93 震える手
日本人が抱える「執事=セバスチャン」問題。
異世界でも展開中です。
そして、今回も真面目回です。ホントです。
爽やかな親子の和解の空気も、なんだか王子とクロさんのツッコミで流れてしまったけど、結果、なんか軽い気持ちになったのは確かだ。
その後も、中々領地を諦めないメイさんに、王子はしゃがんでメイさんと目を合わせると、「年に一回は、ねぐらから領地に来るようだぞ」と言った。そしたら、メイさんは少し考え込んで、王子を見上げた。
『お前が転移で送迎すればいい』
「じゃあ、なんかくれ。かっこいい素材、他にもあるんだろ?」
『私を運ぶという名誉をやろう』
「ふざけんな、自力で来い」
そんな大人げない王子とのバトルの末、とうとうメイさんは折れた。
理由が「めんどくさ」だった。
そういえば、朱雀さんがメイさんのことを「引きこもり」って言ってたような……。
何にしても取りあえず領地騒動は一段落したけど、メイさんは公爵様に『領地がダメなら、若い美形を数人捧げよ』と言って、「『邪神じゃねえか!』」と、再び王子とクロさんに渾身のツッコミを貰って、全力却下された。
そうして、全ての騒動は終息した。
ファビウス父娘は、少し毒気を抜かれた様子だったけど、もう一度顔を見合わせると、お父様がハンカチを取り出して、そっとリウィアさんの目元を拭った。それにリウィアさんもはにかんでいたけど、その後二人が浮かべた笑みは芸術品のようだった。
ハニカミオブザイヤーをあげたい。
やっぱり大人の男性は、スマートにハンカチを出せるんだね。
私がチラッと王子を見ると、私が言いたいことを察したのか、ちょっと顔を顰めて「袖で悪かったな」と言われた。そう言われたけど、王子がスマートな姿は想像できないな。
それに、王子に袖で顔を拭かれるの、嫌いじゃない、かも?
さっきの胸が詰まる感じと一緒で、王子の顔を見ていたら、心臓の辺りがザワザワした。
どうしてかな。ファビウス父娘を見ていたからか、また、王子に撫でてもらいたくなった。
……これって、おかしい、よね?
じっと見ていたからか、王子が「なんかあんのか?」と聞いてきた。何故か、王子の顔を見ていられなくなって、私は思わず首を振った。王子は「変なやつ」と言って首を傾げたけど、私は自分の身体反応に振り回されてそれどころじゃなかった。
私が大きく呼吸をしたところで、公爵様が「さて」と言った。
「我々はお暇させてもらおう。世話を掛けたな、フォルセリア殿。この礼は、また後程」
「とんでもないことです。礼など不要です。是非、またお越しください、閣下」
リウィアパパとユーシスパパが挨拶を交わした。ユーシスパパは、社交辞令じゃなく、本当にそう思っていそうに見えた。リウィアパパも頷いた。
少し寂しさを感じていたら、公爵様の側から、そっと逃げ出そうとしていたリウィアさんを、公爵様がガッと捕らえて小脇に抱えた。細いお身体のどこにそんな力が……。
「何を逃げようとしている。私たちは帰って話し合うことがあるだろう」
穏やかな声音で公爵様がリウィアさんに尋ねる。どうしてだろう、公爵様から無言の圧力が発せられているのが分かる。……怖い。
「先ほど、心で語り合いました」
「私には聞こえなかった。王族の命でもある、言葉での話し合いをしよう」
ああ、確かにさっき、話し合えって言ってたね、王子。「あ」って顔してる。
「殿下!」
助けを求めるリウィアさんから、王子はそっと目を逸らした。逃げた。
「ハル!」
小脇に抱えられて私に手を伸ばすリウィアさん。そして、振り返って私にアルカイックスマイルを寄越す公爵様。私も思わずサッと目を逸らした。私も王子と同罪です。
「では」と言って優雅にお辞儀をして、公爵様は正門へ向かって淀みなく歩いた。その小脇からは、「ハルゥゥ」というリウィアさんの悲しい声が聞こえた。
ごめん、リウィアさん。公爵様の微笑みに逆らうことは出来なかったんだ。
残された私たちの間を、夏なのに冷たい風が通り抜けたように感じた。
そんな中、トコトコとメイさんがユーシスさんの前まで歩き、抱っこを所望した。
『さて、〝ベースキャンプ〟とやらに行くか』
「『自由か!!』」
このところ、王子とクロさんのツッコミがシンクロしている。
でも、いつまでもフォルセリア家のお世話になる訳にもいかないので、私たちはメイさんの宣言を機に、ベースキャンプへ帰ることにした。グダグダだね。
「おい、フェンリル。帰るぞ」
『んあ?もう飯の時間か?』
王子がお父さんを揺すると、食いしん坊なことを言って起きた。野生の欠片も無いね。
お礼を言って帰ろうと、一度お邸に戻ってレアリスさんと合流し、帰宅の準備を終えて集合した私たちに、ユーシスさんのお父様が声を掛けた。
「お待ちください、よろしければ、我が領の名産の蒸留酒をお持ちください。アルバート、用意してくれ」
「かしこまりました」
セバス……アルバートさんに指示した。多分、昨日飲んだ、あの美味しいお酒だ。
ワクワクして待っていると、アルバートさんの部下らしき人がワインボトルみたいなのを五本くらい持ってきてくれた。
「セバスチャン、ご指示の蒸留酒をお持ちしました」
「ご苦労様です」
ん?今、部下の人、アルバートさんのことをセバスチャンって呼んだ?
私と有紗ちゃんの目が、キランと輝いた。
「聞きたいんだけど、アルバートさんって、姓がセバスチャンなのかしら」
有紗ちゃんが手を挙げて、ユーシスさんのお父様に尋ねた。アルバートさんは、きっと私たちを裏切らない人だと思ってたんだ。
「いえ、アルバートは執事長でして、この国では執事長を〝セバスチャン〟と呼ぶ習わしがあるのです」
「「…………」」
一瞬、私と有紗ちゃんの視線が交錯した。まさか、と思ったけど、もしや、になった。
「あの、その習わしって、いつからあるんですか?」
恐る恐る私が尋ねると、アルバートさんが淀みなく教えてくれた。
「はい。詳しい来歴は残されておりませんが、以前はこのような職を〝家宰〟と呼んでおりましたが、およそ三百年ほど前に、執事という役職ができ、その長を〝セバスチャン〟と呼ぶようになったそうでございます」
……三百年前。黒確定です。私と有紗ちゃんの顔が虚無となったのは許してほしい。
「おい、三百年前ってまさか、あのクソ聖女が絡んでるんじゃ……」
王子、なんて察しの良い事でしょう。
「執事=セバスチャンは、私たち日本人の魂に刻まれているものよ」
「なので、恐らくほぼ確実に夕奈さんが絡んでいると思われます」
「どこまで歴史に食い込む気だ、聖女!」
本日何回目の王子のツッコミだろう。血圧上がらないといいな。
そんなこんなで、私たちはフォルセリア家をお暇することになりました。
一家総出でお見送りをしてくれたよ。
四男のダリル君、五男のイーデン君、末っ子のフィオナちゃんは、子供たちととても仲良くなってくれたみたいで、スコルとハティにはフィオナちゃんから綺麗なブローチをもらったよ。今度、それに似合うスカーフを見繕ってあげよう。ガルはダリル君とイーデン君と遊ぶ約束をしていたよ。正門に来れば、顔パスで入れてくれるって。門衛の方たち、今後もお世話になります。
王子が、レアリスさんがいるからベースキャンプに馬車で行くって言ったので、ユーシスさんのお父様が馬車を出してくれた。よし、たまに運動も頑張らないと。天気もいいしね。
有紗ちゃんとセシルさんは、面白半分の勢いで出て来ちゃったみたいだから、これから王宮に帰るんだって。なので、もう一台、馬車を借りた。後で、頑張ってお礼しないとね。
『む。オーレリアン、そなた何か疲れておるな。さては玄武のしわざか』
「……一番の元凶が何か教えてやろうか?」
仔犬のお父さんでチャージしたエネルギーはもう底を尽いたみたい。
王子のご立腹の様子に、お父さんがちょっとビクビクしている。
迷いの森行きの馬車には、私と王子とユーシスさんとレアリスさん、玄武さんが乗った。フェンリル一家はみんなで走って来るって。
フォルセリア家の馬車は、非常に乗り心地の良い仕様でした。クッションも最高だったけど、揺れがほぼ無い使節団の馬車くらいの乗り心地だ。おまけに、頭を預けて寝られるように、壁にもいいクッションが付いている。
王子が感心したみたいに「へえ」と言うと、進行方向奥に座って早速とばかりに「着いたら起こせ」と、隣に座ったユーシスさんに言って窓側の壁に頭を預けて寝に入った。
「オーレリアン殿下が、このように眠られるのは珍しいな」
ユーシスさんはそう言って、自分が着けていた夏仕様の薄手のケープを、熟睡する王子の肩に掛けた。十年近い長い付き合いのユーシスさんがそう言うなら珍しいんだと思うけど、私と一緒の時は、たまにこうして寝ているのを見かけるよね。この前の泥酔した時は例外だけど。
いつも精力的になんでもこなしているけど、たまにはこうしてゆっくりする時間があってもいいのかもね。
『そのオーレリアンとやらは、齢はいくつ?』
私とレアリスさんの間に座ったメイさんが、ジッと王子を見て言った。
「確か……二十一歳だったような」
「今月の下旬に誕生日を迎えられます」
私が言ったことに、ユーシスさんが補足してメイさんに答えた。
え、誕生日今月だったの?今日聞かなかったから、気付かずに過ごすとこだったよ。
ふぅん、とメイさんは呟いて、そのまま黙ってしまった。
王子の誕生日だけど、なんでも、他の王族の方は生誕祭みたいなのをやるけど、王子はそういう自分に関する行事はやらないらしい。王宮に来て最初の五年は、離れの邸で国王陛下とリュシーお母さまの三人で祝っていたけど、その後は、いつも執務や遠征に出かけて、ユーシスさんや部下の人たちと過ごしていたみたい。
なんか、ユーシスさんのお母様が仰ってた、「孤立」っていう意味が、不意に私の胸に降ってきた。
きっと王子は、「そんなの面倒なだけだ」と言ってやらないんだろうけど、でもそれを良しとする周囲の姿勢が悲しかった。
「そうだ。今年の誕生日はみんなで豪華にやって、王子の度肝を抜いてやりましょう」
思わず、思いついたことを口走った。でも、それはなかなかいい考えのような気がした。
ユーシスさんもレアリスさんも穏やかに笑って頷く。
『私も出てやってもいい。何なら四獣全部呼ぶ。きっとこいつ喜ぶ』
「「『……いや、それは、どうかな』」」
メイさんの参加表明に、クロさん、ユーシスさん、レアリスさんが同時に言った。
まあ、そんなことになったら、王子の胃が痛くなること間違いなしだね。
メイさんのご厚意は取りあえず置いておいて、王子を起さないように、私たちは森の入り口に着くまで静かに過ごすことにした。その間、私は王子の誕生日プランを考え始めた。
ベースキャンプでやるなら、やっぱりバーベキューかな。でも、時間が取れるなら、前に言っていた王子の領地に、みんなで旅行するのもいいかも。
そんな妄想をしていたら、少しウトウトして、気付けばあっという間に森の入り口に辿り着いた。ここに来るのは、レアリスさんと最初に出会った時以来だ。
ユーシスさんが王子を起すと、「もう着いたのか」と、くぁっとあくびをした。何だか凄い眠そう。で、さっきの話は、王子には内緒にね。
馬車の馭者を務めてくれたフォルセリア家の使用人さんにお礼を言って馬車を降りた。
そこから私のペースに合わせて、小一時間くらい歩いて、懐かしのベースキャンプに着く。メイさんはもちろんユーシスさんが丁重にお運びしたよ。
そこには、先に辿り着いていたフェンリル一家がいて、ん?あと、見覚えのある竜が、いち、に、さん。それも、白、赤、黒の三色がいる。
『おお、待ちくたびれたぞ、ハル。ひと月振りかの?』
そう言って出迎えてくれたのは、洗剤のCMもびっくりの白い竜、シロさんだ。
『なんでグウィバーがここにいる。帰れ』
『ん?お主こそ何故ここにおるのだ、玄武よ』
グウィバーって、シロさんのことだ。そのシロさんに、早速メイさんが毒を吐いた。
何となく、いるかなぁ、とは思ったけど、本当にいたね、シロさん。なんか、色々と言いたいことがあるんだ。きっとみんなもね。
『我らも寄らせてもらったぞ。長一人では(人間が)大変かと思ってな』
『私も来てしまいました』
今度は、普通サイズになったレッドさんとニズさんだ。なんか、お二人には気を使って(副音声)もらったみたいです。確かに助かります。シロさん、面倒なので。
ただ帰ってきただけなのに、もう賑やかになってしまった。レジェンド多いなぁ。
でも思ったよりも、ベースキャンプは荒れてなかった。有紗ちゃんとリュシーお母さまが丁寧に管理してくれていたんだね。
私がただいまの挨拶しようとした時だった。それまで優雅に寝そべっていたお父さんが、急に立ち上がった。
『どうしたのだ、オーレリアン』
私たちの後ろの方を見て、お父さんには珍しく焦った声で言った。私たちが一斉に振り向くとそこには、蒼白な顔色で立って、ゆらりと揺れる王子がいた。
「殿下!」
一番近くにいたユーシスさんが咄嗟に飛び出し、間一髪、地面に崩れ落ちる王子を抱き留めた。
何?何が起こったの?
「殿下、殿下!」
ユーシスさんが地面に横たえた王子の上半身を支えながら、何度も王子を呼ぶ。でも、王子の顔色はとても血が通っているとは思えない白さで、呼吸しているかも分からないほど、微動だにしなかった。
「誰か、医師を!」
「落ち着いてください、ユーシス」
取り乱したユーシスさんを初めて見た。それをレアリスさんが留めようとする。でも、そのレアリスさんをユーシスさんは鋭い目で見返す。
「悠長なことを言うな。……そうだ、転移陣で……」
険のある声で言って、ユーシスさんはふとガレージの方を見た。あそこには、王子が王宮との行き来をするために設置した転移陣がある。ユーシスさんはそれを思い出したようだ。
『やめろ。今その人間を転移陣で運べば、魔力干渉で最悪心の臓が止まるぞ』
王子を抱き上げて転移陣に向かおうとするユーシスさんの前に、メイさんが立ってそう言った。メイさんが言うのには、王子は魔力に異常をきたしているようだ。
『ユーシスとやら、その者が言うとおりだ、落ち着け。まずは、オーレリアンとやらをどこか安静に出来る場所につれていく』
流石にレジェンドの言葉の重みは違った。
「しかし……!」
「ユーシス!」
また、ユーシスさんとレアリスさんの声が響いた。
冷静さを欠いて揺れるユーシスさんを目の当たりにし、ふとユーシスさんのお母様の言葉を思い出した。王子と言う支えを失えば、きっと自分を保てなくなるって、この事だ。
私は、パニックで真っ白になった頭が、急に霧が晴れたように鮮明になるのを感じた。
いつの間にか震えていた手を抑えつけ、私は顔を上げた。
「ユーシスさん、王子をログハウスへ。レアリスさん、このことを王宮へ、それとリュシーお母さまへ知らせに行ってください」
突然采配を振る私に、ユーシスさんが少しだけ周りを見る余裕ができた。だけど、今はユーシスさんを王子と離してはいけないと思った。だから、ここを離れる役目をレアリスさんにお願いをする。
「転移陣はあちらからの転移を優先する為に取っておいて、レジェンドの誰かと人を呼びに行ってください」
転移陣は無限じゃない。往復が限界だ。そして今は、転移と遜色ない時間で王宮へ行ける手段があるから、そちらを使うべきだ。
頷くレアリスさんに、今度はレジェンドのみなさんを見渡す。良かった、レアリスさんも同じ考えなんだ。そして、間違いなく最速はお父さんだけど……。
『私が行こう』
お父さんがそう言って名乗り出てくれたけど、もう一度レアリスさんを見た。レアリスさんはお父さんに触れることができないんじゃ。
「問題ない」
レアリスさんは間髪入れずに言った。そしてお父さんに頷いて見せると、少し身を低くしたお父さんの背中にひらりと乗った。そのまま空を翔るように出発した。王子のために、トラウマを捻じ伏せたレアリスさんは凄い。あとは……。
「レッドさんとニズさん、シロさんは、王宮から連絡があった時は、人のお迎えをお願いするかもしれません。お願いできますか?」
『そなたには面倒を掛けているからな、任せろ。それに容易いことだしな』
レッドさんが力強く請け負ってくれて、ニズさんも頷いてくれた。シロさんは面白そうにこちらを見ていたから、ちょっと無視だ。
「メイさん、クロさん。一緒に王子の容態を看てください。それと子供たちも、私とユーシスさんのお手伝いをするのに、一緒にログハウスに来て」
メイさんは王子の容態を見抜いていたし、子供たちは急なことに不安に揺れている。こんな時は、情報を隠すより、みんな一緒にいた方がいい。
「ユーシスさん、王子をお願いします」
最後にそうお願いすると、ユーシスさんは、一度目を瞑って空を仰ぎ、大きく息を吐いて私を見た。明確に指示されたことで、ユーシスさんが少し冷静さを取り戻した。
大股に、でも揺れを感じさせない姿勢で歩き出したユーシスさんの背中について行った。
今、もう一度、震えるほどの怖さが襲ってきた。
私はそんなに強い人間じゃない。崩れそうになる身体を奮い立たせるしかなかった。
震える手を再びギュッと握りしめる。
王子。目を覚まして、大丈夫だって言って、笑ってよ。
真面目回です。大事なことなので二回言いました。
おかげで、面白いことが書けませんでした。
作者の血圧が上がらなければ、次話もこんな感じでお送りします。
更新が滞ったら、血圧上がったんだなぁと思ってください。




