92 今じゃねぇよ!!
予告:真面目回です。ハンカチのご用意を。
私の記憶が確かなら、このお庭はユーシスさんのおうちのお庭だったと思うんだけど。
今、私の目の前には、父娘で今まさに睨み合いをする公爵家の人たちがいます。
そう、時を遡ること十五分前。
王子だけでなく、他の人たちにも構い倒された仔犬化したお父さんが、『へんしん』の呪文で元に戻って屍を晒した時だった。
「だ、旦那様。また、来客がございまして……」
本日二度目の執事のセバス……アルバートさん。ユーシスさんの言によれば、アルバートさんは非常に沈着冷静で有能な方らしいんだけど、今日に限っては慌てた姿を見せておられるそうな。
そのうち半分はお父さんのせいだけど、今回は私たちのせいじゃないよね?
「今度はどうしたんだい?」
「はい。ただいま正門前に、ファビウス公爵閣下がお見えになっております」
「……大変ご迷惑をおかけしました」
リウィアさんが即座に頭を下げた。
ファビウス公爵って言ったら、リウィアさんのお父さんだ。逃げたリウィアさんを追いかけて、お父様がやって来たようだ。昨日の今日だから、時間は稼げたようだけど、儚い逃亡劇だったね。
通常貴族のお宅を訪問する際は、先触れを出して日程調整をして来るもののよう。ましてや、普段から交流のない家門同士であれば、ひと月くらいかかる場合もあるらしい。
どうやらリウィアさんのお父様は、単身馬で乗りつけたようで、門衛の人が今必死に留めているようだ。今日のお当番の門衛の人に、特別手当を差し上げたいところです。
そう言えば、ちょうどひと月前に、私たちがセリカに出発する時も、家出したリウィアさんを捜すために、お父様が王宮に捜索願を出して出発が遅れそうになったんだった。
「では、応接室にお通しして」
「いえ、ここでお願いします」
ユーシスさんのお父様が公爵をもてなそうと指示するのを、リウィアさんが遮った。
「壊れる物が少ない場所が望ましいです」
「ははは。物が壊れるの前提なんだね」
土下座しそうなリウィアさんに、ユーシスさんのお母様が朗らかに笑って言った。
笑いごとではないような気がするけど、どうやらフォルセリア家の方たちは気にしないようだ。肝が据わっているのは、フォルセリア家の特徴かな。いや、この中で動じているのは私だけ。
何かを察したユーシスさんがレアリスさんに目で何かを頼むと、レアリスさんはフォルセリア家の子供たちと、フェンリル一家の子供たちを連れて、邸に入っていった。ここもツーカーの仲だ。
うん、危険は回避。安全第一だね。
そうして、大人たちで待つこと三分。
案内されて来たのは、蜜色の豊かな金髪を柔らかく短めに整えた、細身でリウィアさんそっくりで中性的な男性だった。しかも、びっくりするほどお上品でお綺麗だ。
この暑い中、片側だけのマント(え?ペリースっていうの?)を付けて、颯爽と歩く姿は、とても二十歳の娘がいるように見えない。
国王陛下もフォルセリア夫妻も若々しいけど、この方は別格だ。美魔女ならぬ、美魔男 (?)の美青年に見える。リュシーお母さま顔負けだ。
そんな美青年は、王族混じりの人間組と、屍のようなお父さんを含む魔獣が集う光景を見て、少しだけ足を止めたけど、すぐに表情も変えずに近付いて来た。
「突然の訪問で礼を失したことをお詫び申し上げる」
開口一番で、この邸の主であるフォルセリア夫妻にまず頭を下げた。
今度は私たちに向けて言った。
「リウィア・ファビウスが父、エレミアスと申します」
やっぱり公爵様ご本人だった。二つ名が「深紅の猟犬」というから、どんな凶相をお持ちなのかと思っていたら、とんだお美しい方でした。
でも、あのペリースっていうのを着ているのって、いつでも剣を振るうのに邪魔にならないようにしているからだって、お母様が教えてくれた。「深紅の猟犬」って、誇張じゃないのかぁ。
「この度は、我が息子レナトスのためにご尽力下さり、感謝の念に堪えません」
そう言って、王子からぐるっと一同を見回し、玄武さん、最後に私をジッと見た。
「特にお二方……お三方には、ファビウス公爵家の全てを捧げても足りぬほどの御恩を賜りました。微力ではありますが、人の力の及ぶことには我が家門をお使いください」
玄武さんを見て、ちょっと人数を言いなおしたけど、その三人にもしかして私が入っている?
冗談かと思って公爵様を見たけど、そこには自ら下僕宣言をしたリウィアさんとまったく同じ本気の目があった。
そんなところ、似ないで!しかも、公爵様個人じゃなくて、家門の力を貸すって、スケールアップしてる!
私がブンブンと無言で首を振っていたら、公爵様がサッと私の手を取って軽く額に付けると、同じくユーシスさんに抱っこされた玄武さんの脚を取って額に付けた。あまりのお顔の綺麗さにドキドキが収まらないけど、「お願い聞く券」的なものを強制的に貰ってしまった。
『リウィアとやら、私のことを母と呼んでいい』『呼ぶか!!』
公爵様の軽く腰を折った優雅な姿勢に、何故か玄武のメイさんがユーシスさんの抱っこからキリッと宣言する。
ああ、公爵様はメイさんのドストライクだったんだね。そう言えばメイさん、リヨウさんみたいな穏やかな物腰の貴公子が好きって言ってたものね。
「え、あの、ご辞退申し上げます」
即リウィアさんはお断りした。
だよね。二千八百歳差って、お母さんっていうかご先祖様って感じで、お母さんって呼ぶには微妙な年齢だ。私でも戸惑う。
「多分、そこじゃないと思うぞ」
私が同情を示すと、何故か王子がツッコんだ。違うの!?
「玄武様、ありがたいお申し出ではありますが、私の妻は亡妻のみです」
しかもキッパリとフラれた。何でもお願いは聞くけど、ちゃんと自分の意見を伝えるところ、リウィアさんの生真面目さの根源を目の当たりにしたよ。顔もだけど、性格もお父様そっくりなんだね。
メイさんは抱っこされたまま脚と首をでろーんとして脱力した。まさかの父娘ともに瞬殺で拒否されるとは思わなかったみたいだ。
だけどメイさんはすぐに立ち直り、『じゃあ、専属下僕で』と宣ったけど、すぐにクロさんが『アホか、本気にすな!』と頭突きをした。
「ファビウス公爵。気持ちは分からないでもないが、相手の意に沿わない奉仕は迷惑だ。あと軽々しく家門を出すな。ファビウスは王の剣だろう」
戸惑う私に代わって、王子が公爵様を説得してくれた。しかもカッコいいこと言ってる。ナイス王子。
一応、敵対勢力と手を組もうとしたことはぼかしている。使節団のメンバーは事情を知っているけど、フォルセリア家の人たちは知らない事だものね。
「殿下。私は王の剣たる役目を疎かにするつもりはありません。それにハル殿は、私が持つ複数の爵位のいずれかをお譲りすれば、身分が必要な時にお役に立てましょう」
何やら怖い単語が聞こえた。それを聞いて、王子は一瞬渋い顔をしたけど、一つ頷く。あと、フォルセリア家のご夫婦やユーシスさんも、それの意味に気付いたみたい。何?
「頑固オヤジめ。まあいい。くれぐれもハルの意に沿わないことはするなよ」
結局、王子が私に配慮するようにまとめてくれたけど、私に公爵家の権力を使う事態なんて起きないと思うよ。爵位なんて必要にならないし。
『じゃあ、私が領地をもらう』『やめろ。魔獣が領主って、領民が泣くわ』
相変わらずの夫婦漫才を繰り広げる玄武さんだった。でもメイさんは、ちょっと真剣に考えているようで、クロさんに『真剣に考えるな!』とツッコまれていた。
「取りあえず厚意だけもらっとけ。ファビウスは、武ではユーシスの母方のルハルト家には劣るが、国内では最大の家門だからな。人間相手なら大概の事は対処できる」
頭突きでメイさんを止めるクロさんを眺めながら、王子がため息混じりで言った。
王の剣って、戦うことだけじゃなくて、政治的な意味もあるみたいだ。王家は、特段の理由も無く、特定の家門を重用も排斥もできないから、表立った貴族の後ろ盾があることは悪いことじゃないみたい。
それに、これまでは、王家の庇護だけだった「聖女ではない」私は、ふわふわとした所謂「異世界人」という超法規的な存在だったけど、爵位があれば身分的に地に足が着いた状態になるって。
どういうことだろう。
「あれでしょ、つまり、波瑠自身が誰とでも結婚できるようになるってことでしょ。事実婚や恋愛関係だったら別にいらないけど、公爵家の後ろ盾があって本人が伯爵位以上あれば、国内外の王侯貴族でも正式に結婚できるんじゃなかった?」
有紗ちゃんが小首を傾げる私に、簡単に説明してくれた。へえ、結婚ねぇ……。
「はいぃ!?」
「落ち着きなさい、例え話よ」
急に落ち着かなくなった私に、有紗ちゃんがピシャッと言う。
なるほど。爵位を複数持つ貴族は多くないし、爵位は家門の財産だから、私みたいな利益になるかも分からない異世界人にくれる人なんていないか。ホッ。
「じゃなくて、むしろ波瑠を利用したがる人間ならごまんといるし、そういう人間は、うまくハルを丸め込んで、不正な養子縁組でも爵位の譲渡でも何でもやるわ。それで、それを足掛かりに搾取するわよ。それがファビウス公爵家ならその心配が無いってことでしょ」
ひぃぃ!貴族怖い!
この前イリアス殿下が言っていた、私の結婚は「国にとっても大事」ってそういうこと?
「そう難しく考えず、選択肢の一つだと思ってください」
泣きそうになる私に、公爵様が優しく微笑んで言った。
な、なんて眩しい笑顔!思わずついて行きたくなってしまう。
「ハルって、結構おじ様好きよね」
ほっぺに手を当てて、セシルさんがポロッと言った。え、そうかな?
「ほら、国王陛下にセリカの皇帝陛下、今のファビウス公爵」
た、確かに。見惚れていたのは間違いない。
「なんだと!うちの親父もか!?」
気色ばむ王子に誤解だと説明する。そりゃ、お母さまもいるのに、変な目で見られたらヤだよね。
その王子の向こう側で、メイさんが自分を抱えるユーシスさんを見上げて、『お前、イケるんじゃないか?』と言って、ユーシスさんは「私はまだ二十代です」と恐い笑顔で返していた。「僕は入ってないみたいだね」とユーシスさんのお父様が笑って言って、「人間の重みの差じゃないかな?」とお母様にぶった切られていた。なんか、流れ弾に当たってしまってごめんなさい、フォルセリア家のお二人。
そんなやり取りの中、お一人涼しい顔で、「さて、些末事を片付けようか」と公爵様が口火を切った。
「リウィア。私は昨日、公爵邸で待てと伝言したと思うが、何故ここにいる」
「……自らの命を惜しみました」
いやぁ、父娘の会話じゃないよね。
「私がお前の命を奪うとでも?」
「いえ、お父様との約束を破り、髪を切ってしまったので、これはもうお父様を叩き伏せるしか途は無いかと。そして、私は全力を尽くそうと思いますが、おそらくお父様にお分かりいただくには命を懸けなければならないと存じております」
いやいや、おかしいよ。父娘の会話じゃなくてもおかしい。
「そうだな。私とそっくりになるから切るなと、あれほど言っておいたのに。約束を守れぬ人間は、破った以上の誠意を見せねばならぬ」
……命を懸けるほど、髪を切ってはいけない理由って、お父様にそっくりになるからだったの。
確かに、身長も十センチも変わらなそうだし、男装したらほぼ双子の兄弟に見えるほど似ているかも。でも、何で?って、聞けないけど。
そうして、ジリジリとした無言の睨み合いが続いた。そして、冒頭の状態に戻る。
「はーい、質問。なんでそっくりになっちゃダメなんですか?」
緊迫した空気の中、元気よくセシルさんが手を挙げた。凄い勇気。でもグッジョブ。
「って、ハルの顔に書いてあります」
って、私に擦り付けた!
ギャッと悲鳴を上げた私を、公爵様が少し視線を和らげて見た。
「私は、国内外に敵が多い身です。リウィアは、訓練や魔物討伐の際に男装することも珍しくないのですが、髪を短くしてしまったことがありました。そうすると私と酷似してしまい、幾度も刺客に間違われたのです」
お、思ったより、重めの理由でした。
多分、王の剣という役目も、「深紅の猟犬」と呼ばれる所以も、その敵と言うのを増やしているのかもしれない。それなら、まだ区別のつきやすいように髪を切るなというのも納得できた。でもそれなら、公爵様の娘であるという危険はないのだろうか。
私の疑問を察してくれたのか、公爵様はまた説明をしてくれた。
「リウィアには、私が『絶対防御』というスキルを掛けているので、リウィアが深刻な攻撃を受ければ、同じ攻撃を相手に反射し、私の下へ転移し、戻って来るようになっています。その効果はスキル解除系の効果でも無効にします。ですので、刺客を送る側は、私しか狙いません」
確かに、リウィアさんを人質として捕らえられなくて、危害も加えられないなら、公爵様本人を狙う他なくなる。だから余計に、髪を切ることに抵抗があるんだ。
防御とカウンターと転移。あれ?それって、王子が私にくれたお守りと同じ効果だ。もしかして、王子はそのスキルを元に、お守りを作ってくれたのかな。
チラッと王子を見たら目が合ったけど、すぐにツイッと逸らされてしまった。
「だから、お父様への攻撃を分散させるためにも、私は狙われても構わないと!」
あ、それは言ってはダメだよ、リウィアさん。私もそれをやろうとして、ユーシスさんに怒られたんだ。いくら無事でも、心配をしてくれる人のことを全然考慮してないから。その時は必死で分からなかったけど、後からダメだって分かった。
「娘が、危険に晒されて平気な親がいるものか!」
これまで平坦だった公爵様の声が荒げられた。そこには泰然自若とした権力者である公爵様の姿ではなくて、娘を案じて心を痛める普通の父親の姿があった。
「勝手にいなくなったかと思えば、使節団に入って、隣国で危険に晒されおって。私がどれほどお前を案じたか」
公爵様の表情が、頼りなげに歪められた。どれほどの心労だったか、慮ることもできない。
でも、それを聞いたリウィアさんは、これまでに見たこともない程の激情を表した。
「だったら、お父様こそ、何故霊薬のことを打ち明けてくださらなかったのです!」
リウィアさんが、お父様の二の腕を掴んだ。傍目で見ても強い力なのが分かる程だ。
「お父様こそ、一人で悩んで突っ走ったではないですか!自分だけが家族を心配しているとでも!?子は、親のことを心配しないとでも思っているのですか!?」
それが公爵様にとって、痛烈な一撃だったことは間違いない。リウィアさんに言ったことが、その身にそのまま返って来るのだから。
「私はもう、子供ではありません。たとえ全てを解決する力は無くても、一緒に方法を捜すことはできます。守られるだけでは嫌なのです。私も、ファビウス公爵家の一人なのですから」
そう言ったリウィアさんの目から、とめどなく涙が溢れた。そして、それを隠すように、公爵様の胸に顔を埋めた。
「……私は、お父様の、娘なのですから」
公爵様の胸に遮られていたけど、確かにそう聞こえた。
リウィアさんがどれだけの覚悟をもって、セリカへの旅に臨んだのか知っていた。家族への想いが、その一言にどれだけ込められていたか、知っていた。
公爵様の腕がリウィアさんを包み込んで、父娘の抱擁に、いつの間にか私の目の前が涙で歪んでいた。
そこに、突然王子の笑い声が聞こえた。王子!?
「どうしようもないくらい似たもの親子だな」
それ、今笑って言う事!?
「怒るなよ、ハル。なぁ、お前ら、そんだけ派手に喧嘩したら気付いただろう?自分が相手に何をして欲しかったか。どうしようもない似たもの親子なんだから」
憤慨する私の顔を、ギュッギュと相変わらず自分の袖で乱暴に拭きながら、王子は意地が悪そうな顔で言った。
「話せばいいんだよ。お互いが納得しなくても、自分が思ったこと全部な」
王子の言葉に、ファビウス父娘はハッとした顔になった。
公爵様もリウィアさんも、全部自分の中に溜めこんでしまったから、おかしな方向へ進んでしまいそうになったんだ。
今回は偶然うまく行ったけど、結果オーライで済ませてはいけないし、きっとそのことは今の表情で理解したと分かる。
王子の言うとおり、話し合えば少なくとも、お互いを思っているのに、望んでいないことをしてしまうような空回りは無くなるよね。
ファビウス父娘は、互いを見てちょっと気まずそうに目を逸らすと、王子に向かって深く頭を下げた。それを王子は、ちょっと肩を竦めて受け取った。
私は王子の飄々とした顔を見上げた。
「ん?何だよ」
「……ううん。何でもない」
何か、胸に溢れたものを口にしようとしたけど、私を見る王子の紫色の目を見たら、言葉が詰まってうまく言えなかった。
そんな私と王子の横を通り過ぎて、玄武さんがファビウス父娘の前にトコトコとやってきた。
そして、メイさんがその黒い目でジッと公爵様を見つめた。
『で、領地はいつくれる?』
「『それは、今じゃねぇよ!!』」
見事に王子とクロさんの言葉がシンクロした。
ハンカチが必要なのは主人公でした。すみません。
領地を欲しがる魔獣。でもきっと、そんなことしたら、隣の国から髭オヤジがやって来るね。
そしてお父さんは、最初から最後までただ屍を晒しておりました。
来週も更新できるといいな、と思う今日この頃です。




