其の二 国庫が財布
「姐さん!」
ぼんやりと考えを巡らしていたら、突然ギーに呼びかけられた。
「えっ? 姐さん? わ、わたしのことですか?」
「そうだよ! おいらは名乗ったけど、姐さんの名前、まだ聞いてなかったから」
「ああ、そうでしたね。わたしの名は、レオンティ……じゃなくて、レオン! 吟遊詩人のレオンですよ!」
「吟遊詩人かぁ! すごいなぁ! いろんなところを旅しているんだろう?」
「そう、ですね……」
ははは! 「まだ、吟遊詩人三日目です!」とは言えない。もちろん、リュートも歌も自信はある。しかし、王宮やサロンで評判が良かったからといって、町の人々にも受け入れられるとは限らない。所詮は、貴族令嬢の暇つぶし程度の腕前かもしれないのだ。
ギーを旅に誘うにしても、わたしが立派な吟遊詩人であるところを見せて、信用させないといけない。どうしたものだろうか?
ギーが、さっと立ち上がった。わたしの方を見て、少し悲しそうな顔をして言った。
「レオン姐さん。おいら、もう行くよ。オーバン旦那の所へ行って、やっぱり掏摸はやりたくないって言ってくる。最初に狙った人が姐さんで良かったよ。おいらを止めてくれてありがと! じゃあね」
じゃあねって! あなたはわたしの旅仲間になるんだから、勝手に退場しないで! 何? 誰よ、オーバン旦那って? こんな子どもに掏摸なんかさせるって、どういう人間よ?
「お待ちなさい、ギー! わたしも一緒に行きます!」
「えっ? そんなことしたら、姐さんに迷惑かけちまうよ!」
「大丈夫! わたしを誰だと思っているのです?」
「知っているよ、吟遊詩人のレオン姐さんだろ?」
そうだった! 今は、ただの吟遊詩人のレオンだった。王宮を騒がせた悪玉令嬢でもないし、国王陛下の命を受け、世直し旅をする密偵というのも秘密だし――。
でも、このままギーを行かせたら、ギーは、オーバンにお仕置きされて、最悪の場合、簀巻きにされて川に捨てられてしまう――かもしれないのだ。前世で見た物語では、そんなことがしょっちゅう起きていた。だから、絶対に一人で行かせるわけにはいかない!
「そうですよ! この吟遊詩人のレオン姐さんに、全てお任せなさい! 悪いようにはいたしませんから!」
ちょっと、ギーが不安そうな顔をしている。まあ、大きいことを言ってしまったけれど、ほとんど根拠がないから、不安に思われてもしかたがないわね。ただ、わたしは確信している。この旅は、必ずわたしが望むように展開していくのだと! 任せておけと言ったら、任せておけい!
ギーに案内され、オーバンの店を目指す。ギーによると、この町には二人の有力者がいるとのことだ。二人とも領主であるサウミガーレ伯爵から、町名主を拝命している。
一人は口入れ屋のディディエ親方。代々町名主を務め、口入れ屋として人々に仕事を斡旋したり、領主から命じられた土木作業のために人を集めたりしている。一方のオーバン旦那は両替商だが、二年ほど前に新たに町名主になった。高利で農民に金を貸したり、行き場のなくなった子どもたちに違法なことをさせたり、町名主にあるまじきことを裏でやっているそうだが、伯爵家と繋がっているらしく、捉えられたり罰せられたりしたことはないという。
「おいらの他にも、十人ぐらいの子どもが雇われているんだ。飯は朝夕の2回、毎晩屋根のあるところで寝られる。居酒屋や宿屋の下働きを手伝ったりもするけれど、兄貴たちから掏摸の手業やナイフの扱い方を教えられて、危ない仕事も覚えさせられる。そっちの方が金になるからね」
「そんな人が町名主だなんて! どうして、領地家令は見逃しているのですか?」
「オーバン旦那は、領地家令のアルエ様と通じているんだよ。細かいことはわからないけど、アルエ様の奥方は、オーバン旦那の妹だってことだし、いろいろと助け合っているんじゃないかな」
ああ、やっぱり! よくある話よね。領地に無関心な領主のもとで、悪い領地家令が好き勝手をして私腹を肥やす。領地家令は、阿漕なことをする連中と結託していて、自分に楯突く者がいれば、そういう連中の力を借りて始末する。
えっ? ひょっとして、誰かもう始末されちゃっているのかしら?
話をしているうちに、両替商の看板が見えてきた。店の隣には納税所があって、両替商でお金を借りた人たちが、そのままそこで税を納めている。ここも、領地家令がオーバンに委託してやらせているのだろう。どこまで癒着しているのやら。
店の前には、番頭と覚しき悪党面の男が立っていた。ギーとわたしに気づき、向こうから声をかけてきた。わたしのことはとりあえず無視して、ギーを荒っぽく脅かした。
「おう、おめえ、ギーじゃねぇか? 今日は初仕事だったよな? こんなところで何してるんだ?」
ギーが、すっとわたしの後ろに隠れた。いつも、この男に虐められているのだろう。わたしは、ギーを庇いながら、男の前に進み出て穏やかに言った。
「すみません。わたしは、王都から参りました、吟遊詩人のレオンと申します。この町で商売をするには、町名主のオーバン旦那にご挨拶しておいた方がいいと聞いて、この子に案内してもらったんですよ。どうか、この子を責めないでくださいな」
「なんだ、そういうことか。今、旦那様はお留守だが、大番頭のエリクさんがいらっしゃる。話をきいてもらいな。ギーは、さっさと市場に戻って、もう一稼ぎしてこい! 早く行け!」
こうなることは、想定済みだ。こうなったときは、ギーには、冬の神殿の前の石段で待つように言ってある。ギーが、心配そうにわたしを見たが、「大丈夫」と口だけ動かして伝える。
店の中には、両替や借金の相談をする窓口が三つあり、それとは別に、「万相談事」という窓口が一つあった。大きな商談などをするときは、奥にある小部屋を使うのだろう。
わたしは、「万相談事」の窓口へ行き、旅手形を見せながら言った。
「王都から参りました、吟遊詩人のレオンと申します。これからしばらくの間、このオルワランダの町で商売をさせていただこうと思いまして、こちらにご挨拶に伺いました」
わたしの話を聞き終わると、窓口にいた若い男は、奥の机で何かの書類を見ている背の高い男の所へ行った。その男が、大番頭のエリクなのだろう。やがて、窓口の男は奥へ下がり、エリクが窓口へやって来た。立派なあごひげを蓄えているが、見た目よりも若い男のようだ。
「吟遊詩人のレオンさん。早速、挨拶においでになるとはいい心がけだよ。この町での商売のルールは簡単だ。姐さんのような大道芸人は、一日につきアベスコ銀貨二枚を、営業税としてとなりの納税所に収めることになっている。
営業税を納めれば、営業許可証がもらえるよ。営業許可証を持たずに商売をすると、お役人に捕まったり、罰金を取られたりするから注意しなよ。
足りないときは、うちで借金をして納めればいい。ただし、うちはそれなりの利息をいただくのでね。しっかり稼いで、借金はしないように気をつけた方がいいよ」
「わかりました。ありがとうございます」
アベスコ銀貨二枚だって! 大道芸人の一日分の営業税としては高すぎる! うちの領地では、そんな名前で旅芸人から税金は取っていない。旅芸人には旅人税を課しているのだから、それで十分なはずだ。
要するに、多額の税を課して、この両替商で借金させることが目的なのだろう。借金が返せなくなった芸人たちは、どこかに売られたり、農奴にされてただ働きをさせられたりするに違いない。
仮に、商売が上手くいって、たくさんチップをもらったりすれば、帰り道でここの店が雇っている危険な連中に襲われて、稼ぎをそっくり奪われるということになるのだろう。
前世で見た物語にも、そういう酷い話があった気がする。ギーの話では、こういう悪事を取り締まらなければならない領地家令も仲間だっていうんだから、どうしようもない。
わたしは、ついでのように、ギーのことを持ち出した。
「あのう、こちらでギーという子が、お世話になっていたようなのですが、実は、わたしの知り合いの子どもなのです。できたら、弟子にしてリュートを教えながら、旅の供をさせたいと思っています。今まで、お世話になったお礼をしたいのですが、いくらぐらいお渡ししたらいいですか?」
エリクは、眉間に皺を寄せ、ジロリとわたしを見た。不本意ではあるが、これは、ギーを買い取るという交渉だ。ギーを自由の身にしなければ、この町から連れ出すことはできない。
「そうかい。ギーを引き取りたいのかい。ギーはなぁ、なかなか筋のいい子でね。将来、いい稼ぎ手になるに違いないんだよ。もちろん、このひと月あまり、飯を食わせベッドで寝かせ、それなりに金もかけてきたしね――」
ええ、ええ。そうでしょうとも。でもね、あなたの持ち物じゃないですから、所有権を主張するのは間違っていますよ! 彼は、奴隷ではなくて、本当は自由民ですからね。もう、とっとと、金額を言え!
「そうさなぁ。全部合わせて、ビエルカ大金貨三枚というところかな? これでも、お買い得だよ!」
本気で言ってんのか! ビエルカ大金貨三枚あれば、馬車が買える(馬は別だけどね)! 全く、こっちの足下につけ込んで、そこまで吹っかけてくるとは! でも、ここは冷静に対応しなければならない。話がこれ以上進まなくなるのは困る。
「……わかりました。じゃあ、ビエルカ大金貨3枚お渡しします。今から、ギーはわたしの弟子です。今後は、いっさいあの子に構わないでくださいね! 今まで、ありがとう、ご・さ・い・ま・し・た!」
わたしは、ズボンの下に巻いた帯の金入れから、ビエルカ大金貨3枚を取り出し、エルクに叩きつけてやった。エルク! そんな大金をわたしが持っているわけがないと思って、吹っかけてきたのだろうが、残念だったね! わたしの後ろ盾は、国王陛下なのだ! 財布は国庫! なめるんじゃない! おまえはずっとそうやって目を丸くしていろ!
何事かと集まってきた、店の番頭たちを押しのけて、鼻息荒く店を出た。となりの納税所で、三日分の営業税を払い営業許可証をもらう。ちょっと腹立たしい気分だったが、これで、ギーは自由の身になったし、わたしも商売が始められる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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