102 お茶会に行こう
安易なペットの名付けは後悔のもとです。
耳が痛くなるような沈黙の後、侯爵夫人が手を振ると、一人の無表情の男性が歩み出て、罰を受けたメイドさんを立たせてどこかへ連れて行った。
特に乱暴な仕草でもなかったけど、機械的で無機質な動作で、メイドさんの動く衣擦れと靴音しかしないのは、とても現実離れした光景に見えた。
その中で、奥様の華やかな微笑みだけが異質だった。
侯爵夫人の笑顔に気を取られてしまったけど、そういえば小さな子がいるのだったとハッとした。先ほどの罰を見てしまっただろうか。
慌てて隣を見ると、白いふわふわの物体が、イヴちゃんの顔面に貼り付いていた。
「ぎゃっ!イヴちゃん!?」
その白い物体を引っぺがす。仔犬化したお父さんだ。
イヴちゃんは、ぷはっと息をすると、キョトンとして私を見た。どうやらお父さんが咄嗟に顔に貼り付いて、先ほどの処罰に気付かなかったようだ。
やり方はアウトだけど、お父さん、グッジョブ!
お父さんは喋らないでもらって、レジェンドであることは隠しておいて正解だ。
いくらガルたちが人間の生活様式に慣れているとは言っても、やっぱり魔獣を領主様と同席させるのはお城の人たちが嫌がった。だから、今子供たちは別室で控えている。お父さんだけはペットとして連れているワンちゃんと説明したので、受け入れてくれたんだ。
幼体化すると、本来の魔力とか魔獣の気配とかが消えるみたいだから、ちょうど良かったよ。まあ、お父さんの能力も全て使えなくなっているけど、いざとなったら自分で元の姿に戻れるようになったらしいから、そこは何も心配してないけどね。
「まあ、可愛らしいですわね。お名前は?」
先ほどの事が何もなかったかのように、夫人がコロコロと笑って尋ねた。その尋ねた先が私だったから、思わず硬直してしまった。
「は、はい、その子はふぇんり……」
私が緊張のあまり、思わず途中まで言いそうになってしまい、隣に座った有紗ちゃんに軽く脚を蹴られて我に返った。
けど、夫人が「フェンリ?」と聞き返してくる。
「ふぇ、フェンリエッタ!」
誰だ!?って、みんなの視線が一斉に私に向く。
「あら、男の子かと思ったけど、女の子なのね」
更に焦った私の脳裏に、近所にいた白いワンちゃんたちの名前がふと思い浮かんだ。
「ペ、ペルぽんた・太郎です!」
「そう。フェンリエッタ・ペルポンタ・タロウちゃんと言うのね」
夫人が優しい笑みを浮かべてお父さんを見る。疑われてないようだ。
それだけ見ると、動物好きのとてもいい人そうに見える。私は何とか乗り切ったと、安堵のため息を吐いた。
『『『アホ!』』』
王子と殿下と有紗ちゃんから、冷たい視線とともに、口パクで怒られた。あと、お父さんも私の手をガブガブと噛んでいる。
と、取りあえず誤魔化せたからオッケー!
その場は、礼儀に則ってお茶一杯を飲んで終わった。この後は、晩餐まで部屋でゆっくり休んでと領主様に言われたよ。ホッ。
晩餐は、殿下と王子と有紗ちゃん、ユーシスさんが出ることで話しがまとまっている。他の人達は、それぞれ従者としての役目があるけど、私はガルたちやイヴちゃんのお世話があるから、部屋で夕食を取ることになっていた。
部屋に戻る途中、領主様から離れてやってきた夫人に呼び止められた。イヴちゃんと手を繋いで、お父さんを右手で抱っこしていたのを、奥様が見て微笑んだ。
「小さな淑女さん。素敵な鞄ね」
イヴちゃんと目を合わせるように、ドレスが床に付くのも厭わずにしゃがんだ。イヴちゃんにはいろいろなものを入れたポシェットを持たせている。イヴちゃんも気に入ってくれていて、それを褒められたからか嬉しそうにしている。
本当に、先ほどの罰で見せた残酷さが嘘のようで、子供が好きそうに見えるよ。
そして、お父さんを撫でたいと言って、いいかしら、と私に許可を求めた。奥様は女性にしては長身で、少し見上げるようだった。
「可愛いわ。ポンちゃん?」
意外とネーミングセンスが私に似ているようで、親し気にお父さんを呼ぶ名前に親近感を覚えた。お父さんも、絶世の美女に撫でられて満更でもない様子。
最後に、夫人は身体を少し屈めて、お父さんの額にチュッとキスをした。そして、その身体を起こす時に、私に最接近した。
「貴女みたいな美味しそうな子は、この城ではすぐに食べられてしまうわ」
そっと、私だけに聞こえるような声。とろりとした蜜のように、甘く耳に貼り付くようだった。そのまま、耳を掠めた唇で、私の頬にもキスをした。
「可愛い異世界人さん」
あまり甘くないウォーターリリーの仄かな香りに包まれる。ひんやりとした指が、私の頬をするりと撫でていき、最後に血のように赤い夫人の瞳と視線が合った。
「夫人よ。客人に対しての礼儀ではないな」
イリアス殿下が、夫人に抗議する。と言っても、親愛の挨拶の域を出ないから、それほど強く言った訳でもない。
でも、イリアス殿下の声って威圧感があるから、普通の女性だったらビビッてしまうけど、夫人は楽しそうにコロコロと笑った。
「わたくし、可愛いものに目が無いもので、つい。失礼いたしました」
持っていた黒い扇子を閉じたまま顎に当てて、小首を傾げるようにする。
「セウェルスに獲られたくなければ、大事なものはしまっておかれますように、殿下」
そう言って、夫人は優雅な所作で淑女の礼をして離れた。
夫人が去ると、身分が高そうな服を着た執事長(多分セバスチャン)が私たちを部屋へ案内してくれた。この人は、凄く丁寧で礼儀正しかったけど、必要最低限のことだけを話して、決して私たちとは打ち解ける雰囲気じゃなかった。
用意してもらった部屋は、ガルたちや有紗ちゃん、イヴちゃんと同じ部屋にしてもらったので、私たちの部屋が一番大きい。お父さんが元の大きさに戻っても大丈夫だ。玄武さんは、ちょっと天井が近いかもしれないけど。
何となく、みんな私たちの部屋に集合した。そして、イリアス殿下が弱めの「断絶」を部屋全体に掛けて、盗聴とかされないようにスタンバイする。
それを確認して、私はイヴちゃんからポシェットを預かると、蓋を開けて、中から手のひらサイズのフィギュアみたいなものを取り出した。
『ぷは。娑婆の空気は美味しい』『娑婆って言うな』
そこには、手のひらサイズになった玄武さんがいた。
メイさんが言うにはこの状態は〝第四形態〟と言うらしく、元の大きさ、手のひらサイズの人化、いつもの小さいサイズ、そしてこのフィギュアサイズの四形態になれるようだ。
何故か最後のだけを〝第四形態〟って言うらしい。……絶対聖女夕奈さんが教えたよね。
それはともかく、玄武さん情報は領主様には伝えてなかったので、お父さんと同じようにペットで行こうとしたけど、蛇が絡んだ亀なんて特殊な形態のペットはいないってことで、こんな形で同行してもらうことになった。イヴちゃんの身の安全を確保するためだ。
夫人がポシェットに興味を示した時、一瞬焦ったよね。とりあえず、可愛らしいと褒められただけだったからホッとした。
玄武さんはいつもの小さいサイズに戻ると、定位置になりつつあるユーシスさん抱っこに収まった。『『落ち着くわ』』と夫婦揃ってユーシスさんの膝で寛ぐ。
「おじちゃん!」
みんなが落ち着いた時点で、空気を読んだイヴちゃんが、ようやく変装を解いたイヴァンさんに抱き付いた。最初変わったイヴァンさんに驚いていたけど、勘のいい子だからすぐに変装したイヴァンさんの時は知らないふりをしてくれた。でもやっぱり、元のイヴァンさんの姿が一番好きみたいだ。
ちなみに、幼体化したお父さんは、王子が抱っこして、骨の形のおやつをあげている。レアリスさんもお父さんに乗ってから大丈夫になったのか、ガルとなら「お手」ができるようになったんだよ。スコルとハティにはまだ、フライングディスクで遊ぶの止まりだけどね。
イヴちゃんが緊張を解いたのか、少し眠そうにしたから、ソファで子供たちとお昼寝をさせてから、本格的な話し合いを始めた。
「それで、奴隷契約をした時の声の主はあの中に居たか?」
イリアス殿下が、イヴァンさんに大切なことを聞いた。イヴァンさんも慎重になりながらも頷く。
「おそらく、あの場にいた女性はあの侯爵夫人で間違いない、かと」
飼い主が分からないよう、魔術と薬の影響で酩酊状態になっていて、その時は詳細な会話まで思い出せないらしいけど、確かに夫人の声を聞いたと言った。
そして、もう一人、先ほどのやり取りで聞いたことのある声の持ち主がいたらしい。
少し、イヴァンさんが困惑した様子で説明した。
「俺が何故、飼い主から逃げ出せたか言ってなかったですが、実は、逃げるのを手引きしてくれた人間がいたのです」
その人は、奴隷紋の制約の痛みを和らげるよう、減殺する魔術を掛けてくれて、一族の宝剣カラドボルグの在処を教えてくれたらしい。先ほどはほんの一言を聞いただけだったので自信はないけど、おそらくそうだと思う、と言った。
「先ほど、メイドを連行した、あの使用人の男です」
メイドさんを連れて行くときに、「立て」と一言だけ、小さな声で言ったらしい。
もし、イヴァンさんの主が夫人だったら、その男の人は主人に背いているということになる。
どこまでが誰の意思で、誰がどのような思惑で動いているのか、イヴァンさんがもたらした情報で余計に混迷してきてしまった。
「おい、ペルポンタ」
『誰が、ペルポンタだ!』
「あんたなら、魔術の匂いとか気配が分かるんだろう?」
王子がお父さんに問いかける。それにお父さんは鼻で嗤った。
『この姿は、ただの可愛い仔犬という能力しかない!』
「クソ、可愛いだけかよ。仕方ねぇ、最高だな」
この二人の会話がおかしいことに、この二人だけが気付いてない。
『私は、魔術の気配を感じ取った』
そこにメイさんが得意げに言った。凄い。メイさんはそういうの専門だものね。
『小娘の鞄の中にいたから、姿は特定していないが、我らの左側にいた』
イヴちゃんと一緒にいたメイさんから見たら、そっち側はホスト席だったよ。
「……侯爵家のほとんどの人間がそちらにいたな」
冷静なイリアス殿下のツッコミに、メイさんががーんとなっている。
貴重な意見をありがとう、メイさん。
と、そこに、部屋のドアがノックされた。
「クレイオスです」
あ、アズレイドさんが帰ってきた。アズレイドさんは、殿下とか王子の部屋に異常が無いか確認して別行動だったけど、戻って来たみたいだ。
殿下が結界を緩めて、レアリスさんがドアを開けると、アズレイドさんがお手紙を預かってきたと言って、イリアス殿下に渡していた。どうやら領主様からのようだ。
殿下が封を開けると、目を通してすぐに王子に投げて寄越した。
「晩餐の前に茶会の誘いだ」
貴族って大変だ。何事をするにも今回の手紙みたく、先触れを出して了承を得なくちゃいけないし、ただの話し合いじゃなくて、社交を絡めないといけないんだもの。
「どうやら、勇者関連の情報を餌に、異世界人との繋がりの実績が欲しいようだな」
王子も手紙を読んで顔を微かに顰めた。
「ハル、アリサ。お前らも出ろ、だと。勇者のことで聞きたいことがあるみたいだ」
それは、行かないとダメだよね。
本当は、茶会用の服なんてないって、断りたい。でも、あるんだな。イヴァンさんの近衛服を出したときに、ドレスのラインナップがあるのを。
「護衛は二人までだな。じゃあ、ここには、レアリスとアズレイドが残れ。ガルたちも頼むぞ。イヴを俺たちから引き離すためかもしれないからな」
『分かった。変な人間は、とりあえず噛んでおく』
王子が頼むと、ガルが頼もしく請け負ってくれた。
イヴちゃんは、失踪したイヴァンさんの手掛かりになるから、悪い人たちがやって来るかもしれない。ガルたちがいれば、命の危険はないけど、対人の計略とかは人間がいないと防げない。イヴァンさんは引き続き、犯人の特定にイヴちゃんと離れなければならないから、余計にその配慮が必要だった。
幸い、イヴちゃんはレアリスさんに慣れているからね。
そんなこんなで、身支度をしてお茶会に参加することになった。
「ペルポンタも参加していいそうだ」
『……ペルポンタはやめろ』
王子がお父さんを連れて行くことを相手に伝えてくれた。玄武さんは引き続き第四形態で、今度はユーシスさんのポッケに入ってもらうことになった。護衛とは言っても、ユーシスさんの身分は高いから、いざという時にフットワーク軽く動けるからね。
そんなわけで、お呼ばれした西側の庭園にレッツゴーだ。
お茶会は、この国では大まかに男性と女性は、別れて席に着くようだ。男性には男性の、女性には女性の社交の仕方があるんだろう。まあ、離れていると言っても、数メートル離れているだけだけどね。
王子たちと別れて案内されると、用意された席の近くに、この茶会に参加すると思われる貴族のご婦人たちがお喋りをしていた。
ああ、内々のお茶会じゃなくて、結構本格的なやつなのかな。「どうせ、王族と繋がりたい侯爵の縁者の下級貴族が嗅ぎ付けたんでしょ」と有紗ちゃんがこっそり教えてくれた。
まあ、地方にいる貴族なら、王族に会うなんて滅多にない機会と言えばそうだね。
そんなご婦人たちが、私たちを見つけて群がって来た。ほぼ有紗ちゃんにだけど。
わちゃわちゃと挨拶をされて、私は久しぶりに人見知りをして目が回ったけど、有紗ちゃんはこういうのに慣れているのか、そつなく挨拶をこなしている。
前に、セリカ行きの壮行会の時にも思ったけど、貴族のご婦人ってお化粧と香水の匂いで結界でも作っているのかな。それに、矢継ぎ早に話されて、もう何の会話か分からなくなってきた。
どこの世界でも、女性が三人いれば姦しいって、同じなんだね。
「そういえば、聖女様は侯爵夫人のお話、ご存知でしょうか?」
その中の少しふくよかなご婦人がそう切り出した。「異世界からいらしたから、あまりお詳しくないと思いまして」と、親切心を押し出してちょっとマウントを取る感じ。前にもこんなやり取りあったような気がする。
「あの黒髪、異世界からお越しの方と違って、身分の高い人間の髪色で黒髪はおりませんの。夫人は今でこそ侯爵夫人を名乗ってますが、以前は救済院にいた孤児だったのを、容姿を買われて嫁ぐ前の伯爵家に拾われたんですのよ。それまでは、物乞いで生きていたも同然の生活だったとか」
聞いたことがある。髪色が濃いのは、身分が低い人に多いって。
だから、私もこの世界に来た時に、眼鏡をしていたのもあったけど、髪色も濃いから低く見られていたんだった。有紗ちゃんは綺麗な明るい栗色だけど、私は少し茶色の入った黒髪だからね。
今も、ご婦人方の視線が、ちょっとそういう風に言いたそうに見える。
有紗ちゃんが呆れたようにご婦人方を見た。結構不愉快そうだけど、ご婦人方はそれに気付かない。
「それにあの瞳。赤い瞳は、魔物の血を引いていて、不吉だと言われていますわ。ですから、人の生き血を飲むなんていう噂もございますのよ」
その噂は、確かにイリアス殿下も言っていた。ただ、殿下はそういう噂があると淡々と事実を言っていただけだけど、ここの御婦人方は、さもそれが真実であるかのように、悪意を持って話している。
まるで、自分たちより身分の高い夫人を、引きずり下ろしたいかのようだ。ううん。そういう方法でしか、自分たちを上に見せる方法が無いんだ。
「そういえば、侯爵夫人のような真紅ではないですが、この国の王太子であるレイセリク殿下も綺麗な葡萄酒のような瞳をされていらっしゃいますね」
私はちょっと腹が立って、思わずレイセリク殿下の赤みの強い紫の瞳を引き合いに出した。
ごめんなさい、殿下。ちょっと虎の威を借りる狐になります。
厳密に言えば、赤紫と赤は違うけど、印象的に言いきった方がいいよね。瞳の色を直接見られる程、私は王族の近くに寄れる人間なんだって。
「え、あ、いえ、私が言いたいのはそういうことではなく……」
私のことも低く見ていたのが丸わかりの態度だったけど、私が王族と繋がりのある人間だって、改めて気付いて焦っているようだ。
そんなにすぐ掌を返すようなら、最初から人の陰口なんて言わなければいいのに。
目を逸らして口を噤み始めたご婦人たちを見て、有紗ちゃんが私にニコッと笑った。
「波瑠って、こういうことも出来るのね。だから好き」
有紗ちゃんからの褒め言葉は嬉しかった。
でも、できればもうこんな権力を振りかざすようなやり方はやりたくないな。
ちょっと自己嫌悪に陥っていると、石畳を歩くコツンという音が聞こえた。
「楽しそうなお話。遅れてしまい申し訳ございませんが、もう一度どのようなお話だったかお聞かせいただけます?」
そう言って、物憂げに首を傾げるのは、話題の主役だった侯爵夫人その人だった。
「あら、いつもはご親切にお教えくださるのに、ねぇ、コッタ子爵夫人?」
先ほど言い淀んだご婦人にそう問いかける。コッタ夫人と呼ばれた人は、気まずそうに扇子で口元を覆いながらも、侯爵夫人へ恨みがましい視線を向けた。
もしかして、堂々と振舞っているけれど、侯爵夫人の立場って、思っているような独裁的でも、権威的なものでもないのかもしれない。
「公正なお言葉をいただき、ありがたく存じます」
柔らかい微笑みを浮かべて、侯爵夫人がお礼を言った。
まるで、初めて庇われたとでも言うように、高い崖の上に独り立つような、そんな危うさ。
そう言った夫人の赤い瞳が綺麗で、私は少し寂しさを覚えた。
ネーミングセンスって、作者が計画性の次に欲しいものです。
無いものはパク……オマージュで乗り切るしかない、そう開き直る今日この頃。
いや、あくまでオマージュですよ。