其の二 悪玉令嬢 舞踏会で恨みをかう 前編
遠乗りに出かけた翌日。
実は、昨日、あの後オーミルシェ侯爵夫人にノユリの花束を託し、花嫁候補たちが摘んできたことにして、王太子殿下に渡して欲しいと頼んだ。不本意ではあったが、今はまだ教育係を辞めさせられたくなかったので、少しばかり譲歩したのだ。侯爵夫人は、それは良いお考えですわとか言いながら、嬉しそうに花束を王太子殿下に届けに行った。まあ、また適当に話を作ってお渡しするのだろうけれど。
さて、今日は、課題の刺繍の締め切り日である。わたしは朝8時に出仕し、カメリアの間でご令嬢たちを待った。まさか!まさか!まさか! 今日が締め切り日ということは、今夜の12時までに仕上げればいいと思っていないわよねー? よくいるのだわ、そういう人……。
待つこと15分。ようやくお一人目が、カメリアの間に現れた。布で右手を吊っている。え? どうしちゃったの? 昨日は元気だったよね? 涙ぐみながらわたしを見て、ご令嬢が話し始めた。
「レオンティーヌ先生。申し訳ありません。昨晩、燭台に灯を点そうとしました折、うっかり指先に火傷をしていまいましたの。そのため、刺繍を最期まで仕上げることができませんでした。完成まであと少しでしたのに……。先生のご期待に沿えず、残念でなりません」
いやいや、燭台に灯を点すのは、あなたの侍女の仕事でしょう? 今日提出する課題が、昨日の夜、まだ終わっていなかったのは、いくらなんでも遅すぎるでしょう? 刺繍のお稽古のたびに、針目は揃えられない、布は穴だらけにしてしまう、そんなあなたに、わたしは何も期待していませんよ!
ああ、疲れるわ!
「わかりました。いつでも構いませんわ。完成しましたらご提出くださいね。それより、お怪我された手は、お医師にお見せになりましたか? どうぞ、お大事になさってくださいませ」
その後も、ご本人または侍女が、次々と課題が提出できない理由を伝えにやって来た。使いたい色の糸が手に入らなかったとか、手に針を刺したため布を血で汚してしまったとか、仕上げのアイロン掛けをしていた侍女が布を焦がしたとか、できない理由の見本市状態である。それでいて、誰一人として、その未完成の作品を持っては来ない。証拠を提出する必要はないと思っているのだろう。なめられたものである!
最期に一人だけ、作品を携えて現れたご令嬢がいた。アホ――じゃなくてぇ、アポリーヌ様である。彼女は、恥ずかしそうに俯きながら、作品をわたしに差し出した。そして、甘えるように言った。
「レオンティーヌ先生。遅くなって申し訳ありませぇん。でもぉ、最期までぇ、自分で仕上げたくてぇ、頑張ったのですぅ。わたしはぁ、完成させましたわぁ。褒めていただけますかぁ?」
褒める? 何を? 糸を引き過ぎちゃって、布はしわしわ! 糸の始末ができていなくて、刺繍の裏側はぐにょぐにょ! おまけに、最期の方だけ誰か別の人がやったのね、やけに針目が揃ってる!
「ええ、ご提出されたことは、立派なことですわ。まあ、それだけですが」
「ちっ!」
えっ? 今、舌打ちしなかっただろうか? わたしの気のせいだろうか? 挨拶もせず、ズタズタと大きな足音をさせて自室へと戻っていくアポリーヌ様を、わたしは言葉もなく見送った。
運動も手仕事もまともにできないご令嬢方であるが、社交界への関心は高い。というか、唯一の関心事がそれである。社交界デビューは済ませておられるが、まだ本格的な舞踏会へ参加された経験は、そうはないはずである。花嫁候補の教育メニューには、ダンスのレッスンもあり、専門の先生がご教授くださっているのだが、彼女たちの日頃の身のこなしを見る限り、まだまだというところであろう。
それでも、近々、王妃様がお気に入りの一人であるオドラン伯爵夫人のご令嬢のご結婚をお祝いして、舞踏会を開催するという噂を聞くと、全員がそれに夢中になってしまった。まだ、ご招待もされていないのに!
結局また、アポリーヌ様が、オーミルシェ侯爵夫人に何か言ったのだろう。しばらくすると、王妃様からご令嬢たちへ、舞踏会への招待状が届けられた。もう、狂喜乱舞、上を下への大騒ぎである。
一般的には、舞踏会に参加するには連れが必要であるが、花嫁候補たちは、お披露目を兼ねて参加するということで、とくに誰かにエスコートしてもらわなくてもよいことになった。王家の方々の前で、失礼があってもいけないということで、しばらくは、舞踏会に向けた特別教育が行われることになった。ダンスはもちろん、舞踏会での様々なマナーやルールなども教え込む。
おかげで、わたしは暇になった。特別教育は、女官長であるオーミルシェ侯爵夫人を中心に、女官や専門家たちで編成された、舞踏会対策班(?)が当たることになったからだ。わたしは、舞踏会に呼ばれてもいないし、しばらく出仕する必要もなくなった。屋敷に籠もり、スモールソードの稽古に励んだり、得意のリュートの演奏を侍女たちに聞かせたり、領地の経営について弟と話し合ったりし、特別休暇を大いに楽しんでいた。ところが、舞踏会まであと1週間となった日、突然、状況が変わった。
自室で、リュートの練習をしていたところ、ドアを激しくノックされた。開けるように声をかけると、侍女のアレットが、肩で息をしながら立っていた。足音は聞こえなかったので、超高速早足でここまでやってきたのであろう。日頃から、侯爵家の侍女たるもの、廊下を走るなど不作法極まりないと言ってある。
「お、お嬢様、大変です! ハアハア…… 王妃様から、舞踏会の招待状が届きました! ハアハア……お使者の方が、お返事をいただいて帰りたいと、下でお待ちでございます! いかがいたしましょう?」
「なんで、今さらわたしがよばれるのかしら?! 理由がわかりません。まあ、お受けしないわけにはいかないでしょうね。お断りして、王妃様に対して宿意を持っているとか思われたくはないですからね」
わたしは、階下に降り、お使者に直接お礼を申し上げ、舞踏会へ喜んで出席させていただくと伝えた。
とはいえ、本当は余り気乗りのしない舞踏会なのである。なにしろあのご令嬢たちが出席されるのである。舞踏会でまで、あのご令嬢たちに振り回されたくない。当日は、できるだけ離れたところで、何があろうと知らないふりをしていよう。フロランタンを同道したいところだが、あのご令嬢たちに目を付けられても困る。今回は、少し寂しいが一人で出かけよう。
お使者が帰られた後、アレットとドレスやアクセサリーを選んだり、少しだけダンスの練習をしたりした。アレットは、なんだか嬉しそうだ。彼女は、わたしを飾り立てるのが大好きなのだ。しかたがない。しばらくは彼女の着せ替え人形になってやろう。