幽霊画の悔恨
貴様 二太郎様のイラスト(https://12855.mitemin.net/i481514/)を、イメージイラストとして使用させて頂きました。
貴様 二太郎様、イラストの使用を御快諾頂きありがとうございます。
午後五時を過ぎた堺県立歴史博物館は、昼間の人気がまるで嘘みたいに静まり返っていた。
閉館準備をしている学芸員達が残っている事務室ならまだしも、非常灯以外の明かりが消灯された展示室は、殊更に静かで物寂しい。
だが展示品である私にとって、来館者の帰った閉館後の夜は、ホッと一息つく事の出来る憩いの時間だった。
「やれやれ…今日も無事に、御勤めが終わったねぇ…」
来館者の衆目にさらされる緊張感から解放された事で、愚痴と一緒に溜め息が漏れてしまう。
とはいえ、私の溜め息は鼻と口からだけじゃなく、左の頬からも漏れてくるのだけど。
何せ私の両手と顔の左側は、真っ白い骸骨になっているんだからね。
応挙の流れを汲む円山派の絵師が描いた幽霊画「骨女乃図」とは、何を隠そう私の事だよ。
顔の左半分が骸骨になった強面に凄味があるからか、普段の特別展ではなかなか出番を頂けない私だけど、今年の夏期特別展は幽霊や妖怪を題材にしているから、割と目立つ位置に展示して頂けてね。
オマケに「一つの顔に生と死の両面を共存させた本作には、九相図にも通じる生命の儚さが表現されています」なんて、結構な解説音声も作って貰えたんだ。
こんな厚遇に恵まれたんだから、今回の夏期特別展を企画してくれた学芸員の皆さんには、感謝してもしきれないよ。
だけど何より喜ばしかったのは、妹分に巡り会う事が出来たって事だね。
「御疲れ様で御座います、御骨の姐さん。」
鈴を転がすような澄んだ声で私に呼び掛けてくるのは、私の右隣に展示された一幅の幽霊画だった。
幽霊画とは言ったけれど、私みたいに一目見ただけで背筋が冷えるような恐ろしい面構えをしている訳じゃないよ。
紫色の矢絣模様の着物に、島田髷に結った艶やかな黒髪。
いかにも武家の腰元らしい清楚な装いは、儚げな細面の白い美貌を殊更に際立たせていた。
享保の頃から歌舞伎や浄瑠璃の題材として愛されてきた、播州皿屋敷の腰元お菊を描いた幽霊画。
その美しさたるや、手にした皿と背景の井戸さえ無ければ、穏当な美人画にしか見えないんだもの。
同じ円山派の絵師の筆で描かれた幽霊画だというのに、こうも違うんだから驚かされるよ。
絵の方向性こそ違うけれども、同じ絵師に描かれた私とお菊は、言うなれば姉妹の間柄。
自分より先に描かれた私の事を、お菊は「御骨の姐さん」と呼んで慕ってくれているんだ。
そうなると私の方でも、お菊の事を妹分のように思えてきてさ。
客足の絶えた閉館後には、四方山話に花を咲かせた物だよ。
その日の来館客を振り返ったり、この夏期特別展で顔合わせするまでの自分達の経緯を語り合ったり。
堺県立歴史博物館の所蔵品の割には、館内展示の機会に恵まれなかった私だけど、代わりに御寺さんでの展示は何度かあってね。
色んな御寺さんの庵を巡った時の思い出話を、お菊は興味深く耳を傾けてくれたんだ。
と言うのも、お菊は個人の所蔵品で、今までは一握りの人間にしか観られた事がなかったんだよ。
それが特別展で衆目に晒される事になった訳だから、色々と気苦労が多かったらしくてね。
私も姉貴分として、お菊の世話を何かと焼いたもんさ。
とはいえ、今年の夏期特別展「妖怪と幽霊の世界」も、今日が最終日。
明日になれば、お菊と私はまた別れ別れの身の上だ。
「次の奉公先は決まってるのかい、お菊?」
「はい、御骨の姐さん。帝都の現代美術館へ行く事になりました。幻想絵画展の日本画部門に展示されるのです…」
鈴を転がすような返答の声は、普段よりも儚げで物寂しい。
お菊の奴も、私と別れるのが寂しいんだろうな。
「そうかい。お菊みたいな綺麗所は、周りが放っておかないんだねぇ…」
冗談めかした声色が空元気だって事は、私自身が重々承知していた。
お菊と共に過ごした二ヶ月間は、私にとって楽しい毎日だった。
懇意にしていた妹分との別離に、平静でいられる筈がない。
「私の方は相変わらず。堺県内にある真言派の御寺さんに貸し出される事になってるよ。またぞろ、若い修行僧を怖がらせてやろうかねぇ?」
とはいえ、こんな強面の私が煮え切らない振る舞いをしようものなら、幽霊画としてのメンツは丸潰れ。
何より、姉貴分としての沽券に関わってしまうよ。
今回の夏期特別展の会期満了を、お菊と私の新たな門出にするべく、こうして努めて明るく振る舞っている訳さ。
もっとも、所詮は空元気。
お菊を元気付けるには力不足だったようだよ。
「私、帝都での御奉公には気が進まない…こちらでの御奉公以上に、目垢が付いてしまうようだから…」
「お菊…」
堺県立歴史博物館の開設間もない大正の御世に寄贈されて以来、色々な御寺さんや資料館に貸し出されてきた私と違い、お菊はずっと個人宅で飾られていた訳だからね。
不特定多数の目に晒されるのは、結構きつかったんだろうな。
「代々の旦那様は、御家族や限られた御客様にだけ、私をお見せしていたというのに…御当代様は何故、私を晒し者に…」
−優れた美術品は、万人が等しく愉しむべき。
お菊の絵を相続した堺商人の末裔は、そんな美術愛好家的な使命感の持ち主だったらしい。
そこで先祖代々の慣習に逆らい、お菊を特別展に貸し出したという次第だ。
「私も、お菊の帝都行きに付き添ってやれたら良かったんだけどねぇ…」
とはいえ、お菊も私も所詮は一幅の幽霊画。
それは叶わぬ願いだったんだ。
「まあ、気張ってきなよ。帝都の美術館にも、気の良い幽霊画はいるはずだからさ。」
こんな気休めの言葉を掛けてやるのが、私には関の山だったよ。
そうして翌朝を迎えた私達は、堺県立歴史博物館から搬出され、各々の次なる展示先へ運ばれて行ったんだ。
お菊の後の去就を知る機会は、意外と早く訪れた。
それは、御寺さんへの貸し出し期間が満了し、歴史博物館の学芸員が私を引き取りに来た時の事だったんだ。
「そう言えば…これと同じ絵師の描いた幽霊画が、行方不明になったんですよね?」
「仰る通りです、住職さん。『播州皿屋敷お菊之図』は、当館で展示した後に帝都現代美術館へお貸ししたんですが、向こうでトラブルがあったようで…」
それは、お菊の絵の正式名に間違いなかった。
「しかも、持ち主の方まで行方が分からないのでしょう?」
「警察にも捜索願が提出されていて、『連絡が来ていないか?』と当館にも問い合わせがあったんですが…」
これは恐らく、お菊の仕業に違いない。
私はそう確信したよ。
博物館や美術館に展示されて目垢が付く事に、あの娘は最後まで乗り気じゃなかったからね。
持ち主の実業家まで神隠しに遭わせてしまった理由は、自分を晒し者にした事への恨み節からか。
それとも、「余人の介入出来ない異界で、自分だけを見て貰いたい」という、絵画から所有者へ向けた歪んだ愛情からか。
それは恐らく、お菊に聞かなきゃ分からないだろう。
私が分かる事は、お菊はもう二度と帰って来ないって事だけ。
−あの時、あの娘の苦悩にシッカリと向き合っていたら…
そう思うと、悔やんでも悔やみ足りないんだ…