135 君を想う
アダルトユーシスアターック!
ユグドラシル行きの報告をするために、ファルハドさんが一度席を外し、国王陛下とアルカレナ様の滞在の件で離れると、王子と私は宮廷医とキノコ大根の花びらの投与について打ち合わせるために、キノコ大根と一緒に一度ユーシスさんの部屋を出ることにした。
キノコ大根はユーシスさんの枕元にしがみついたけど、王子が目的を丁寧に説明すると、キノコ大根も納得して私の肩に乗って移動してくれた。
お医者様は、キノコ大根を怪訝そうな目で見たけど、マンドラゴラだと説明すると、今度は鋭い研究者の目でキノコ大根を見つめた。その眼差しにキノコ大根が怯えたので、王子が他にもいるので連れてくることを伝えて大切に扱うよう命じると、名残惜しそうに眼をやりながらも実験台とかにしないと約束してくれた。王子が言うには、一応ちゃんとした人なので大丈夫と言っていた。
その後、ファルハドさんが戻るまでと、ユーシスさんの病室の近くで待機していた。ソファに王子と座って、誰もが何を話すでもなく静かに時を過ごしていた。
私の手の中で丸まっていたキノコ大根がウトウトし始めた頃、王子の膝の上にいたお父さんがピクピクと耳を動かす。それと同時にコンコンとノックの音がした。
「オーレリアン殿下。フォルセリア卿が目を覚まされました」
若い医局の人がそう伝えてくれた。私たちは顔を見合わせ、一緒に立ち上がる。
「それが、フォルセリア卿が、殿下にだけお話したいことがあると……」
何かを凄い勢いで考えている顔をしてから、王子が私に視線を送って「待っててくれ」と言って部屋を出た。
安堵と一緒に、あまり良くない予感もして、それから二十分ほどお父さんとキノコ大根と待っていると、王子が怒った顔で部屋に入ってきた。
「ハル。思わずあいつを殴っちまった。悪いが、ポーションで治してやってくれないか?」
えっ!? と驚いて王子の顔を見ると、少しバツが悪そうにそっぽを向いた。何のやり取りがあったかは言わないけど、その顔から、状況はそれほど悪いものじゃなさそうだ。
傷薬のポーションは魔法薬なので、治癒魔法と並行して使うと効力が相殺されるから、ユーシスさんはセシルさんが治した以外の命に関わらない怪我は普通のお薬で治療していた。でも、初級程度のポーションなら、影響を与えないだろうとのこと。
「きっと、お前にも話しておきたいことがあるだろうから」
王子はそう言って、キノコ大根を私から摘まみ上げると、行ってこいと言った。その顔は少し寂し気でもあって、単に顔を見たいというだけの話しではなさそう。
さっきの部屋に行くと、王子が人払いをしたのか、扉の前には誰もいなかったのでノックすると、少ししてから入ろうと思ったのに、ガチャッとドアが開いた。
そして、そのドアを開けたのがユーシスさんだったことに二度びっくりしてしまった。
「なんで起き上がったんですか!? 安静にしてないと駄目じゃないですか!」
私が大きな声で言うと、顔色はあまり良くないけど、いつもどおりの余裕のある顔で、「しずかに」と人差し指を唇に当てて言った。その様子に、さっきの驚きを通り越して、胸いっぱいの安堵が広がった。
部屋着なのか、ゆったりとしたシャツを前を開けて羽織って、痛々しい包帯を見えにくくしてくれているようだった。
ベッドに戻るように促すと、ユーシスさんは何故か鍵を閉めたので、体を屈めた時に少し「いてて」と顔を顰めた。無理するから。
仕方がないので、何の足しにもならないと思うけど、ユーシスさんを支えながらベッドに戻った。
また、ベッドに横になるように言ったけど、ベッドのヘッドボードにクッションを当ててほしいと頼まれたので、治療時に使うのか大きなクッションがあったので置くと、ユーシスさんはそれを背に当てて座る形になった。
よく見ると、ユーシスさんの口端が切れて赤くなっている。
王子、本当に殴ったんだ。
ベッド横にあるテーブルにあった治療用のガーゼの残りを一枚取ると、スキルで取り出したポーションを少し含ませて、口の端にそっと当てた。五秒くらいして離すと、もう傷はなくなっている。口の中は切れてないか聞くと、どうやら大丈夫なようだ。
「王子に殴られるようなこと、言ったんですか?」
本当に聞きたい訳じゃなかったけど、思わずポロリと言ってしまった。
すると、ユーシスさんは悲し気に緑色の目を細めた。
「ああ。オーレリアン殿下に、『最期までお傍にいられず申し訳ありません』と言った」
数瞬、その言葉の意味を考えてしまった。
そして、その二重の意味に私は絶句した。
ユーシスさんは、王子の余命を知っていた。
以前王子は、ユーシスさんの王子に依存する脆い部分を知っていて、自分の余命を隠した。でもユーシスさんは、それを知っていて、それでも崩れずに王子を支えていた。
そして、王子に最期の暇乞いをしたんだ。
大切な人に、別れを告げられた王子。何より、自分の死が目前であることを悟って尚、気丈に振舞うユーシスさんの姿に、胸が痛んだ。
「俺のことは早く忘れて、幸せになってほしい、と」
続けて私の目を見ながら言葉を紡ぐユーシスさんに、どうして王子が殴ったのか分かった。
私にも、込み上げる衝動的な怒りが理解できたから。
「なんで! なんで、そんなこと言うんですか!!」
ユーシスさんは、私たちを想って言った言葉だろうけど、そんなことできる訳ない!
「忘れられるわけ、ないじゃないですか! ユーシスさんがいなくなったら、私たちがどれだけ悲しむか、分かってるんですか!?」
怒りで目の前がクラクラする。そんな私を見て、ユーシスさんが困ったように笑う。
「俺は、人との関わりを利益で測る薄情な人間だ。だから、自分の死は惜しまれても、悲しんでもらえるとは思っていなかった。俺は、君に悲しんでもらえる価値があるのか?」
自分の命の価値を軽んじるような言葉に、思わず大きな声を上げていた。
「そんなの! 悲しすぎてどうしたらいいか分からなくなるに決まってるでしょ! 残される人の気持ちが分かるのに、どうしてユーシスさんは、自分のことを道具みたいに言うの!? 自分の命を軽く言うユーシスさんなんて、大嫌い!」
たくさんの戦友を見送って、王子の余命も知っているのに、ユーシスさんは自分の命がその人たちと同等だと思っていないのが悲しかった。
そのことに感情が昂って抑えられない。いつの間にか涙が溢れていた。拭っても拭っても止まらない。
「すまない、ハル。大切な人を目の前で亡くした君に、酷いことを言った。ただ、俺が君にとって価値のある人間かどうか、確認したかったんだ。君は、俺のために涙してくれる人だと知っているのに」
「そうです! 私はユーシスさんがいなくなったら、嫌なんです」
立って嗚咽を上げながら泣く私を見て、ユーシスさんは切なそうに、でも嬉しそうに言った。
そして、両手を広げて、私に言った。
「おいで」
悲しい時にこの世界の人たちは、ギュッとしてくれる。私は、無意識にユーシスさんの胸に縋った。
ユーシスさんの大きな手が私の頭と背中に当てられて、その温かさに縋ると、胸にあったいろんなことが、止めどなく溢れてきた。
「ユーシスさんの馬鹿! カッコつけ! 女ったらし! ゴリラ! まだ何もしてないのに、簡単に生きることを諦めないでよ!」
「なんだか、酷いことを言われているなぁ」
私の髪を撫でながら、ユーシスさんが苦笑して何かを言ったけど、私はお薬と包帯の匂いのするユーシスさんから離れて、自分の手の甲で涙を強引に拭って聞いていなかった。
「王子もユーシスさんも、私が助けます。絶対に死なせません」
そう宣言したすぐ後、私の体が浮いて、気付けばベッドのユーシスさんの膝の上に乗せられていた。
至近距離で、ユーシスさんの緑色の瞳に捕らわれた。
「……オーレリアン殿下と君のためならば、この命も惜しくはないが、君たちと共にいると、その自分の身さえ惜しんでしまいたくなる。騎士としては失格だな」
何かの感情に揺れるユーシスさんの目を見ながら、その両頬をパチンと叩いて挟んだ。
「王子も言ったんじゃないんですか? 『命を懸けるな』って。私には騎士道は分からないけど、ユーシスさんなら卑怯なことをして逃げないと分かっているから、きっとそれは騎士として間違ったことではないはずです。だから、自分を大切にしても大丈夫です」
「……君って子は……」
小さく呟いた後、少しの間私を見つめていたユーシスさんだったけど、目を瞑って自分の頬にあった私の手に自分の手を重ねると、ギュッと握って私の手を一つにまとめた。
そして、その私の両手の指先に、自分の唇を押し当てた。
何度も、何度も。
「……ユ、ユーシスさん?」
私は正気に戻って、突然の行動に驚いて名前を呼ぶと、緑の瞳が流した視線だけを私に寄越し、今度は私を見つめたまま掌に口づけをした。そのくすぐったさに、私は背筋に電気が走ったようになった。
それは、嫌悪感ではなくて、甘い痺れで……。
ユーシスさんは切なく微笑むと、思考が固まってしまった私の頬を掌で包んで、まだ残っている涙を親指で撫でるように拭った。
そして、その手で私の顔を上向けると、そっと顔を近づけてきた。
思わず顔を背けてぎゅっと目を瞑ってしまったけど、優しく手で誘導されてもう一度顔が上向けさせられた。その私の瞼や目尻に、またあの柔らかくて温かい感触が降ってくる。
まるで私の涙を唇で拭うかのように、また、何度も、たまに食まれるような感触と一緒に。
その温かさが離れると、私は恐る恐る目を開けた。
何が起こっているのか、まったく分からなかった。
ただ目を開けた先には、何かの熱を緑色の瞳に宿したユーシスさんがいた。
「君の心は、オーレリアン殿下のものなのは分かっている。だから、これは俺の悪あがきだ」
ユーシスさんのその言葉に、以前、湖で言われた言葉を思い出した。
〝たとえ君が誰を想っていたとしても、俺は変わらない〟
〝君は君の望むままでいていいんだ〟
もう気付けなかったことにはできない。
その言葉と私に触れる仕草、そしてその瞳で気付かない程に鈍感にはなれなかった。
ユーシスさんが想っている人は、私。
そして、ユーシスさんは、王子を想う私の心まで全部包んで、それでも想ってくれている。
こんな素敵な人が私を、と信じられない気持ちでいっぱいだ。
その想いが、嬉しくも切ない。
それでも、私の心は決まっている。
そんな私の気持ちを、すべて分かってくれて、ユーシスさんが微笑んだ。
「ここは、殿下のための場所」
そう言って、ユーシスさんは私の唇を指で撫でた。
「ここ以外、今だけは、俺のハルでいて」
懇願する声に、私は目を閉じた。
最初は頬。次は鼻の頭。その次は顎。そして、耳朶。
順番に優しく唇が触れていくのが分かる。
最後に、額へ落とされた唇は、軽い音を立てて離れた。
そっと目を開けると、ユーシスさんの優しい笑顔があった。
「君のことが好きだよ。ハル」
カッコよくて、大人で、有能で、強くて、持っていないものを数える方が早いような人で、元の世界では決して人生が交わることがなかった人。
強い信念や高い矜持を持った人に、同情とか打算、流された感情で、自分の心とは違う答えを返すのは嫌だった。
ユーシスさんには、本当の心を見せたい。
頬に当てられた手を外し、しっかりと支えられていて揺らぎもしなかったユーシスさんの膝から離れる。
ベッドから一歩下がって、私は言った。
「ありがとう。ユーシスさん」
私はちゃんと笑えていただろうか。
貰った心を拒絶するのではなく、大切にしまっておくよ、と伝わっただろうか。
涙で視界が歪みそうになるのを必死に堪えて見たら、ユーシスさんが破顔した。
この世界に来た時から、ずっと傍にいてくれた人。誰よりも近くで、ずっと私を守ってくれた人。
私を好きになってくれて、ありがとう。
異世界で私が生きることを支えてくれた、大切な人。
あなたに出会えて、本当に良かった。
ユーシスさんの部屋を出てそれほど待たずに、ファルハドさんの準備ができたことを聞いた。
すぐに、お父さんが待っている王宮の中庭に行くと、軽い武装をしたファルハドさんが到着していた。
他にも、有紗ちゃん、レアリスさん、イリアス殿下たち王宮組とセリカの人たちやリュシーお母さまが見送りに来てくれていた。
私は、王宮の人に日除けの薄い外套を渡された。無事を祈る加護を付けた外套で、王宮からの贈り物のようだ。
ありがたく受け取って、無事の帰還を約束する。
お父さんにファルハドさんが先に乗り、引っ張り上げてもらうと、視界がグンと高くなった。
お城の方を見ると、王子に支えられながら、ユーシスさんが歩いて来るのが見えた。
石化は、動くと苦痛が伴うと聞いた。
キノコ大根がいるからかなり軽減されるようだけど、また無茶して!
でも、ユーシスさんの笑顔を見たら、怒る気もなくなった。
もう、生きることを諦めたりはしないと、その笑顔で分かったから。
絶対に「聖水」の材料を持って帰るからね!
『では、行くか』
お父さんの声に、私とファルハドさんは頷く。
「行ってきます!」
私は、見送るみんなに手を大きく振った!
とうとう作者の実力をみなさんにお見せする時が来ました。
そして、作者は搾りかすのようになっています(屍)
ジャンル詐欺疑惑は、これで払拭できたと思っています!
そんな訳で、いつもより少し短いですが、お楽しみいただけたでしょうか。
また来週も更新できるか分かりませんが、頑張りますので、閲覧よろしくお願いします。