108 異常だ!
よし!
今週こそシリアス判定だ!
「もう終わりにしましょう。あなた」
その声に、ふふっと微かに笑う気配がした。
穏やかな碧眼を眇めて、オクタヴィア様を見つめる侯爵様から漏れた笑いだ。
「悪戯もほどほどにしなさい、オクタヴィア。殿下方が驚かれているではないか」
優しい声音で諭す態度に、奥様の仕掛けた悪戯すら可愛いと思っているような、そんな慈愛に満ちた笑顔だった。
私は、大司教に遺物を使われたと知った晩餐の後、みんなで話し合った内容を思い出した。
その時に、イリアス殿下が教えてくれたオクタヴィア様情報によると、侯爵様が伯爵家の養女となったオクタヴィア様を見染めて結婚したらしい。それまで社交界でのオクタヴィア様の噂は、その美貌でレイセリク皇太子殿下の側妃にするために伯爵家が引き取った、くらいのものしかなかったみたいだ。
イリアス殿下よりオクタヴィア様の方が三歳年上だから、殿下とのお話はなかったみたいだけど。残念だったね。
それが、侯爵家に入ってから、今のような血の臭いが付きまとうような、苛烈な話が始まったらしい。貴族の間では、侯爵夫人たる堂々たる地位を築いたことで、隠し持っていた残忍性を隠さなくなったのではないか、と。
実際に、オクタヴィア様の勘気は多くの人が目撃しているし、侯爵家の周辺で、使用人や出入りの旅商のような人間の失踪は多いそうだ。
また、オクタヴィア様の影には、魔物の存在も囁かれていた。
イヴァンさんの時もそうだけど、侯爵家の政敵やオクタヴィア様に隔意のある人たちの周辺は、異常なほど魔物による被害が多いそうだ。その事で、最初はオクタヴィア様に、魔物を操る能力があるのではと疑って、何やら王子が調べると言っていた。
それで、王子が何やら熱心にオクタヴィア様を見て、少なくとも隠しスキルでない限りその心配はないと請け合った。王子は、あまり大っぴらにしたくないようだけど、自分には相手がどんなスキルを持っているか分かるスキルがある、と言っていた。
私はそれを聞いてちょっと安心した。王子がすごく熱心にオクタヴィア様を見ていたように見えたから、少し、ほんの少しだけ、胸がモヤッとしたことは内緒だ。
そんな社交界でも悪女と名高いオクタヴィア様がどうして侯爵夫人として確固たる地位を保持していられるかというと、直接的な物的証拠が無い事と、旦那様であるセウェルス侯爵様が、その大らかな人柄と人脈で奥様をフォローしているからだとのこと。旦那様が屈指の権力者であることを差し引いても、その人格者の人柄がなければ、オクタヴィア様は今頃、状況証拠だけでも牢獄へ送られていただろうと言われているらしい。
それを聞いて、私は、なんでオクタヴィア様だけが悪女のように言われているのか不思議だった。
だって、それを諌めない侯爵様や周囲の人たちは、全然悪くないように言われているから。お茶会の顛末もそうだけど、まるで、オクタヴィア様がスケープゴートのようだと思った。
私がそう言ったら、王子もイリアス殿下も顔を顰めた。今まで、本当に誰もそのことに気付かなかったようだ。
ここで一つの仮説が立った。
もしかすると、大司教のグリモワールは、大司教だけでなくセウェルス侯爵家の周辺でも使われていたのではないか、と。
今回の「洗脳」のような強い効果でなくても、印象操作のような軽微な効果なら、護符の守りや王宮の結界にも引っ掛からないんじゃないか。そう考えたら、全身の血が引くような怖さが湧きおこった。
私がそう思い出している間に、オクタヴィア様は、もう一度イヴちゃんの所へ行き、手を翳すと、イヴちゃんは眠ってしまった。これはオクタヴィア様のスキルの力のようだ。きっと、イヴちゃんにはこれ以上ここで起きることを見せたくないようだ。
そして、イヴちゃんをスコルとハティに託すと、今度は侯爵様の方へ歩いて行き、少し離れた場所で立ち止まった。
その動きに合わせて、リウィアさんがそっとイヴァンさんに近付く。この中の人間で一番強いのは、多分イヴァンさんだ。だから最初に、イヴァンさんのソロモンの指輪の効力を無効化するつもりだ。
「オクタヴィア。聞き分けのない子は嫌いだよ」
変わらず優しい声音の侯爵様だけど、その言葉は何故か圧力を感じるようになった。
微笑みもそのままだから気のせいかもしれないけど、でもどこか違和感はあった。侯爵様は、王子たちより後ろに控えているから、その表情は、私と有紗ちゃんとオクタヴィア様にしか見えていない。
「わたくしは、あなたや侯爵家を守ることが、平和を乱さぬことだと信じていました。だから、身に覚えのない残酷な行為を擦り付けられても、誰に罵られても、家門の為ならと耐えてきました。でも、もうこれ以上は、血が流れるところを見たくはありません」
オクタヴィア様の表情に変化はないけれど、その声は僅かに震えていた。この人の言葉が本当なら、オクタヴィア様はずっと無実の罪を被ってきたことになる。
そして、侯爵様は夫なのに、オクタヴィア様は彼を恐れているように見えた。それでも、毅然とした態度で侯爵様と目を合わせた。
「本当に、今日はどうしたんだい?君も何かの術に掛っているのだろうか」
侯爵様は、本当に心配げにオクタヴィア様を見つめる。いったい、どちらが嘘を吐いているのか、一見したら判断に迷うところだった。でも、侯爵様の碧眼は、酷く冷めて見えた。
オクタヴィア様がおもむろに自分の胸のブローチを外すと、鋭利に尖ったピンで、自分の掌を大きく傷付けた。私は、悲鳴を上げるのをどうにか堪えたけど、オクタヴィア様は睫毛一本動かさずに、流れ出た血に指に嵌めたソロモンの指輪を浸した。
「オクタヴィア!」
そうして、怒声と共に、初めて侯爵様の善良な仮面が剥がれた。
オクタヴィア様から指輪を取り上げようと、掴みかかった。
未だ侯爵様は動けないはずなのに。それが意味するところは、もう説明もいらないほど明白だった。
ソロモンの指輪は、神話級武器と同じく、血で所有者を登録するようだ。それがソロモンの指輪の発動条件で、侯爵様は自分の意に沿わない行動をとるオクタヴィア様に、指輪を使わせまいと、とうとう自分から動いた。
華奢なオクタヴィア様の手首を捕まえると、発動の呪文を唱えられないように、オクタヴィア様の口を手で塞いだ。そして、無理やり指輪を引き抜こうとする。それをオクタヴィア様は手を握り込んで抵抗した。でも、女性の力ではすぐに決着がついてしまうだろう。
「離せ、オクタヴィア。指ごと切り落としても良いのだぞ」
もう仮面は着けないようだ。恐ろしいことを事も無げに言ってのけたのが、恐らく侯爵様の本当の姿なのだろう。それにオクタヴィア様は首を振って従わない意思を示した。
それを見て、リウィアさんが走ってイヴァンさんに近付こうとし、ガルが侯爵様に飛び掛かろうとした。でも、途中で二人の動きが止まる。
地面から伸びた不吉な手の形をした影が、リウィアさんの足首とガルの胴体を掴んでいた。
「ガル!リウィアさん!」
『大丈夫だ、ハル。心配するな』
私の上げた悲鳴と、ガルの落ち着いた声が響いて、全員がその場の異常さに気付いた。地面にいくつかの沼のような影が湧き出る場所が現れた。
「アンデッド系の魔物。上位種のリッチか。ガル、火だ!」
王子の声で、ガルがグリモワールを燃やした時のような炎を出す。ガルとリウィアさんを掴んでいた影の沼から胸元まで這い出ようとしていた骸骨のようなものが、グズグズと溶けながら消えていった。
「私も大丈夫です。私はアンデッド系の瘴気は効きませんから」
リウィアさんも元気に答えた。そういえば、リウィアさんの「解毒」は瘴気にも有効だった。
つくづくリウィアさんを連れて来てくれたレッドさんには感謝だ。
でも、すぐに別の沼から違う骸骨が出てきた。今度は剣を持ったヤツが六体も。
侯爵様、ううん、セウェルス侯爵は、オクタヴィア様を拘束したまま引きずるようにして、その骸骨たちの群れの中に入って行く。そして、その数も種類もどんどん増えていった。
「ザカリアス。貴様、死霊使いだったのか。禁術に手を染めたな。痴れ者が」
イリアス殿下が凍えるような冷たい声で糾弾する。
禁術って、そう言えば「奴隷紋」も禁術の一つだと教わった。もしかしなくても、イヴァンさんに奴隷紋を施した主って、侯爵この人のことだ。
「ええ、そうですとも。しかし、何故先人は、このような素晴らしい術を封印したのか、私は理解に苦しみます。この世は、怨嗟を持って潰えた無数の命で覆われている。この術は、無限の軍を作ることができるのです。私は過去の秘術を蘇らせることで、この国をもっと強靭な国にしようとしたまで」
冷たいイリアス殿下の声と真逆で、優し気で穏やかな声で侯爵は語った。
「死霊は、その瘴気という穢毒で、土地や植物すら穢すものだ。ただ存在するだけで、人間の領域を脅かすことを知らぬとは言わせぬぞ」
「だからこそ、それを制御するための死霊術でしょう。死してなお、強力な武力として使える物を捨て置くなど、多少の領土が瘴気に侵されるくらいの損失などと比べるべくもない」
本当に、それが最善策であることを疑わない主張に、理性的な光を保つ侯爵の瞳を見ていると、目の前のアンデッドたちよりもとても恐ろしい魔物のように見えた。
「いくら聖女召喚を成功させたとて、この先、瘴気や魔物が溢れる世になるのは避けられますまい。人間の住める領域は狭められ、僅かな土地を求めて人間同士で争いが起きることでしょう。その時、この軍勢と勇者の遺した武具があれば、わが王国は生き延びることができる」
一見、国を憂う高邁な思想に見えるけど、言っていることはどこかおかしい。
略奪や戦争が前提の平和は、本当に平和だって言えるのだろうか。
国を取り合うことなく、みんなが普通に生きられる世界を作るために、王子やイリアス殿下は頑張っているのに。
「そうなる前に、この世界にかつてない大帝国を築くことも夢ではない。もっとも、そこに君臨するのは今の王族とは限りませんが」
この人は、自分がその頂点に立とうとしているんだと分かった。
オクタヴィア様は、夫のこの暴走を止めようとしていたんだ。
「なるほど。そちらが本命か。大層な夢を抱いているようだが、もうグリモワールはない。一時であれば多くの人間に効くだろうが、そんな思想では求心力も長くはもつまい」
そうだ。みんなはソロモンの指輪で体の自由を奪われているけど、洗脳を可能にするグリモワールはさっき燃やしてしまった。イリアス殿下の言うとおり、思考をコントロールできないなら、独裁はいつか破綻するはずだ。
「その前に、貴様の魔力も尽きるだろうが」
これほど継続的に魔力を使っているのなら、侯爵の息切れも遠くないはず。そう誰もが思ったけど、当の侯爵は私たちを見て、聞き分けの無い子供を見るように笑った。
「残念ですが、私の魔力はほとんど消費されておりませんよ、殿下。この場所は見てのとおり、古の闘技場です。かつて魔物と剣闘士を戦わせていた歴史をご存知かと思いますが、私はただ、湯水のようにいくらでも湧き出る、この地に眠るそれら人間と魔物の無念にほんの少し力を貸しているだけ。私のスキルは、古の秘術を再現する「模倣」と、瘴気を魔力に変える「置換」ですので」
瘴気を魔力に変えるって、死霊術を使う人にとっては、永久機関のようなスキルだ。
侯爵の余裕は、こちらが力尽きるまで戦える用意があったからなんだ。
「グリモワールが無くとも、服従を拒むなら、抵抗する人間を根絶やしにするまで、血を流せばいい」
同じ言葉を話しているのに、こんなに言葉が通じない人がいるなんて。私は、飛竜の魔物に遭遇した時よりも、ずっと強い恐怖を感じていた。
「ハル!玄武を起せ!」
呆然と立ち竦んだ私に、王子が声を掛けた。その声で私は現実に引き戻された。
そうだよ。まだ、何も終わってない!
「お父さんは!?」
「あいつを出したら、ここが吹っ飛ぶ。それは最終手段だ!」
うん。多分間違いなくやり過ぎるね。了解です!
「させるか!」
侯爵が、私目がけて骸骨以外にも魔物を放つけど、ガルとハティが守ってくれた。
私はその隙に、ユーシスさんに駆け寄ると、「頼む」とまだ動けないユーシスさんにお願いされた。ポケットにいるミニサイズの玄武さんは、「宗教画」の時に暴れて出て来ようとして、ユーシスさんに気絶させられていた。
私がユーシスさんのポケットに手を伸ばすと同時に、『ハル!』というハティの声がした。
振り返ったら、ハティの攻撃を掻い潜った狼型の死霊化した魔物が、私目がけて突進してきた。目の前に迫った腐肉を纏ったおぞましい姿に、目を背けることも出来ずに立ち尽くす。
不意に、力強く抱きかかえられる感覚と、小さな衝撃がきた。
見たら、ユーシスさんが私を抱え、拳で狼の魔物を地面に叩き伏せていた。
わぁ。地面も魔物も粉々だ。
魔物の特性で、血の代わりに瘴気が流れるから、凄惨な光景は見ずに済んだよ。
私が硬直していると、私を抱えたユーシスさんは、蕩けるような笑顔になった。
「ハルには、瘴気の一かけらも触れさせはしない」
「あははは。ありがとうございますぅ」
ユーシスさんが強いのは知っているけど、素手で魔物粉砕は是非やめてほしい。
「ふぅ。間に合いました」
後ろで、リウィアさんの声が聞こえた。間一髪間に合って良かった。ありがとうございます、リウィアさん。
そして、ユーシスさんがポケットから玄武さんを取り出すと、二人の頭を撫でて起こした。
『むにゃ。……ハッ。一瞬花畑が見えた。胸筋男、許さない』『うお!気絶している間に、なんじゃこりゃ!』
メイさんがユーシスさんの指をガブガブ噛んでいるのを止めて、私からお願いした。
「起きてすぐでごめんなさい。でも、緊急事態なので力を貸してください」
『むむ。こんなに不快な光景は久々』『いいぜ。任せな!』
レジェンドとして許せない光景なのか、二人は意気込んで言ったのを王子が止めた。
「あんたらが全力出したら、ここにいる全員危ねぇよ。それより別の事に協力してくれ」
王子が言うのももっともだ。それに、王子に何か策があるみたいだ。
「ハル。お前は、あの武器を全部回収して、ポイントにしてしまえ」
そっか!その手があったね。
そうすれば、少なくとも私が新しく出さない限り、侯爵が世界征服を夢想するような武器は、この世からなくなる。
あ、でも、生き物以外は私が所有していないと、亜空間収納に入れられないんだ。
「メイとクロ。その武器を手分けして咥えろ。そうしたら『禁忌』を使うんだ」
ええ!確かに『禁忌』を使って生き物を亜空間収納に入れるなら私の物じゃなくても大丈夫だけど、そんな屁理屈通るの!?
「亜空間収納に入ったら、ハルに譲ると言え」
『なるほど、な』『まあ、試してみる価値はあるな』
そう言って、私たちは武器が掛かった透明な壁に向かった。
「やめろ!何をするつもりだ!」
『こっちは気にするな!もう一匹も逃がさない!』
侯爵が怒鳴るのに、ガルが被せるように言う。一体一体は強くない(ガルからしたら)魔物だけど、数がいるからガルもちょっと油断したらしい。ガルも狭いこの空間で全力は出せないけど、だんだんとコツを掴んできたようだ。
その隙に、私たちは、玄武のお二人に元のサイズに戻ってもらい、メイさんに盾を、クロさんに剣と槍の、計三個の神話級武具を渡した。メイさんは盾を咥えて、クロさんは剣と槍をほぼ丸のみ状態で持ってくれる。王子がボソッと「クロに無茶さすなぁ」と言った。
「よぉし。じゃあ、よろしくお願いします!」
私が広がった収納口を近付けると、二人はひゅんと入ってしまった。
そして私は、すかさず詳細鑑定機能をオフにする。その後に、ピロリーンとスキルさんの通知音が鳴った。
〝亜空間収納内で、玄武より武器等の譲渡が行われました。取得しますか?YES/NO〟
キターーーー!
すかさずYESを選択すると、ズラズラズラっと通知が表示される。
〝レーヴァテイン(勇者オリジナル)を取得しました。ティルヴィング(勇者オリジナル)を取得しました。干将・莫邪(勇者オリジナル)を取得しました。トライデント(勇者オリジナル)を取得しました。オハンの盾(勇者オリジナル)を取得しました。ポイントに交換しますか?YES/NO〟
ん?何だか分かんないけど、取りあえず、オッケー!
もう、値段見るのが怖くて仕方ないけど、取りあえず、イエッス!
耳を塞ぎたくなるほどの通知音の嵐。からの~、鑑定結果目隠し!
でも非情にも、また通知音がピロリーンと鳴る。
〝取得ポイント百億到達達成及び勇者オリジナル神話級武具五点取得。スキルが最終レベル5に上がりました。スキル『回帰』を取得できます〟
……ぐふ。取りあえず、スキルは保留……。
うーん。いろんなことがアレだけど、結果オーライ、大成功!!!
と、私が現実逃避をしていると、いつの間にか身体が自由になったらしい王子が、怒りに震える侯爵に向かって鼻で笑った。
「……おのれ、小娘が」
「どうだ。己の野望が潰えた感想は」
イリアス殿下に劣らない、非常に性格の悪そうな笑みを王子が浮かべた。
そして、輝かしいばかりの笑顔で、誇らし気に宣言した。
「こいつに、常識や人間の想像が及ぶとでも思っていたか?こいつのスキルは、異常だ!」
心外です!!!
悪役らしい悪役、もしかして初めてか……?
否!イリアスの方がインパクトは強かったはず!
ワーストキャラの地位は盤石だ、イリアス!