49 終身雇用ですか
ゴリラの学名
ゴリラゴリラゴリラは西ローランドゴリラの学名だそうです。
訓練場に向かうと、15、6人の人たちが、大きな魔獣に見立てた張りぼてをどの順番で攻撃していくかの連携をしているところだった。
有紗ちゃんが言うには、神官の「付与」のスキルを持つ人が、前線の盾役の騎士の人に身体強化の効果を付与して、突進する魔獣を盾役の人が止める。その後に、動きの速い人が足を狙って機動力を削いで、最後に火力のある人がとどめを刺す、という連携だ。付与以外は、どの役割も王宮騎士も神官も神殿騎士も入り混じっているみたい。
私の目にはすごい連携が取れているように見えるけど、この連携方針はまだ2カ月も経っていないものだって。あの、枢機卿失脚からようやく神殿も王宮も歩み寄れるようになったからで、まだまだ動きはぎこちないみたい。
時間はまだ、午前の11時前くらいだったから、ウォーミングアップみたいなものらしいよ。あれで、ウォーミングアップかぁ。
有紗ちゃんが練習場の端の日陰に案内してくれて、私はそこで見学できるみたい。なんか、もう一段高い所に見学席みたいなのがあるけど、ここ身内席みたいな内側でめちゃくちゃ皆さんと近い場所だけど、私が入ってもいいのかな。
私が遠慮していると、私たちを見つけたユーシスさんが駆け寄って来た。
「アリサ様、ご無事で。それに、やっぱりハルも一緒だったのか。ガルもようこそ」
さっきのあの一瞬で、ユーシスさんは私って分かったみたい。
「訓練、お疲れ様です。今日は急きょガルも一緒に行くことになりました」
挨拶すると、ユーシスさんが私を見て柔らかい笑顔になった。
「いつものハルも可愛いけど、今日のハルはとても素敵だ」
「はは、ありがとうございます。騎士装備のユーシスさんも素敵ですよ」
「ハルが気に入ったのなら、ずっとこの格好でいようか」
出た。ユーシスさんの女性褒めスキル。でも、私もだんだん慣れてきたね。
背後で、騎士のみなさんの辺りが一瞬ざわっとしたけど、ユーシスさんが一回その辺りに視線をやったら静かになった。
「お時間まで見学させてください。お邪魔にならないように遠くにいますから」
「いや、ガルがいるならここにいてくれ。見学席はそろそろ危なくなるから」
え?ここより見学席が危ないの?どういう構造なんだろう。それに時限式の危険なの?
「ああ、そろそろ時間だと思ってこっちに連れてきたんだけど、ユーシスがこんなんじゃ余計危ないわね」
有紗ちゃんが顎に手を当てて何やら考えている。こんなユーシスさんって何?
「取りあえずトラブル回避のために、波瑠は私の侍女で差し入れ持ってきた風を装うか」
え?何のトラブル?
ここに来てからずっと疑問符だらけの私に、有紗ちゃんがため息を吐く。
「まあ、色々と結構どぎついのがね」
そう言って、有紗ちゃんは私とユーシスさんを一度訓練中の皆さんから隠すように建物の陰に入って、何か差し入れになるようなものがないか尋ねてきた。私はいつも子供たちとお客さん用に飲み物を用意しているから、それでいいかな?
ちょっとお塩の入った大量のはちみつレモンをガラスの容器に入れて、バスケットにそれを詰めた。オーパーツのカモフラージュだ。ついでに、彩りトマトのピクルスも、お塩を付けておつまみにしよう。バスケットの下にこっそり保冷剤を入れて、冷たくしたおしぼりも準備してね。
ユーシスさんがちょっとつまみ食いをしちゃったけど、満面の笑みでOKをいただいた。
どう考えても1個20キロを超える重量を2個、ユーシスさんはひょいと片手で持ち上げて、みなさんのいる場所へ運んでくれた。いつもすみません。
それを、先ほど案内されたベンチに置いてもらって、その場の皆さんに、有紗ちゃんの侍女として紹介してもらった。何人か私の顔を知っている人もいたけど、事情を察してくれたみたい。
ガルも一緒に紹介してもらったけど、『よお』と挨拶するとすごいざわめいていたよ。
「聖女様より差し入れをいただいた。味は期待していいぞ」
そうユーシスさんが声を上げると、「うぉーー」という野太い歓声が上がる。
差し入れの効果か、その後の訓練はかなり熱が入ったみたい。ユーシスさんは、普段指導に回るみたいだけど、今日は珍しく実戦参加だって。
なんか、さっきユーシスさんよりガタイのいい盾役の人が3人で止めていた実際の魔獣と遜色ない張りぼてですが、ユーシスさんは1人で止めて「これくらい出来るようにするぞ」と言っていた。その後、部下らしい人たちに一斉に「出来るか!」ってツッコまれてたけどね。
私はそれをのんびりと、ガルに膝枕をしながら見学していた。普段、人間よりも魔獣といる方が多いから、訓練はちょっと恐いけど、誰かが頑張ってるのを見るのはいいね。
そんな風に過ごしていると、俄かに見学席の方が騒がしくなった。
「まあ、やっぱりいらっしゃったわ。珍しく実戦のお姿を拝見できるなんて」
「今日はわたくしがその席でしてよ!」
「あら、家門から言ってわたくしに譲られた方がよろしいのではなくて?」
わぁ、すごい煌びやかな一団が入ってきましたわ。
赤、青、黄色、緑、オレンジと色とりどりのひらっひらのドレスを纏って、それぞれが侍女や護衛の人たちを引き連れたご令嬢の一団でした。狭くない見学席なのに、何か大荷物と大きな日傘ですごいぎゅうぎゅう詰めになった。
「どうせ、望みの無い方は早々に退席されたらいかが?狭くてかなわないわ」
「そちらこそ、お荷物が多いんじゃありません?ここで夜会でも始める気かしら」
「あら、そういうあなたは、随分安っぽい差し入れだこと」
怖い。ご令嬢たちのディスり合戦。何しに来たんだろう。
ガルが何やら『うえっ』と言って、私のお腹に顔を埋めてしまった。
唖然とする私に、有紗ちゃんが近付いてきてそっと耳打ちしてくれる。
「あれが、見学席が危険な理由よ」
有紗ちゃんが教えてくれて、あの方たちは全員有力貴族のご令嬢だそう。
で、なんと全員がユーシスさんのガチ恋勢……熱烈な支持者とのこと。
数少ないユーシスさんの出勤日(?)をいつの間にか嗅ぎつけて、こうして王宮に出仕していない令嬢でも入れる、王宮の外の施設の訓練場に張り付いているらしい。
苦情を言っても全然直らないから、もう半ば諦めているって。令嬢たちも、追い出されたり処罰されたりするラインギリギリを攻めているから質が悪い、と有紗ちゃんが言っていた。
良識ある人たちは、最初から迷惑行為をしないし、少しでも自分を省みることができる人なら、少なくとも次の警告を受けて迷惑行為をやめるだろう。未だにここに来る人達は、つまりは問題児ということ。
ちなみに、私が召喚された時の1カ月、ユーシスさんの周りが静かだったのは、働いていないと令嬢でも立ち入れない王宮内部だったからだって。
……ベースキャンプのことを知られたら、私、闇に葬られるかもしれない。
そういう訳で、彼女たちはこうして遠くから眺めているしかできない訳だけど、ここ数日の内に、ユーシスさんも参加する隣国へ向かう使節団に珍しく侍女を使うという情報が漏れているらしい。使節団に同行するVIPのお世話をするためと聞いて、彼女らはそれになってユーシスさんと一緒にいたいみたい。
そうでなくても、いつもこうして接近しては差し入れなどをして「気の利く」アピールをユーシスさんにしているらしいよ。
……私が同行することを知られたら、確実に闇に葬り去られるね。
でもあの人たち、そのVIPがガルだって知ってるのかなぁ。
「ガル、あの人たちの誰かが一緒に行くかもしれないよ」
『ヤだよ、俺。ここからでもあいつらの臭いキツイんだよ』
鼻が利くガルには、きっと香水とか化粧とかの匂いが強すぎるのかな。だから私にくっついているのか。化粧っ気ないのもたまに役に立つんだね。
「私以外にも『侍女』枠あるの?」
「ある訳無いでしょ。あんなお荷物ども連れてってどうするのよ」
「ガル、あの人たちは行かないって」
私もそれにちょっとホッとする。あまり対人関係が怖くなくなったと言っても、ちょっと彼女たちのような雰囲気の人はまだ怖いかも。
「ねえ、もしかして、あの人たちの前でこの差し入れ配ることになるの?」
お昼も近い時刻なので、そろそろ訓練も休憩に入る頃合いだ。いつもは全て差し入れを断っているらしいけど、令嬢たちはめげずに持ってくるらしい。
そんな人たちの前で配るのは、かなり勇気がいるね。
「見せつけてやりなさい。差し入れは相手の為になるものでなんぼのものだと」
どうやら令嬢たちは、勤務中なのに高級ワインやナイフとフォークを使うようなものを持ってきたり、自分色のアクセサリーを持ってきたり、一流シェフごと連れてきたりと、「誰か止めなかったの?」と聞きたい差し入ればかりだったみたい。今日も大量の荷物持ってるしね。
「ユーシスさん、苦労してるんだね」
「波瑠が来てくれて、少し報われたんじゃない?本人張り切ってるし」
そうか。喜んでもらえるなら良かった。
少しホッとしていると、今まで建物の陰になっていて見えづらかったこちらに、令嬢の一人が気付いたみたい。突然大きな声を上げた。
「ちょっと、そこの。何故、部外者の女が訓練場に入っているのよ!」
「なんですって⁉まあ、犬まで連れ込んで。身の程も弁えずに」
誰かを攻撃するときは、息がぴったり合うんだ。
私がびっくりしていると、私を令嬢たちから隠すように有紗ちゃんが一歩前に出た。
「勘違い女ども。この子は私が連れてきた侍女なの。呼ばれもしないのに押しかけるあんたたちと違ってね。文句があるなら、私が聞くわよ」
特に大きい声を出した訳じゃないけど、有紗ちゃんの声は良く通った。カッコいい。
「聖女……さま」
令嬢たちは唖然としていた。そんな風に悪し様に言われたことが無かったんだろう。一瞬素に戻って顰めた顔を慌てて隠すように扇子を広げた。だけど、すぐに有紗ちゃんが言った言葉を都合良く捻じ曲げて、侍女になれば中に入れると思ったようだ。
「そうだわ。聖女様、わたくしが侍女になりますわ。そうすれば、そんな平民など足元にも及ばない程お役に立てますわ。女性貴族のしきたりとか、ご存じないことを、わたくしがお教えして差し上げます」
「いえ、わたくしこそ聖女様の侍女に相応しいわ。父は神殿にも顔が広いので、慣れないでしょう上級神官との繋がりをお助けしますわ」
「わたくしは、聖女様の友人に。下々の者ばかり側に置かれては貴女様の品位も下がってしまいますから、わたくしのような高位の貴族を側に置かれませ」
ん?口々に媚を売っているようにも聞こえるけど、なんか上から目線のような気が。
この国の貴族は髪が淡い色合いが多いから、私の髪を見て平民だと思ったんだろうけど、有紗ちゃんに対してなんでマウント取ってるんだろう。
「あいつらはね、私を敬っているように見せかけて、異世界の平民と見下しているのよ」
「……有紗ちゃん」
有紗ちゃんは、ずっと順風満帆な異世界生活を送っているんだと思ってた。でも、華やかな活躍の裏では、こんな扱いを何度も受けていたんだ。
私は、臭いにまだ唸っているガルにハンカチを貸してあげると、立ち上がって有紗ちゃんの後ろからそっと手を繋いだ。有紗ちゃんはその手をちょっと握り返してくれる。
その私の行動が気に食わなかったのか、急に令嬢の攻撃が私に向いた。
「さあ、早くその者を解雇して、わたくしを選んでください」
「そうね。美しくない者を側においてはなりません」
「聖女様は、一流のもので周りを固めなくては」
「本当に、身の程知らずね」
有紗ちゃんの、わたしの手を掴む手に力が入った。
「あら、私の役に立つって?それなら、あなたたちの家門とお名前を伺っていいかしら。ごめんなさい、私、まだ有力貴族の人しかお名前知らないの。あ、だからかしら。私にはとっくに必要のない利益にもならない提案しかいただけなかったのって」
あ、有紗ちゃん、怒ってる。すごい怒ってる!自分の時は平静だったのに、私がディスられたからだ。
歯に衣着せぬ「君たちお呼びでない」発言に、今度こそ絶句する令嬢たち。
「あ、あ、あなた……聖女だからと……無礼だわ!」
「今の言葉、お、お父さまに言い付けますわ!」
「今に、後悔なさるわよ」
口々に有紗ちゃんを罵る声は、もう令嬢っていう高貴な感じはしなかった。
怖さよりも呆れに近い感覚でため息を吐くと、私の横を影が凄い勢いで通り過ぎた。
その影は、トンと身軽に、一段高い令嬢たちのいる見学席の柵の外側に立った。一階分近く高さがあるのに、あそこまで飛び上がったの?
「失礼します」
優雅で礼儀正しい一礼と共に、穏やかな声で令嬢たちに挨拶するのはユーシスさんだ。
ユーシスさんの腰までの高さの柵に軽く両手を置いて、令嬢たちの前に立った。久しぶりの至近距離のユーシスさんに、令嬢たちは黄色い悲鳴を上げる。
「まだ、私が穏便に済まそうとしているうちにお引きいただきたかったのですが」
遠くからでも分かる程、ユーシスさんはニコリと笑った。
その顔に、令嬢たちはうっとりと見惚れてるけど、気付いて!言ってることも不穏だし、あの笑顔、本当にヤバいヤツだ。
「聖女様と私の友人を貶める発言。このままではお帰りいただけなくなりました」
そう言って、ユーシスさんは軽く身動きしただけのように見えた。
けど、次の瞬間、ユーシスさんと令嬢たちを隔てていた10メートルはあろうかという頑丈な石の柵が、ユーシスさんを起点に一斉に音を立てて崩壊した。
そして、ユーシスさんは手の中にあった残骸を、見せつけるようにゆっくりと握りつぶしてパラパラと落とす。
え?あれって、ユーシスさんが腕力だけで壊したんじゃないよね?そうだと言って!
「さあ、どなたからこの瓦礫のようにして差し上げましょうか?」
ひぃ!怖い、怖いよ!ほら、令嬢の護衛の人たちも固まっちゃったよ!
「このようになりたくなければ、私や友人たちの前に二度と現れませんよう」
そうして、神々しいまでの微笑みを浮かべると、真っ青になって震えたり、気絶したりする令嬢たちを、その護衛たちが抱えてその場から逃げ去った。
あの人たちのトラウマにならないといいね。
「ふう。もっと早くこうすれば良かった」
一仕事終えたとばかりに、ユーシスさんがいい笑顔で帰って来た。
「本性を現したわね」
「心外な。これでも穏便に済ませた方でしょう」
あきれ顔で言う有紗ちゃんに、ユーシスさんは肩を竦めて言い返す。
「本当にこれで済むと言えるのかしらねぇ」
「まあ、あなたのお考えを否定はしませんが」
苦笑するユーシスさんは、今度は流すような視線を私に向けて、私に聞こえないくらい小さい声で有紗ちゃんに呟いた。
「狙った獲物は逃がしたことはありません、とだけ」
一瞬、背筋がゾクッとした。アレだ、心霊番組とか見た時と同じヤツだ。
私は思わず柏手を打った。祓い給え清め給え!
私が必死にお祓いをしていると、ユーシスさんが近付いてきて、私の頭を撫でた。
「不快な思いをさせてすまなかった」
ゴリラ……じゃない、大魔王みたいなユーシスさんは消えて、いつもの紳士的なユーシスさんがいた。
「いえ、こちらこそ。私のせいで、あの人たちに何かされませんか?」
あれだけ傲慢に振舞えたのは、きっとあの令嬢たちが相当いい家柄だからだ。それがユーシスさんにどんな影響を与えるのか不安だ。
「あれぐらいで、俺の地位は揺らがないよ。でも、ハルが心配してくれるのはいいな」
本当に微塵も心配がないような笑顔で宣う。
だけど急に、ふと考え直したかのように、ふむと顎に手を当てて何かを思案し始めた。
「もし、俺が今回の件で騎士を辞したら、ハルに責任とってもらおうかな」
「へ?」
そして、魅惑の眼差しで私を見る。
「一生、ね」
もしかして、万が一の時の雇用主にされてしまった?
一生っていうと、終身雇用か。
こっちって何歳が定年なんだろう。きっと高給取りだよね、ユーシスさん。お父さん素材交換すれば、足りるかなぁ。
「その時は、退職金まで払えるよう頑張ります」
そう言ったら、ユーシスさんと有紗ちゃんが微妙な顔をして、ガルがくしゃみをした。
珍しくゴリラ……じゃない、ユーシスの回です。
彼は、女性が勝手に好きになるため、同僚から合コンに誘われません。
部下から一時期「恋泥棒」と呼ばれていました。
それでも現在は幸せいっぱいです。
以上、ユーシスプチ情報でした。




