109 最強の……
しつこいようですが、今回もシリアスです。
しかし、最強といえば……。
王子の宣言に、いっぱいの不満をへの字の口で表してみたけど、誰も相手にしてくれない。
そんな私の不満を余所に、侯爵は私のへの字口も霞むような歯ぎしり顔だ。多分、凄いお金と時間を掛けて集めた武具だろうから。
私への憤りで侯爵の目が私に向いている隙に、リウィアさんは全員のソロモンの指輪の効果を解除した。さすがです。
「……くっ、私の武具たちが!」
呪いでも吐きそうな勢いで侯爵は全員を見回すと、まだまだ湧き出る死霊に自分の周りを固めさせた。
そして、一ヶ所に視線が止まる。イヴァンさんだ。
「そうか。姿を変えたと言ったが、貴様、イヴァンか。奴隷紋は解呪されたようだが」
そう言うと、侯爵は少しして楽し気に笑った。
「そうだ。『聖剣』の所有者ということで自分の聖性を捏造しようとして、大司教がやたらと執着するから、カラドボルグだけは隔離していたのだったな」
どうやら大司教は、カラドボルグの『聖剣』という分類で、何か宗教的な価値を見出していて、地盤固めに随分と欲しがっていたみたいだ。侯爵は、謀反を起すために隠しておきたかっただろうに、あまりにカラドボルグ、カラドボルグと言うから、あるって分かったらきっと見せびらかしちゃうだろうということで、大司教からも隠しちゃったみたいだ。
でも、もしかして、失くしちゃったこと、気付いてない?
それに、今更だけど、多分その「聖剣」って分類は、単に勇者綾人君が元ネタに合わせて適当に付けた区分だと思うんだけど……。今は黙っておこう。
「ザカリアス。残念だが、その〝カラドボルグ〟は我々の手にある」
いっそこっちが悪役か、というくらいの人の悪い顔でイリアス殿下が言った。そして、イヴァンさんに目で合図する。イヴァンさんも心得たように頷いて、カラドボルグを呼んだ。
実は、奴隷紋の解呪後、お父さんに呼べば持ち主に戻ってくる「紅血呪」を、オリジナルのカラドボルグに掛けてもらっていた。
すぐに、転移と同じように、イヴァンさんの手に鞘に収まったカラドボルグが現れた。
「……何故だ。何故貴様が持っている!」
これまでで一番の怒鳴り声だったけど、でも一番危険を感じたのは、オクタヴィア様に向けた目がとても恐ろしいことだ。
「オクタヴィア。まさか、カラドボルグを持ち出したのはお前か」
口を塞がれたままのオクタヴィア様は、目線だけを侯爵に向けた。あの、イヴァンさんを逃がした従者のレネさんの背後には、やっぱりオクタヴィア様がいたんだ。
静かだけど、侯爵に屈しないことを物語った目だった。あ、ダメだ。侯爵を刺激しないで!
「おのれ!妻だからとて、許せぬ!」
「あぁ!」
ソロモンの指輪をした方の肩を掴んだと思ったら、耐え切れないと言ったオクタヴィア様の悲鳴が上がった。そして、オクタヴィア様の腕が抵抗力を失くして、ダラリと下がる。
「肩を外しやがった。随分と手慣れてやがるな」
王子の声に、オクタヴィア様の身に起きたことを知った。
私は目の前で起こった残酷なことに言葉を失った。オクタヴィア様の顔色が、一瞬で血の気が引いて真っ青になる。多分、気を失いたくなるほどの痛みだ。
なのに侯爵は、その動かなくなった腕から、無理やりソロモンの指輪を抜き取った。オクタヴィア様は悲鳴こそ上げなかったけど、凄い苦悶の表情を浮かべた。
どうして?どうしてそんなに酷いことができるの?
ソロモンの指輪は身に着けて発動の呪文を発しないといけないのか、指輪を抜き取ったことでオクタヴィア様は解放された。といっても、地面に乱暴に打ち捨てられたんだけど。
指輪は、一度オクタヴィア様の血を吸ったためか、侯爵にはすぐに使えないようだった。憎々し気にオクタヴィア様を睨みながら、追い打ちを掛けるように踏みつけようと脚を上げたのだった。
「レアリス」
小さく、でも鋭く、王子がレアリスさんの名前を呼んだ。でも、私が見た時にはもうレアリスさんの姿は見えなかった。
そして、次の瞬間には、侯爵の苦し気な声が響いた。レアリスさんが、隠密のスキルを使って近付いて、指輪を持った侯爵の手を蹴り飛ばしたんだ。
侯爵は痛みに、蹴られた手首を握って蹲った。他人の痛みは全然感じないのに、自分の痛みには弱いんだね。
すかさず転がった指輪をレアリスさんが回収すると、その後を追うように、イヴァンさんがカラドボルグを振るって、オクタヴィア様を救出した。長大な剣なのに片手で軽々と扱った上に、オクタヴィア様をもう片方の腕で抱えた。もちろん、雑兵のような死霊なんて、障害にもならないようだった。〝竜殺し〟の名前は伊達じゃない。
レアリスさんがそのまま侯爵を捕まえようとするけど、それを王子が鋭く止めた。
何かの勘が働いたのか、レアリスさんが急にのけ反る。その、今までレアリスさんの首があった場所を、何かが凄い勢いで通り抜けた。
それは、鋭い爪が生えた大きな人の手だった。
そのままレアリスさんは後方に回転して、その爪の二撃目を回避した。身軽なレアリスさんじゃなかったら、その爪の餌食になっていたかもしれない。
獲物を捕らえられなかったその大きな手は、そのまま侯爵を掴んだ。それは次の獲物が侯爵、という訳ではなく、恭しくそっと包んでいる感じだ。
そして、そのまま侯爵を抱えて、五メートルほど浮かぶ。
「珍しい隠密のスキルか。危ないところだったが、空中までは及ぶまい」
どうやらレアリスさんのスキルを警戒して空に浮かんだようだ。機転が利く。
「そいつは、ノスフェラトゥ。アンデッド系でも最強種に近いヤツまでいるのか」
王子が魔物を見てボソッと言う。ノスフェラトゥと呼んだ魔物は、骸骨ではなく人の姿をしているけど、人間より二回りほど大きくて眼窩がなく、骨の上に青白い皮を被った死者にしか見えなかった。
「だが、そんなものか」
骸骨の姿よりもこちらの方が余程恐ろしいし、おそらく途轍もなく強い魔物だと思うのだけど、王子のその声にはまだ全然余裕があるようだった。その声に、私は不思議と怖さも消えていくのを感じた。
アンデッドでも上位種と呼ばれる魔物が次々と現れる。いよいよ本格的な交戦だ。こっちも武装しないとね。
私が王子を見ると、王子も頷く。レーヴァテインとグングニルを出した。
オリジナルほどの威力はないけど、魔物への威力はセリカ行きで実証済みだ。
ガルとユーシスさんとレアリスさんが前に出る。アズレイドさんは、ガルの力と二人の武器の威力を知っているから、少し下がって王族二人を守るようだ。
有紗ちゃんは、こんな状況に慣れているのか、臆することなくスキル〝聖戦〟を使った。聖女の本領発揮だ。
スコルとハティは眠っているイヴちゃんの側に。
イヴァンさんは、その隣にオクタヴィア様を降ろそうとしたので、私は素早くアウトドアマットを敷いて寝かせた。
オクタヴィア様が「ありがとう」とお礼を言った。それをイヴァンさんがジッと見つめる。
「あんたが、俺を逃がし、この宝剣を返してくれたのか」
「……ええ。あなたの一族の滅亡は、防げなかったけど、せめて一族の誇りは、返したかった」
静かに尋ねるイヴァンさんに、痛みに顔を歪めながら、ほろ苦く笑った。
「やはり、侯爵が裏で糸を引いていたのか」
「あなたのお父様、オルドウィケスの族長が、宝剣の売買を痛烈に非難し、拒絶したから。一族の宝を奪うだけではなく、全てを壊すことにしたのよ」
「……あの商人は、侯爵の手の物か」
「他人名義の商会だけど、実質はザカリアスのものよ。彼は、自分の意に従わない者には徹底した制裁を下すわ」
どうやら、イヴァンさんの一族オルドウィケスの領地を奪ったデューズ族の後ろ盾に、侯爵の持つ秘密の商会が絡んでいたようだ。以前、戦いに長けたオルドウィケスが敗けたのは、相手のデューズに何者かが支援したのが要因にあると言っていた。
「あなたが求めていた、奥様のための上級ポーションを止めていたのも、セウェルスの商会だった。あのポーションさえあれば、奥様と娘さんは助かっていたのに!わたくしのように、子を失う苦しみを背負わせてしまった」
肩の痛みだけではない痛みが、オクタヴィア様を苦しめているようだった。
オクタヴィア様もお子さんを亡くしたことがあるんだ。だから、あんなにイヴちゃんを可愛がっていたんだね。自分が育ててあげられなかった子供の分も。
オクタヴィア様の告白に、一瞬目を瞠ったけど、イヴァンさんはその目を細めた。
「妻は、身体が弱かったのを押して子を産んだ。元々ポーションがあっても、どこまで耐えられるかは半々だった」
そんな因縁も全て飲み込んだうえで、オクタヴィア様の痛みを和らげるように、イヴァンさんが言った。
「でも、少なくとも、もしポーションがあったらと、後悔することはなかったわ」
「ああ、そうだな。でもそれは、あんたのせいじゃないだろ」
イヴァンさんは、そう言って大きな手で、オクタヴィア様の頭をポンポンと撫でた。オクタヴィア様は、綺麗な赤い目を子供のようにまん丸にしてイヴァンさんを見た。
「さあ、おしゃべりは終わりだ。肩を入れてやるから、後はハルにポーションを貰え。後を頼めるか、ハル」
「あ、はい!」
イヴァンさんは宣言したとおり、あっという間にオクタヴィア様の肩を治した。それだけで随分とオクタヴィア様の顔色は良くなったけど、私は中級ポーションをオクタヴィア様に飲ませた。
イヴァンさんの治療が上手かったのか、ほぼ元通りになったようだった。ついでに、掌の大きな傷も綺麗さっぱりだ。
それを見届けてイヴァンさんは、王子がくれた変身の魔道具を外した。赤い髪と金色の目が元に戻る。
そして、元の体の大きさになって窮屈になった堅苦しい騎士服のボタンを胸まで外すと、カラドボルグを軽々と肩に担いだ。
「あんたと俺の過去を終わらせてくる」
うわ。カッコいい!
魔物たちに向き直ったイヴァンさんの広い背中は、何故か私でさえドキドキした。ふと隣を見たら、オクタヴィア様の頬も少し赤くなっていた。
この大人の魅力が、うちの王子に足りないものだね。
「頑張れ、王子!」
「なにを!?」
突然の私のエールに、魔物に集中していた王子がツッコんだ。おっと、それどころじゃなかった。あまりの安心感に気を抜いてしまった。
「波瑠。ごめんなさい」
取りあえず聖戦を掛けた有紗ちゃんは後ろで待機らしく、また私の下に戻った腕輪と指輪を見て、少し悲しそうな顔をしたけど、私は首を振った。
もう、有紗ちゃんも操られた自分を責めたりしないで。今は、前を向いて行こう!
私の意図が伝わったのか、有紗ちゃんも力強く頷いた。
私たちも前を向くと、前衛のガル、ユーシスさん、レアリスさん、イヴァンさんだけで、死霊の軍勢を圧倒していた。
ガルは最小限の火で一体一体を確実に燃やしている。ガルが本気でやったら、多分この中に居る人たち、丸焦げになっちゃうからね。
ユーシスさんは、何だか緑色のグングニルが赤くなっているみたいで、王子がユーシスさんのスキル〝炎槍〟をグングニルにまとわせているって教えてくれた。初めて見たよ、炎槍。アンデッドには火が有効らしいからね。
レアリスさんは、相変わらず凄い華麗にレーヴァテインを操っている。面白いようにスパスパと魔物が両断されていき、同時に黒い炎に包まれるから、私の目にはレアリスさんが通った後に黒い炎が上がるようにしか見えなかった。
でもやっぱり一番圧巻だったのは、イヴァンさんだ。
決して、ユーシスさんやレアリスさんのような洗練された動きじゃないけど、大きなカラドボルグを無駄なく振るって、一度に数体を粉砕していく。カラドボルグの効果は私が交換したのと同じみたいだから、本来の力は熱線で対象を焼き尽くすみたいだけど、その効果は発動していないから、ただの剣として使っているだけみたいだ。イヴァンさんのスキルの〝竜化〟も使ってないから、純粋なイヴァンさんの力だけであの威力のようだ。
まさか、これほど自慢の死霊の軍勢が易々と削られるとは思ってなかったのか、侯爵はまた歯ぎしりしそうな顔でこちらを睨んでいた。
「借りを返させてもらう」
「おのれ、奴隷風情が!」
肉薄するイヴァンさんの剣を、侯爵を守るノスフェラトゥが遮る。でも、そこでイヴァンさんの手が赤い鱗に覆われて〝竜化〟し、カラドボルグが光った。そのまま、カラドボルグはノスフェラトゥの手を溶かしながら絡めとって、宙から引きずり下ろす。
さすがにイヴァンさんも一撃にとはいかず、浅い傷を負いながら、それでも少しずつノスフェラトゥを追い詰めていった。
あと一歩、といったところで、イヴァンさんの後ろの地面の異変に気付いた。これまでのどの沼よりも大きな瘴気が生まれようとしていた。
「イヴァンさん、うしろ!」
私は叫んだけど、有紗ちゃんのスキルも、王子の魔術も間に合わなかった。
沼から出た巨大な尻尾みたいなのが、振り返ったイヴァンさんを吹き飛ばした。闘技場の端までイヴァンさんが吹き飛ぶ。壁に激突する前にガルがすかさず襟を捕まえて、私の所にイヴァンさんを連れて来る。
「さすがに、効いたな」
全身が赤い鱗になっていた。咄嗟にイヴァンさんは全身を竜化したみたいだ。どうやら竜化とカラドボルグで庇い、打ち身だけで済んだみたいだ。いてて、と言うので、中級ポーションを渡したら、初級ポーションでいいと言われた。「こいつも相当な化け物だな」とイリアス殿下がボソリと呟く。同感です。
「みんな、下がれ!」
そんな中、王子の切迫した声が響いた。俊足のガルとハティが、ユーシスさんとレアリスさんを引き戻した。周りの死霊も一瞬動きを止める。
「……まさか、〝名前持ち〟の魔物化か?」
王子がその魔物の姿を見て愕然と呟いた。
イヴァンさんを吹っ飛ばし、最大級の沼から出てきたのは、ニーズヘッグさんよりも大きな真っ黒な竜だった。鋼のような鈍い色を放つ鱗に、瘴気とは違う紫色の湯気のようなものが全身から立ち上った、とても正視に耐えられないような恐ろしい姿だ。
それが、高いはずの天井まで届きそうな頭を少し上げて、その竜が大きく口を開けた。
「あの動作は、ブレスか!イリアス、〝断絶〟だ!」
王子の叫びに、イリアス殿下が全員を中にいれて、断絶を張った。その直後、ドンという衝撃と一緒に、目の前を暗く淀んだ瘴気と何かが混ざったものが覆った。
「アリサ!ブレスを使ったら次の動作までに時間がある。イリアスが断絶を解いたら、すぐに〝白き裁き〟で辺りの瘴気を焼け!」
「う、うん!」
視界が明確になった時、イリアス殿下が「解くぞ」とちょっと切羽詰まった声で言って、断絶を消した。直後、有紗ちゃんが〝白き裁き〟を放つと、一瞬で漂っていた瘴気らしきものが浄化される。
余程先ほどの攻撃が凄まじかったのか、相当魔力を消耗したみたいで、イリアス殿下がフラッとした。それをアズレイドさんが支えて、私はいい魔力ポーションを渡した。
「ファフニールか。ザカリアスのヤツ、〝深淵〟まで蘇らせたのか」
魔物化した三種類の竜の〝無慈悲〟〝恐怖〟〝悪夢〟を超える魔物がいるらしい。
それが、レッドさんやシロさんたちのような、最上位種の死霊化である〝深淵〟だ。
「そうです、殿下。数百年前に大陸の半分を毒の大地にしたという、貪欲の竜ファフニールが魔物化した〝深淵〟です」
「こんなの持っていたら、確かに世界征服したくもなるな」
王子もさすがに低い声になって、侯爵を嗤った。
もしかして、絶体絶命のピンチなの!?
重たい沈黙が流れる中、突然ピロリーンと鳴った。え、今?
ちょっと無視しようとすると、連続してピロリーンピロリーンと鳴った。
「「うるさ!!」」
私と王子が同時にツッコんだ。
「イリアス。ちょっと頑張って断絶張っとけ」
イラッとして王子が言うと、ため息を吐いてイリアス殿下が頷いた。すみません、うちのスキルがご迷惑をお掛けして。
私はペコペコしながら、仕方なく通知を開いた。
〝フェンリル(アホ)が出せ出せと騒いでいます。出しますか?YES/NO〟
……ああ。忘れてたなぁ。
「出さないって手はあるかなぁ」
「うーん。深淵とフェンリル、どっちの被害の方が大きいだろう」
私たちが真剣に悩んでいると、また追い打ちを掛けるようにピロリーンピロリーンとしつこく通知音が鳴った。諦めて、私は通知を開けた。
〝フェンリル(バカ)がうるさく騒いでいます。出しますか?YES〟
……YES一択になった。
仕方なく、本当に仕方なく、YESを押した。すると、亜空間収納の入り口が大きく開き、中から大きな白いワンちゃんと黒い亀と蛇が出てきた。
『何故、私を出すのを躊躇した!?』
「「……世界の為に良かれと思って……」」
私と王子が説明すると、お父さんは何故か得意げに笑った。貶したんだけどなぁ。
『そなたらは、私をただの可愛い飼い犬だと思っているようだが、私にかかればあのような汚物をまき散らすだけの魔物など一ひねりだ』
『……父さん。なんか、言いたいこといっぱいあるけど、いいや』
ガル君に、とうとうお父さんは諦められた。手遅れか。
最強の部類に入るかもしれない魔物を前に、お父さんは高らかに宣言した。
『誰がこの世界の最強か、教えてやろう』
そして、勇ましく私たちの前に出た。
『私がハルのペット最強のフェンリルだ!』
最強の範囲が、世界からずいぶんと狭まったね。
ああ。どうか、みんな無事に済みますように。
健気な美女に、漢気溢れる猛者。
悲しい過去を乗り越えた先には……。
お父さんがいた!
やっちまったな!