25 召喚って、向こうから来ることじゃないよね
痛い表現があります。
苦手な方はご注意を。
頭が痛い表現もあります。
イリアス殿下が、私を目指して歩いて来る。
突然のことに、私は身動き一つ取れなかった。
そんな私の前に、有紗ちゃんと王子が出た。
「殿下。この者は、王宮及び神殿からの謂れのない中傷により、多大な被害を受けました。王室からの接触は避けるよう決められたはずです」
王子は家族に対するとは思えない他人行儀な喋り方だった。
丁寧にしゃべる王子を初めて見たけど、いつもの乱暴な言葉遣いの方が優しく聞こえる。
「黙れ、『灰色鼠』。それは誹謗中傷を助長する行為の場合だろう」
痛烈な言葉だ。内容がじゃない。王子を呼ぶその名前がだ。
それは絶対に良い意味ではないし、血の繋がった兄弟に対する呼称じゃない。
でも王子は、それに反論するどころか気にすることも無かった。
「殿下は先ほどこの者を『穀潰し』とおっしゃった。十分中傷を助長するものと思いますが」
「勘違いするな。その言葉はお前に言ったのだ」
冷たい瞳で、イリアス殿下は王子を蔑む。確かに主語を言わなかったけど、しっかりと私を見ていたから、私のことだと誰でも思うはず。でもそれは、王子を罵るためにわざとやったのだろう。
王子も分かっているのか、淡々と感情を一切見せずにその言葉を受ける。
「それは失礼いたしました。それで殿下はどのような用件でこちらに?」
王子もイリアス殿下のことを「兄」とは呼ばない。
「私はこの者がスキルを発動させたと聞いて確認に来た。お前に用はない」
わざわざ言わなくていい言葉を殿下は選ぶ。
有紗ちゃんが言っていたこと、何となく分かった。私では、確かにこの悪意には勝てない。
「この者に関することは、私に一任されております。スキルについては後ほど詳細を説明するつもりです。それに、第三者の目を通してではなく、陛下自らご確認いただくことが肝要かと」
王子はそれでも毅然とした態度で接している。
暗に、あなたに曲解された報告をされたくない、としれっと反撃しているね。
「私はこの王宮の警護を任されている。陛下に危害が及ばぬように事前に確認する義務がある。私がこの者のスキルを今確認することに、陛下の命に背く行為が存在する余地があるとでも?」
相手の反論を封じる言い方だ。王様の安全を持ち出されたら、誰だって断れないよ。
殿下は、王子をチラッと見た後、もう一度小さな笑みを浮かべた。
「それとも、その娘のスキルは、私に確認されると何か不都合でもあるのか?」
殿下が、青紫色の瞳を私に向ける。私は思わず、有紗ちゃんの陰に隠れてしまった。
「この者のスキルはポーション精製の能力です。それを見せるに不都合はありませんが、問題は前例のないスキルの発動方法ですので、あまり人目に触れさせたくありません」
私が尻尾を捲いて逃げ出す視線にも王子はまだ揺るがない。
きっと慣れてるんだ。どれだけこんな胃が痛くなるようなやり取りを繰り返してきたんだろう。
そういえば、私が目を治す前に、家族と仲が悪いって言ってたね。
「なるほど。あくまで珍しいのは発動方法であって、能力自体ではないというのか」
王子よりもやや男らしい顎に手を添えて、殿下は何か思案している。
「ならば、場所を移ろう。人払いをすれば良いという事だろう?」
ああ言えばこう言うって、こういうことなのかな。
でも、人払いしても、殿下がいっぱい人を連れてきて、私たちが人数を絞られたら元も子もない。
どうしよう……。
そんな心配をしていたら、意外なことを殿下から提案してきた。
「私は一人だけ騎士を連れて行く。アズレイドは、今度の謁見でも側に控えるから、問題ないだろう。お前たちは何人いても構わん。そこの元神殿騎士も。それなら良いな」
何気にレアリスさんが私たちの味方って知っているっぽいね。
それに、味方が最低限の一人でいいって、結構安全には無頓着なのかな?
事情が分からない私に、有紗ちゃんが小さく耳打ちしてくれる。
「アズレイドって人、多分騎士の中で一番強い人よ」
うん、それなら全然安全だね。
レアリスさんが呆れるくらい強いユーシスさんよりも上って、どんなものか私は見当もつかないけどね。
チラッと有紗ちゃんが示した人を見ると、ユーシスさんと似た感じの体格だけど、ちょっと威圧感がある人だった。甘めの顔立ちのユーシスさんと違って、精悍な感じ。
王子は少し考えていたけど、私に視線を向けた。
うん、分かった。頑張るよ。
何となく王子が考えていることが分かるから、私は左手のブレスレットを掴んで頷いた。
王子がスコルも連れて行くことを条件にすると、イリアス殿下が用意したのは、王子宮の一角にある庭園のガゼボだった。
ここは、王太子殿下とイリアス殿下の住まいで、この庭園は園丁の使用人を除いて、王太子殿下とイリアス殿下しか使えない場所みたい。贅沢だ。
春間近の庭園は彩りこそ少し寂しくもあったけど、さすが王族の庭園って感じで、常緑の低木がとても綺麗だった。
ここにいるのは、殿下の宣言通り、殿下側は本人とアズレイドさん。こっちは、私と王子とユーシスさんに有紗ちゃん。指名されてたレアリスさんと、王子指名のスコル。
前準備として、ポーション精製に必要な薬草類が必要だと伝えたら、この庭園で数種類栽培していて丁度いいとのことだった。
一般の薬師の人の初級ポーション精製に必要なのは、ウォート草と呼ばれる基本の薬草とポウの穂という蒲の穂っぽい薬草、それにステアタイトという柔らかい鉱石の粉末。
中級はそれに加えて竜骨っていう、何かの化石みたいなのが必要なんだって。
メイドさんみたいな人が、静々とお盆に乗せたその材料を持ってきてくれた。それを置いたらそそくさと帰ってしまったけど。
そして、ガゼボには私たち以外いなくなった。
「始めてもらおうか」
殿下が命じたので、私は有紗ちゃんから離れて、殿下に見えるようにスキルを展開した。
「開け」
言わなくていいけど、私は自分に気合を入れるために、スキル発動の声を出した。画面が現れて、いつもより表示の少ないボードを操作する。
「スキルの表示に触れられるのか……」
初めて殿下が感心したかのような声を出した。
お盆の上の材料を投入口に入れ、そのままポイント換価せずに交換画面に移る。そして、中級ポーションを選択して、収納を経由しないで取り出し口からポーションを取り出した。
もらった材料で精製できるのは、5本くらい。それを殿下に渡す。
ガゼボに設置されたテーブルに5本並べて、何故かそのうち1つを開けた。
「アズレイド」
殿下がアズレイドさんの名前を呼ぶと、何故かアズレイドさんが腕まくりをした。
「え?」
私が声を上げたのは、無意識だった。
おもむろに剣を抜くと、アズレイドさんは躊躇いもなく自分の左腕を深く切り裂いた。パタパタと流れた血が地面に落ちる音が響く。
「な、何を……!」
パニックになって私が叫ぶと、殿下は何でもない事のようにポーションを傷口に振りかけた。あっという間に傷が塞がったのを見て、納得したように頷く。
ただ、薬の効力を確かめるためだけに、部下の腕を傷付けさせた。私は効能を知っているからいいけど、もし全くの偽物や劣化したものだったらどうするつもりだったのか。
さすがに有紗ちゃんの顔は青ざめていたけど、この人ならやりかねないという様子で、みんな落ち着いていた。
殿下は、私を見ると、フッと鼻で笑った。
「震えているな。これくらいの他人の怪我程度でそんなことでは、戦場へは行けまい」
イリアス殿下の言っていることが理解できない。
他人の痛みをこれくらいって、何を言っているの?
「誰が、波瑠を戦場に行かせるものですか!」
有紗ちゃんが私を庇うように動くと、またしても殿下は鼻で笑った。
「随分と懐いたものだな。自分が率先してこの娘を排除しようとしていたのに」
少し前の事を持ち出した。そんな終わったことを、と思ったけど、有紗ちゃんにはそれが一番傷付くことだと分かって言っていると気付く。
「大丈夫だよ」
先ほどよりも青ざめた有紗ちゃんの手に触れて、私は有紗ちゃんに本心を告げる。
もう、この人、嫌いだ。
私は精一杯の虚勢を張って、イリアス殿下を睨んだ。眉が下がっちゃうのは愛嬌だ。
そんな私を楽し気に見て、殿下がまた話を始めた。
「効能は確かなのは分かったが、まだ確かめねばならないことがある」
そう言って、有紗ちゃんを下がらせると、今度はレアリスさんを近くに呼んだ。
レアリスさんが私の隣に並ぶと、私たちをゆっくりと見回した。
そして、突然手を一振りすると、フォン、と空気がなって、王子たちとの間に透明な膜のようなものができた。私とレアリスさんと殿下とアズレイドさんの4人と、王子たちと二つに空間が分けられた。
「イリアス!」
王子が初めて焦ったような声を上げた。殿下はそれを小気味よさげに眺めて笑った。
「私のスキルは、3つあるんだが、一つは『解呪』、一つは『結界』。今、お前たちを隔てているものだな。これは、特殊な結界で『断絶』という。そこな灰色鼠や聖女とて破れまい」
相当強固なスキルのよう。でも、それが何だと言うんだろう。
「そして、最後の一つは隠しスキルでな、特別に教えてやろう」
恩着せがましい言葉と態度だったけど、殿下はこの場を完全に支配していて、何も言葉を発せなかった。
「『看破』だ」
それを聞いた私と有紗ちゃん以外の人たちが絶句した。
「おや、異世界の娘たちは『看破』を知らないようだ。これは、スキルの発動や干渉を見破るものだよ。残念ながら、どういった干渉をしているかまでは分からないが、おそらく隠蔽系のものだろうな」
それなら、私のボードを覆い隠しているレアリスさんのスキルは、殿下には丸見えだということ。ようやく、王子たちが絶句した意味を知った。
スキルを隠している人を特定するために、私とレアリスさんをみんなから離したんだ。
「残念ながら、私の『解呪』のレベルでは、その男のスキルを破ることはできないようだ」
さして残念でもなさそうに言う。
「さあ、異世界の娘。私に隠しているお前の本当の能力を教えよ」
「ハル、従う必要はない」
王子が毅然として言うと、イリアス殿下は不快気に笑って指を鳴らした。すると、王子の顔が少し歪んだ。
「娘。私の『結界』の力は、結界の中に閉じ込めることもできるが、中から排除することもできる。……ほう。この意味が分かるか」
殿下の言葉の途中で分かってしまった。今、王子の周りの空気が「排除」されているんだ。
「ハル、聞くんじゃない。どうせイリアスは俺たちを殺せない」
苦し気な息で、それでも王子は抵抗を諦めない。
「まあ、癪だが、灰色鼠の言う事も間違いではない。だが、そうとも限らん」
殿下はアズレイドさんに視線を送ると、何かを察したレアリスさんが、自分の剣を抜いた。
その瞬間、アズレイドさんの姿が消えたと思ったら、レアリスさんはいつの間にか持っていた剣を叩き落とされ、羽交い絞めにされていた。
「王族を前に剣を抜いた。不敬だぞ」
そう言って、殿下は落ちた剣を拾い、レアリスさんに近づいた。
レアリスさんのくぐもった呻きが落ちた。
「……レアリスさん?」
私の目には、深々とレアリスさんの腹部に刀身を埋めた剣が映った。
私はその光景が何を意味するのか考えられなくなった。
「私がこの剣を抜けば、この男でも失血で長くはもつまい」
「……あ」
空気を抜かれていないのに、息が苦しい。目が熱くなって、涙が止まらなくなった。
「だが、助かる方法はあるぞ」
そう優し気に言って、殿下はポケットから掌くらいのポーション瓶を取り出した。
「希少な上級ポーションだ。お前のスキルを見せれば、これをやろう」
「イリアス‼」
遠くから王子の怒った声が聞こえる。
「さあ、私は気が長くない。選べ、自らの保身かこの男の命か」
そう言って、お腹に刺さった剣を引き抜いた。途端にその傷口から血が溢れ出す。
レアリスさんの顔が見る見る青褪める。
アズレイドさんが手を離すと、自分で立っていられなくて、レアリスさんは地面に倒れた。
「レアリスさん!」
ようやく私は動くことができて、倒れたレアリスさんの側に膝を突き、血の流れるお腹を手で押さえた。
止まらない。血が止まらないよ。
深い裂傷は中級ポーションでもいいけど、内臓の損傷は上級ポーションじゃないと治らない。
「待って、今、ポーションを……」
私が片手を離してスキルボードを操作しようとするけど、隠蔽されたスキルは私でも見えない。
「お願い、レアリスさん。スキルを解いて!」
喉が痛いほどの声で願うけど、レアリスさんは静かに首を振った。
「なんで⁉私のスキルなんかより、レアリスさんの命の方が大切だよ!」
レアリスさんは答えない。でも、何故だかレアリスさんは諦めていない。
冷たい指先で、私の左手首を触った。
そこにあるのは、ヤドリギのブレスレット。もしかして……。
『ハル!』
私の頭の中が真っ白になりかけた時、それまで何も言わずにいたスコルが、私を呼んだ。
そして、聞いたことのない、空気を揺るがすような遠吠えをした。
その長い残響が消えると、私たちの周りの空気の壁のようなものが、音もなく吹き飛んだ。
それと同時に、ふわりと私の周りを柔らかな感触が包む。
『また泣いている。だから、私を呼べと言ったのに』
低くて響く大人の声。でも、とびきりの甘えん坊。
「……お父さん」
私の声が酷い涙声になる。
どうしてかな。
お父さんの存在だけで、もう全部大丈夫な気がするよ。
「……魔獣の召喚?魔獣使いか」
ぽつりとそんな声が聞こえた。
召喚っていうか、娘からの招集?のような気が。私、呼んでないもの。
それに魔獣使いって何?
どちらかというと、魔獣使われなんだけど。
「何故だ。私のスキルは、神話で神をも封じたと言われる『断絶』だぞ」
少し離れた場所で、アズレイドさんに庇われるようにしていた殿下が呟く。
それにお父さんは、殿下がみんなにしたように、鼻で笑った。
『人間だけがスキルを扱うと思っているのか。思い上がりも甚だしい』
そうしてお父さんは、渾身のドヤ顔で言った。
『私のスキルは、神話で神をも滅ぼしたと言う『破壊』だ』
ちょ、なんて危ないものお父さんに付けてるの⁉
お父さんの牙でできる魔剣がどうのこうのより、お父さん自身が最終兵器でした。
なんか、頭が痛いね。
お父さんのは、神様も黄昏れちゃうやつですね。
痛い思いをした人でなく、全部を持って行くお父さんでした。
さて、皆さまには感謝しっぱなしですが、異世界転移部門ランキングで月間3位になっていました。
殿下を嫌いになっても、このお話を嫌いにならないでください!
また次話も見てください。
 




