60 魔眼、開眼
王子、新たなる世界へ。
次の日は、まだ朝日も顔を出さないうちに目が覚めた。ガルのいない朝は寂しかったけど、昨夜のような自分でもどうしようもない程のやるせなさはなかった。
うーんと伸びをして起き上がると、薄暗い室内で、何故か床と備え付けのソファに寝転がっている人影が見えてビクッとする。
大きなソファになんと王子のお母さま。そして何故か床に王子が縛られて転がっていた。
どうしたの、王子?
私がそっと近づいて、ちょんちょんと王子のほっぺたをつつくと、ゔーんと唸った。息苦しそうではあるけど、何とか生きているみたいで安心する。
取りあえず、寝苦しそうなので縄の結び目を解いてあげると、目に見えて呼吸が楽そうになった。額の髪を避けると、王子の形のいい細めの眉と目が見えた。わぁ、睫毛長い。
これで少し放っておいても大丈夫だろう、と立ち上がろうとしたら手が引っ張られて立てなかった。見たら、王子が少し顔を顰めながら私の手を掴んでこちらを見上げていた。
「ごめん、起しちゃった?」
「……いや。全身痺れて、そろそろ死ぬのかと覚悟してたところだ。助かった」
そう言って王子が、痺れているらしい手をそっと動かしていた。私の手を掴んでいた手も全然力が入っていないみたいだったけど。
私が何気なく王子の腕をつつこうとしたら、王子がサッと避ける。痺れている所を触られるのって嫌だよね。でも、何かつつきたい。
「お前、どんどん加虐的になってきてないか?」
「ごめん。なんかちょっと前からそうかも」
「誰だ、ハルをこんなにしたのは。……イリアスか」
「でも、そういえば何で王子縛られてたの?」
そもそもその状況がおかしいよね。私が尋ねると王子がぼそぼそと何か言い訳をした。
「帰る前にお前の顔を見て帰ろうと思ったら、頭撫でたところでばばあが転移してきて、ユーシスにふん縛られた。未遂なのに」
ああ、昨日のなでなでされた記憶は、夢じゃなかったんだ。
それでなんで王子が縛られていたのか分かった。女の子の部屋に勝手に入ったから怒られたのか。バルコニーに現れたのも、ユーシスさん怒ってたからね。
でも、ちょっとやりすぎのような気も……。
「オーリィちゃん、嘘はいけないわ。頭撫でようとしただけじゃないわよね?」
「げ、ばばあ!」
いつの間にかお母さまが起きていらして、部屋の明かりを付けると、王子の両腕を掴んだ。
あ、まだ痺れているんじゃないかな、王子の腕。
「※@△#$!!!お、お前は、鬼か!」
「ママンもオーリィちゃんを応援したいけど、寝込みは有罪よ。面白……覗き見……何かの予感がしたから、オーリィちゃんについて来て正解だったわ」
痺れた腕を思いきり掴まれて悶絶する王子に、お母さまは心の声駄々洩れの状態で王子を断罪した。
王子を尾行して何か起こることを期待してたようで、お母さまもなかなかに罪深いような気がするけど、そんなこと私には言えなかった。
でも、王子は私の寝込みに何をしようとしたのかな。
私はハッとなって、おでこに手を当てた。
「お母さま。もしかして、私のおでこに『肉』って落書きが書いてありますか⁉」
「……え、無いけど。なぁに、それ」
お母さまが、心底理解できないといった顔で私を見る。
そして私は再びハッとする。そうか。この世界では、悪戯でおでこに「肉」を書く習慣は無いんだ。じゃあ、アレか!
「それなら、私のまぶたに何か描いてありますか?」
「……え?魔よけ?でも、ハルちゃんの顔に何も描いてないわよ」
お母さまがびっくりして答えてくれた。そうか、この世界ではこの落書きもないのか。
私がそっと安堵すると、逆にお母さまが興味津々になったので、私はこれがあちらの世界では恥ずかしい罰の一種だと説明したら、何故だか物凄い勢いで食いついてきた。
「蛇の生殺し刑に処したけど、まだ足りないと思っていたの。それやって」
どうやら王子は、何でか縛られてこの部屋にいることが罰になったそうだけど、それでは生温いということで、私にその刑を執行させるようだ。
断ろうと思ったんだけど、王子は刑の執行に抵抗しなかった。
本当に何をしようとしたんだろう、王子は。
私は自分のペンケースを亜空間のリュックから出して黒ペンを取ると、王子に目を瞑るように言った。
それに少し緊張した様子で目を瞑ったので、私はそっと床に座った王子の頬に触れて顔を上向かせた。心なしか王子の体が強張って、頬が熱くなったような気がする。
いつも生気に溢れる目を瞑ると、恐ろしいほど整った王子の顔は、どこか人形めいて見えた。
ああ、この綺麗な顔に、今から私は恐ろしいことをするんだ。
これは、執行する方も凄まじい罪悪感を感じる刑だ。ワクワク。
思い切って私はペンを走らせた。
ついでに、目だけに悪戯したことがバレないよう、ほっぺとかおでこも蓋をしたペンでなぞって、しばらく目を開けないよう言っておく。
魔眼、開眼。
刑を完了した私は、王子を正視することが出来なかった。主に笑いを堪えるために。
お母さまに場所を空けると、王子を見たお母さまが一瞬固まった。
「ぶぅわはははははは!!!」
およそ宿全体に響き渡るのではないかという淑女らしからぬ大音声で、お母さまが大爆笑した。
「どうした、ばばあ!」
「ひぃ、こっち見ないで!」
「ハル、お前、俺にどんな呪いを掛けたんだ⁉目を開けるぞ!」
あ、面白くなくなった。
私とお母さまが急にスンとしたので、王子が首を傾げていると、ドカドカと数人が走る音で廊下が騒がしくなった。
「ハル、リュシー様、どうなさいましたか⁉開けます」
夜も明けない時間なのに、ユーシスさんのキリッとした声が聞こえた。で、数人が私の部屋に雪崩れ込んできた。ユーシスさんを先頭に、レアリスさんとファルハドさん、ラハンさんの4人だ。
私とお母さまが無事なのを確認して、ユーシスさんがホッと息を吐く。
「こんな時間にいったい何があったのですか?」
真面目に王子に尋ねるんだけど、王子がユーシスさんに向き直ると、王子に若干の違和感を覚えたようで、ユーシスさんが少し首を捻る。
「オーリィちゃん、ちょっとだけ目を瞑って」
「お、おう」
不可解ながらも素直にお母さまの言葉に応じる王子。みんなの前でそっと目を閉じた。
「「「ぶっ!」」」
「わはははははは!」
大人3人は、顔を逸らし、何とか堪えた。でも盛大に身体が震えている。
ラハンさんは、堪え切れずに爆笑してしまった。
また目を開けて4人を見た王子。そのギャップに脱落したのは、意外にもレアリスさんだった。袖で口元を覆って堪え切れずに部屋を飛び出すと、廊下から苦し気な笑い声が聞こえた。
爆笑するレアリスさんなんて、この先一生お目にかかれないかもしれないレア物だ。見たいと思って追いかけようとしたら、王子に腕を掴まれた。
「おい!本当にお前、俺に何をした⁉」
「何も無いわ。ほら、鏡よ、オーリィちゃん」
すかさずお母さまが化粧台にあった手鏡を王子に渡すけど、私の描いた第3、第4の目は、目を開けた王子のクッキリとした瞼の奥に隠されてしまっていた。
残念だけど、王子が目を開けている時は見れないんだ。ちょっとはみ出た睫毛が見えるだけで。
「ハルちゃん、これは凄い罰だわ。オーリィちゃん、あなたの犯した罪は重い。あなたはこの恐ろしい罰を甘んじて受けなければならないのよ」
「クソ!俺にいったい何が起きているんだ⁉」
目を瞑りながら床に跪いて悪態を吐く王子に、とうとう大人2人も撃沈した。
残念なことに、今こっそり見たら油性ペンだったから、ちょっとやそっとじゃ落ちない。
「王子。その呪いは、ベースキャンプの洗面台にある洗顔フォームで流せるから」
「やっぱり呪いなのか⁉」
ここで化粧落としとか洗顔フォームを出す訳にいかないので、私はそっと呪いを解く方法を教えた。
それに王子は目をギュッと閉じた決意を込めた顔になり、「これ以上犠牲者を出すわけにいかない」と言って、慌てて転移してベースキャンプに戻っていった。
真面目だし、カッコいい事を言っているんだけど、ごめん王子。
目を瞑ってカッコいいことを言わないで。
後で聞いた話だけど、ベースキャンプに居合わせた有紗ちゃんとお父さんとシロさんが、笑い過ぎて呼吸困難になり、腹筋を痛めたとか。
で、ガルが「片目を瞑れば見れるぞ」と的確な指示を出し、王子は自分に起きた惨状を知ることとなったらしい。
本日は出発前に、主戦力の4人が笑い疲れでぐったりとしたため、ここで体力ポーションを半分使う羽目になり、こちらも両国ともダメージを負った。まさに諸刃の剣だ。
こうして、王子の魔眼事件は幕を閉じ、後には、私が呪術師なのではというまことしやかな噂が立った。
いや、本当の呪いじゃないから!
そんな訳で、朝食後に私たちは宿を旅立った。
宿の方たちは、みんな物凄く疲れた顔をしていたよ。本当にご迷惑をお掛けしました。
そういえば、昨夜ユーシスさんが私に言い忘れたことがあると言ったのが、今日通る予定の場所がちょっと注意が必要らしく、いざという時の為に、馬車の座席下にある収納に転移のスクロールや魔力回復ポーションなどの備えをするようにという話だったみたい。
イリアス殿下のセクハラ疑惑事件により、今日からリヨウさんがこの馬車に同乗するので、スキルからホイホイとアイテムを出すことが出来なくなったからだ。
もう、それは早起きだったから、明るくなってからすぐに準備をしてバッチリだよ。
その場所は、本当に不毛の大地で人も獣も住めない場所らしい。もちろん魔獣も。
大きな山の合間にある荒野を抜ける道で、そこを通らないとセリカへ行くには山脈を回って数倍の迂回が必要になるから、無理に通している道だそう。
「龍の道」と言って、昔あった大河の跡とか、本当にこの世界の神話にある神龍の通り道とか、いろいろ謂れがあるみたいだけど、幅が2,3キロ、距離が10キロ程度の砂礫と火山灰でできた灰色の道らしい。
その道が、何故注意が必要かというと、昨夜も説明を受けたけど、生き物が住めない場所なのに何故か魔物が目撃される場所で、魔物の元になる瘴気が湧く場所が近くにあると思われるって。
人がいられない場所だから、街もないし軍の駐留もできなくて、公路沿いに魔物除けの魔石を置いて通行を管理しているみたい。
魔物除けの魔石って、私がベースキャンプに一人でいた時に使っていた、魔よけの香草のもっと強力なものかな。
それは、ガルたち魔獣には効かないって言ってたから、幸いにもこの隊列の優秀な移動手段であるスレイプニルの血を引くお馬さんたちは大丈夫だって。良かった。
まあそんな訳で、魔石が損なわれていないか近隣の駐留軍が巡回はしているけど、たまたま不具合がある場所に当たるかもしれないので、ちょっと用心が必要みたい。
よほど私が不安そうにしていたのか、リヨウさんが心配いらないと請け負ってくれた。いるのは低級の魔物だけみたい。もし大物がいたとしても、遠くから見てもヤバいって分かるみたいだから、大物に気付かれる前にとんずらするから大丈夫だって。
変にカッコつけることをリヨウさんは言わないから、大丈夫と言われればとても安心するよ。
馬車には、私の向かいにリヨウさんが座っていて、ニコニコとしていた。私の隣には、いつもどおり社交的な雰囲気の無いイリアス殿下が座っている。
これまでセリカ側は、両国混合編成を望んでいたみたいだけど、レンダール側が、それぞれの国がそれぞれの馬車を守る方が効率がいいと断っていたんだよね。
ほぼ、というか全部私とガルの存在のせいだよね。
出発の時に言っていたように、リヨウさんは私とのお話を楽しみにしてくれていた。
向こうの話を、リヨウさんが振って、私が答えるという感じで会話が続いた。
公務員を目指していたと言っても概論しか分からないから、政治形態や行政については知っていることだけ話したけど、公務員が「全体の奉仕者」ということに驚いていた。こちらでいう役人は、既得権益の行使に腐心する権力志向の強い人間が大多数を占めているって。
リヨウさんは、国民の地力を役人が搾取している状況をどうにかしたいと言っていた。今は豊かな時代だから、魔物の被害が大きくても国は倒れないけど、いつまでもこの状態は続かない。
魔物や天災により、いつこの平和が崩れるか分からないのに、国の中央も地方も、自分の財を築くのに労を費やすばかりと、ポツリと零していた。
今、それを変えていかなければならない、とリヨウさんはその先も見ている。それにイリアス殿下が、無言ながら頷いていた。
二人の間に、国の高官としての矜持が垣間見えた。
何だろう。私とそれほど年齢が違わないのに、ちゃんと国のことを考えて行動しようとしているお二人が、とても頼もしく思えたよ。
リスにお土産あげたり、仔犬に人生相談したりという二人の姿しか見てないから、誤解してた。
そして、話の流れは自然と勇者アヤト君に移っていった。
特にリヨウさんにこちらを探る意図は無いと思われるけど、どうやらレンダールに残した記録より、セリカに残した記録の方がたくさんあるようだった。
「随分と解読できたと思うんですが、たまによく分からない表現があって、言語学者たちが混乱しているんです」
どうやら日記みたいなものを残していたみたいで、「勝手に読んでいいよ」と言って置いていったんだって。
私と同じ時代から来た高校生なら、SNSで個人情報を流すのに抵抗がないからか、何とも開けっぴろげな感じだ。私は日記を書かないけど、もし書いていたら、人に見られるのは無理。
で、何が分からないのか聞いてみると、詳しくはアスパカラに着いてからと言っていたけど、思いつくのを一つ教えてくれた。
「確か、『今日、リュウキの頭に鳥のフンが落ちて草生えた』とあるのですが、リュウキとは多分、時の大将軍のことで、鳥のフンが頭に落ちたのまでは理解できたのですが、この『草生えた』という意味がどうしても解読できなかったのです。植物が芽を出すという意味なのは分かったのですが、フンの落ちた頭に植物が生えたというのはあまりに荒唐無稽なので、我々は暗号だと考えました」
「……それは、先人の多大なご苦労があったことが偲ばれます」
これ、公開していいって、アヤト君とリュウキさんはきっと気安い関係だったんだよね。それか、すっごい嫌いだったのかなぁ。どっちだ?正直に言っていい?
結局私は、正直に言うことにした。
笑いを表す俗語で、単純に「笑えた」という意味かもしれないけど、嘲笑が含まれることが多々あるので、使われた人によっては不快に感じるかもしれないと教えた。
リヨウさんを見れば、いつぞやの転移の呪文の意味を知った時の王子みたいな顔をしていた。
そうだよね。300年の研究が崩れ去る音が聞こえたよね。
ホント、聖女と勇者の姉弟、やめてあげて!
私がアスパカラに行くことで、言語学者さんたちの心を打ち砕くことになるかもしれないけど、不毛な研究に時間や経費を費やす無駄をなくすことは出来るはず。
きっとこれは、私がこちらに召喚されたことの意義に違いない。
そんな微妙な空気が流れた車内だったけど、急に馬車が止まった。
まだ時間的には休憩する時間じゃない。頃合いから言って、例の不毛地帯くらいだろうし、セシルさんもガルもいない今は、布陣が完璧ではないから、そこは一気に駆け抜けてしまおうという話になったはずだ。
同じことを思ったのか、イリアス殿下とリヨウさんの顔に緊張が走る。
馬車の窓を下げて、殿下が外へ問いかけようとしたけど、その前にユーシスさんが近付いてきた。
「先ほど、馬が足を止めました。殿下、安全が確認できるまで外に出ないよう願います」
少しだけ緊張したユーシスさんの声がする。
今、この隊列にいる馬は、一般的な軍馬でスレイプニルの1/8の混血であるワンエイスではなく、それよりも魔獣の血の濃いクオーターで、前の子たちよりも勇敢だ。前の街で不測の事態を考慮して変えたばかりだけど、良く訓練されていると言っていた。
そんな子たちが、何かを警戒して足踏みしているらしい。
いったい何が、なんて疑問に思うこともないくらい明白な理由だ。
「……魔物」
私はこの世界に来て、何度も耳にしているけれど、守られて一度も遭遇したことのない、異世界であっても異分子である存在だ。
でも、きっと大丈夫。
みんなは、国でも屈指の騎士だ。リヨウさんも弱い魔物しか出ないと言っていたから、みんななら片手間で追い払えるはず。
そう思っているのに、何でこんなに怖いんだろう。
震えた私の肩を殿下が無言で抱き寄せて、安心させるように数回優しく叩く。
少し落ち着いて息を吐いた。
でも、そんな私の目に窓越しに映ったのは、雲霞のように遠くに立ち上る黒い靄のような、酷く禍々しい瘴気だった。
王子の魔眼は、ちょっと三白眼ぎみで睫毛4本です。
そして、とうとうセリカ側も、勇者の洗礼を受けました。
でも、魚介類よりはマシですよね。
そんなこんなで、次回はちょっと不穏な感じです。
投稿予定は未定ですが、あまり間を空けないよう頑張ります。




