134 いざゆかん
ユーシスの運命やいかに
「……ユーシス……」
王子が絶句している。王子のこんな頼りない声を初めて聴いた。
そんな王子を、リュシーお母さまは痛まし気に見ている。
このままでは、きっと駄目だ。
「お母さま。ユーシスさんは今どこに?」
私が聞くと、お母さまもハッとしたように私を見て、グッと目に力が入った。
「王宮の医局にいるわ。今、別でフォルセリア邸へ人が向かっているの」
ユーシスさんのご家族が呼ばれたって、考えたくない想像が浮かぶ。
「ユーシスさんの容態は?」
また王子をチラリと見てから、お母さまが説明してくれた。
「大きな怪我はセシルが治癒魔法で治して、瘴気もリウィアちゃんが取り払ってくれたけど、どうしても意識が戻らなくて、もしかすると『呪い』かもしれないの」
リュシーお母さまの顔が曇る。
『呪い』は、いくつか祓う方法がある瘴気と違って、扱いが難しいものらしい。
……すっかり忘れてたけど、そういえば、王子が領地への旅に出発した時に、リュシーお母さまが黒の森への手土産にくれた、国王陛下に送られた呪いの額冠を鑑定したことがあったっけ。
確か、その時の鑑定で、聖属性での浄化か「聖水」でしか治らないって。
「今、『呪い』を想定して、神殿に教皇猊下にご来臨いただいているわ」
この世界で一番強い聖属性の浄化が使えるのは有紗ちゃんで、その次が教皇様のようだ。有紗ちゃんは、魔物への攻撃特化のスキルだから、人を癒す聖属性のスキルや魔術は「神の代理人」と呼ばれている教皇様が第一人者のよう。
それにしても、やけにお母さまは教皇様を他人行儀な扱いをしている。
教皇様は王子の叔母さまのアルカレナ様という、国王陛下の妹姫で、リュシーお母さまとも姉妹のように育った方だったはず。
あ、そうか。お母さまは私がそのことを教えてもらったって知らないんだ。前に、王子でさえ簡単に会うことができないと言っていたから、ユーシスさん個人のための要請を受けてもらえたら変だと思って、きっと隠そうとしたんだと気付いた。
「あ、お母さま。私、教皇様が王子の叔母さまって知ってます」
「まあ。……それなら話は早いわね」
ユーシスさんのために、できることはすでにみんな動いていたようだ。セシルさんが戻ってすぐ、リュシーお母さまとセシルさんで神殿へ要請しに行き、お母さまが教皇様を転移で王宮に送り届けた後、その足でここへ来たようだ。
すぐに命の危険がある訳ではないことにホッとするけど、それでもまだ予断を許さない状況だと、お母さまは言った。
「王宮へ行こう」
王子が言った。私を見る目に、さきほどの頼りない色はもうなかった。
「それならすぐに行きましょう。オーリィちゃん、頼むわ」
「いや、ばばぁは残れ。そんな魔力切れの状態で転移は負担だ」
リュシーお母さまの悪い顔色は、ユーシスさんへの心配だけじゃなくて、どうやら何度も転移で飛んだことによる魔力切れもあるようだ。
『私も行こう。リュシーは私が連れて行くから、先に行くがよい』
それまで黙って私たちの話に耳を傾けていたお父さんもそう言った。ベースキャンプにいる玄武さんやキノコ大根たちも大人しくこちらを注視していた。みんなユーシスさんのことが心配のようだ。
お父さんにリュシーお母さまを任せて、私と王子はみんなに挨拶すると、転移で飛んだ。
帰還の挨拶ぶりの王宮だったけど、不安からか今はどこかあの時と違って色褪せて見えた。その広い回廊を、王子は迷わず進んだ。私はその後を追っていく。
お互いに無言で、ただ歩を進めるだけだった。
ある一室の前にたどり着くと、その前に門番のように騎士の人が二人いて、王子の顔を見ると敬礼して中に通してくれた。
中は貴人専用なのか、一人部屋なのに広々としていた。
その中に、大きなベッドが一つ置かれていて、それを囲むように数人が控えていて、私が入室すると一斉にこちらを見た。お会いしたことがない人たちだけど、王宮のお医者さんや、濃紺の騎士服を着ているので近衛の人かな。あとはなんと国王陛下もいらっしゃった。
そして、一番枕元に近い位置に、白い法衣のようなものを来た長い黒髪の女性いる。
「教皇猊下」
王子が声を掛けると、その人が立ち上がって私たちを出迎えてくれた。
現王のアルセイド陛下の三つ子の妹さんだけど、その姿は髪色以外、青い瞳も顔立ちも、黒の森のアルレット伯母さまにそっくりだった。
「オーレリアン殿下。わたくしにできる浄化は施し終わりました」
教皇のアルカレナ様は、他の人たちがいるからか、余所余所しく、そっと落ち着いた声で言って、ベッドに視線を移した。
そこには、素肌に痛々しく包帯を巻いて横たわるユーシスさんがいた。
拭いきれていない髪についた血と、包帯に滲むそれが、やけに赤く目に映った。
顔色は血の気が無くて、薄い呼吸だから良く見ないと息をしていないように見えてしまった。私は両親が亡くなった時の対面を思い出してしまい、眩暈のような感覚に襲われる。
そのよろめく私を、王子が肩を支えて助けてくれた。
「オーレリアン、ハル殿。少し話を良いだろうか」
国王陛下がそう言って、私たち二人とアルカレナ様以外を退出させた。
そうすると、ようやくアルカレナ様は息を吐いて、目を瞑った。すると、見る見るうちに髪の色が変わり、顔立ちも変化した。
陛下やイリアス殿下と同じミルクティブロンドの髪に、薄紫の瞳を持った女性がいた。
隣に立つ国王陛下とそっくりで、間違いなく陛下の血縁だと一目で分かった。これが、アルカレナ様のスキル「写し身」で、普段はヴェールを被っているから、人前に出る時にアルレット伯母さまの姿を借りているらしい。素顔は、陛下との関係即バレだものね。
そして、このスキルで、アルカレナ様はご兄弟の姿を入れ替えて、反乱を鎮めたと言っていた気がする。
「初めまして、ハル。オーレリアンの叔母のアルカレナよ。いつか会いたいと思っていたけど、こんな状況で会うことになってしまって残念だわ」
「は、はい!初めまして、結城波瑠です。でも、お会いできて嬉しいです」
教皇としてではなく、叔母として少し口調を崩してそう言うアルカレナ様に、緊張しながら返事をすると、少しふんわりと笑った。笑い方はどことなく王子に似ていた。
「本題だけど、私の見立てでも、この子は呪いを受けていると思うの。だけれど、これほど強力な呪いは見たことがないわ。せめて、呪いの種類でも分かればいいのだけれど」
そんな懸念を説明するアルカレナ様の横を通って、王子がフラフラとユーシスさんに近づく。そして、王子が倒れた時のユーシスさんがしたように、王子はユーシスさんの頬に手を当てた。
呪いなんて影も見当たらなくて、ただ眠っているだけのようにも見える綺麗なユーシスさんの顔だ。
「命を懸けるなと、言っただろ。俺の傍にいるって、お前が言ったんだろうが」
王子のユーシスさんを叱る声は、少し揺らいでいた。
自分の命の期限を私に知られた時だって、こんなか細い声じゃなかった。王子の中で、どれだけユーシスさんが大きな存在か分かってしまう。
両親以外、遠巻きにするか、自分のことを利用するか、蔑む人しかいなかったこの王宮で、一番最初に王子の味方になってくれた人。
声以外、王子の表情は凪いだままで、ユーシスさんをただじっと見ていた。
それが却って王子の心の痛みを曝け出していた。
「ハル殿。あなたの力でこの呪いを解く術を得られぬだろうか」
王子に視線を向けながら国王陛下が私に言ったのは、レアリスさんの腕や王太子殿下の目を治したように、伝説と呼ばれるアイテムがないか、ということだ。
残念ながら、私のスキルの中に「聖水」はなかった。調合スキルもあるけど、私のスキルの調合ガイド機能では、現物から素材を割り出すか、素材が収納内にすべて揃っていないと発動しない。
私が静かに首を振ると、陛下が深いため息を吐いた。
せめて呪いの種類が分かれば、とアルカレナ様がおっしゃったのは、呪いによっては、傷や病を治しても、またその状態を崩すような呪いもあるらしく、適当に特級のポーションを使ってユーシスさんの体を治しても、また同じ苦痛を与えるだけのこともあるからだ。
でも、どういう呪いか、状態を確認するってどうすれば……。
「「あ」」
同時に私と王子が声を上げる。
そうだ。前に、王子の尿酸値が分かったヤツがあった!
陛下とアルカレナ様に事情を話すと、王子が自分のブローチを外して、その針をユーシスさんの指に刺し、ほんの少しだけ血を出すと、私がスキル展開しておいたスキルに一滴垂らした。すぐにその結果が返ってくる。
〝ユーシス:ヒト族 血液型A型 状態:呪い 進行度4%〟
やった、出た! 後は、気になる文字が追加された、状態の「呪い」をタップする。
〝封印された古龍の呪い:全身が末端から徐々に石化し、最後に心臓到達する 「聖水」でのみ解除が可能〟
それを見て、王子がユーシスさんの寝具を捲ると、つま先が灰色になっていた。
「この速度だと、三日が限度、か」
ユーシスさんが呪いを受けてから、約三時間くらいだという。猶予はあるようでない。
「ハル。『聖水』について分かるか?」
王子の言葉を受けて、私は「聖水」の文字をタップした。
〝聖水:強力な呪いを解除できる神聖な水 自然には存在せず、強い浄化作用のある水を調合または聖女による七日間の祈祷により生成できる〟
必要な情報は揃った。でも、その情報は軽く絶望をもたらした。
まず、その強い浄化作用のある水が何か分からない。そして、見つかったとしても、聖女、つまり有紗ちゃんの祈祷では七日間掛かる。このままでは間に合わない。
辛い沈黙が降りそうになった。
でも、絶望なんてさせない!
「大丈夫です。必ず私がそのお水と調合する素材を三日以内に見つけます」
私がそう請け負った。
王子の時に誓った。大切な人を守るためなら、どんなことでもやるって。
たとえそれが、神様と直接対峙するようなものだとしても。
「……ハル」
王子が、私をギュッと抱きしめて、肩に顔を埋めた。
えっと、複雑そうな温い目で、お身内が見てるんですが。
恥ずかしいけど、ええい、いっか。
問題は、少しでもユーシスさんの症状を緩和し、呪いの完成を先延ばしにする方法だ。
私が王子を撫でながら思案していると、ふと国王陛下の目が、私の肩辺りにとまった。
「いや、すまぬ。あなたの肩に何か奇妙な生物が……」
ハッとして、グワッと後ろを振り返るけど何もいない。でも、徐に王子が私の肩辺りから、何かをつまみ上げた。
「マンドラゴラ。お前、ついてきたのか」
見ると、王子がキノコ大根を指で摘まんでいた。
どうやら、私のフードに隠れて、一匹付いてきてしまったらしい。
キノコ大根がジタバタして、ユーシスさんの方へ下ろせと訴えているようだった。ユーシスさんに懐いていたから、心配でついてきちゃったようだ。全然気づかなかった。
王子がため息をついて枕元にキノコ大根を下すと、一生懸命自分の花の部分を掴もうとしているけど、手が短くて届かずに、その場でグネグネしていた。ちょっと頑張ってみたけど駄目だったようで、王子を見上げて花を取れと訴えた。王子がキノコ花の五枚の花びらのうちの一枚を千切ると、「あふん」と言ってちょっと照れている。気持ち良かったようだ。
王子はその取った花をキノコ大根に返すと、キノコ大根は嬉しそうに両手で持って、ユーシスさんの口元にぐいぐいと押し付けた。どうやらその花びらを食べさせたいらしい。
でも、意識がなくて食べてもらえないから、キノコ大根は悲し気に私たちを振り返った。
私と王子は目を見合わせると、キノコ大根から再び花びらを受け取って、王子が小さく千切ってユーシスさんの口に含ませる。花びらは、口に入れると溶けてしまうようだ。
二、三回そうすると、ユーシスさんの青ざめた唇に少し色が戻ったような気がした。
もしやと思い、王子がもう一度、ユーシスさんの指から血を採る。
〝ユーシス:ヒト族 血液型A型 状態:呪い 進行度3%〟
「下がった」
さすが万能薬の原料。あの欠片の量で1%下がるなら、花びら一枚で恐らく呪いの進行を2~3%は抑えられそうだ。
ベースキャンプにいるキノコ大根たちを招集すれば、60%くらいは進行を遅らせることが出来る。そこに、アルカレナ様の浄化魔法を足せば、もっと伸ばせるかもしれないとのこと。
希望が見えてきた。
ちょうどその時、先発隊でユーシスさんと一緒に行っていたレアリスさんとファルハドさんが、バタバタとやってきた。アルカレナ様が、さっとヴェールを被る。
どうやら、取るものも取らず、まずセシルさんがユーシスさんを転移で連れ帰り、その後の処理を終えて第二陣として二人がファルハドさんの転移で帰ってきたようだ。残りのメンバーは、まだ現場で事態の収拾に当たっているらしい。
室内に入ってきたファルハドさんが仔犬化お父さんを、レアリスさんが小型玄武さんを抱っこして、リュシーお母さまと連れ立っていた。
「先ほど、フェンリルが結界を壊して入ろうとしていたところで出くわした」
簡潔にレアリスさんが教えてくれた。どうやら三人でお父さんをどうにか止めてくれたらしい。
っていうか、お父さん、前に結界壊して怒られたのに、忘れちゃったのね。
リュシーお母さまは、あまり顔色は変わっていないけど、きっと魔力切れのせいじゃない。
「それで、フォルセリア卿の容態はどうなったんだ」
ファルハドさんが食いつくような勢いで私に尋ねる。それで、今まで分かったことを、王子がまとめて説明した。
するとファルハドさんが、拳を額に当てて大きな息を吐いた。
「フォルセリア卿は、防御を任された俺が油断して魔物の攻撃を防げず、代わりにメイシンとセシル殿に向かった攻撃を受けて、果ての迷宮の門の結界に触れてしまったんだ」
果ての迷宮の入口は、以前はなかったはずの、誰も寄せ付けないための強力な結界が発生していたとのこと。一緒に行った青龍さんが言ったから間違いないとのこと。
鑑定の説明にも「封印された古龍の呪い」となっていたから、その結界が間違いなく呪いの元だ。
ファルハドさんの後悔が、痛いほど伝わってくる。でも、今は嘆いている時じゃない。
私は、ふとお父さんに聞いてみた。
「ねえ、お父さん。強力な浄化作用のある神聖な水って、何か心当たりない?」
なんやかんや言って、お父さんはこの世界の秘密の根幹に触れている。お父さんが駄目でも、今度はシロさんか白虎さんに聞けばいい。それでも駄目なら、最後は元凶がいる果ての迷宮にだって乗り込んでいけばいい。
「……ハルって、もしかしなくても、一番豪胆だよな」
王子の言葉に、その場にいた人が全員頷いた。え? 国王陛下も!?
ショックを受ける私を見て、仔犬化お父さんがクククと笑う。
『ああ、心当たりならあるな。連れて行ってやるぞ。だが、本当に行くか?』
「もちろん行く!」
まさかの答えに、勢い込んで私が答えると、愛くるしい仔犬姿のはずなのに、お父さんの顔がやけに悪そうに見えた。
『では、すぐに向かおうか。数多の半神と魔獣の住まう世界樹、ユグドラシルは近くはないからな』
「へ?」
そこは確か、お父さんたちの故郷も内包する、なんかレジェンドばっかりうじゃうじゃいる、いろいろと凄い場所だよね。
「マジですか?」
そこにいた全員が絶句したけど許してほしい。
「たとえあんたがいたとしても、危険だろう」
王子がお父さんに聞くけど、お父さんの返事はいつもどおりだ。
『フン。私が居て危険などあるはずもなかろう。まあ、人類初であることは間違いないがな』
歴史的第一歩とかいらないなぁ。
でも、私の覚悟なんてとっくに決まってる。
「よし。じゃあ、俺も……」
「王子は駄目。こんな時にユーシスさんについていなくてどうするの」
王子が同行に名乗りを上げようとしたので、私は拒否しておく。駄目だよ、誰よりもユーシスさんを必要としている人が傍を離れちゃ。
「お前一人で行かせる訳にいかないだろう。フェンリルは確かに強いが、決定的なアレだからな。絶対にある程度こいつを抑えられる人間の同行が必要だ」
『アレとはなんだ、アレとは、オーレリアンよ』
お父さんが言葉で噛みつくけど、きっとお父さん以外はちゃんとわかっている。
王子も言葉では行こうとしているのが分かるけど、本当はユーシスさんの傍にいたいはずだ。珍しく、その目に迷いが浮かんでいたから、王子は残るべきだと説得する。
でも確かに、言われてみれば誰か一緒に来てほしい。
「俺が行っては駄目か?」
そこで名乗りを上げたのが、ファルハドさんだった。
でも、ファルハドさんは今ではセリカの皇族として認知されていて、セリカ西域を統べる鎮戍としての役割を負っているのに、レンダールとしてユグドラシルへ行くのを黙認していいのか。
「今回の件は、俺の責任によるところが大きい。このままではフォルセリア卿に顔向けできないんだ。どうか、俺に恥を雪ぐ機会をくれないか」
ファルハドさんの目は、後悔と自戒で溢れていた。そして、ユーシスさんへの心配と、責任感が満ちていて、私が王子や国王陛下を見ると「ファルハド殿ならば」と了承してくれた。
「よろしくお願いします。ファルハドさん」
「ああ。ハルの髪一筋も傷付けさせない」
こうして、ファルハドさんと私のユグドラシル行きが決まった。
『では、ゆこう。我が故郷、ユグドラシルへ』
いよいよユグドラシルが舞台になるのか。
あと、王子とゴリはアレではないので、念のため書き添えておきます。
さて、また今年も本業の繁忙期がやってまります。
来週更新をめざしますが、不定期になるかもしれません。
次回、日曜にまたお会いできることをお祈りいたします。




