132 しあわせよ
先週はすごい雪でしたね。
部長級の上司に「雪合戦しますか?」と聞いたら「やらないよ」と言われました。
そんな思い出が詰まった今作です。
2/25 サンちゃんの性癖を強化しました。
本編には何ら影響ありません。
夕奈さんのお家で寝ていた私は、寝不足だったのに少し早く起きてしまった。まだ空気がひんやりしている。一緒に起きたガルが、散歩に付き合ってくれるみたい。
二人で外に出ると、爽やかな朝日が差し込む海岸線に、死屍累々たる宴会場が露になっていた。
心地よい潮騒や海風に乗ってやってくる、アルコール臭とうめき声。
いつもどおりのいい朝だ。
女性陣と子供たちは夕奈さんのお家を借りていて、その他の人たちはイリアス殿下とリヨウさんだけテントで、あとはみんな私が出したベンチやシートの上で雑魚寝だ。王子もファルハドさんも高貴な血筋なはずだけど、垣根が低いね。
うめき声はするけど、まだみんな起きていないようだ。
波打ち際には、何がどうなってそうなったのか、リヴァイアサンさんことサンちゃんとお父さんが、仰向けになって波に洗われている。ざぁっと打ち寄せる波が、二人の力ない体をユラユラと揺らしている。……生きてるよね?
私とガルがしばらく無言でその光景を見ていると、近くでザバッと音がした。
「あ、波瑠。見て、カニ!」
「ぎゃっ!」
そこには、右手に持った大きなズワイカニ?を掲げ、左手にウツボ?をぶら下げて、私にぶんぶんとカニを振ってアピールして、海から上がってきた綾人君がいた。とてもいい笑顔で私に駆け寄ってくる。私がパジャマ用に出してあげたハーフパンツ一枚の姿で……。
「アヤト。これは本当に食べられるのだろうか。あ、ハル、見てくれ。ウニだ」
「ぎゃっ!」
綾人君のあとから、綾人君と似たような恰好で、BBQ用の軍手をした手にたくさんのウニを乗せ、何故か私の身長よりも長そうな立派な昆布を首から下げたレアリスさんが、海から出てきた。そして綾人君と同じく、自慢げにウニを私に見せてくる。
二人とも私に褒めてほしいようだ。
「とりあえず、なんか着て! 風邪ひくから!」
私は明後日の方向を見ながら、大判のバスタオルを二人に投げつけて、怒鳴った。二人は毛布のようにバスタオルに包ると、「イッキシ!」と同時にくしゃみをした。
「「……寒い」」
「唇真っ青だよ!?」
夏とはいえ、ここは北海だし早朝だし、水温めっちゃ低いよ!
私は急いでキャンプ用の焚火セットを出して、ガルに火をつけてもらった。その前にアウトドアチェアを置いて、二人を座らせる。火に当たって落ち着いたのか、少し頬に赤みが差してきたようだ。
「何故、まだ寒いのだろう」
『その変な草みたいなの取れよ』
レアリスさんが震えながら言うと、ガルが適切な指示を出す。冷え冷えの昆布がまだ首に掛かっているからね。
あと、綾人君はまだだらんとしたカニを持ったままだ。
完全に酔っ払いの言動だね。
どうやら二人は、アルコールの勢いのまま、海に入ったようだ。非常に危険です。
「で、なんで海に入っていたの?」
「うーん、なんでだっけ? あ、そうだ。明け方にフェンリルとサンちゃんが、フェンリルが冷たい水が苦手って言ったら、サンちゃんに失笑されて、「どっちが強い」みたいな話をして、エキサイトして波打ち際で取っ組み合いになって、キレたフェンリルが雷を出したら、二人して感電したけど、海産物が浮いてたから俺とレアリスで捕獲した」
詳細な説明をありがとう、綾人君。
お父さんの雷で感電したカニとかウツボとか採り放題だったらしく、アルコールに汚染された思考で「食べたい」ってなったみたい。
カニはともかく、ウツボを食べたいと思ったなら、相当なアルコール量を摂取したと思われる。それにこのウツボ、赤地に黒の斑点があって、トサカみたいなヒレがあって、見るからに凶暴そうな顔をしているし。
でも、この世界って、ウツボは冷たい海でもいるんだね。
と、思ったら、ガルが『それ、猛毒の魔獣だぞ』と言ったので、見ればウツボを掴んでいた綾人君の手がクリームパンみたくなっている。
私は咄嗟に綾人君に解毒ポーションをぶっかけた。三本くらい。一本は口に突っ込んだ。『相変わらず容赦ないな』とガルが呟いていたけど、今は緊急事態だから!
「はっ。俺はいったい何を……? あと、なんでレアリスは俺にウニを?」
解毒ポーションの効果で綾人君の酔いもさめたようで、ハッキリとした口調で言った。
カニを持ったままで。
後半は、何故か持っていたウニを綾人君の肩にそっと置いて、世紀末の人の肩パットみたいにしているレアリスさんに気付いた言葉だ。
レアリスさんが恍惚と「かっこいい」と言い出したので、解毒ポーションを口に詰めておいた。二本ほど。
『うぉ! 何故だ! 何故前が見えん!?』
突然お父さんの声が響いて、見ると起き上がったお父さんの頭に昆布が巻かれていた。レアリスさんだ。でも、いつの間に巻いたんだろう。
「落ち着いてください、フェンリル」
軽いパニックになってるお父さんに、解毒ポーションで正気を取り戻したレアリスさんが、優しく言って昆布を取ってあげた。いつかユーシスさんを宥めた時と同じセリフで。
『おう、すまぬなレアリス。世話を掛ける』
「いいえ。お役に立てて何よりです」
お父さんが殊勝にレアリスさんにお礼を言っているし、レアリスさんも善行を施したみたく言っているけど、それ、レアリスさんの仕業だよ。
『みんな、風呂を沸かしたぞ。入ってこいよ』
ガルがみんなに言う。いつの間に。それになんて気が利く子なんだ。
私がガルをギューッとしていると、お父さんが仔犬化して、私の膝に乗った。
『よろしく頼む。体がベトベトしてかなわん』
「何言ってんの。フェンリルは俺たちと一緒に入ろうな『あああ』」
綾人君が、私の膝に乗ったお父さんをつまみ上げると、レアリスさんと歩きだした。
『待って! アタシも一緒に入るワ!』
その二人を止める声がして、それは鼻息を荒くしたサンちゃんだった。
竜の特性の体を小さくするアレで、手が空いているレアリスさんの胸に飛び込んだ。……と思ったら、レアリスさんはサッと避けて、サンちゃんはベシャッと砂浜にめり込んだ。
『酷いワ! アタシは決してヨコシマな気持ちで言ってる訳じゃないワ! このままじゃ寒くて凍えてしまうの!(じゅるり))
「「『いや、遠慮する』」」
ギラギラした目で、男性陣を上から下まで舐めるように見るサンちゃんに、みんなはお断りした。みんなの気持ちが分かる。
『ふん。せっかくアヤトにいいものを見せようと思っていたのに。哀しいワ』
「なにそれ。せっかくだから見せてよ」
『一緒にお風呂に入ってくれたら見せる』
「仕方ないな、いいよ」
物につられてあっさりと了承した綾人君に、レアリスさんとお父さんが「ええ」という目を向けた。それに綾人君がニコリと微笑む。
『詐欺よ! これは立派な虐待だワ!』
気付けば、サンちゃんがレアリスさんの昆布で巻かれて、しっぽと左足だけが見える状態で、くぐもった声が聞こえた。「世にも珍しい、リヴァイアサンの昆布巻き」と綾人君はご満悦だった。
どうやらあの昆布は「魔コンブ」という魔力を持った植物で、かなり丈夫な昆布らしくて、小さいサンちゃんには絶対千切れないそうだ。『え? ちょ、ヤダ、息苦しい』と細い声が昆布巻きから聞こえてきたけど、綾人君は聞こえないことにしたようだ。
ちょうどその時、朝の鍛錬から戻ったユーシスさんが通りかかって、綾人君は一緒にお風呂に入ろうと誘っていた。ここのお風呂は、何故かとても広くて二、三人は余裕で使える。『ああ、アヤト! 見えない、見えないのヨ!』という、さっきより切実なサンちゃんの絶叫がこだました。
「じゃあ、お風呂いこっか」
やっぱり、夕奈さんと綾人君は姉弟なんだな、と思った。
三十分後、サンちゃんは塩を掛けられたナメクジのようなしおしお加減で、お風呂から帰ってきた。
のちにサンちゃんが語ったことには、『想像を絶する拷問だった』とのこと。
でも、お風呂のお湯に昆布のまま入れられたらしく、グルタミン酸の美味しい匂いがした。
「それじゃあ、例のもの、見せて」
『……あんたは悪魔よ。もっとちょうだい!』
平常運転の綾人君に、サンちゃんは期待を込めた目で訴えていた。綾人君は無言の笑顔のまま、手だけで「行け」と指示した。サンちゃんは『ああ、鬼畜。サイコーよ!』としばらく身悶えていた。
その後、自分の癖と折り合いを付けたサンちゃんは、自分の寝床の洞窟に行くと、何かを持って戻ってきた。
「夕奈の、スマホ」
シャンパンゴールドの本体に、可愛いキラキラのスマホリングが付いた、女の子らしい綺麗なスマホだった。
三百年も時が経ったのに、まったく劣化してなかった。どうやら綾人君のタブレットにも掛かっていた保存の魔術が効いているみたい。
『アヤトなら使えるからって。いつか、あんたがここにまた来た時に見せてほしいって』
夕奈さんは、スキルで綾人君がまたこの地を訪れることを予知していた。
起動しようとして、充電がないことに気付いて、サンちゃんが『ノームたちから巻き上げた魔石があるから待ってて』と言ったけど、私がいればスマホは見られるから大丈夫と伝えた。
やっぱり、ノームたちから巻き上げていたんだね。
スマホを借りると、私のスキルで瞬間充電する。綾人君に返すと、電源を入れてパスコードで起動した。姉弟でコードを知ってるって、本当に仲が良かったんだね。
起動した画面は、タブレットの時と違って、アプリどころか必要最低限のアイコンしか並んでいなかった。その中の写真のフォルダを開くと、最初の方に日本の頃の写真があって、そのほとんどがこちらでの記録のようだった。
クラウドは使えないから、スマホ本体の容量だけで保存しなくちゃいけないから、本当に写真や動画を残すために、いろいろな思い出も消してしまったその潔さに、夕奈さんの性格が分かるような気がした。
私たちは見るのを遠慮しようと思ったけど、綾人君が「みんなにも見てほしい」と言ったので、そこにいる人たちで頭を突き合わせてみてみた。夕奈さんのスマホは、女性が持っていたものだから小振りで、ちょっと見づらい。
そうだ。あの手があった。
「綾人君が嫌じゃなければ、大きな画像見られるよ」
尋ねると、綾人君も思い当たることがあったのか、うんと頷いてくれた。
私はすぐに王子を探す。
王子は寝起きで水場で顔を洗い終わったところなのか、私があげたお気に入りのヘアバンドをして顔を拭いていた。その王子の手を掴むと、顔にハテナをいっぱい浮かべながらも、黙って私に付いてきてくれた。
「この画像を大きくして見たいんだけど」
私が言うと、王子はすぐに察してくれた。王子は魔術と名が付くもので出来ないことはないと言っていたので、王子たちの黒歴史を上映した投影の魔術も使えるみたい。
空いっぱいじゃなくて、五十インチテレビくらいの大きさに絞ったので、画像は前よりもずっと鮮明だった。
『綾人』
音声が、優しく綾人君を呼ぶ。
旧都アルテの古城にあった、夕奈さんの肖像画そのままの姿で、画像の中の夕奈さんが呼ぶ声だ。少し高めの涼やかな声だけど、声音は落ち着いていて理知的だった。
『お姉ちゃんは、あのクソカリストスのおかげで逃亡生活を送っています』
のっけから衝撃的な内容だった。クソカリストス? と思っていると、綾人君が「当時のレンダールの王の名前がカリストスっていうんだ」と教えてくれた。
ああ、夕奈さんもお上品な外見に似合わず口が悪いんだった。
『でもタダではやられません。ヤツの恥ずかしい秘密を、私の信者たちを通して王都全部にばら撒く手筈が整っています』
怖い。夕奈さんが怖い。恥ずかしい秘密を知ってるのも、それを容赦なくばら撒くのもだけど、「私の信者たち」ってなに? それが一番怖い。
そして次の動画に移る。
『はぁい。今私はなんと! あの『黒の森』に入りしましたぁ。外は雪で寒いですが、お姉ちゃんは無事でぇす。あ、ちょっとリュウキ撮っておくわ。みんな元気だよ。あ、テオは今、外で見張りさせてるからいないでーす』
インカメから変わって、最近お邪魔していた黒の森の長のお屋敷のお部屋が映った。
そこには、長椅子に悠然と座る立派な体格の人がいた。灰色の鬣みたいな髪を無造作に結んだ精悍な男性で、困ったような顔で笑って「俺はいいから」と軽く手を挙げている。
あれがリュウキ将軍なんだ。え? アルテの古城で見た「宗教画」よりカッコ良くない?
でも、今、「外は雪」って言っていたのに、テオドールさん外で見張りさせてるんだ。
え? 黒の森って監視技術が凄いから見張りいらないんじゃ……。
次の動画は、セリカ入りして今のアスパカラの州城に匿ってもらっていた時のものだ。
画面は馬車に乗って窓から外を撮っているものみたい。
『私が綾人と離れてしまった原因が分かったの。赤ちゃんができたって。父親は誰かって? 私も未だになんでそうなったのか意味不明だけど、テオが父親です』
そう言った時に、馬車の外で馬に乗ったテオドールさんが夕奈さんのカメラに気付き、ゆっくり近付いてきて蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
うわ。テオドールさんも、「宗教画」よりもずっと美形だ。あれは、夕奈さんがわざとデフォルメしたんだね。
『綾人も知らないと思うけど、テオは私たちが想像もできないくらい、過酷な少年時代を送っていたのよ。それを知ったら、なんか放っておけなくて……。まあ、九割は顔だけど』
顔は映ってなかったけど、夕奈さんの声は優しかった。それは演技には思えなかった。
次の動画は、夕奈さんの出産直後だった。汗で額に張り付いた黒髪もそのままでぐったりと疲れているけど、ベッドに横たわり、生まれたばかりの赤ちゃんに添い寝して微笑む姿は、息をのむほど綺麗だった。ただ、その画像は途中から揺れまくってたけど。
『テオ。ほら、ちゃんと撮ってよ。父親なんだから、しっかりして。ほら泣かないの』
そうか。夕奈さんが映ってるから、撮ってるのはテオドールさんだよね。きっと感動のあまり、ちゃんとカメラを向けることもできなかったんだと思う。
夕奈さんが体を起こして手を差し伸べる。その顔は、間違いなくテオドールさんへの愛情が溢れていた。
次は写真だった。赤ちゃんが大きくなって、テオドールさんの髪が伸びている。赤ちゃんはフサフサとした銀髪だった。お昼寝なのか、日の指す窓際のソファで、テオドールさんが赤ちゃんを包むように眠っていた。
また変わって、次は動画だった。赤ちゃんがつかまり立ちをした。そこから、小さな手をテオドールさんに伸ばし、それを慌ててテオドールさんが掴んだ。そして、そのままテオドールさんの胸に掴ってきゃっきゃと喜ぶ赤ちゃんをギュッと抱きしめて、「えらいな。よくできたな」と震える声で褒めるテオドールさんがしばらく映っていた。
また次の映像は、大きくなった娘さんユノさんが、サンちゃんに乗って大人たちが慌てる様子が。
その次の写真は、前歯が抜けたユノさんが。
その次の映像は、テオドールさんとユノさんが剣術の練習をする光景。
その次の写真は、夫婦喧嘩なのか、この海岸で夕奈さんがテオドールさんを海に蹴落としてるところが。これは、ユノさんが隠し撮り?
次は、小学生高学年くらいになったユノさんが、リュウキ将軍のほっぺにキスして、後ろで殺気立った目で剣を抜きそうになってるテオドールさんが映ったヤツ。
どんどん写真や動画を進めていく。それに従ってユノさんが成長していき、少しずつみんなが年を重ねているのが分かった。
傭兵姿のユノさん、貴族の正装をするテオドールさん、白虎さんに乗ってサンちゃんの巣にやってくるリュウキ将軍。
そして、また隠し撮りされた、白髪が増えた夕奈さんとテオドールさんが、綺麗な湖の見える丘で並んで座り、そっと口づけをする後ろ姿。
ここ、私と王子も行った、今の王宮の近くのあの丘だ。
直接的なメッセージがなくても、全部から伝わってくる。
綾人君は、ただただじっと画像を見続ける。
その目からは、止まることがない涙が流れていたけれど、綾人君は自分が泣いていることにも気付いていないようだった。
「お前の姉は、幸せだったんだな」
ぽつりと言った王子の言葉、それが全てを物語っていた。
その言葉に、ようやく綾人君は気付いて、一度乱暴に袖で涙を拭った。
「うん」
消え入るような声だったけど、確かに綾人君は王子の言葉に答えた。
「良かったね」
この世界に再び来た夜。綾人君が感じていた怖さが、これで打ち消された。
もう夕奈さんには会えないけど、それはもう不幸なことじゃないと分かった。
「……夕奈」
震える声で夕奈さんを呼ぶ綾人君に寄り添うと、綾人君は私の手をギュッと握った。
徐々に綾人君は俯いて、嗚咽が漏れ始める。
私を除いた他の人たちは、みんなその場を離れた。
声を押し殺す綾人君と私の目の前には、テオドールさんが撮ったと思われる、幸せにあふれる笑顔の夕奈さんの写真があった。
〝しあわせよ〟
そう聞こえてくるようだった。
約7,000文字中、5,000文字くらいがいらなかったかな、と反省しています。
取りあえず初代聖女の夫は汚名しかなかったけど、今回で返上でき……てない?
ま、いいか。




