51 王子の独り言
いつもより短めですが、王子視点のお話です。
使節団との打ち合わせの後、この後開かれる壮行会の準備のために、ハルとアリサとは一度別行動をとることになった。
急ぎの用件とは言っても、他国の賓客をもてなさないまま帰らせることはできない。
平和な時間が多くなったが、できれば何事も無い内に終わらせておく必要があった。
このところ、頻繁だった魔物の出現が間遠になってきた。
そのお陰で、政務にも余裕が出てきて、ハルが「ベースキャンプ」と呼ぶ迷いの森へ通うことができる。
それは、他の奴らも一緒で、交代制としたのに、隙あらば俺と取って代わろうとする気満々なのが分かる。
一応俺は、あいつらの主人という立場なんだがな。
最近では、何故かイリアスも迷いの森へ行きたがっていると聞いた。
もちろん本人が直接的に言っている訳ではないが、時間に余裕が出来ると、ふと迷いの森の方を見て溜息を吐くらしい。
それは、何故かアズレイドからうちの魔女経由で俺にもたらされる情報なんだが、どうやら二人は茶飲み友達のようだ。すごくどうでもいい。
イリアスが、レイセリク兄上と魔女とアズレイドを残して、迷いの森から俺たちを帰した日に、何かあったんだと思う。
次の日のハルの行動もおかしかったし、あの後から、イリアスの態度が不気味なほど変化した。
特に大きな変化が、王家の力になるいくつかの家門との婚約の打診を、全て一度白紙に戻したことだった。
それまでは、大叔父の起こした反乱の心証から、レイセリク兄上を支える一家臣の位置を固めるために、頑なに婚約者を置かなかったイリアスだったが、王子宮でのフェンリル事件で王位継承権を保留にしたことで、別の方向から兄上の力になろうと婚約者探しに着手したところだった。
あんな腹黒だが、王位継承権を保留にし、領地を放棄したとはいえ、イリアスは王子という身分も能力に裏打ちされた役職や地位もそのままだ。
ただでさえ少ない王家の人間で、レイセリク兄上に有事があった場合には、間違いなく継承権は復権されるだろうから、相当な数の打診があったはずだったんだが。
ハルのヤツ、何かやりやがったな。
あいつは油断していると、するりと他人の懐に入り込んでしまう。それも、人間、魔獣関係なくだ。
その日を境に、レイセリク兄上もハルを積極的に保護する方向へ動き出したし、うちのばばぁなどは暇があればあそこに転移しようとするようになった。毎回止める方の身になれ。
それにも増して、ユーシスやレアリスの動きも気になるところだ。
あのユーシスが、迷いの森でハルに物をねだる甘えた姿は、ある意味衝撃的だった。
ユーシスの「鉄壁」という二つ名は、その突出した武を表すだけじゃなく、どれほど異性から様々な秋波を送られても揺らぎもしない態度から囁かれてもいたものだ。
そんな男が、人目があるにもかかわらず、ハルに手ずから物を食べさせてもらうのを要求すると誰が思うか。
聞けば、訓練場でも同じようなことがあったとガルが言っていた。
ハルをこの国に呼んだ直後から、ユーシスからそんな気配を感じてはいたが、以前は好意程度だったものがこの頃はより顕著になって、独占欲にも見える動きをし始めている。あいつはああ見えて結構策士な面があるから、ハルには勘付かせないようにしているみたいだが。
迷いの森でのハルの手による味見は、その後意外と抜け目のないレアリスも便乗して、うちの魔女たちも参加していたから、ユーシスの存在は一瞬薄れたが、あまりに自然な仕草で常習性が見て取れた。
まあ、その時は俺に邪魔が入ったけどな!クソばばぁめ!
もっとも、ハル自体はフェンリルやガルたちへの態度となんら変わりないので、おそらく意図に気付いてなくて、「仕方ないなぁ」と思っていることは間違いない。
エルシスが来た時の二人のやり取りも、かなり近しい雰囲気があった。その時は、若い夫婦のようにも見えて、かなりモヤモヤとしたものを抑えるのに苦労した。
ユーシスもだが、レアリスも同じような態度を見せるようになったと思う。
セシルが言うには、ユーシス程でないにしても、あれだけの容姿だから周囲は放っておかなかったようだが、あの無表情が崩れることは一度も無かったという。
それが、ハルを前にするとああも和らぐのか、とセシルが驚いていた。
そういえば、神殿に所属している時から相当に腕の立つ平民出の護衛職が、どこぞの高位貴族から婿入りの打診を受けていると聞いたことがあった。それも一カ所ではなく、だ。
そんな平民には立身出世の物語のような話を、興味がないとばかりに断っているそうだ。
そんな男が、ある一つの物を大切に持っていた。
ある日の訓練後に、一緒に大浴場を使った時に、余程疲れていたのか珍しく持ち物を床に落とした。
すぐに拾い上げて中身が欠けていないことを確認していたが、首から下げる紐の先に付いた小さな布袋から零れたそれは、ハルがこの世界に来た時に着けていた小さな青い石の付いた髪留めだった。
確かそれは、ハル誘拐時の暗殺を偽装するために、髪の一房と一緒にレアリスが持ち去ったと聞いていた。
それをレアリスは、普段はキッチリと留められた襟の下に、片時も離さず身に着けていた。
元々、ハルが腕を再生させた時から、崇拝のような態度を見せていたが、二度ハルに救われて、それが徐々に熱を持ちだしたように思えた。
そして、あまり表情に感情を出さない男だが、魔獣軍団が迷いの森に押し寄せた日辺りから、ハルへ向ける視線が変わったと感じる。
ハル、本当に何をやらかしたんだ。
ユーシスもレアリスも、腹立たしいがイリアスも、何もしなくても勝手に異性が寄って来るような人間だ。普通なら、そんな視線を向けられれば好意に引きずられるだろうに、ハルは(イリアスは分かりづらいが)そんな男たちの意図に全く気付いていない。
外部からの敵意には敏感だったが、恐ろしく自己評価が低いからか、好意的な感情の機微には病気かと思うほど疎い。
そのままハルが、その誰の想いにも気付かなければいいと思う俺も、どうしようもないヤツだと自分でも分かってはいるが。
ハルの名前は、「春」に通じる名前らしく、その名のとおり柔らかい春の日差しのようなヤツだ。
その温かさに触れると、疲れも、自分の中にあった醜いものも溶けていくようだった。
ただ、日差しというのは、万人に広く降り注ぐもので、優しく平等で残酷だ。その優しさが、自分への特別でないことを理解してしまう。
だから、そんなハルが時折俺に見せる我儘や拗ねる姿が、どうしようもなく愛おしい。
だが、ハルはいつか元の世界に帰る。
それが、俺たちのハルを手に入れたいという想いに蓋をし、彼女に手を伸ばすのを躊躇わせる。
もう、ハルとアリサを送り返すだけの準備は整っている。
一度は、故郷に帰りたいと思わないほどの幸せを贈ればいいのだとも思った。そうする自信もあったし、ハルがこの世界を疎んでいないことも分かっている。そして、手を伸ばそうとしたこともあった。
だが、ハルの故郷には当然にある「平和な未来」が、ここでは約束ができない。
ニーズヘッグやガルがそうだったように、最上位魔獣と呼ばれる〝名前持ち〟ですら傷を負うような魔物が出現するようになった。
魔物の減少は、事態の好転ではなく、これから起こる事の前触れのような気がしてならない。
何かが変わろうとしているこの世界で、共に生きることが幸福だと言える保証は何もなかった。
だから、ハルの笑顔を自分の腕に閉じ込めようとする手を、誰もが伸ばすことができない。
仮令、ハルがこの世界を望んでも、「その時」が来れば、俺はハルを元の世界に帰さなくてはならない。
誰に恨まれることになろうとも。
でも、「その時」が来るまでは……。
「王子!」
それほど高くない穏やかな声が俺を呼ぶ。
侍女の服から装いを変えたハルが、俺を見つけて手を振った。
その姿を少し眩しく感じて目を細めた。
ああ、ハル。俺は、「その時」が来たら、お前を手放せるだろうか。
誓いを違えるような思考が浮かぶ。
だが、弱い心がそうさせるとしてもいい。
この時が一瞬でも長く続くように、「その時」が訪れないように、心から祈った。
リアクション芸の裏では、こんなことを思ってました。
ハル目線だとぼやけていたことを少し書かねば、と思い至りまして。
狩られそうになったり、ゴリラになったり、キャベツ斬りさせられたりしている普段の彼らですが、一歩ベースキャンプの外に出ればちょっと凄い子たちなんです。
イリアスのむっつり婚約事情やユーシスのちょい怖感情、レアリスの気持ち悪さが描けて良かったです。
さて、お次は壮行会なるものを開くそうなので、どうなることでしょうか。
次話も閲覧をお願いします。




