75 良いことも悪いことも背中合わせ
遠まわしですが、暴力表現が一部あります。
納豆視点に立つと、ある意味イジメ表現もあります。
沈黙の下りた部屋で、リヨウさんが静かに話し始めた。
「私の母の一族は、元々立太子に名乗りを挙げるつもりはありませんでした。ですが、母は皇后の覚えもめでたく、また陛下の寵を長く賜っていたためか、周囲はそうとは取らずに、私は幼い頃より多くの危険に晒されてきました。それが元で、ファルハドが私に付いてくれたので、全てが無駄だったとは思いませんが」
そう言って、ファルハドさんを見て、リヨウさんは少し笑った。
「こいつは、小さな頃から馬鹿みたいに頭が良くてな、それを隠していたんだが、どこからかそういった話が漏れていて、また皇帝も寵姫の母親に似たリヨウを可愛がったものだから、ぼんくらな他の血統が焦ったんだ」
ちょっとファルハドさんの口調が自慢げだ。隠そうとしているけど、弟のリヨウさんが可愛いいんだろうなぁ。そんな表情もすぐに消えてしまったけど。
リヨウさんは、本当は皇太子になどなりたくないけれど、そうしなければ自分だけでなく、お母さんまで命の危険に晒されるのだそうだ。初めは、止むに止まれずの事情だったみたい。今は、別の志を持っているけど。
「あの日は、妃嬪と冠礼前の直系男児だけが入れる後宮の一部の宮で、年に一度の茶会があった。俺たち護衛は、後宮には入れないからな、その隙を狙われたんだ」
普通男の子は、七歳で後宮を出なくちゃいけないけど、その宮だけは、冠礼前ならお母さんに会うために男の子でも入れる場所みたい。
冠礼って、セリカで言う皇族の成人の十五歳に行われる儀式のことで、十二歳だったリヨウさんは、女官に連れられてお母さまと落ち合う手はずになっていたようだ。
その途中、リヨウさんはどこかの妃嬪の家の人によって、攫われてしまった。
連れて行かれた先は、後ろ暗いお仕事を生業とする人たちの里、というか根城だったようだ。リヨウさんは、とりあえずは殺されないでいたけれど、屈強な大人たちに代わる代わる暴力を受けていたと。そして、リヨウさんのスキルに「自己治癒」というのもあって、ただ徒に痛みが長引くばかりだったのだろう。
随分柔らかい表現でファルハドさんは言ったけど、幼いリヨウさんには耐え難い時間だったことは間違いない。
そうして、命の危険を感じた時、そのスキルが発動してしまったそうだ。
「私が気付いた時には、辺りは見渡す限り、百年も時が経ったかのように全てが朽ち果てていて、里は滅びていました」
リヨウさんは、そこにいた人たちがどうなったかは言わなかった。でもさっき多くの人を殺めたって言ったから、きっとそういうことなんだろう。恐らく『厄災』と呼ばれるだけの凄惨な光景だったはずのそれを、誰も尋ねなかった。敢えてリヨウさんの傷を抉る必要はないから。
その後、リヨウさんは無事ファルハドさんたちに救出されたそうだけど、リヨウさんの派閥の外の人にもその光景は知られてしまったようだ。その顛末の大部分は秘されても、皇城ではリヨウさんのスキルがさも恐ろしいものであるように、人の口に上った。その裏で、白陵王さんの手が入っていただろうことは想像に難くない。
それは悪い噂になって、お父さんである皇帝陛下の耳にも届いたけど、優しく大人しすぎるきらいのあるリヨウさんに、箔が付いて皇族らしくなったと一蹴したらしい。おまけに、物が腐ったくらいで何が不吉なのか、と鼻で笑ったとのこと。凄い人だね。
「女好きで我が強くてはた迷惑な男だが、その豪胆で公正な点だけは評価するがな」
面白くもなさそうにファルハドさんが、皇帝陛下を評した。
前に皇帝陛下は信心深いと言っていたけど、迷信とは程遠い現実的な性格のようだ。だからこそ、リヨウさんのスキルを「不吉」だと捉えずに、ちゃんと皇太子候補として見てくれているんだろうね。
でも、ここにいるのが、みんな固い結束のある仲間だけだからいいけど、そんなこと大っぴらに言ってたら、いくら息子でもファルハドさんが罰されちゃうんじゃ。
私が心配して「大丈夫ですか?」と聞くと、わたしの頭を撫でて、「今更だ」と笑っていた。もしかして、普段から本人を前にしてもこの態度を隠さないでいるんじゃないのかなぁ。もしかして、その性格は、お父さん似なんじゃ。
「セリカでは、変わらず私のスキルは『不吉』と言われています。それでも私は、皇太子になるべく立とうと思います。こんな私ですが、皆さんはこの手を取ってくれますか?」
多分リヨウさんは、たくさんの人の命を奪ったことを軽蔑されると思っている。でも、それってリヨウさんが悪かった訳じゃない。結果は痛ましいことが起きたけど、その責任の所在を間違ってはいけないと思った。
「我が国には、スキルに『陰』も『陽』もない。あるのは、使い手がどのような成果をもたらすかだけだ。それが悪人を一掃したものなら、上等ではないか。何を悩んでいるのか知らんが、くだらないことに労力を使うな」
イリアス殿下が、何故か呆れたと言いたげに放った。どう見繕っても嫌味な言い方なのに、何だろう。間違って殿下がいい人に見えるよ?
「何故、そんなアホ面で私を見る」
「いや、お前、熱でもあるんじゃないのか?」
「お大事に」
王子と私が殿下を心配すると、王子と私のほっぺを鷲掴みにした。いや、痛いです!
「言いたいことはそれだけか?一生この顔にしてやってもいいんだぞ」
「「しゅみましぇんでしゅた」」
二人でタコの口になったまま謝ると、ようやく殿下は手を離してくれて、私たちの顔は変形を免れた。
そこに穏やかな笑いが降り注いだ。リヨウさんが笑っている。
「申し訳ありません。笑うつもりなどなかったのですが」
うん、やっぱりリヨウさんは笑っているのがいいね。ちょっと意識的に笑っているのかもしれないけど。
あ、そうだ。ちょっといいことを思いついた。でも、どうかなぁ。リヨウさんの負担にならないかなぁ。まあ、ダメ元だから、聞いてみようかな。
「ねえ、王子。スキルの中にこんなのあるかな?」
私が耳打ちして王子に聞くと、少し考えた後、「無いな」と言った。よし、やっぱりそうか。きっとこの世界では大きな括りで「腐蝕」って言ってるんだね。
一人納得する私に訝し気な目を王子が向けるけど、私は笑顔のリヨウさんに聞いてみることにした。
「リヨウさん。ちょっとした実験にお付き合いいただけますか?」
「ええ。いいですが、何をするんですか?」
「はい。もし嫌なら言ってください。ちょっと、そのスキルを使ってほしいんです」
私が頼むと、リヨウさんは少し笑顔がなくなって、探るように私を見た。
「先ほども言いましたが、危険なんですよ。何に使うのですか?」
「はい。お料理をします」
「「「「「「「は?」」」」」」」
気持ちがいいくらい、その場にいた人たちが声を揃えた。まあ、驚くよね。
「とうとうハルがおかしくなった」
王子が気の毒そうに言うのを無視して、私は牛乳とヨーグルトを出した。大きな器に牛乳を入れて、ほんの少しだけ、小さじ一杯のヨーグルトを入れる。
「はい、ここに向かってどうぞ」
「え?いえ、言っている意味が分からないんですが……」
「大丈夫です。『美味しくなーれ』という心で、この牛乳にスキルを使ってください。失敗しても構いませんから。それとも、やっぱり嫌ですか?」
あれだけ辛そうな顔をしていたから、本当はスキルを使ってもらうのは気が引けるけど、やればきっと結果が出ると確信している。そんな私を見て、リヨウさんは少し息を吐くと、困ったように、でも確かに笑みを浮かべた。
「何だか、やらないで何が起きるのか知らない方が悔しいだろうという気がしてきました。やります。『美味しくなーれ』ですね」
そう宣言して、リヨウさんは牛乳へ手を翳した。
すると、何かした様子も無いのに、牛乳が波立ち始めた。うん、間違いなくスキルが影響しているね。そして、徐々にその変化が周りの人にも分かるようになってきた。牛乳に、液体の揺らぎがなくなってきたからだ。
それからほんの数十秒で、それは出来上がった。
私は躊躇いなく、さきほど使ったスプーンで出来上がったものを口に入れた。
「「「「「「ハル!!??」」」」」」
取りあえず、その場にいた人のほとんどがツッコんだと思う。
「な、何を!ハル、早く吐き出しなさい!」
一番私の近くにいたリヨウさんが、慌てて私からスプーンを取り上げる。そして、リウィアさんに私を解毒するように、大きな声を出した。リヨウさんもこんな声が出るんだね。リウィアさんも慌てて私に駆け寄って来たけど、私の様子を見て盛大に首を傾げていた。
「ハル。何ともないんですか?」
「うん。とっても美味しいよ?」
みんな唖然としているので、私は出来上がった物を鑑定して見せた。
〝リヨウが作ったヨーグルト(美味:栄養価高)1000P〟
わぁ、いいお値段。ほらね。しかも栄養価まで高いときたよ。きっとスキルだと、外気とか雑菌とかの要素を除いた純度の高いものだからだろうな。
私がドヤ顔をしたら、ユーシスさんが近付いて肩をガシッと掴まれた。
「ハル。お願いだから、鑑定をしてから試してくれ。何かあってからでは遅いんだ」
「う、すみません。でも、絶対の自信があったんです」
「それでもだ。俺たちの心臓がもたない」
お説教じゃなくて、眉尻を下げたユーシスさんの弱った顔は、結構私も罪悪感を覚えた。もう不確かなものを安易に口にしないと約束をして、何とか赦してもらったけどね。
「……まさか。私のスキルが……?」
私たちのやり取りの横で、信じられないとばかりにリヨウさんが呟いた。そうだよね。
「はい。王子にこの世界に『発酵』の個別スキルがあるか聞いたら、無いと言うので、もしかしたらと思ったんです。魔法やスキル以外は、この世界と地球の原理は一緒だから、『腐蝕』と言っても『腐敗』効果もあるみたいだし、それなら、効果は『発酵』も兼ねているんじゃないかって」
生物に作用するのは、厳密に言うと腐蝕ではなくて腐敗なんだろうけど、大きく括ったら同じだ、多分。発酵は、昔やった理科の実験で、さっきみたいにヨーグルトを作った時に教わった。腐敗も発酵も、生き物に悪い作用が出るか良いものが出るかだけの差だとか。
「セリカの『陰』と『陽』の性質の考え方そのもののスキルですね。腐蝕だって、リヨウさんを守る武器になったし、物事は本当に多面的に出来ているんだって思いました」
悪意がある人は、都合のいい一面だけを切り取って、それが全てのように言うんだろうけど、殿下が珍しく良いことを言ったように、結局最後にはどうなったのかが大切だ。
「なかなか面白いな。他には何ができるんだ?」
イリアス殿下がちょっと興味を持った。うん、科学って面白いよね。
「えっと、確か酵母も一緒だから、パンやお酒の元が作れます。ああ、あと納豆!」
「ん?『納豆』?初めて聞くが、なんだそれは」
「ご飯のお供です。凄く健康にいい食べ物で、私は大好きです」
そんなことを思わず言ってしまったら、みんな興味津々になってしまった。で、みんなで納豆試食会をすることになってしまったんだけど……。
「……なんだ、これは。本当に食べ物なのか?」
「グッ。無理だ……、この臭いは無理だ」
「うわ!なんでこれねばねばしているの⁉」
結果は散々だった。あまり偏食をしないユーシスさんとイリアス殿下もギブアップ。あとには、そこはかとない納豆臭と、何とも言えない空気が残った。
「お前の出す食べ物で、初めて口に入れるのを躊躇した」
「……美味しいのに」
王子までそんなこと言うので、私はちょっとむくれ気味だ。結局、納豆を美味しいと言ったのは、レアリスさんとリウィアさんとアルジュンさんだけだった。子供たちにも『いらなーい』と言われてしまったし。本当に美味しいのに。
私がシュンとしていると、突然、弾けるような笑い声が聞こえた。ファルハドさんだ。
「リヨウ、お前、これを新しい武器にしたら最強だぞ」
「ファルハド、あなたねぇ。どうやってこれで戦うんですか?」
「もしかして、第七皇子の食卓に毎食忍ばせるとか?」
何か呆れ気味のリヨウさんに、私はふと思ったことを呟いた。
すると、リヨウさんが一瞬動きを止め、次の瞬間、堪え切れないと言った様子で、ファルハドさんのように笑い出した。
「そんなに面白かったですか?」
私がちょっと引き気味に言うと、リヨウさんが目じりに少し涙を溜めて言った。
「本当に、あなたは、思いも掛けないことを、なさる。兄上、多分、無理……」
恐らく第七皇子が食卓で物凄い顔をしているところを想像したのだろう。息も絶え絶えに、ファルハドさんと顔を見合わせて笑っている。
しばらく二人の爆笑ショーが続いたけど、ようやく笑いが収まってきた。
「私のスキルで、こんなに笑える日が来るなんて、思いもしませんでした」
笑いは収まったけど、また溢れた目じりの涙を拭った。そして、そのまま両手を取られる。
「ありがとう、ハル」
今度は、笑いじゃなくて、笑顔を私に向けてくれた。
それは、さっきまでの作ったみたいなものじゃなくて、本当に眩しいくらいの笑顔だった。
納豆騒動が終わって、州侯に晩餐に招かれたんだけど、お呼ばれしたのはリヨウさん、サルジェさん、ツェリンさん、レンダールはイリアス殿下、ユーシスさん、セシルさん、あとちゃんと身分申請を出して入国したリウィアさんだ。
見事に貴族しかいらないという人選に、どうぞどうぞと四人を送り出した。呼ばれない方が正直嬉しいし。
で、オレリアちゃんは相談の結果隠すことにした。別に第七皇子とか州侯に見せるために連れてきた訳じゃないからね。
居残り組は、晩餐の料理をファルハドさんが調達してきてくれて、ちょっと豪華な夕食を取った。ついでに精神的疲労の大きい王子が、クリーミーなビールを所望したので、それで酒盛りをしたら、あっさり王子とアルジュンさんとラハンさんが酔っぱらってしまい、アズレイドさんにウザ絡みをし始めた。めんどくさいので、アズレイドさんを生贄にして、私は少し外で涼むことにした。
夜でも、荒れ地のように寒くなることは無く、どんどん夏に向けた気温になってきた。
リヨウさんの宮の客間から、庭の池に張り出した露台のような場所に出る。すぐ後ろからは、楽し気なみんなの声が聞こえる。
少し高めの欄干みたいな所に腕を置いて、そこに顎を載せながら、のんびり夜風に当たっていると、人が右隣に立つ気配がした。見れば、ファルハドさんだ。
武具を解いて楽な格好をしていたけど、実は皇子様だと聞いたせいか、どことなく気品みたいなのも感じるし、ユーシスさんより少し細身でも凄い強いんだとも何となく分かる。
セリカに入る前に髪は黒く染め直したけど、その下には銀の髪が隠されていて、この人も結構数奇な生い立ちなんだった、と思い出した。
「ファルハドさんも風に当たりに来たんですか?」
「いや、俺はハルに礼を言いたくて」
広い露台だったけど、ファルハドさんは何故か私と肩が触れそうなほど近くに立って、同じように欄干に身体を預ける。私が肩ぐらいなのに、ファルハドさんはお腹ぐらいに欄干が来る。そこに身を屈めるようにして寄り掛かって、私を見た。
「イリアス殿下もだが、リヨウの憂いを、軽くしてくれて感謝している。あいつは、いくら俺が『厄災』ではないと否定しても、自分のスキルを受け入れることを許さなかった。だが、今日あいつは初めて、全部を否定しなくていいと思えたみたいだ」
ファルハドさんの顔は、リヨウさんを本当に大切にしていることが分かるような、優しい表情をしていた。
「この旅が、もうすぐ終わることが残念でならない。正直言って、殺伐とした皇位争いに疲れていたが、リヨウも俺もこの旅の間中、ずっと笑っていられた。あんたが隣にいたらきっと、リヨウも俺もこの先もずっと笑っていられるような気がする」
楽しかったと思ってもらえたのなら何よりだ。一番笑ったのは納豆かな。それなら、思う存分出してあげよう。でも、どれくらい日持ちするだろうか。
私がそう言って考えていると、ファルハドさんが「伝わらねぇな」と言って困ったように苦笑して、私に向かって手を伸ばし、その大きな掌で私の頬を包んだ。
え?
「許されるなら、今すぐこの口を塞いで、閉じ込めてしまうのにな」
ファルハドさんの野性味があっても端正な顔が近付く。なのに口から零れた囁きは、掠れて聴き取りにくく、口を塞ぐという言葉しか分からなかった。
だけど、ファルハドさんの硬い親指が私の唇に触れて撫でる感触でいっぱいになって、それどころではなかったけど。
でも、それはすぐに離れていった。
「少し冷えたみたいだ。もう、中に入った方がいい」
踵を返したその広い背中を見送って、確かにちょっと冷たくなった自分のほっぺを手で覆った。
え?ええ?ええええええ!?
口を塞ぎたいくらいうるさかったってこと⁉
声には出さなかったけど、私の頭の中は、どうやって謝ろうかと、大混乱していた。
部屋の中からは、みんなで腕相撲をしようという和気あいあいとした声が流れてきて、私をちょっと現実に引き戻してくれたのだった。
作者は納豆擁護派です。納豆に鯖缶を混ぜたのが大好物です。
くれぐれも納豆の存在を否定したものではありませんので、ご承知おきください。
次回の投稿は、本業の都合上、また不定期になるかと思います。
日曜に投稿出来たらいいなぁ。
またの閲覧をよろしくお願いいたします。




