58 殿下の受難
お盆です。
お盆と言えば……。
私はラタトスクさんを馬車の椅子に置くと、何故かレアリスさんと私は自然と床に正座をしてラタトスクさんの言葉を待った。溢れる緊張感が私たちをそうさせた。
『ああ、それでだ。迷惑になると分かってはいたんだが、どうにもならない事態になってな。力を貸してほしくて来ちまった訳だ』
ラタトスクさんがちょっとお疲れのようにため息を吐いた。
ええ、何だろう。聞くのが怖い。
『昨日のことなんだが、フェンリルの娘のスコルが俺の所に来てな、アリサから頼まれたから、「迷いの森」まで来てほしいと言われたんだ』
え?有紗ちゃんがスコルに頼んでラタトスクさんを呼ぶって、ますます怖いんだけど。
「まさか、お父さんが何かやらかしたんじゃ……」
真っ先に浮かぶのはお父さん。レジェンドで大人なのに、断トツで信用が無い。
『いや、あいつはまだ何とかなっている。かなり危ないがな』
え?お父さんじゃないの?でも、危ないんだ。
『白虎が自分の巣に戻る時、俺の所に来て今回の事情を話して、何かあったら面倒みてくれと頼んでいったんだ』
白虎さん。何だろう、その心遣いに涙が出そうです。
しかも頼む相手がラタトスクさんって、なんて的確なんだろう。
『フェンリルには奥の手で、いざとなればあいつの兄を呼ぶつもりだから、取りあえず大丈夫だろう』
「え?お父さんのご兄弟がいるんですか?」
『知らなかったのか?フェンリルの兄で、先代のスコルが存命だ』
「……初耳です」
『今のスコルに名を譲っているが、あいつの兄弟とは思えない、物凄くちゃんとしたヤツだ。それも白虎が声を掛けていった。まだ幸いにして出番はないけどな』
どうやらお父さんは、先代フェンリルの末っ子らしい。何だろう、激しく納得した。
お父さんのお兄さんたちが先代のマーナガルム、スコル、ハティを継いでいて、今は子供たちが継いでいるんだって。ラタトスクさんが言うには、先代スコルさんは、スコルのお父さん代わりに少し前まで一緒に暮らしてたらしい。どことなくユーシスさんに雰囲気が似てるんだって。だからスコルはユーシスさんに凄く懐いているんだね。
驚きの事実に、私はレアリスさんを見ると、レアリスさんは何となくスコルの前のスコルさんを知っているようだった。
「子供たちの先代の魔獣たちは、それぞれがフェンリル一族を伝説たらしめた〝名前持ち〟だ。正直に言って、がっかりするフェンリルよりも、先代たちと出会いたかった」
本当に正直に言った。
お父さんで、伝説の魔獣のカッコいいイメージが崩れたんだね。
レーヴァテインを介したお父さんとのにわか友情も、がっかりを越えられなかったようだ。
なんにしても、白虎さんの人選(?)の抑止力により、お父さんの暴走は食い止められているらしい。
ただ、仰向けで地面を転がって駄々をこね始めて、王子が宥めるのに苦労しているらしい。撫でろというから王子が撫でてあげても、「全然違う!」と言って我儘言ってるみたい。まだ三日なのに、王子の苦労が偲ばれます。
どうりで会いに来てくれないはずだね。不満に思ってごめんね、王子。
けど、じゃあ、有紗ちゃんがスコルに頼んでラタトスクさんを呼んで来るような事態って?
一体何が起きていると言うんだろう。
『シロが居座ってるんだよ』
「……そっちがいたか」
「……そういえば、まだ問題児がいましたね」
私もレアリスさんも大いに納得した。天真爛漫な破壊神のお父さんとは別の意味で質の悪いレジェンドだ。三千歳の経験を生かして、確信的に犯行に及ぶからね。
私の不在を知って、絶対面白そうだと思ったんだ。
「それで、シロさんの要求は?」
私が尋ねると、ラタトスクさんは俯き加減で深刻な声を発した。
『……プリンだ』
「…………はい?」
我が耳を疑う。
『残念だが、……はっきりとプリンと言っていた』
「……プリンかぁ」
みんな、言葉を発する前の余白が長い。
よりによって、冷凍できないし日持ちもしないから作らなかったプリンをご所望とは。
絶対に分かってやってるよね。愉快犯確定だ。
『今は、赤いのがシロを留めてる。ついでに脱走しそうなフェンリルを連れ戻す役もやってる。ヤツに力で上回るのは赤いのだけだからな。ただ、そのうちブチ切れそうだ』
どうやら、白虎さんはレッドさんにも声を掛けたみたいで、不穏な動きをしたシロさんを追って迷いの森に来てくれたらしい。
レッドさん、ありがとうございます。今度お礼に、カラドボルグを交換するようだね。それ以外、報いる方法が思いつかないよ。
『という訳で、一番目立たない俺が使いで来た。お前の事情も重々分かってるが、わりぃけどプリンを作ってくれ。それでフェンリルも少し落ち着くはずだ』
アニキ!いろいろと気遣ってくれてありがとうございます!
確かに、子供たちを除けば、普通に風景に溶け込めるの、アニキだけだものね。
『頼んだぞ』
「はい!」
私が指を差しだすと、アニキがそれを小さいおててで握ってくれて、私たちは固い握手を交わした。
「あ、でも、ここはすぐ出発するので、今晩の宿で作るしかないんですが」
「イリアス殿下に要相談だな」
「それと、作るのはいいんですが、どうやって運ぶんですか?」
『俺の背中に籠を乗せてくれれば運べるぞ』
アニキはミニマムなボディに似合わず健脚だし力持ちだね。
ただ、多分私が両手に抱えるくらいの大きさのバスケットが必要だ。それをアニキの背中に乗せたら、完全にアニキの姿はバスケットに隠れて見えなくなる。それが、街道を超高速で動いていたら……。
駄目だ、完全に街道の七不思議が出来上がる。
でも、シロさんが痺れを切らす前に届けるとなると、高速で移動できるレジェンド級の能力が必要だ。
「ガルにも要相談だな」
レアリスさんも遠い目をして同じ想像をしたようで、私と同じ考えに至った。
「殿下ぁ~、ガルく~ん。ちょっとぉ~」
私は馬車のドアを開けて二人に声を掛ける。
「王族を呼びつけるとは、いい度胸だな」
殿下は怖い顔でやって来た。まあ、不敬だとは思うんだけど、何だかんだ言ってもガルより早く来てくれた。
「いやぁ、緊急事態が起きまして」
「…………」
そう言って、私が馬車の椅子にちょこんと座るアニキを指し示すと、無言で察して馬車に乗り込んできた。話が早くて助かります。
次いでガルがやって来ると、やはりアニキを目にして、同じように無言で察して馬車に乗り込んでくれた。話が早くて助かります。
私の隣にレアリスさん、私のお膝にラタトスクさん、私の前に殿下、殿下の隣にガルが座って5者会談をやった。
「理解した。理解はしたが、腹立たしい」
『勘弁してくれよ』
二人は似たような恰好で唸った。そうですよね、まさかの伏兵ですよね。
「そんな訳で、次の宿営地ではプリンを作らなくてはならなくなりました。でも、お鍋があれば作れるので、お宿でなくても大丈夫です。あと、プリンをガルに運んでもらいたいと思っています。どうですか?」
「マーナガルムの離脱は、やむを得ない、か。行ってくれるか?」
殿下も私とレアリスさんと同じ想像をしたみたいで、高速移動バスケットの怪は回避。
『まあ、父さんにも言いたいことあるしな。次の街からでも、ゆっくり1日で戻れる』
凄いねガル君。人間が4日かけて辿り着く道のりを1日で往復かぁ。
取りあえずの方針が決まったので、殿下は予定を少し変更することをセリカ側に伝えに行った。ついでに、次の街へ連絡を入れるために鷹を飛ばすんだと思う。
予定より一つ前の街で早めに昼食を取って、そこでプリンの材料を仕入れる。牧畜が有名な場所なんだって。そこで牛乳と卵を仕入れて、予定通りの宿のある街に行く。
シロさん、きっとここの牛乳とかが有名なの知っていて、タイミングを見計らったな。
そして、今日宿にする予定の街は、いい土があるとかで、陶器作りが盛んな街のようで、ここでプリン型に使う器を揃えることにした。多分、セリカ側にも人数分用意した方が良さそうだもんね。
もう、シロさんの掌の上で転がされてるね、私たち。
一応セリカ側には、お父さんの都合でガルをちょっと帰らせると説明。お父さんは、出発した時にもう取り繕いようもない姿を見られているので、お父さんに泥をかぶってもらった。
気の毒そうな顔でみんなガルを見て、何となく事情を察してもらえたよ。
お父さんの逆信頼度、凄いね。
そのお使いでラタトスクさんが来てくれたことを説明すると、ラタトスクさん、すごい人気者になった。中身は「漢」だけど、全存在が愛らしいものね。
特に、ガルが背中にラタトスクさんを乗っけて登場した時は、リヨウさんとファルハドさんとアルジュンさんが、ズキュンと効果音がするんじゃないかというときめいた顔をして、胸を押さえていたよ。私も理性が働かなかったら、間違いなくスマホ取り出してた。
昼食の時は、直接牧場で仕入れをして、ついでにチーズやお肉も牧場の加工したてを食べさせてもらって、すごい観光気分だった。
昨年採れた木の実とかもあって、セリカの人たちが「どんぐりは?どんぐりはあるか?」と牧場の人に詰め寄っていた。ラタトスクさんへの貢ぎ物を買いたいらしい。
背の高い「ザ・軍人」のファルハドさんとアルジュンさんに詰め寄られて、牧場の人たちはちょっと引いていたよ。
結局どんぐりはなかったけど、ナッツ類は置いてあったから、それを買い占める勢いだった。『そんなに食わないし』とボソッと言ったアニキの口を、思わず撫でるふりをして塞いだ。一応、最上位魔獣であることは伏せて、ただの賢いリスの魔獣と言っておいたからね。「そんなに食べたらお腹壊しちゃいます」という私の助言で、何とかナッツの買い占めは阻止できた。
何となく疲れて馬車に乗り込んだ。
午後は1回休憩を入れたら、そのまま走り続ける予定だった。一刻も早く滞在予定の街に着きたいみたいで、セリカ側から「急ぎましょう!」と提案された。
どれだけラタトスクさんと遊びたいんだろう、この人たち。
乾いた空気で、外とは違って少しひんやりする馬車内に、窓から午後の日差しが入って来て、ガルも私の膝にいるラタトスクさんもウトウトし始めた。殿下がたまに書類を捲る音だけが車内に響いて、私も少し眠くなってきた。
眠くてグラグラしていたら、ふと気付けば、手の中にあったラタトスクさんの感触が無くなっていた。
眠い目を開けたら、いつの間にかガルとラタトスクさんが向かい側の座席で寝ていて、私の隣に殿下が座っていた。それで、私は殿下の肩を枕にしているのに気付いた。
「あ、殿下、すみません。今、どきます」
起き上がろうとしたら、頭を預けていた肩と反対側の手で頭を押さえられた。
「薬の効果がまだあると枢機卿が言っていた。大人しく寝ていろ」
殿下は、書類から目を離さないままでそう言った。
「先日の借りの分だ」
そうか、と眠い頭で思った。
王家の秘密を知った日の、殿下が私の肩に預けた重みを思い出した。
そうだね。これで貸し借り無しだね。
「はい。ありがとうございます」
体から力を抜いて、殿下の肩に預けると、とても楽になった。やっぱり少し、昨日のお薬の影響があるみたいだ。
ほんのりと感じる自分以外の体温に、何故か安心して目を閉じる。
眠気に沈む意識の中で、紙を捲る音が心地よく耳に残った。
目が覚めると、殿下が向かい側の座席に座っていて、何故か私はガルを枕に座席に横になっていた。
殿下のあれは夢だったのかと思ったけど、眠る前とガルの座っている位置が違ったし、私の体に殿下の上着が掛かっていたので、多分現実だった。
「もうじき着くぞ」
そう言ったっきり、殿下はこちらをちらりとも見なかった。だけど、何故かその耳が少し赤かった。
私が首を傾げていると、ラタトスクさんが私の肩に登って来て、小さい声で私に耳打ちした。
『お前、早く自分の服を直せ』
殿下の上着を返すのかと思って上着を外すと、胸の半ばまで開いたシャツが目に入った。
え?え?えぇ⁉ホワァイ⁉
『寝苦しいって言って、お前、自分で外してたぞ』
「もぉ、もぉしわけございませぇぇん!!!」
「いいから、早くボタンを留めろ!」
私が絶叫して土下座しようとして、殿下に怒鳴られた。公女様もだけど、王族に対して何てことをしてしまったんだ。
これで、私は痴女確定だ。私がレンダールの貴族だったら、お家から勘当されるか投獄されるくらいあるんじゃないの?
でもそれよりも、こんなの見られたのなら、恥ずかしくてもうお嫁にいけない。
……殿下を殴ったら、記憶消えないかなぁ。
「おい、声に出ているぞ。お前、私の扱いだけ酷いな!」
『どんどん、アリサに毒されてきてるな』
そっか。いっそ見られた殿下をどうにかすれば、何もなかったことになるよね。
「ハル。目が据わっているきているぞ」
「殿下。私は初めて、2時間サスペンスドラマの犯人の気持ちが分かりました」
「……まったく意味が分からないんだが?」
お父さんブレスレット、発動。
「待て待て待て!大丈夫だ、私は仕事をしていて何も見てないし、お前も寝てただけで、何も罪は犯していない!!!」
「ホントに見てない?」
「誓って言う!私は嘘だけは言わない!!」
『今、まさに嘘を言ってるけどな』
ガルが何かボソッと言ったけど、必死の殿下の声で聞こえなかった。
ちょうどその時、目的地に着いたみたいで、馬車が止まった。
「よし、着いた!型とやらを買いに行くのだろう。ほら、早く行くぞ!」
カラ元気のような殿下の声に、私が目を細めて殿下を見ると、ちょうどユーシスさんが馬を下りて私たちの所へやって来た。
「ん?ハル、髪に少し癖がついている。寝ていたのか?」
そう言って、私の寝ぐせを直そうと手を伸ばして、ふと私の襟元を見て動きを止めた。
襟元に手をやると、ボタンを一つ掛け違っていたのに気付いて、思わず恥ずかしさに顔が赤くなって、涙目を隠すようにユーシスさんから顔を逸らしてしまった。
そうしたら、ユーシスさんがゆっくりと笑顔になって、殿下を振り返る。
あ、ゴリラ降臨の兆候が出ている。
「……殿下?」
「違う、違うぞ、フォルセリア!!」
「万死に値します」
「マーナガルム!」
殿下が、馬車から降りてきたガルに助けを求めた。
ガルがやれやれといった感じで、ユーシスさんの鎧下を噛んで引き留めると、ラタトスクさんがユーシスさんの肩に登って、何やら耳打ちをしたら、ユーシスさんのゴリラ神がお帰りになった。
それでも、負のオーラを纏ったユーシスさんは、次の日からセシルさんが合流するまで、私たちの馬車にリヨウさんを乗せることを宣言。
警護責任者としての最善と言い放ち、リヨウさんも喜んで応じてくれたので、明日からは混合編成になるそうだ。
残念。
もう、殿下の記憶をこっそり消す機会はなくなってしまったね。
殿下はもちろんしっかりと見ています。谷間だけですけど。
肩枕までは真面目だったのに、ラストスパートで「王族ディスリが足りない」と気分が変わりました。だから話が進まないんですね。
反省して、次回はセリカ側とアニキとのふれあいでほのぼのさせます。多分ね!




