107 洗脳の悲劇
誤字脱字報告ありがとうございました。
そして今回は、シリアス判定……だと信じたい。
私の思いつく最も惨たらしい制裁。
私がそれを行うために裏切者の男性に近付こうとすると、大司教様が楽し気にそれをお止めになった。
そして大司教様は、透明な壁に掛った一番小さな剣、二振りで一対の剣の片方を取り出して授けて下さった。
「これは、干将と莫邪という双剣の莫邪だよ。魔物すら触れれば淡雪のように崩れ去るという高熱を発し、切れ味は言うまでもない。女神の領域以外の不要な東方の剣だ、君に授けよう。好きにお使い」
優しいお声に、私は恭しく剣を受け取った。
多分、あの中で私が持てるのはこの剣だけだ。さすがは偉大な大司教様。私のためにお気遣いいただけるなんて。
「ああ、それだけではつまらないな。そうだ聖女の意識を戻そう」
大司教様がそう言って手を振ると、すぐに効果が現れて、聖女と呼ばれた女性の表情が変わって、こちらを見て驚きに目を大きくした。
「波瑠に何をしたの!?」
「お目覚めですか、聖女様。貴女が手助けしてくれたおかげで、この娘は私の忠実なしもべとなったのです。これから、神殿の裏切者を彼女の手で始末してもらうのですよ」
そう親切に女性に教えて差し上げている。女性はその言葉に言葉を失くすと、涙を流した。きっと大司教様に親切にされた幸運に、感涙を流しているのだと思う。
そう思うのだけれど、どうしてか、女性の涙を見ていたくない気持ちになった。
私は女性から目を逸らして、剣がしっかりと鞘に収まっていることを確認し、またあの男性と向き合った。ヘーゼル色の目が印象的で物静かな人のようだけど、大司教様にご迷惑をお掛けする人には、制裁を受けてもらわなくてはならない。
「ふむ。何も抵抗できないのも可哀想だ。少しだけ腕の自由を許そうか。莫邪の刃は想像を絶する苦痛を与えるだろう。反撃してもいいのだよ、レアリス」
敵にも情けを掛ける偉大な大司教様。相手は強そうだけど、きっと、私のことも信じてくださってのことだ。
でもその男性は、多少の自由を許されたはずの腕を、一切使う素振りは見せなかった。まるで、私のすることを全て受け止めるかのように。
私はその表情が何故か嫌で、見ないようにして、思いついた残酷な考えを実行した。果たして、この男性はこの仕打ちにどれだけ耐えられるだろうか。
男性の足元にしゃがむと、その鞘に入った剣を振りかぶった。
「えい!」
「「「「「「……ん?……」」」」」」
私は、何度も男性の膝裏に剣を打ち付けるけど、ビクともしない。おかしいな。
「……あれは、何をやってるんだ?」
「多分、……多分だけど、……膝カックンをしたいんだと思うわ」
「以前、お前にやられたあれか。確かに決まれば屈辱的だ……が、非力すぎて、逆にレアリスが戸惑ってるぞ。あれなら脛を打った方がよほど効くよな……」
紫色の目をした人と泣いていた女性が何かを話している。だけど、私はそれどころじゃなかった。渾身の私の攻撃が効かないなんて。ふう。
私は攻撃方法を変えるため、持っていた剣を捨てた。
「何故、剣を捨てる!?使い方を間違っておるぞ!鞘から抜いて使え!」
大司教様がお怒りなった。けど、私はもっと残酷な方法を思いついたのです。見ていてください、大司教様。次は必ず、この男性にダメージを与えます!
「ちょっと、失礼」
「……どうぞ」
私は男性に断りを入れると、背中を向けて男性のつま先に乗った。そして、あまつさえ、この体重を掛けてぴょんと飛んだ。ああ、悪魔の所業!
「……フォルセリア。私には理解できないのだが、アレは、何をやっているのだ?」
「恐らく、つま先を踏んだら痛いだろうと、思っているのかと……」
あれ?意外とこの人、足が固い?
「騎士の靴はハル殿の体重ぐらいでは潰れないことを、きっと知らないのでしょう」
「あれが、あの娘が考える『惨たらしい制裁』なのか」
「人畜無害な子ね」
「なんでかしら。この制裁、もっと見ていたい気がするわ」
外野がちょっとガヤガヤしたけど、私は一生懸命制裁を下した。ぴょん。
「……くっ」
背後で苦悶するような声が聞こえたので、ようやく効いたのかと思って、振り返って様子を見たら、ヘーゼル色の目と視線が合って、突然後ろから腕が回って拘束されてしまった。
しまった、捕まってしまった!そういえば、腕は動くんだった!
「レアリスのヤツ、どさくさに紛れてハルを抱き締めやがった!」
「気持ちは分かるわ。あんな可愛い生き物、捕獲せずにはいられないもの」
ジタバタするけど、まったくビクともしない。
「うう、裏切者さん、放してください!放さないと……」
拘束する腕を憎々し気に見ると、私の中の獣が暴れ出した。アグッ!
あれ?この人の腕とか手、固いな。もう一回。
「あれって、どう見ても甘噛みよね?レアリス、なんかアウトな顔してるわ」
「オーレリアン殿下。生理上の都合につき、理性を捨ててもよろしいでしょうか」
「……キリッとした顔だけど、大変、レアリスのケダモノスイッチが入りそうよ」
「くそ!気合で持ちこたえろ、レアリス!」
どうやら、私の酷い仕打ちに、周りが戦々恐々としているようだ。やりました、大司教様!
「やりました、じゃない!何故得意げなのだ、この役立たずが!」
お怒りになった大司教様が、また手を揮うと、私を拘束していた腕が外れた。私のような役立たずを助けてくださったようだ。なんて慈悲深いのだろう。
「もうよい!」
大司教様は、私を裏切者さんから遠ざけるように払った。盛大に転んだけど、きっと裏切者さんから庇ってくれたのだろう。ありがとうございます。
「こうなれば、聖女に代わりを務めてもらおう。そして、この娘を裏切者の代わりに害そうか。そうする方が、ここにいる者には効果があるようだからな。知っておるか?この遺物は、精神が弱っている時ほど、強く効果が出るのだ。いかな王族の守りでも、この娘の無残な姿を見れば、容易に精神が侵食できよう。そうすれば、レンダール王族は私の言いなりだ」
楽しそうに語られる大司教様。なるほど、この紫色の目をした人たちや役立たずな私に、そんな使い方があったとは!さすがです!
「……うむ。何故か馬鹿っぽいこの娘が急に可愛く思えてきたな。良かろう。お前は私の専属侍女にしてやろう。その代わりの犠牲に、ああ、あの奴隷の娘がいたな」
笑顔で大司教様と似たような服を着た神官さんたちにお命じになられ、神官さんたちはニコニコしながら私を拘束した。ヒョロヒョロの人たちであんまり力は強くなかったけど、ちょっと手が痛い。でも、大司教様の命なら仕方ない。
「……下衆が。その遺物、使い慣れているようだが、もしや貴様、今の地位に就いたのは、その遺物の力か」
青紫色の目をした人が、凄く怖い表情で大司教様を睨む。
「そうだと言ったらどうなのだ。ただ後に生まれたというだけで爵位を継げない私を虐げた者たちや、家門の力が劣るせいで要職から遠ざけた神殿の者たちに、私の実力を思い知らせてやっただけだよ」
「下衆の上に、無能ときたか。己の力も測れぬ愚か者が」
「イリアス殿下。あなたには対王家の傀儡になってもらおうと思いましたが、どうやらここで死にたいようですな」
むむ、大司教様を怒らせた。私も敵認定。目つき悪い。腹黒っぽい。悪人顔。冷血漢。
「待て、ハル。何故私にはそんなにスラスラ悪態が出てくるんだ?」
「イリアスですら真面目に話を進められないな。おーい、そこの手下の神官たち。その素っ頓狂をちょっと引き離しておけ」
王族って言われた二人に、何故か私が標的にされている。まさか、大司教様の最大戦力である私が邪魔になったのでは。卑怯です!
「いや、何で自分が最大戦力だと思っているんだ。痛手を受けてるの、イリアスだけだろ」
なんか、あっち側の人たちが一斉に「くっ」となった。嘲笑された!?
ん?みなさん体の自由を奪われているはずなのに、何故か金髪と黒髪の女性二人が口に手を当てている。そのうち金髪の女性が前かがみになって笑っていた。
はい、大司教様!なんか動ける人がいます!
「何!?小賢しい真似を!」
「ちょ、ハル、おま!ここにきて最大の裏切りかましやがって!」
「チッ。こうなったら仕方ない。行け、リウィア。『洗脳』はグリモワールの方だ」
「はい」
「な、なんだと!ファビウスの小娘が、何故動ける!」
金髪の女性が腰にあった紐のようなものを手にしたら、それを揮って大司教様の手にあったグリモワールという本を飛ばした。
すごい!ムチって初めて見た!じゃない!大丈夫ですか、大司教様!
「ガル、スコル、ハティ、今だ!」
銀髪の紫色の目をした人がそう叫んだら、疾風みたいに白と赤の残像が通り過ぎて、大司教様を押し倒した。
見れば可愛い大型犬の白いワンちゃんが、大司教様の胸の上に乗っていた。大司教様は、その衝撃で頭を打ったのか、気を失ってしまった。
私を拘束していた神官さんたちも、足に緑色と青い模様のあるワンちゃんに制圧されてしまった。
そしてワンちゃんは、伸びた大司教様の指を咥えると、指輪を引き抜いた。乱暴だったけど、大司教様の指は無事だ。良かった。
『ハル!大丈夫か!』
ワンちゃんがしゃべった。可愛い。でも、大司教様を気絶させた悪い子だ。
『ダメだ。まだ元に戻ってない。痛くないけどな』
お仕置きで、ふさふさのほっぺを引っ張ると、呆れたような目で見られた。
「リウィア。ちょっと、そのグリモワール持ってきて」
栗色の髪の女性がそう頼むと、リウィアと呼ばれた人がグリモワールを持っていった。そして、何かスキルを使ったのか、その女の人はすぐに動けるようになった。
「すごいわね、あなたのスキル?」
「ありがとうございます。私は『解毒』というスキルを持っています。これは、毒の他にも、精神の汚染を無効化することもできます。ソロモンの指輪の効果が、『精神に働いて行動を操作する』で良かったです。これなら私が解除できますから」
なるほど、ワンちゃんたちもそれで自由に……じゃない!私は金髪の女性を威嚇する。
それを見て、栗色の髪の女性が私に向かって綺麗な笑みを浮かべた。何故か警戒しろと本能が伝えてきた。
「この遺物の効果を検証しましょう。男どもの体の自由が効かないうちにね」
「何をするつもりだ、クソアリサ」
「ちょっとした実験よ。まあ見てなさい」
うっすらと笑った女性は、美しかったけど危険な香りを放っていた。
「ええと、確か。『従え』だっけ。波瑠?」
「はい、何でしょう有紗様」
急に目の前が拓けたようになった。ああ、目の前にはお美しい有紗様が。
「あの、緑色の目をした騎士に、罵詈雑言を浴びせて来て」
「了解しました」
私は有紗様のお言葉に従って、背の高い緑色の目をした男性の前に立った。
私のスーパーコンピューターHAL9000、最適解を示せ。
そして、導き出した答えに、私はこんな残酷な言葉を言う自分が恐ろしくて、涙が出そうになった。
涙目になりながら、背の高いその人の目を見上げて言った。
「……きらい……」
「くっ、女神よ!何故私のこの腕は、今、ハルを抱き締めるために動かないのですか!?」
物凄い苦悩を示す男性に、私はやってのけたことを実感した。どうですか、有紗様!
「いいわ、いいわよ、波瑠。次は冷血漢にお仕置きよ」
有紗様のざっくりとした指示に、私はぐるっと見回した。あ、いた。
「何故、冷血漢で私だと特定した!」
青紫色の目の人を睨んで、手を振った。この人にはチョップだ。えい!
「……結構痛いぞ」
「ぶはははは!次、隣の〝オレリア〟ちゃんよ!」
私がまた視線を巡らせると、いた。男の人だけど、きっとこの人がオレリアちゃんだ。でも、何故かその人の葡萄みたいな目を見ていると、いたたまれない気持ちになった。
「いいことあるよ」
「何で慰められた!?地味に一番傷付くわ!!」
喚き散らすその人に、周りから悲し気な視線が送られた。みんな同じ気持ちだね。
「クソアリサ!お前、いい加減にしろよ。後で泣かすからな!」
「あら、いいの?これから波瑠に『一番甘い囁き』をやってもらおうと思ったのに」
「クソ!お願いします!!」
「あはははは、私にひれ伏すといいわ!」
わあ。有紗様が楽しそうで何よりです!パチパチ。
「聖女が魔王化した。マーナガルム、グリモワールを焼け!」
『分かった!』
冷血漢さんがそう言ったのと同時に、有紗様のグリモワールが大きな火を噴いて燃え上がった。凄まじい温度を表す青い炎に、一瞬でグリモワールは燃え尽きた。咄嗟に有紗様を心配したけど、どうやらその炎は対象物以外に影響を与えないらしい。
すごいね、ワンちゃん……って、ガル君!?
「ハッ!私は今、何をしてたの?って、大司教、どうして捕まってるの!?」
「……やっと元に戻ったか」
何故かイリアス殿下が深い溜息を吐いた。
私が周りを見回すと、動いているのは女性陣だけだった。男性陣は、私が意識を失う前と同じく、まだ遺物の効果が続いていて身動きが取れないみたい。
私は、心配していたことを確かめようと、イヴちゃんを探した。
あ、オクタヴィア様がこちらが見えないように、イヴちゃんをしっかりと抱っこしてくれていた。
「ああ、良かった。イヴちゃんはオクタヴィア様が守ってくださったんですね」
私がイヴちゃんをそっと下に下ろしたオクタヴィア様を見て、ホッとして言った。
でも、その言葉に、何人かが違和感を覚えたようで、オクタヴィア様を一斉に見た。
「……夫人よ。確かリウィアは、聖女しか遺物の解除をしていないはずだが?」
イリアス殿下の冷たい声。
え?だって、普通に動けていて、殿下の勘違いじゃ……え?
「それは、お前特有のスキルか?それとも……」
尋ねるイリアス殿下に、オクタヴィア様は優雅に一礼をした。
「御推察のとおり、わたくしは最初から術になど掛かっておりませんでした」
「では、認めるのか?大司教と仲間だと」
小首を傾げる仕草に合わせて、美しい黒髪が流れた。
「仲間、と言えばそうなるのでしょうか。大司教様のやろうとしていたことは存じておりましたし、皆さまがお疑いの〝奴隷紋〟の付与の場所にもおりましたから」
そう言って、スッとイヴァンさんへ近付き、スルリとその頬を撫でた。
「姿が変わっているようですが、この方もそのことは良くご存知かと」
イヴァンさんが大きく顔を顰めた。イヴァンさんの言葉を封じるように、その唇に細い指先を当てて艶やかに微笑む。
そして、今度は転がっている大司教の傍まで行くと、足で大司教を転がした。思ってもみなかった乱暴な仕草に、大司教が持っていた私のお父さんから貰ったブレスレットと、王子から貰った指輪が転がった。それを拾い、私に届けてくれた。
「操られても、誰も傷付けないあなたのこと、もっと好きになったわ」
イヴァンさんと同じように、私の頬も優しく撫でてから、最後に床に転がったソロモンの指輪を拾った。
「わたくしの血には、遠い昔に交わったとされる〝バンシー〟の血が流れていますの。だから、ほんの少し、神の気まぐれ程度に微かな〝未来〟と〝死〟が見えます」
誰の死を見たかは申しませんが、とまた微笑む。
「〝バンシー〟の力は死を招くのではなく、〝鎮魂〟の力。安らいだ死を願い、無意味な血が流れるのを止めたいと願うものです」
音楽のように低く心地よく紡がれる言葉に、その動作一つ一つに惹き付けられるようだ。そして、拾ったソロモンの指輪を自分の指に嵌めて、宙に翳して見せた。
「ね?もう終わりにしましょう。あなた」
その声の指示した方向は、一つ。
オクタヴィア様の夫である、ザカリアス・セウェルス侯爵その人だった。
いやー、残酷な仕打ちだったなー。
しかし、レアリス氏、ほぼアウトでしたね。理性を捨てて何をしようとしていたかは、ご想像にお任せいたします。
そんなこんなで、作者はシリアスマラソンに耐えられるのか!




