其の五 悪玉令嬢 御前試合で無双する 後編
ナルシス様は、予定通り勝ち進んだ。一人目の相手は、はじめから戦意を喪失しており、決して鋭いとはいえないナルシス様の突きを、もたもたよけているうちに、あろうことか剣を落としてしまい降参した。二人目の相手は、もう少しやる気があり、互いにランジを何度か繰り返したが、強く踏み込みすぎて前のめりになり、最後は転んでしまった。
わたしの相手もたいしたことはなかった。一人目は、やたらと突いてきたが足が使えていない。完全な稽古不足である。突っ込んでくるところを、体をひねってかわし、後ろ向きで喉元をねらうと、ひぇっとか言って尻餅をついてしまった。二人目は、もう少し元気があった。少し間合いを詰めつつ戦ったが、最後は、突きをよけ裏小手を狙う形で、シャツの袖を切り上げて終わった。いくら王太子様の誕生祝いのショーとはいえ、武芸に自信がありそうな者は一人もいない。とんだ茶番だ!
もしかすると、わたし以外の6人は、オーミルシェ侯爵夫人が用意したメンバーなのではないのか?腕が立つ者たちに夫人が金品を渡し、出場しないように頼んだというのが本当のところではないだろうか? フロランタンという、言うことをきかないへんな奴が紛れ込み、夫人とナルシス様の計画は思い通りに進まぬことになってしまっている。
短い休憩があって、いよいよわたしとナルシス様の試合となった。ジョエルがアドニスの間を抜け出し、フロランタンに連絡しに行くのを見送った。フードを目深に被ったアレットが、出入り口の近くに陣取っているのが見えた。やっぱりね。困った侍女である。
これまでの2試合が、あまりにもあっけなかったので、わたしもアドニス様も体にも心にも余裕がある。向かい合い構えたところで、わたしはニヤリと笑いかけてやった。アドニス様がピクッと震えた。その隙に、わたしは前に突いて出る。もちろん、相手の動きが鈍いのはわかっているので、だいぶ加減している。ナルシス様が前に出やすいように、素早く後ろに下がってやるが、いっこうに突いてこない。左手で、「来い!」というように手招きする。
さすがに馬鹿にされたことがわかったのか、少し顔を赤くして、ナルシス様が突きを繰り出してくる。体を捻り、突きをかわしながら、体を沈めて素早く後ろに回り込む。わたしを見失い、ナルシス様が蹈鞴を踏んだところを、背中に切りつけ、シャツに素早くNの字を刻んだ。切っ先は、肌には触れていないのに、ナルシス様が悲鳴を上げた。あっ! ごめん、フロランタン! 「N」の字を、胸ではなくて背中に刻んでしまった! ナルシス様の近侍が青い顔をして駆け寄り、急いでフロアから連れ去った。
響めきが起こり、やがて拍手が湧いた。王太子殿下も、立ち上がり拍手をしてくださっている。急いで礼をし、アドニスの間を出ようと出入り口を探す。フロランタンと入れ替わらなければならない。出入り口に向かって踏み出したところ、人混みから声がかかった。
「待たれよ! わたしとも一勝負お願いしたい!」
振り向くと、例の仮面の男が立っていた。何? どういう展開? 終わりじゃないの? さっきよりも大きな拍手が湧き起こり、試合を望む声が上がる。王太子殿下から許可が出たことを侍従が伝え、わたしは申し出を受けざる得ないことになった。フロランターン、まだ来るんじゃないよー!
隙のない構えだった。ダンスと同じで、足の運びも軽やかだ。何度か互いに攻撃と防御を繰り返す。腕前は互角というところだろう。少なくとも、今まで対戦してきた相手とは格が違う。二人同時に前に踏み出し、剣を絡め接近戦となった。顔が近づいたところで、仮面の男が囁いた。
「レオンティーヌ様、ですね?」
「えっ!」
一瞬のことだった。男がわたしの右側に回り込み、空いている左手でマスクの紐を掴み、解いてしまった。わっ! 何をする! 顔を見られてしまう! 紐がほどけて、緩んだ鬘も床に落ちた。
何が起きたのかわからぬまま、ご婦人たちから悲鳴が上がる。落ちかけたマスクを素早く左手で抑えたが、鬘の中でまとめていた髪が背中に広がり、どう考えてもフロランタンではないことが、みんなに知られてしまった。
跪いたわたしに駆け寄り、マントで包んでくれたのはアレットだった。混乱状態となったアドニスの間を、二人で転げるようにして出ると、ちょうど戻って来たジョエルとフロランタンに出会った。ことの成り行きを、アレットが早口で告げる。マスクを外したフロランタンが、やけに落ち着いた声でわたしに言った。
「大丈夫です、姉上。わたしが、ちゃんと事を収めてまいりますよ。先に屋敷に戻っていてください」
ジョエルを連れて、フロランタンはアドニスの間へ向かった。マントを被せられたわたしは、アレットと馬車に乗り屋敷へ帰った。
あの後、フロランタンは、足を引きずりながら(小芝居だ)アドニスの間に入り、急な怪我で出場できなくなった自分の代わりに、姉が出てくれたというような話をしたそうだ。王太子殿下は、レオンティーヌのおかげで大いに試合が盛り上がったと仰せになり、とくにお咎めはなかったということだった。
ただし、規則に反したということで、わたしの優勝は取り消しになった。だからといって、わたしにコケにされたナルシス様が優勝というわけにもいかず、今年は優勝者はなしということで落ち着いた。
あとは、オーミルシェ侯爵夫人がどう出るかだ。王太子殿下がお咎めなしと言っているのに、大騒ぎをするとは思えないが、王妃様にどんなふうに話を伝えているかが気がかりだ。
それから、あの仮面の男。わたしと対戦した後、また、風のように姿を眩ましてしまったらしい。舞踏会では、わたしを助けてくれたようだったが、今回は、わたしの邪魔をしにきたとしか思えない。どういう魂胆なのか? 誰なのか、まだ思い出せていないのも不安だ。