其の五 リーシェレーバン大浴場
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約束通り、食堂の支払いは、ルジェクが引き受けてくれた。ミロシュへのチップも、随分弾んでいたようだ。店の出入り口まで送ってくれたミロシュの「また来いよー!」という呼びかけに、ギーは嬉しそうに手を振っていた。
ルジェクもそうだが、ミロシュもいい人だ。わたしが、幼なじみのヴァーシルの嫁だと聞いたから、いろいろと気をつかってくれている。嘘をついているのが、だんだん心苦しくなってくる。
「ルジェクさん……、すみません……」
「何だよ、リオーナ? 気にしなくていいよ。たいした額じゃないんだから。それより、ヤンがこの町の料理を気に入ってくれて、おれはすごく嬉しいんだ」
「ありがとうございます。わたしも、とてもおいしくいただきました」
わたしの言葉を聞いて、ルジェクがプッと吹き出した。えっ? 何か変なこと言ったかしら?
「何だか、他人行儀だなあ。もっと、気安く話してくれないか? あと、おれのことは呼び捨てでいいよ。」
「呼び捨てで、気安く……ですか?」
わたしが困っていると、横合いからギーが、おいらに任せろとでも言うように、ポンポンと胸を叩いて、ルジェクの方へ歩み寄った。そして、変なしなを作りながら、
「ありがとう、ルジェクゥ! すんごぉく、おいしかったわぁ! たぶん、あなたと一緒だったからよねぇ!」
と言って、ルジェクに抱きついた。急に抱きつかれたルジェクがどぎまぎしている。まったくもう!
わたしは、コホンと一つ咳をして軽くギーを睨んだ。ギーは、悪びれもせず「ヘヘッ」と笑った。
これでいいのか、よくわからないのだけど、思い切ってルジェクに言ってみた。
「わかったわ、ルジェク。ヴァーシルの友だちであるあんたは、わたしにとっても友だちだものね! 変に気をつかうのはやめるわ! 今日はありがと! ――と、こういう感じで、いいですか?」
「はぁっ? ハ、ハハ、ハッハッハッ……、アッハッハッハッ……!」
道の真ん中で、大笑いされてしまった。ギーまで一緒に笑っている。いったいどうしろっていうのだ!
「もういいよ! 好きにしてくれ! リオーナが言いやすいように言えばいいさ。さあ、保養施設へ行くぞ! 外見もだが、内部はもっと素晴らしいんだ! 二人とも、びっくりするなよ!」
ずんずん前へ進んで行くルジェクのあとを追いかけ、ギーとわたしは、先ほどの巨大な建物の前に辿り着いた。アーチ型の窓が幾つも並ぶ、二階建ての豪壮な建築物。近くで見ると、その煌びやかな装飾や優美な佇まいに圧倒された。昼間だというのに、たくさんの人が出入りしていた。
ギーを間に挟んで、三人で手を繋ぎながら、わたしたちは、リーシュレーバン大浴場の入り口の階段を上っていった。
入り口を入ってすぐに、受付の窓口があった。ここで、利用料を払ったり、湯浴み着を借りたりするらしい。玄関の天井には、森で温泉を楽しむ妖精たちが極彩色で描かれていた。着替えや休憩の部屋、そして、マッサージ室などは、男女が別になっているようだが、建物の中央にある円形プールや中庭の屋外浴槽は、男女一緒である。
わたしも入ってみたかったのだが、あとでレニタに怒られそうな気がしたので、ルジェクにギーを頼んで、二人で温泉に入ってくるように言った。湯浴み着を借りた二人は、手を振りながらたてものの奥へ消えていった。
わたしは、その間に飲泉を楽しむことにした。受付で飲泉カップを買って、飲泉場へ向かう。
飲泉場は、整形庭園の入り口に建つ別棟にある。小さなドーム型の建物の中には、何人かの飲泉師がいた。ここでは、飲泉師が、客の求めに応じて6種類の湧きだし口から、最適な温泉を選んで適量をカップに注いでくれる。
怪我や持病がある者に対しては、温泉医師が書いた処方箋にしたがって、温泉の種類だけでなく、時刻や量も決められ、治療としての飲泉が指示される。
わたしが、張り出された効能書きを見ながら、どれを注いでもらおうか迷っていると、突然、一人の飲泉師が声をかけてきた。
「あら、あなたねぇ、ルジェクが連れ歩いてる娘って? ふうん……、自警団なんかにいるし、女に興味がないのかなあって思ってたのにさ。そうかあ、こういう娘が好みなのかあ……。
気づいてないかもしれないけれど、あなたは、この小一時間で、この界隈の女たちの話題の人になってんのよ。一人で、路地を歩くときは気をつけた方がいいわよ!」
「あ、あの、わ、わたしは……その……」
「サーラ! お客さんに失礼よ! ごめんなさいね。わたしが、ご希望を聞きますね。サーラ! 少し早いけれど、もう休憩に行ってきていいから!」
割って入ってきたのは、サーラより少し年上の女性だった。どうやら、ここの師長のようだ。彼女の前掛けには、サーラの前掛けにはなかった水色のラインが縫い付けられていた。
サーラは、「じゃあ、お先にい!」と言いながら、飲泉場を出て行った。乱暴に閉めた扉の蝶番が、いつまでも軋んだ音を立てていた。師長は、ため息を一つつくと、わたしに言った。
「すみません。悪い娘じゃないのですが、ちょっと礼儀知らずなところがありまして――。
それと……、ルジェクは、まあ、人気者なのでね、いろいろと気にする娘もいるんですの。どうか、気を悪くなさらないでくださいね。ええと、どの温泉水を差し上げましょうか?」
わたしは、飲泉カップを差し出し、血行がよくなるという温泉水を注いでもらった。
ルジェクのためにも、今のうちに、誤解を解いておいた方がいいかもしれない。サーラ以外にも、ルジェクの取り巻きみたいな娘がいるに違いない。ルジェクが、変な目で見られては申し訳ない。はっきりと言っておこう! でも、この説明そのものが嘘なのよね……ああ、もう!
「わたしは、リオーナと申します。『小さな翡翠亭』の嫁です。どうぞ、よろしくお願いいたします。
夫のヴァーシルが、まだ王都から戻れないので、わたしと弟のヤンだけが、先にこちらに来ました。
ルジェクは、ヴァーシルの友だちだからと、不案内なわたしたちの世話をしてくれているだけです。変な心配をしないようにと、サーラさんに伝えてください。ああ、あと……ほかの人にも」
「まあ、そうなんですか! 『小さな翡翠亭』のヴァーシルの! それは、本当に失礼をしました。
フフフ……、ルジェクは、誰にでも親切ですからね。それに、見た目も悪くないし。おまけに、父親は――。あら、いけない! 余計なおしゃべりをして、お時間をとらせました。
温泉水は、庭園を一周して丁度飲み終わるぐらいの速さで、少しずつゆっくりお飲みくださいね」
わたしは、師長にチップを渡し、飲泉場を後にした。
言われたとおりに、整形庭園の散歩道をゆっくりと歩きながら、飲泉カップの吸い口から少しずつ温泉水を飲む。微かな塩味を感じるが、ほぼ無味無臭で飲みやすい。
冬場で、庭園に花はないが、綺麗に刈り込まれた低い常緑樹の緑が目に優しい。わたしと同じような散歩者と何度かすれ違ったが、みんな連れがいた。ギーが側にいない時間は、久しぶりだなと思う。
孤独なはずの隠密旅は、ギーという道連れを得て、思いの外楽しいものになっていた。今は、こんなのんびりとした時間を過ごしている。大丈夫! 旅の目的は忘れてはいませんよ、国王陛下!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
飲泉カップは、日本でも作っているようですね。
明日もよろしくお願いいたします。




