56 君の名は
ラッキースケベの一種です
3日目も順調な旅路だった。
ガルは馬車の中でも大人しかったけど、たまに体を動かすのに外に出て走ってくると言って、小一時間くらいいなくなる。私ですらたまに身体を動かしたくなるから仕方ないよね。
セシルさんも殿下も馬車の中では、持ち込んだ書類仕事をしたり、たまに飛んでくる鷹のお手紙の内容を話し合ったりしている。私には何のことかさっぱり分からないけどね。
私は専ら、鷹にご褒美の干し肉をあげる役だ。重くて腕にとまらせてあげられないから、主にユーシスさんの腕にとまっている時にお肉だけあげる、おいしい役だ。
キリッとした顔なのに、撫でてあげると目を細めるんだよ。はあ、可愛い。
そして、馬車の中の座席の位置に変化があった。進行方向の奥側が殿下、その隣にセシルさん、殿下の向かい側に私、その隣にガルが定位置だったのが、いつの間にかガルが殿下の隣に寝るようになった。
すぴーすぴーと寝息を立てるガルを、たまに殿下が撫でている。どうやらガルからお触りの許可が下りたらしい。
ガルの毛は、スコルやハティみたいなふわっふわな手触りというより、サラッとしていて王子の髪の毛に近い手触りだ。お父さんはシャンプーのCMの女優かっていう艶毛だから、いつかガルも毛質が変わるかもしれない。今だけかもしれない手触りを、みんなも存分に味わうといいと思うけど、ちょっと寂しい気もする。
これは、たった2日でモフモフ欠乏症に陥っている。きっと、昨日の夜に殿下がガルを連れ去ってしまったから、寝る時にモフモフしていなかったせいだ!
私がジトッとした目で殿下を見ていると、書類を見ながら無意識にガルを撫でていた手を見て、殿下がハッと気付いたようにその手を引っ込めた。もう手遅れですが。
取りあえず、私はこっそり亜空間収納に持ち込んだこちらの本を読んで過ごしている。目下私の興味は、食材の事典にある。だって、この先は絹や紙がセリカ側から来るだけじゃなくて、海路の方の品物も混じる地域だからだ。
ここから南方に行くと、雨の多い熱帯雨林気候の国があるって。そうしたら、アレがあるかもしれないからね。
そう。昨日からレアリスさんに禁断症状が現れたコーヒー豆だ。
スキルでほいっと出すのは簡単だけど、私たちだけでナイショで飲むことは出来ないから、街に寄ったら手に入れられないか探してみたい。
そう言えば、昼食の時にリヨウさんと元の世界のお話(主に食べ物)をしていて、いろいろな種類の豆があるから、もしこの少し先の宿場町に早めに着いたら探してみようと言われたんだ。そしたら、まだ先の話なのに、レアリスさんのお馬さんの速度が上がって、ちょっとユーシスさんに怒られてた。
よっぽど飲みたいんだなぁ。淹れる方も好きみたいだからなぁ。
その時の豆繋がりの話で、アスパカラ州に入れば醤油や豆板醬とか甜麺醤みたいな味噌的なものも手に入ると分かった。俄然やる気が出るよね!
まだ、殿下やアズレイドさん、セシルさんは中華料理食べた事なかったかな。
それを言ったら、何故か殿下とアズレイドさんのテンションが上がって、味見次第で輸入品に加えるとか言い出していた。リヨウさんとツェリンさんの目も、その殿下の言葉できらりと光る。新しいお金の匂いがするものね。
「私たちにも異世界の味を賞味させてくださいますよね」と穏やかな圧力がかかった。権力ってこうやって使うものなのね。
今日は日差しが強くて、騎馬組が結構汗を掻いていたから、水の魔石と氷の魔石を使って涼んでもらった。魔石は、王子が途中で水が貴重な地域もあるからと、結構大量に用意してくれた。だから、途中で物資を買い足すはずなのに、馬車がパンパンになるくらい荷物が多いんだね。過保護だ。
隣に座ったレアリスさんを、うちわみたいなので扇いであげたら、他の人も扇いでほしいってなって、交替で扇いであげることになった。腕、パンパンだよ。扇風機代わりも大変だ。
順番でファルハドさんが私の隣に座った時に、甜麵醬とかの話をしながら、ファルハドさんの故郷の話になった。ファルハドさんはこのメンバーの中で、一番西寄りの地域の出身らしく、アスパカラの属州とされる西端の地方なんだって。
海路側と陸路側の交易路の交差点で、羊肉をよく食べるとか、香草がたくさん入っているとか、セリカでも首都セラの方の食文化とは少し違うと言っていたけど、11歳の時に故郷を離れて首都に行ったから、醬系の料理にもうるさいと言っていた。
リヨウさんとラハンさんは生粋のセラの出身だけど、巨大都市なだけあってセラは各国の料理が味わえて、却って故郷の料理という概念は薄いみたい。日本でも、結構ジャンクフードがソウルフードっていう人がいるものね。
でも何故かみんな共通して餃子みたいな食べ物が好きっぽい。ファルハドさんの地域ではマンティと言ったり、サルジェさんはモモと言ったり、地方で呼び方は別だけど、内容を聞いた限りは餃子だ。
「美味いよなぁ。俺は蒸したヤツがいい」
「……焼き」
「茹でたのも美味しいですよ」
「ヤバいっす。食べたくなっちゃった」
「そう言えば、ハルの作ってくれた『ギョーザ』は絶品だったな」
「フォルセリア卿、ハルが作れるのか⁉ハル、絶対に作ってくれ!」
餃子経験のあるユーシスさんとレアリスさんも、何故かうんうんと頷いて参加している。美味しいものって、何故か国籍も性別も年齢も関係なく人の心を一つにするよね。
そして、今、ものすごく餃子が食べたい!
「ご期待に応えられるよう頑張ります!」
おお、と言って、拍手が起こった。
今、二か国間に確かな一体感が芽生えたよ。
「ハルがいると、下手な外交官よりも利益が出そうだな」
「あらあら確かに。でも怖~い守護者に怒られちゃいますよ」
「……分かっている」
ニコニコ顔のセシルさんに何か言われて殿下がため息を吐いた。何だろうね。
よし。振る舞うメニューが一つ確定した。でも私、皮は作れないから、こっそりスマホで作り方確認しておこう。みんなの前でスキルから出せないし。
何か、妙な一体感は続いて、予定よりかなり早めに目的地に着いちゃったよ。
で、到着したら、みんな凄くがっかりしていた。特にアルジュンさんが。
だって、領主様が手ぐすねを引いて、大宴会の準備をして待っていたんだもの。
明日からはお宿に泊まる予定だけど、今日までは領主館にお泊りだったのをみんな忘れていたみたい。私の餃子はまた今度だね。
今日はとっても大きな領地の侯爵様のお家だから、さすがの殿下も晩餐とは名ばかりのパーティを断れなかったみたい。私の為だもの、ごめんね。
そんなこんなでフルコースの晩餐の後、広間みたいな所でお酒を嗜みながらの第二ラウンドに突入した。ガルは「寝る」と言って部屋に行こうとしたので、私も後について行こうとしたら、何故か領主様に引き留められてしまった。
「是非、うちの娘たちとお話をしてほしいのです」
自分の父親くらいの人に丁寧にそう言われたら断れないよね。
相手は女の子だし。すぐにここを離れるけど、お友達になれたらいいな、と思ったから少し楽しみでもあった……んだけど、何か思ってたのと違った。
旅装の私とは違って、これでもか!というくらい着飾った女の子は、全部で5人。それもまだ二十歳にもいってないような似たような年齢の凄く綺麗な子たち。
……これ、全員が領主様のお子さんじゃないよね。その他にも、未婚の女性っぽい人が結構いるし。
で、私とお話してほしいと言っていたけど、誰も私と真剣に話をする気はないみたいで、適当な話だけして、それぞれがレンダールとセリカの偉い人達に熱い視線を向けている。特にユーシスさんに多めに視線が行っていたけど。
これ、私がここにいる意味あるのかなぁ。
今の自分の格好は、清潔で旅装としてはちゃんとしたものだし、使節団のみんなも似たような感じだけれど、女の子たちが華やかに着飾った中にいると、少しだけ比べてしまう。私が着飾ったところで大して変わりはないし、使節団のみんなも気にはしないと思うけど、どうしても私だけが場違いな感じがして居たたまれなかった。
そう思ってから、ふと気付いた。この子たち、あのテイムのスキルのご令嬢みたいに、私と交替したいのかも。それを領主様も狙っているのか。それにもしかすると、このたくさんの女性たちは婚活なんじゃ。
使節団のメンバーは、サルジェさんとツェリンさんが妻帯者で、リヨウさんとアズレイドさんには、まだ決まっていないけど婚約候補の人たちがいるって。でも、他の人は全員フリーだ。
アズレイドさんに候補でも婚約者がいるっていうのにはびっくりしたけど、みんなのスペックで誰もいない方がおかしいんだと気付く。
ガチの護衛や戦闘職の人はプライベートが無いに等しいとファルハドさんが愚痴ってたので、そのまま何気なく聞いた話だと、大体20代で退役してその後に上司の紹介とかで結婚するんだって。両国ともそんな感じらしい。
殿下は何だか特殊事情みたいだし、セシルさんは自由な人だから置いといてね。
そんな訳で、ここにいる人達は、未婚の女性からしたら相当な垂涎ものの物件みたい。
なるほど。するとこの女性たちは、使節団のルートが決定後すぐに領主様が選りすぐりの女性を集めたんだね。国のエリート確定の使節団のみんなと縁続きになったら、領主様にもメリットが大きいから。昨日も一昨日も、それでみんな宴会をやりたがったのか。
嫌な考えだけど、領主様が私を引き留めたのって、この子たちの引き立て役のためなのかも。みんな若くて美人で、きっと優秀な子たちなんだろうな。
元々地味な私と並んだら、それは美しさが引き立つね。納得。
それに、殿下が宴会を断れないくらいの権力者っぽいから、使節団のみんなもそれなりのメリットがありそう。人脈はあって困るものじゃないもの、ウィンウィンの関係だ!
そう思えば、さっきまでのモヤモヤもスッキリした。もう、私の役目は果たしただろうから、そろそろガルの所へ帰ってもいいよね。
私が領主様に退席の許可もらって、挨拶を殿下にして、「みんな婚活頑張って!」と小さい声で応援したら、妻帯者以外の人たちから凄い冷たい目と怖い目で睨まれた。ユーシスさんに至っては、何故か微笑んでいたけど、誰よりも怖かった。
一抜けするのがそんなに羨ましいの?一番体力がないんだから許してほしい。
「では、私がハルを送って参ります」
そう言って、シレッとユーシスさんが私の肩に手を回して歩き出そうとしたら、今度はユーシスさんがガシッとファルハドさんに肩を掴まれて止められた。
「あんたが一番席を外しちゃダメだろうが。何抜けようとしてるんだよ」
ですよね。ほら、ご令嬢たちの視線が私に刺さってる。大丈夫です。ちゃんと置いていきますから。はい、ファルハドさん回収してください。
「ハル。後で覚えておくように」
何故かユーシスさんから、笑顔と低い声で呪詛が聞こえた。私は、背筋に冷たいものを感じたけど、令嬢たちによる今そこにある危機からの保身を選んだ。
逃げるように会場を後にしようとすると、護衛のためにリウィウスさんがついて来てくれた。従者の人たちも晩餐には参加できたけど、その後の宴は後ろに控えていたからね。
会場を出て、リウィウスさんと廊下を歩き出そうとしたら、後ろから声を掛けられた。
「あなた、止まりなさい」
鈴を転がすような綺麗な声なのに、凄い威丈高な喋り方だった。
見ると、淡い金髪の巻き毛でグレイッシュブルーの目をした、あの5人の中の令嬢の一人だった。領主様と同じ髪と目の色をしているから、この人は多分、領主様の実の娘さんなんだろう。っていうことは、今夜の主役じゃないの?
従者みたいな人を2人連れて、私たちを威圧するように睨みつけてきた。
「ねえ、あなた。今から使節団を辞退なさい」
やっぱり来たか。
訓練場といい壮行会といい、レンダールの高位貴族のご令嬢たちには、私のポジションは余程価値があるように見えるみたいだ。
結構大変なんだよ。殿下の圧力とか、トイレの問題とか。
お昼は、どこかの集落に寄ってくれるけど、それ以外は野外だ。私は「ちょっとお花摘みに」と言って人目がない場所に行って、スキルで防災用の簡易設置トイレを出せるからいいけど、ご令嬢にはちょっとハードル高いと思うよ?それに、これからは普通の宿に泊まるし、野宿もあるような旅程だしね。
そんなことを考えていたら、何も言わない私に業を煮やして、ご令嬢が言った。
「物わかりが悪いわね。いいこと?今日の宴でわたくしが使節団入りすることは決まっているの。だから、明日の朝にはあなたはクビになるわ。今の内にあなたから辞退すれば、クビなんて不要な恥を掻かずに済むのよ?」
それまで気配もなく後ろに控えていたリウィウスさんが動こうとしたから、私は手でリウィウスさんを留めた。うーん。自信満々に言われたけど、はっきりと言ってあげた方がいいかな。
ご令嬢はちょっと怖いけど、リウィウスさんを頼る訳にいかない。
「あの。お気遣いは有難いのですが、今回はある筋から直々に私を指名されているので、使節団の他の方は変えられても、私だけは変更が効かないんです」
「まあ、よくもそんな嘘を。卑しい身分であの方に触れてもらえるからと言って、今の地位にしがみついているあなたに、いいものをあげるわ」
触れてもらえてって、そうかぁ。このご令嬢は、訓練場にいたご令嬢のようなユーシスさんのガチ勢なんだ。まだいたんだ、あの残党。なんだか、ユーシスさんがかなり不憫に思えてきたよ。
ご令嬢はそう言うと、従者の人にワインのような飲み物が入ったグラスを私に渡すように指示した。
うわぁ、見るからに怪しいよね。これ、受け取ったって素直に飲む人いる?
「何をしているの?わたくしからの餞別よ。さっさと飲みなさい」
ええぇ。自分に害のあるものを飲めって言われて、素直に飲む人いるの?
自分が差し出したものを断わられるなどと思ってもないご令嬢に私がドン引きしていると、リウィウスさんがそっと私の手の中のグラスを抜き取って、一歩私の前に出た。
「そのようなことをしても、フォルセリア卿があなたに惹かれるとは思えませんが」
静かな声に静かな動作で、リウィウスさんはグラスをご令嬢に返した。それがあまりに自然だったから、ご令嬢もグラスも嫌味も自然に受け取ってしまってから気付いたみたい。
「誰が、あなたにそうなれると言ったのですか?」
少し冷たい声でリウィウスさんが言うと、ご令嬢はキッと凄い目つきになって私を見た。そして、苛立たし気に言った。
「あなたさえどうにかすれば、わたくしがお側にいられるの!」
支離滅裂なご令嬢の素早い動きについて行けず、私は目の前で私にグラスを投げつけるご令嬢を見ているしか出来なかった。
中身を掛けるということは、経口摂取じゃなくても皮膚から吸収する作用のものかもしれない。
結構頭の中は冷静で良く動いたけど、残念なことに私の運動神経は全然仕事をしてくれなかった。
もう掛かってしまう、と目を瞑ったけど、グラスの割れる音はしたのにその時は来なかった。
目を開けると、私の目の前にはリウィウスさんの華奢な背中があった。
私はさっきまでが嘘のように身体が動いて、リウィウスさんを私の方へ向けると、その上着の胸を中心に赤い染みが付いていた。私を庇って何かしらが混入したワインを浴びてしまったんだ。
「リウィウスさん、早く服を脱いでください!」
ポケットに持っていたタオルハンカチを手に巻いて、液体に触れないようにしながら、リウィウスさんのシャツに手を掛けた。
「あ、あ、私は、大丈夫ですから!」
慌てたようなリウィウスさんの声が聞こえたけど、私は必死に皮膚に吸収される前にと、シャツに手を入れて液体を拭った。
そして、その手に、ムニッとした感触が伝わる。
「え?」
思わず手に力が入ってしまい、ハンカチ越しの掌に、もう一度柔らかいムニッした弾力が返ってきた。
え?これって、えっと、これって、その……。
「えええぇぇぇぇ⁉」
「あ、あの、て、手を離して……」
私の絶叫の後に、もう一回発生した「ムニッ」に恥じらうリウィウスさんの声。その姿はどう見ても女の子……。
「リ、リウィウスさん?あの……どちら様ですか?」
もっと違う聞き方があっただろう、と後になって私は猛反省した訳だけど、その時はもう頭がいっぱいいっぱいだった。
リウィウスさんも観念したのか、少し頬を染めて目を逸らしたまま、いつまでも離さない私の手をそっと外して言った。
「私は、リウィア・ファビウス。公爵家の第一息女です」
なんということでしょう。
私は、レンダールでも5指に入る高貴な未婚女性の胸を、それは思い切り揉んでしまったようです。
ただ「ムニッ」を書きたいがためだけに出てきたご令嬢、ありがとう。
そのために宴を開いたことによる被害者のユーシス、ありがとう。
そして、3回も「ムニッ」を提供してくれたリウィア、ありがとう。
何より、この回を最後まで見ていただいた読者様、ありがとう。




