31 お母さまは魔獣枠
異類婚姻譚阻止なるか
王子宮の庭は、只今絶賛蜂の巣をつついたようなてんやわんや加減です。
うっとりとお父さんに抱き付く王子のお母さまと、それを引っぺがそうとする息子と、珍しくあたふたとするユーシスさんと、ドン引きしてお母さまをぶら下げながら耳の下がったお父さんという、何が何やら分からない状況です。
「これ、どういう状況ですかね?」
「私に聞かないでくれ」
レアリスさんも匙を投げる状況だ。
そんな中、王子が必死の説得を試みる。
「おい、ばばぁ!お前、この国を滅ぼす気か⁉親父が来る前に離れろよ!」
「はぁ?アルに知られたからって、この心を止めることは出来ないわ!」
「ちょ、おま、ホントふざけんなよ!おい、フェンリル、お前も何か言えよ!」
『……この状態で、私にどうしろと……?』
動くに動けず、プルプル震えながら顔をお母さまから遠ざけるお父さんの切なる訴えが虚しい。
お父さんに番はいないけど、確かにお母さま的には王様の問題があるよね。
でも、国を滅ぼすって何で?
私が落ち着きのないユーシスさんに目線を向けると、助けを求めるように私に耳打ちをしてくれた。
「国王陛下は、その、リュシー様を大変慈しまれておられて、こんな状況をご覧になられたら、恐らくフェンリルと全面戦争も厭わないだろう。ハル、何とかならないか?」
「……はあ……」
まあ、ご馳走様としか言えないけど、それが国の危機となれば話は別だね。
普段お世話になっているユーシスさんの、珍しい救援信号に私は奮い立つ。
よし、ここは一つ私が一肌脱ごう。
私はガルをちょいちょいと呼び寄せる。ガルは嫌な予感しかしないのか、お父さんとそっくりに耳を下げているけど、私の招集に応じてくれた。そんなガルに、私はそっとある言葉を言うように伝える。ガルは絶望するような顔をするけど、何かを諦めるかのようにして頷いてくれた。
「あの、お母さま」
「あら、何かな?子兎ちゃん」
私が声を掛けると、お母さまがキラキラの目を私に向けた。子兎ちゃんって、私?
取りあえず私のことは置いておいて、お母さまにドキドキしながら対峙した。
「お母さま、この子はそのフェンリル父さんの息子のガルです。息子ということは、この子のお母さんがいます」
私が沈痛な面持ちで言うと、何かに気付いたらしいお母さまがハッと息を飲んだ。
今だ、行け、ガル。
『オレノ母サン、イラナクナッチャウノカ?』
すんごい棒読みだけど、なんかそれが妙な哀愁を感じさせる。それにお母さまが見事に釣れた。なんか、薄っすら涙ぐんでさえいる。
「あ、違うの。ごめん、ごめんね、ガルちゃん。おばちゃんが浅はかだった。あなたのお母さんからお父さんを取ったりしないわ」
お父さんから離れ、お母さまがガルをそっと抱きしめた。光の無いガルの目が虚空を見つめる。尊い犠牲だった。
『……私に番はいな……』
「ガル、誤解だって。良かったね!」
お父さんが余計なことを口走りそうだったので、私は両手でお父さんの口を押さえた。
生温い眼差しでそんなお母さまを見やる息子とユーシスさんだったけど、私によくやったとサムズアップして見せた。有紗ちゃんがサムズアップを教えてたけど、ちゃんと使いどころが合ってるのが凄い。
だけど、まだ仕上げが残っている。
「お母さま。ご理解いただけて良かったです。でも、お父さんへの愛は幻だったとしても、あなたのその愛は、全てのモフモフに注がれるべき愛であり、決して間違いではありません」
「……全てのモフモフに……」
私の言葉を繰り返すお母さまに、私はそっと王子の高級アウトドアチェアを差し出す。そこへお母さまを座らせると、訝し気なお母さまに微笑んだ。
「ハティ、膝乗り!」
「キャン!」
私とハティの連携技がさく裂する。アウトドアチェアに包まれたお母さまの膝に、フェンリル一族一の極上の手触りが乗った。
「な……、これは、天国……?」
お母さまの衝撃が手に取るように分かる。幼いハティの毛は、異世界のトリートメントという最強のエッセンスで、この世の物とは思われない手触りなのだ。
お父さんへの熱烈な愛を、モフモフ愛という大きな愛にすり替える。
心穏やかに、全てをうやむやに。
「これが、モフモフ愛……」
暗示にかかったように呟くお母さま。そうです。それが、すべてのストレスをフリーにする珠玉の存在です。
「ミッション、コンプリート」
私は完璧なママンロンダリングに清々しい心地になった。
ハティのなでなでに満足し、最終的にはお母さまは私に抱き付いてきて、「お友達になりましょ!」と言ってくださったので、ベースキャンプに遊びに来てもらえることになった。
女性客は有紗ちゃんしかいないので、おもてなしが楽しみだ。
「魔獣だけじゃなく、魔女まで手懐けやがった……。ハルの魔獣使いのスキルがどんどん上がっていくな」
「殿下。お母上が魔獣と一緒になっていますよ」
「あいつは魔獣枠で間違いないだろ」
「……返答いたしかねます」
王子とユーシスさんの会話が聞こえてきたけど、王子の言葉を否定できないユーシスさんも、結局お母さまを魔獣枠に入れているよね。その気持ちは分からないでもないけど、何故私が魔獣使いと言われるのかが謎だ。
ハティ達とのふれあいに満たされたのか、登場した時と打って変わってツヤツヤの満足顔でお母さまはお帰りになることになった。
「ハティちゃんたちもふわふわで可愛いけど、ハルちゃんもふわふわで可愛いわ。あなたも王宮の邸にいらっしゃい」
「ありがとうございます?」
お母さまはふわふわと婉曲表現を使ってくださったけど、要はいろんな所がぷにぷにしているということだね。仕方ないじゃない、運動量の多いみんなと同じ食事してるんだもの。
そんな恨み節を抱きつつ、お母さまと王子が暮らしている邸に招待されたので、一応お礼を言ったけど、ちょっと疑問形になったのは許してほしい。だって、お母さまが私を招いたのに王子がびっくりしていたんだもの。
まあ、イリアス殿下の冗談みたいに、私邸に異性を招くのが周りから誤解を受けることになるのは避けた方がいいもんね。
「じゃあねぇ、オーリィちゃん」
「とっとと帰れよ!」
最後まで親子漫才をやめられない人たちだった。
嵐のような人が去って、ようやく静かになったお庭だったけど、白い毛並みの約2名がぐったりとしていた。まるでしかばねのようだ。
「とりあえず、ここから撤収でいいか?」
一人冷静だったレアリスさんの言葉に、みんなハッとなって賛同する。
そうだよ。撤収しないといけないんだった。
もうお昼も近いから、簡単な火を使わないサンドイッチを作って、みんなで慌ただしく昼食を取る。
後は、パパッとキャンプ道具を亜空間収納に入れれば、お引っ越しの準備は終わり。
私のことは王子がベースキャンプに連れてってくれるけど、例の如く、レアリスさんとユーシスさんは別便でベースキャンプに来るみたい。一足先に準備すると言って、二人は王宮に向かって行った。
フェンリル親子はどうするのか聞いたら、なんか突然走りたい気分になったと言って、お父さんとガルが遠出してくるみたい。……二人とも、お疲れさまでした。スコルとハティもそれについて行くって。
『いやぁ、面白いものを見せてもらった。そなたといると退屈せんな』
シロさんは普通サイズになると、そんなことを言った。別に私が面白くしてる訳じゃないんだけどね。
『次に来るときは、ニーズヘッグでも連れてきてやろうかの』
「素材じゃなければ、ご本人は大歓迎ですけど、無理やり連れて来ちゃダメですよ」
引きこもりを外に連れ出すなんて、絶対無理やりになるよね。私が念を押すと、シロさんは金色の目を細めて、「無論」と言って笑った。怪しいなぁ。
シロさんが帰ると、最後に王子と二人だけになった庭は随分と寂しくなった。
まあ、なんだかんだ言っても、ここにキャンプを張った3日間は楽しかったかも。
「じゃあ、俺たちも行くか」
そう言って王子は私に手を差し出してくる。
それを取ると、レアリスさんと3人で飛んだ時と違って、遠慮がちに私に手を回してきた。何でだか、王子とのこの距離には慣れつつある。慣れってすごいね。
トンと王子の胸に肩を付けると、私の腰を支えていた手に力が入った。
その次の瞬間には、見慣れたベースキャンプが目の前にあった。
離れていたのはたった4日だったけど、なんか随分と懐かしく感じるよ。
「やっぱり王子の魔法はすごいね」
私が感心して言うと、王子は一瞬目を大きくした。
「お前、もう怖くないのか?」
あ、そう言えばそうだね。一番最初は怖くてどうしようもなくて、二回目はそんなこと考えている暇もなくて、今回はなんだか心配することも忘れてた。
王子は子供体温なのか、あったかくって、なんか安心するのかも。今も、転移した後に離れたら、少し寂しく感じるくらいには信頼しているってことかな。
「そうだね。王子だから怖くないのかも」
きっと他の人とだったらぎゃーぎゃー言ってたかもしれないね。
「……そう、か」
なんだかやけに神妙に王子が呟いた。褒めてるんだけど、あんまり嬉しくないのかな。
あ、でも少し笑った。
「そういえば、まだゆっくりできるの?」
とんぼ返りで戻らなくちゃいけないようだったら気の毒だ。
「ああ、少し時間がある」
「良かった。じゃあ、とりあえず休もうか。あ、見て。この間は咲いてなかったけど、木にお花が咲いてるよ。お花見しながらお茶にしよう」
ベースキャンプの庭に細い木があって、そこに梅とか桜に似た白い花が咲いていた。
今日は一人掛けの椅子じゃなくて、ゆったりとした3人掛けのソファを出して、二人並んでお花を見ながらお茶をした。ちょっと肌寒いから厚いひざ掛けを掛けてね。
はぁ、さっきまでの大騒動が嘘みたい。
「あ、そう言えば、お母さまが名乗っていた『黒の森の魔女』ってなぁに?」
私はチラッと気になった事を聞いてみることにした。王子は少し考えるような素振りをしたので、もしかして言いづらいことなのかと心配になった。
「言いたくなかったら別にいいよ?」
「いや、全然そういうことじゃない」
本当に何でもない事のように王子が言う。
何でも、黒の森というのは、北の山岳地帯に広がる針葉樹の森で、冬でも黒々とした森であることから古くからそう言われているみたい。そこで昔から暮らすお母さまの一族は、非常に魔力が強い人たちで、女系の一族だから「魔女」と呼ばれているんだって。
この国ができる前からある村で、魔力はあるけど偏屈な人が多くて、あとポーションみたいな魔法薬を作って生業にしていたから、それもあって「魔女」って呼ばれてたって。
魔力も強いし、国より古い一族だから、なんか歴代の王様も触らないようにそっとしておいた場所らしく、「魔女」たちも偏屈でも権勢欲とかの力を誇示しようっていう人たちじゃなかったから、ずっと治外法権みたいな場所だったみたい。
その村の人たちは、自分たちに誇りを持っていて、今も自分たちで「魔女」を名乗っているって。
実はその辺りが王子の領地の「ヴァンウェスタ」地方らしい。
産業と言えば、良質の木材と鉱石、それと少し南下した場所で牧畜が盛んみたい。そう言えば、ユーシスさんの講義でそんなことを聞いたかも。あとは、希少な動物の毛皮が獲れるので、王族の狩猟地にもなっているって。
王子はその森から少し離れた街で暮らしていたみたいだけど、たまに「黒の森」には行っていたみたい。
その一族の村は、王子みたいなキラキラした髪色をしている人が結構いるって。確か、魔力が強いと稀にそういう色になるんだっけ?
でも王子の目の色は、王族にしかない色って言ってた。王族の人は青寄りか赤寄りかの差はあるけど、直系の人は紫色の目をしているんだって。なんでか直系を外れると紫色の目の子供は生まれないって、不思議なこともあるもんだね。
で、王子みたいな色の濃い真紫の目は珍しいらしくて、それもイリアス殿下が王子に絡んでいた原因の一つになったみたい。お母さまが平民出なのに、一番王族らしい色だからって。
おまけに髪も魔力が強い象徴みたいな色だから、余計当たりが強かったのかな。
そんな話を取り留めもなくしていた。
「特に何もない場所で、冬は厳しい土地だが、景色はいい所だ」
「へえ。王子の領地って、景色が綺麗な所なんだ」
「ああ、冬はほぼ雪景色になるが、初夏から秋の短い季節は、何度見ても飽きることはないな」
針葉樹の森には、雪解け水の湧水箇所がたくさんあって、絵の具で染めたみたいな湖沼が点在しているんだって。信じられないくらい青い沼や乳白色の沼、何十メートルもある水深の底まで見えるほど透明な湖があって、一年中ずっと雪を抱いている山々がそこに映る様は、日が沈むまで見ていても飽きない事から「日暮らしの森」とも呼ばれているって。
「素敵な所なんだね」
私がその地に想いを馳せていると、控えめな王子の声がした。
「……一度、一緒に行ってみないか?」
「転移でぴゅんって?」
「いや。馬車ででもゆっくりと。そこまでの他の領地も見ながら。ガル達も連れて」
「途中で野宿しながら?」
「いいな。ユーシスの焼いた魚を食べて、レアリスの淹れたカフェオレを飲んで」
「有紗ちゃんと王子は味見役で?」
「あ、洗い物くらいできる」
「うん。頑張ってね」
そんな他愛のない話。でも、とても楽しくて素敵な話をしていた。
そのうち、王子の声が途切れてきた。見ると、少し眠そうだった。
今は少しずつ眠れる時間が増えてるみたいだけど、このところちょっと疲れたもんね。
「寄り掛かってもいいよ」
「うん」
なんか、可愛らしい返事をするから、ちょっと微笑んでしまった。その後に肩に重みが加わったけど、身長差のある私の肩ではなんだか寝づらそうだったから、膝を貸してあげることにした。膝枕はガルとかお父さんで慣れてるしね。
横になった王子に、温かい毛布を掛けてあげる。ひざ掛け越しでも、王子の体温が伝わって、私も温かかった。
王子が僅かに身動きした。
「……この世界に、ハルが来てくれて、良かった……」
途切れ途切れの王子の声が聞こえた。すぐにそれは寝息に溶けてしまったけど。
王子のキラキラした髪を指で梳くようにして撫でた。
ガル達ともお父さんとも違う感触だ。
私は、少し曇った空を見上げながら、ホッと息をついた。
「私もだよ。この世界に連れてきてくれてありがとう、王子」
今は、心からそう思うよ。
今回は副題を「美女も魔獣」にするか迷いました。
お父さんと仔犬が無駄に傷を負うという不憫な回となりました。
次はきっといいことあるさ。
現在、順調に本業で執筆時間が削られておりますが、来週も更新できるよう頑張ります!
次回もどうぞご覧ください。




