」
たまたま王子の不調に出くわして、それで知ったと言った。
そうか。王子は自分の命の期限を知っているんだね。
いつだったか、私が私のスキルを発動するときに、魔力の無い私が何を代償にスキルを使っているか不安がった時に、生命力を使えば分かると言ってたけど、あれは自分が身をもって知っていたからだったんだ。
そして王子は、自分に何かあった時のために、ベースキャンプには誰か一人知っている人が必要だと言って、レアリスさんに告げたようだった。まさに今日がその日になったけど。
そう言えば、王子が倒れた時、レアリスさんは冷静だったね。
ユーシスさんには言わないよう、王子が口止めしたって。多分王子も、ユーシスさんが抱える脆い部分を分かっていたんだと思う。
辛いのは自分なのに、そうやって人のことばかり心配するんだね、王子。
そう思ったら、また何かが溢れて胸を塞ぎそうになった。
それを堪えようと強く目を瞑ったら、グイッと腕を引かれて、気付けばレアリスさんの腕の中にいた。
「リュシー様はもういない。それにこうすれば、声は聞こえない」
レアリスさんの声が、すぐ耳元で聞こえた。
もう、駄目だった。
レアリスさんの胸に顔を埋めて、泣き喚いた。その声が聞こえないよう、レアリスさんは私をしっかりと覆ってくれた。
物わかりのいいふりなんて、もうしたくないよ。
意地悪でもいい。怒られてもいい。一緒にお父さんやレジェンドのやらかしに頭を痛めたり、美味しいご飯を一緒にたくさん食べたりしたい。
ずっと傍に居て笑っていてほしいんだ。
そういう全部を曝け出したいけど、でももうこれで終わりにしよう。
王子が目覚めた時には、笑って「おはよう」と言おう。きっとお母さまもそうするから。
いつもと変わらず、またいつだって同じ日が来るんだって思ってもらえるように。
……でも、やっぱりつらいよ。
一しきり泣いて顔を上げると、レアリスさんも何かを堪えるような顔だった。
「レアリスさんは、奇跡って起こると思いますか?」
あまりにも強く願っていたからか、咄嗟に出てきたのはそんな言葉だ。なんか上手く言えないけど、私が絶望しているばかりじゃない事を伝えたかったのかもしれない。
でも、そんな私にレアリスさんは微かに笑ってくれて、掌で涙を拭ってくれた。
「私は一度体験している」
そう言って、左手を見せてくれた。特級ポーションで腕を再生させたことを言っているんだね。
「あなたがくれた奇跡だ」
その左手で、もう一度丁寧に頬を撫でるように、涙を拭ってくれた。
「だから、殿下にも奇跡は起こると思っている」
なんでだろうね。レアリスさんに言われたら、なんだか叶いそうな気がしてきたよ。
まだ胸に重いもので蓋をされているようだけど、二人で何となく笑うことができた。
そして私はふと気付く。さっき、メイさんも奇跡という言葉を使った。
私はレアリスさんから体を離し、メイさんに問いかけた。
「メイさん。さっき、神様が作った〝万能の霊薬〟って言ってましたよね?」
『む、確かに言ったな。でも起こり得ないから奇跡という。忘れろ』
「違いますよね。起こり得ないけど、起こるから〝奇跡〟なんでしょ?」
メイさんは、神が作ったと言った。
私のスキルは、この世界で伝説だろうが何だろうが、あったとされるものは、素材さえあれば出すことができる。
たとえそのために必要な素材が神様由来のものだって、私はきっと手に入れてみせる。
『人間とは、恐ろしいことを考えるものだな』
メイさんが呆れたように言ったけれど、それにクロさんがコツンと頭突きをした。
『お前、わざとたきつけてたんじゃないのか?』
ん?そうなの?
私とレアリスさんがメイさんのことを見ると、その黒い目をゆっくりと細めた。
『さあな』
これは王子の初期設定のお話です。
思わぬ長さになってからの公開になりました。
今後も、更新が危うくなることが多くなると思いますが、どうぞ更新の際は閲覧をよろしくお願いいたします。




